必死のパッチのドンパッチ
寺へ帰るなり、ルイはわめき散らした。
「出て行く! 訴える! あいつを暴行で訴える!」
迎え出た青空は目を丸くして、
「ええと、下山? ――どうしよう。今から? 送ります?」
ルイはわななき、山で起きた出来事をまくしたてた。暴力をふるわれ、怒鳴られ、スマホも取り上げられ、脅迫された、とわめく。
「あなたの弟弟子でしょ? どういう教育してるんですか。きちんと監督してくださいよ! できなきゃ、あなたも同罪です。あなたの責任ですよ」
「――」
「なにが駆け込み寺。超絶ブラックじゃないか。タコ部屋だ。騙された。絶対、労基に訴えるからな!」
しかし、ぎゃあぎゃあわめくものの、荷をまとめるでもなく、子どもを呼び集めるでもなかった。食卓の前にドカリと座って、飯が出てくるのを待っている。
えびまよは、ひそかに首を振った。
(この神経。いっそすがすがしい)
ヘチマのほうはあっさり口にした。
「キミ出ていくん? 荷造りするなら手伝うよ?」
「!」
ルイがぎろりと目を剥く。
「あ、おとーさんだー」
折りよく、ふたごがパジャマを着て駆け込んできた。ダンディが追いかけつつ、ふたりの濡れた頭をタオルで揉んで、
「お待ちなせえ、水もしたたる――。ほらパパ。千里之進、万里之介もいい男になったぞう」
「ダンディさん!」
ルイはカッとわめいた。
「昨日、昼寝させたでしょ。昼寝したら、夜寝ないからやめてくださいよ。今日もさせたんじゃないでしょうね」
「おれ寝れるよ」
「ダメなんですよ! 生活のリズムつけさせないと! シッターやるなら、それぐらいわきまえてくださいよ!」
「おれシッターなの。いま知ったー」
「――」
ルイが立ち上がってわめきかけると、官九郎老人がにがい顔をして、
「いいかげんにしろ。ダンデーはおまえの代わりに、昼間子ども見て、風呂にも入れてくれたんじゃないか。なにがシッターだよ。金も払ってねえのに」
「払えるなら、払いますよ! でも、あのクソテツが、指差し確認、指差し確認! 指差し確認!」
ダンディがとなりですっくと上を指す。
「サタデーナイトフィーバー!」
一瞬おいて、青空が吹いてしまった。
ルイが目を剥き、肩をふくらませるが、青空は笑いながらタオルを手渡した。
「話はあとで聞きますね。先、お風呂どうぞ。ごはんの前に汗流してらっしゃい。今日のごはんはお肉たっぷりのケイチャンですよ」
ルイはタオルを掴み、憤然と去った。
ルイは不幸だった。
(ゴミテツとカスお市のふたりが、敵だ)
彼は翌日もひとり、基本訓練をさせられていた。
朝、ゴネたが、テツに首の根をつかまれるようにして、スクワットさせられた。
ルイはひそかにスマホの録音機能をオンにしていた。しかし、これを使うのは不安がある。
昨夜、風呂から出た時、お市がスマホを返してよこした。
「なんでこいつを返すかわかる?」
「――」
「あんたが何をしようと、おれには筒抜けだから。べつにバックドアとか仕込んでないよ。でも、筒抜け。サトウマートさんの時みたいに、和解金せしめようなんて甘いこと考えてんなら、後悔するよ」
ルイは、和解金と言う言葉にぎょっとなった。
(調べたのか)
僧の笑った目は、ルイの小さなごまかしにも気づいていた。ルイはうろたえ、すぐにも山を下りたくなった。
だが、落ちて行く先がない。家と保育園と、男が定時に帰っても恨まれない職場を探すのは簡単ではなかった。
(いや、このふたりはすぐに出て行く。住職はただの天然。あのふたりさえ出て行けば、問題ない)
同じことを、村の老人、栄作と広海も考えていた。
(あのテツって極道坊主と、ドべんこーなお市ってのが、出て行けば、残りの連中は烏合の衆)
栄作の森に印をつけおわった時、テツは当然のように言った。
「じゃ、次は広海さんの山で。――それと、遅いんじゃないですか?」
「――」
「八月にはキリに入るので、少しピッチあげて進めてください」
孫のような年の若者に、仕事が遅いとなじられて、ふたりは憤慨した。
(ドたーけが。ここはうちの森やがな! うちの森で、どしておまんごときに命令されなかんのや)
(ただ良木を探せばええってもんやないんやで。日の差し込みやら、伐る時の塩梅も考えとるんやぞ)
(いい気になるな、どぐされ坊主が。ロクさ差し向けんぞ)
(散弾で蜂の巣にされたいんか)
(クソ坊主!)
(クソ坊主!)
