表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/30

カッコウ

 ルイは両手を振り回してわめいた。


「あいつが先に手を出してきたんですよ! ヘチマのほうが。こっちはただの自衛。べつにケガさせる気なかったし。えびが勝手に前に出てきただけで、寸止め余裕だったし。そもそもあいつらが、こっちを襲ってきたんだから」


 ぬっとヘチマがあごを突き上げる。腰を浮かしかけたが、えびまよはその肩をおさえつけ、倒木に座らせた。

 えびまよが、事実ではない、と言おうとしたが、テツが目で制した。


 テツは少し離れた切り株に腰を下し、黙って聞いていた。

 まずルイに話をさせた。この男はいいわけするうちに、次第に息を荒げ、ヒステリー状態に陥っていた。


「だいたい、こいつらいっつも影でコソコソやってたんだ。おれを追い出そうとして。ねたみやがって。無能なくせに。無能で無知で努力もせずに生きてたくせに、ひとの揚げ足ばっかりとりやがって。下等なんだよ! クズが! 世の中、出てくんなクズ!」


 えびまよは片手でしっかりと友の肩を押さえつつ、わめく男を見つめていた。

 ルイは耳まで赤く変わっている。きれいな顔が悪鬼のようにゆがんでいた。


「おれが一所懸命やってんのに! いっつも邪魔するんだ。いっつも足を引っ張る! いっつも! いっつもや!」


 わめくうちに顎と言葉が震えてくる。


「おれが努力しとるのに! 早く金作ろうと、がんばっとるのに。みんながみんな邪魔しよる! 木を伐らせんし! 道作らせんし! グダグダグダグダ。ちょっと失敗すると、鬼の首でもとったように責め立ておって。クッソごがわく(はらたつ)。底辺はみんなそうや。揚げ足取りばっかで、全然生産せん。あのパートのババアどもも。クソ店長も――」 


 痙攣し、喘ぎ、言葉が不明瞭になってきた。言葉自体も脈絡がなくなってきている。


「死ねや。いいから、おまえらみんな死ねや。どクズ! なんでおれが、こんなド田舎で木なんか伐らなかんのや。おれはこんなとこにおる人間やないんや。おれは――」


 えびまよもヘチマも、もはや何も言わなかった。

 ひとがわけのわからない罵声をあげ、発作のように地面を踏み鳴らす姿に、たじろいでしまっていた。 この場をこのあと、どうしていいかわからない。


 ルイの罵声が切れ、ついにヒイヒイと荒い息だけになった。アドレナリンで指先まで痙攣しかけていた。


(こいつ、てんかん起こすんやないか)


