SOSに答えたのは
ネットの掲示板に、せっぱつまったスレッドがたった。
『あと八時間で、名実ともにホームレスになる件』
――だれか助けて。
――ホームレスはホープレス。
――かあちゃんにあやまれ。ハロワ行くと誓え。
――いま、ネカフェ。残金七十七円。ここ出たら、行くとこない。
――なんでネカフェ入っちゃったかな。
――外で寝るの寒いし、こわい。
――女か。
――男。でもこわい。マジ腹減ってつらい。となり、ヤキソバ喰ってて、においで死ぬ。
――ジュース飲め。
――メロンソーダばっか飲んでるよ。この二日ずっとメロンソーダ。すぐおなかすく。
――糖尿なりそう。
――あああああ。えびまよおにぎり食べたいよう。マジでおれのダイイングメッセージ、えびまよおにぎり、食べたい……。
――誰か友だちいないのか。
――今まで何してたんだよ。
――自動車整備やってたけど、営業に配属されて、きつくて辞めた。いま日雇い派遣で工場作業。けど、コンスタントに募集ない。現場少なすぎ。ひと多すぎ。
――どっか住み込み探せ。
――探してるけど、遠いとこのばっかなんだよ。ホントに明日からどこ行ったらいいかわからない。
――公園のトイレ。
――ホームレスにも縄張り争いあるらしいから。ヘタなとこ住み着くとボコられるぞ。
――どこ行きゃいいんだよ。
――そこどこ。
――岐阜市。
――岐阜ってどこ。
――日本の真ん中だ。
――長野か。
――おれは岐阜だといっている。
――琵琶湖のあるとこだっけ。
――それ滋賀。そのとなり。
――樹海のあるとこか。
――静岡。やめろおまえら。おれホントに腹減ってんだよ。
――うちも岐阜県。うち来る? なんもないけど、おふとんとごはんはあるよ。
――お。
――あら。
――待て。はやまるな。ワナだ。
――監禁され、生保とりあげられるパターン。
――うち、お寺。開いてる部屋はいっぱいある。ただ、ド田舎だから、まわりなんもないけど。
――お坊様でしたか。
――行きたい。でも、宗教入りたくない。
――入らなくていいよ。じゃ、迎えに行くね。
七時間後、掲示板にレスがついた。
――えびまよの人、まだいる?
――イエス。えびまよ。
――ID替わったけど、131です。ごめん。迎え、ちょっと遅れる。いま事故った。
――?
――山道から車がずり落ちて、転落したみたい。ドアが開かない。閉じ込められた。
――は?
――今現場?
――おぼーさーん!
――おま、何やってんだよ! 救急車電話しろよ。えびまよどころじゃねえだろ!
――電話します。ちょっと寝てたみたい。
――それ気絶。
――重傷じゃねえかよ!
――大丈夫。ここ出られたら、すぐ迎えに行くから。遅れるけど、待ってて。
――このスレはただいまより、131の無事救出を祈るスレになりました。
シートにもたれたまま、僧青空(せいくう)はぽかんと口をあいていた。
フロントガラスから、のどかな朝の空と白いちぎれ雲が見えた。車体が何かに乗り上げているらしく、空の下の黒いヒノキ林、その下にせり出した赤土の斜面がよく見えた。
(マジか)
青空はぼう然と崖を眺めた。
彼の僧衣には、土がかぶっていた。助手席の足元に、シクラメンのポットが倒れている。
花農家からの預かりものだった。『えびまよ』の迎えついでに道の駅に配達してくる予定だった。うしろでケースごとひっくり返っているに違いない。
(うーん。ドジっ子)
コツンと頭を叩いてみるが、
(……おちょけてる場合じゃないんだよ。よしのさんの現金収入を台無しにしたんだよ)
老婦人に、ひっくり返さないよう口うるさく注意され、慎重にシクラメンを車に乗せた。
慎重に尖った木切れや落石を避けた。避けすぎた。
カーブを回った時、
(え)
尾てい骨が浮き上がった。
次の瞬間、車体は狂ったように跳ねながら、滑落していた。青空は首が抜けそうなほど揺さぶられ、振り回された。
(ぎゃあああああ! 南無無畏大師―ッ! 平先生―ッ!)