しかし、これらの罵詈には音声がほとんど伴わなかったため、敵には届かなかった。
ふたりの老人はブツブツ言いながらも、
「ジョージとゴロさにも来てもらおか」
「……早よ済ましたほうがええな。夏場はいきるし」
ダメ出しを受け、ひどく気にしていた。
ジョージたちは呼ばれて集まったが、渋い顔をした。
「牛歩戦術、どしたんですか」
「……別の作戦を考える」
ひとまず印つけだけは、済ませようと妥協した。
表立って、テツ坊に逆らうのはおそろしい。
一度ふたりは、訓練現場を見てしまった。
役者のような今風の若者が、腰から蹴り飛ばされていた。
若者は二メートルほど吹っ飛んだ。尻をつき、ぎゃあぎゃあわめいたが、テツが大股で近づくと急いで立ち上がった。
「暴力やめてくださいよ!」
あわてて、チェーンソーを拾い、胸丈ほどの高さの切り株の前に戻る。チェーンソーを始動し、切り株に浅い追い口をいれた時、
「退避!」
若者は一息、動くのが遅かった。とたんにテツの足が跳ねた。人の首が飛ぶように、切り株が木っ端を散らして爆けた。
ルイは、
「ちょっとの間、携帯借りれないか」
木陰で握り飯を喰っているえびまよとヘチマに頼んだ。
「?」
ルイは言った。
「録音使いたいだけだよ。おれのスマホ、なんか仕掛けがしてあるみたいだからさ」
ヘチマが聞いた。
「録音、なんに使うん」
「なんでもいいだろ。――ゴミテツのあれ、パワハラだから。証拠集めとくんだよ」
ふたりは黙り込んだ。木漏れ日の落ちた森を眺め、握り飯をほおばる。
ふたりはテツに言われ、作業道作りの応援に来ていた。
ヘチマが言った。
「おまえ、あれ聞いて、なんも思わへんの?」
「?」
遠くでバックホーのエンジン音が響いている。
「この作業道、本来、おまえの仕事やん。テツさん、おまえの代わりに道作ってくれとるのに、おまえ何考えてんの?」
は? とルイは尖った声を出した。
「頼んでねえし。そもそもあいつが、おれの時間潰してるから、進まねんだし。本来、研修期間も給料出すのが当然だろ」
えびまよは茶を飲んだ。
(口をひらけば、クズ。マーライオン・クズ)
もういい、とルイはふたりから離れた。
だが、ヘチマはやめなかった。
「おまえ、ちょっとおかしいて。人として。おまえ、困ってここの寺に来たんやげ。助けてもらったんやろ? な?」
「寄生虫の説教うぜえ」
ルイは振り返りもせず言った。
「おれはおまえらみたいに、おもらいに来たわけじゃないんだよ。おまえらふたり、どうせ底辺校卒のあぶれるべくしてあぶれた社会のゴミだろ。人のこといいから、自分の人生の面倒みなよ」
えびまよも、さすがに聞き捨てならなかった。
(なんやて。このクズの国の王子様が! 底辺がイヤなら、クズのレッドカーペットに乗って、帰ってもろてええんですよ?)
しかし、声には出さない。ヘチマのほうは声に出した。
「さっすがエリートさんは、たいした人生を歩んでらっしゃいますよねえ。サトウマートの店員さんでしたっけ。要はエプロンしてスーパーうろついとるおっさんやろ。刺身の上にタンポポ乗せとるあれやろ。まぶしすぎて、よう拝みませんわあ」
ルイはふりむき、
「店員じゃなくて、SVですが? つか、おまえなに? おまえいっつも寒い小ネタかまして、キョロついてるだけの人だよな? 坊主の機嫌とりだけして、のらくら遊んで、なんの結果も出してねえ。何しにきたの? 永遠にたかりにきたの?」
ヘチマの顔が笑うようにゆがんだ。次の瞬間跳ね起き、蛇のように鎌首をもたげた。
「おう、おまえ、ええかげんにせえよ。おれらが、ここに何しに来たか? おまえがいつまでも木一本、まともに伐れん言うから、助っ人に来たんじゃ。結果出さんのは、おまえやげ。何全力で煽ってくれとるんや? 仕事できるようなってから、えらそうな口きけや。だから、嫁さんにも逃げられるんじゃ」
「!」
えびまよは、電気が走ったように背筋を弾ませた。
ルイの顔色が変わっていた。
えびまよはさすがに間に入り、
「こわいこわいこわい。もうやめろ。もう飯喰お」
だが、ルイは下唇を引き攣らせ、
「はあ? ふざけんなこのカス! 死ねやカス! ド不細工が」
えびまよをはさんで迫ってくる。ヘチマもまた、
「なんや泣きびそかい。もっと言うたろか。女が子ども置いて出てくのはよっぽどのことや。よっぽどおまえの遺伝子嫌っとったんやて。わかるわ。おまえのクソみたいな遺伝子――」
ヘチマの頬に尖った拳がめりこんでいた。
「――」
ヘチマの小さな目がにぶくなった。えびまよは止めかけたが、長い腕に弾き飛ばされた。
声なき咆哮とともに拳が跳び、ルイの頬を打つ。一瞬、ルイの白い顔がボールのようにたわんで、弾け飛んだ。
細身があっけなくひっくりかえる。ヘチマは口をとがらせ、その尻を鋭く蹴りつけた。さらに蹴ろうとする。
えびまよは恐れ、激昂した友のからだを引き剥がした。
「もうやめ。大輔!」
もみ合うように位置を入れ替え、ヘチマの視界をふさぐ。その傍らで、ルイがよろりと立ち上がった。
ベルトの道具入れから、手斧を引き抜いた。
「!」
おい、と声がした途端、ルイは投げつけるように振り下ろした。
えびまよは口をあいた。スローモーションで、刃が顔に落ちてくるのを見ていた。青い空の真ん中に、刃の影がくっきりと浮いていた。
目の前で鋭く何かが爆け、手斧が巻き上げられるように跳ね飛んだ。
「――」
地面にヘルメットが転がった。
ふりむくと、テツが右手を浮かせ、仁王のようにまなじりを裂いて立っていた。