 えびまよが思った時だった。


「青空先生が」


 唐突にテツが口をひらいた。


「おまえは、立派な父親だと言ってたよ」


 ルイの荒い呼吸が、詰まったように止まった。

 細いあごはまだ引き攣っていたが、人形のようにぎこちなく振り向き、テツを見た。


「ぜんそくの千里を抱えて、小さいふたごを抱えて、一所懸命戦ってる。強い男だって」

「――」


 テツは言った。


「おれもそう思うよ」


 ルイのノドがヒクッと鳴った。彼は目を瞠いて、金縛りにあったように立ち尽くした。

 こども、とテツは顔をあげ、


「元気だもんな。岐阜で会った時、ふたりともいい服来て、そろいの靴履いてた。頭も清潔にしてた」

「――」

「千里も万里もまだ靴下が履けない。あれ、おまえが毎朝、履かせてやってんだろ」


 ルイは柱のように動かなかった。

 テツは言った。


「一日ふつか、がんばるのは誰だってできる。それをずっと続けるのは――途方もねえよ。おまえは黙って大変なこと、よくやってるよ」


 ルイは顔をそむけた。

 えびまよはその目から涙が噴き出すのを見た。赤ん坊のように口をしぼり、震えていた。

 ルイは頭を抱えてうずくまり、悲鳴のように泣いた。





 大学を出て以来、ルイの人生はどこか調子っぱずれだった。

 容姿を買われ、芸能事務所に在籍していたが、そちらでは芽が出なかった。

 まわりが水商売に転落していくのを見て、ああはなりたくないと思った。


 置き薬の会社の重役に声をかけられ、その拡張会社を立ち上げることにした。

 最初の一年は好調だった。どこでも青年実業家と持ち上げられ、元モデルの女と結婚もした。


 だが、二年、三年とたつうち、バイトたちが客先で問題を起こし、本社から営業を差し止められることになった。

 その頃、ふたごが生まれた。


 やむなく会社をたたみ、ルイは定収入を求めてサトウマートに就職した。

 むろん、SVとしてではない。平社員からで、配属された職場は、軽蔑していたスーパーでの惣菜販売だった。


 それでも、いずれ幹部に上がれると奮闘している間、ルイの妻は育児にパニックを起こしていた。

 はじめはルイも、ことの重大さに気づかなかった。手伝うと妻は腹をたて、手伝わないとまた腹をたてた。ルイはそっとしておこうと、かまわなくなった。


 ある日、妻は消えた。実家に引きこもり、離婚届を送ってきた。

 ルイが訪ねていった時、妻は、


『あんたって見かけだおし。全然役に立たない』


 痩せ、やつれ、見たこともない女の顔に変わっていた。

 妻の実家は、娘が心療内科に通いだしたため、ふたごを引き取ろうとはしなかった。

 ルイは一歳のふたごを抱えることになった。


 子どもを保育園に預けながらの出勤になったが、千里にぜんそくの発作が出て、しばしば保育園から呼び出された。

 職場で、ルイの評価は下がった。

 口さがないパートの女たちは、


『休んでばっかりいて、あの給料』


 影で謗った。もともと彼女たちはミスに厳しいルイがきらいだった。

 彼女らのひとりが上へ密告した。


 ――広川主任はフライ槽に異物が落ちても、油を替えない。


 そういう事実はあった。いちいち油を替えれば、経費がかかりすぎるからだ。

 折悪しく、世間でアルバイトの食品汚染動画が流行していており、会社は品質管理に神経を尖らせていた。

 このことは上で異様に重大視され、


『全店舗の食品に対する信用を損なった』


 懲戒解雇となった。

 しかし、ルイも幼な子を抱えて、黙って引き下がるわけにはいかない。処分不当を申し立て、労働基準監督所にも相談した。


 ――子育てで欠勤が多くなったことが関係しているはず。


 労基がルイに味方した結果、示談となった。サトウマートは一方的な解雇は取り下げたものの、別部署に行くか、一年分の年収と同額の退職金を受けて、自首退職するか、選べと迫った。


 別部署はサトウマートの葬祭関連のサービスで、そこに異動になると出世は望めなかった。

 ルイは年収三年分の退職金を条件に、転職することにした。


 しかし、奇妙なことにその後、いくつ面接を受けても落ちた。同業種、異業種かかわりなく、バイトすらなぜか落ちた。


 ――回状でもまわってるのではないか。


 ルイは疑心暗鬼にかられ、東京を離れ、岐阜に戻った。

 ルイの母はすでに亡い。実家の父は姉夫婦を可愛がり、ルイには、


『子どもがうるさい。はよ家見つけて出てけ』


 と毎日のように言った。


 みな、平気で攻撃してきた。

 どれほど、ルイが崖っぷちにいるか知らず、突き飛ばしてきた。

 だれも同情しなかった。

 テツの言葉に、ルイはうろたえた。心臓を固く縛った針金が吹っ飛んでしまった。





 テツは諭した。


「おまえ、ずーっと戦闘モードなんだ。うわずってんだ。何も見えてない。歓迎の席で、まだ人が打ち解けようと飯を食っているのに、仕事の話をするんだ。引越しの時、みんなが手伝っても、不足ばかり見てる。ひとがおまえのタンスを運んでいても、そいつのミスを探す。なんにも見えていない。ずっと頭が半分戦っている。だから、おれは簡単に木を伐らせたくなかった。ケガするから。木を見てないと、ハネた時によけられない。1トンの木が落ちてきたら、内蔵破裂で死ぬ。チビどもが待ってるのに、お父さんを死なせられないだろ」


 えびまよは、ルイを見た。

 ルイは土の上に足を投げ出し、ティッシュでしきりと洟を拭いていた。

 使ったティッシュをきちんとポケットにしまうところに、この男の育ちがうかがえた。


(ふつうのやつや)


 えびまよはそのしぐさを見て、われに返った思いがした。

 この男に対し、フェアだったろうか、と思った。きらきらしい容姿、最初の素っ頓狂なふるまいを見て、即座に見放してしまってなかったか。


(おれも、ここで助けられた身やのに)


 テツはルイに言った。


「えびも、ヘチマも、おまえにクズ呼ばわりされる人間じゃねんだぞ。こいつらにもおまえの知らない苦労がある。やたら敵視するのは、違うんじゃないのか」

「……」


 ルイははじめて、コクリとうなずいた。

 テツはヘチマをふりかえった。


「おまえが先に手を出したわけじゃないのは、わかってる」

「――」

「お前の言い分を聞こう」


 ヘチマは目を伏せた。言おうとしたが、少しして重く首を振った。


「おれも卑怯なこと言うたで、あいこや」


 えびは、とテツが聞いた。


「たった今、殺されかけたんだが、どうする?」


 えびまよは、はっきり首を横に振った。

 テツは鼻息をひとつつき、伐り株から立ち上がった。ヘルメットを被りながら、


「おまえらさ。今、あやまったり、ゆるしたりしなくていいから、互いにリスペクトを持ってくれな。苦労していない人間も、苦悩していない人間もいないんだよ」


 この件以後、えびまよはルイにもなるべく声をかけ、輪に入れるようにした。時々、ヘチマを連れ、ルイの作業道づくりを手伝った。

 ヘチマも確執のことは忘れたふりをして、ついてきた。


 ルイはふたりに礼を言うようになった。

 テツへの姿勢も変わった。その背について山を歩く時、くつろいだ顔をするようになった。


 ある朝、山に登る時、特徴のある鳥の鳴き声が聞こえた。

 ルイはケヤキの梢を見上げた。カッコウだな、とおもった。

 ふりむくとテツの細目が見ていた。テツが聞いた。


「聞こえた?」

「カッコウですね」

「毎日鳴いてた」

「……」


 テツはその日、ルイにひとりで木を伐らせた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 昔話レベルの過去と現代の若者や社会問題が織り交ぜられつつも読みやすく話しが進んで「どうなるの?どうするの?」と毎日の更新が楽しみです。 特にこの<カッコウ>では、今日まで問題児ならぬ問題男…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