気づいた時は赤剥けの坂を見ていた。からだは痛むが動く。車が動かない。
(生きてた。ご加護だ)
青空は守護尊に深く感謝した後、掲示板に書き込んだ。
つぎは、救急車なり、警察なりに電話しなければならぬ。しかし、そこで、ふいにぼんやりしてしまった。
(……)
フロントガラスが血に汚れている。問題はその向こうだった。
不毛の坂が、首がのけぞるほど高くそびえていた。アリ地獄の底にいるようだった。
(ここ、前はこんなえぐれてなかったよなあ)
三年前は、カーブの外側も細い杉林が覆っていた。
いつのまにか裸の崖に変わっている。大雨で根ごと流れ落ちたのだろう。
村のあちこちでこのような現象が起きていた。
木が、山にあふれている。手入れされない森は痩せ、大雨や雪に耐えられない。台風のたびに折れ崩れ、時には土砂を巻き込んですべり落ちる。
青空はこの三年、まめに山に出て整備していたが、いかんせん一人ではどうにもならぬ広さだった。
人を頼もうにも金はなく、人自体少ない。毎年、塩のようにもろもろと崩れ行く山の前で、青空はさすがに心細かった。
(ご本尊さま)
青空はつい願った。
(そろそろ本気出しましょう。こんな危険な山では、村の人が都会のお子さんたちに引き取られていってしまいます。でも、あの人たちはここでしか暮らせないのです。どうか、山を安全に保つ人手をください。じゃなかったら、『村のタネ』をください)
そう思った時、目の前の坂にぼとり、と蛇の塊のようなものが落ちてきた。
ロープが一本つながっていた。
青空は見上げ、口をあいた。
崖の上、ロープの先に、白黒の僧衣の尻が見える。その尻は、両足をぽんぽんと軽快に蹴って、クモがすべるようにラペリングして下りてきた。
飛騨の古老が語る昔話『無畏大師さまとイチイの木』
むかーし。
無畏大師、寛円上人(むいたいし・かんえんしょうにん)が、東国巡錫へ行かっしゃった時のこと。
ま、平安時代やな?
寛円上人は、飛騨にむかう途中、奇妙な村に通りかかった。
だーれもおらん。田んぼも家もあったが、人がおらん。家もからっぽなんやと。
「ふしぎな村よな」
よっく見ると、ひとりだけ男がおったんやと。
寛円上人は頼ましゃった。
「もし、旅の者じゃが、今宵ひと晩宿を頼みたい」
ところが、男はちーと止まったまんま。
「もおしッ!」
その時、上人の足元から真っ白な大犬、ご眷属の神犬、手津丸(てつまる)さまが鼻づらをあげて、
「あのな。師よ。これは木偶じゃぞ」
寛円上人はおどろき、
「まことか」
「松のにおいがするわいな」
触ってみると、たしかに木の手触り。
上人はつくづく感心しんさって、
「さすが匠の国よな。たいした腕じゃ」
いとをかし、と妙な歌まで詠ましゃった。
「――たずぬれば これ松の殿 なにゆえに 姫御つくらじ逢坂の関」
すると、急にガタガタと音がしてな。子どもの笑い声がする。
見ると、小さな社があった。その扉が開いて、子どもの神様がおいでてな。
子どもの神様ははじめ、腹を抱えて笑ってござった。そのうち涙を流し、ワアワア泣かさったんやと。
上人はあわてて、
「神よ。なにゆえ、泣きたもう」
わけを聞くと、
「さびしゅうてならぬ」
この神様は、この地の土地神さまやった。ここに村を作ろうと、水を引き、土地を均して、ひとが住むのを待っておったんやと。
ところが、百年待ってもたれも来ぬ。家、田までこしらえて待っておったが、ひとが住み着かず、来てもすぐ去んでしまうんやと。
「さびしゅうて、飛騨の匠に木偶を作ってもらったのじゃ。木偶では歌ひとつ詠んでくれぬ」
寛円上人は哀れに思わさってな。天眼をひらいて真相を見るに、
「ああ、これは来ませぬわ」
合点がいった。
というのも、ここは精霊の道で、あやかしの通る往来なんじゃ。人には見えぬものの、住むと落ち着けず、すぐどこかへ移りたくなってしまうんやと。
小さい土地神さまは、そりゃあ落胆されてよ。
土地の神さまやで、具合のええとこへ引っ越すってわけにいかん。
「――」
寛円上人も、なにか手はないか、と真言を唱えらしゃった。
すると、光り輝く一尊の御仏がおいでてな。
『村のタネを播くがよい』
「村のタネとは?」
『村のタネはひとを呼ぶ。播けば、荒れ地、離れ小島であろうと、渦を巻くようにひとが集まるぞ。村を作るには、村のタネ。町を作るには町のタネ。都を作るには、都のタネを播く。村のタネを播けば、そこは道ではなく、村。精霊は近づくまい』
寛円上人と土地神さまは大よろこび。
「それはいずこにありましょうか」
『飛騨高山の鎮守神のところへ行け。いま、ひとつ生ったところじゃ』
寛円上人は、土地神のため、飛騨高山へタネを取りに行かっしゃった。
さて、山をひとつ越えた時、道の真ん中に大きな岩があった。
「もし」
またメソメソ泣く声が聞こえてくる。今度は女よ。
見ると、道をふさぐ大岩のそばに女が伏せておって、
「わが髪が石に敷かれてしまいました。お助けくださりませ」
たしかに女の夜の黒髪が、大岩の下につぶれておった。
手津丸さまが言わさった。
「これなる女人はひとにあらず」
寛円上人も天眼でごらんになると、なるほどこれは、
「すだまじゃな」
木の精霊やった。
人でなかろうと、哀れと思しめして、上人は手津丸さまに助けるよう言わさった。手津丸さまは爪のひと掻き。大岩はあっさり割り砕かれた。
起き上がってみるとすだまは、歳の頃、十五六。玉をあざむくような美しい乙女でな。
「われはイチイの精。お助けいただいたご恩返しに、高山までの近道を案内いたしまする」
寛円上人も坊さんになる前は、都一の美男で、いろいろ浮名を流したおひとやったでなあ。
「これは景色がよい」
乙女の供をゆるし、歌まで詠んだんやと。
「――ふしぎかな 大岩もぐる 夜の髪 たれを待つや 逢坂の関」
髪が勝手に岩に挟まれたりするか。おれを待ってたんやないか、というからかいの歌やな。
イチイの乙女は、はにかんで、
「――逢坂の 関は知らじな 御仏の 縁もとめし 飛騨のイチイ」
色男ではなく、仏縁を求めていたからでございますよ、と慎ましく返したんや。
一行は妖精だけが知る近道を行ったもんで、すぐにたどり着いた。
飛騨の鎮守神も話が早い。
「待っておった。千年に一度生る村のタネが、ちょうど今出来たところじゃ」
この村のタネは、天の宝。神様の世界にある洞窟の滴が一滴一滴つもって出来たもんで、千年に一個しか生らん。
それがちょうど出来たんやと。ま、ご縁やな。
「ありがたく拝領いたしまする」
「うむ。ゆめおろそかにするでないぞ」
寛円上人は村のタネをいなだいた。それは水晶に似た玉で、きらきらと虹色に輝いておったそうや。
脇から、イチイの乙女が、
「なにか書いてありまするぞ」
「?」
ほら、と乙女はタネをひょいと取り、岩の上にのせた。そして、隣の大きな石を持ち上げ、いきなりタネの上に振り下ろした。
グシャリ。
タネはあっさり潰れ、砕けた。
「!」
鎮守も寛円上人もあまりのことに目の玉が飛び出た。上人はふりむき、
「もう一個」
「もうない!」
当然、もうない。千年に一度しか生らんもんやでな。
乙女は愉快そうに笑い、
「千年に一度しかできぬとあれば、幸甚。あの村は千年は枯れはてるということじゃな!」
鎮守の神はどえらに怒りんさって、
「これは黒岩崖のイチイか」
「わしじゃ」
イチイの乙女はニタリと笑った。
これは、飛騨一帯に聞こえた不良娘でな。ひとのいやがることばかりやる意地の悪い妖精やったんじゃ。
家畜を死なせたり、妖怪に毒を食わせたり、手当たり次第、悪さするので、神にも魔にも嫌われておったんやと。
寛円上人はおどろいて、
「なんぞ恨みでもあるのか」
「恨みはない。ただ、面白いだけじゃ」
「――」
「礼を言うぞ。寛円」
乙女は袖のなかでクスクス笑い、
「あの大岩。じつは妖怪の道をふさいでおった呪い岩じゃ。聖のおまえたちが割ってくれたおかげで、今宵から人食い虫のバケモノが村へ通うことができるわ」
「ええ……」
寛円上人はぼう然。村のタネをうしなったばかりか、災いまで呼び込んでまったちゅうこっちゃ。
〔つづく〕
この作品は感想書かなくて大丈夫。楽しんでいって。(゜∀゜)
※岐阜人の読者様で、ネイティブとして許せぬ方言の間違いがありましたら、ぜひ教示くださいませ。(あえて標準語にしてる部分はあります)