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8 昔の町

 

 途中、コンビニで漫画を立ち読みした為か、駅に着いた頃には他の学生の姿は殆ど無かった。

 この駅は参宮高校の生徒くらいしか乗り入れない。大きなターミナル駅もまだ先にあるので構内は比較的空いていた。

 各停が来るまでの時間を持て余した俺は、ガラス戸で仕切られた待合スペースに入る。


「水梨じゃん」

 ベンチに腰かけていたのは翔だった。頬に垂れ込む髪を寄せながら、スマホ片手に横目で睨めつけてくる。

 どことなくナーバスな印象。いつもの教室で見るようなテンションは鳴りを潜めていた。


「何だ。まだ帰ってなかったんだ」

 立ち読みで大分時間を潰してた筈だけど、彼女もどこかで用事があったんだろうか。

 つくづく今日は関わり合いになるものだな、そんな事を思いながら。一つ間隔を空けたベンチに腰を下ろす。

 ふと、足元を見ると靴紐が緩んでいるのに気づく。おもむろに腕を伸ばし身をかがめた所で、翔が弾かれたように身をよじる。


「ひ、何⁉ 何かした?」

 翔は組んでいた白い脚を揃えると、両腕をかき寄せ俺を睨む。


「そうやって紐結ぶ振りして見ようとしてんの?」

「そんな訳ないじゃん」

 俺は指を靴紐にかけたまま固まる。確かに、この体勢だと覗けば見えない事は無いと思うけど……でも自意識過剰じゃないんだろうか。


「栗橋さんこそ、そんなに身構えなくてもいいじゃん。学校じゃ見せつけてるくせに」

 そう言い返し、紐をきゅっと締めて身体を起こした。


「そういうのとは違うし」

「どう違うんだか」

 疑念に染まった瞳がぱちくり瞬いた所で、待合室内にチャイムが流れた。電車の接近を告げる女性アナウンスの声が続く。


「お、来たみたいだ」

 俺がベンチを発ってガラス扉を引くと、翔も無言で後ろからついてくる。

 ホームに並んで待っていると、夕陽に照らされた電車がやってくる。白光りするヘッドライトに目を眇めながら、真横に立つ翔をちらりと見た。

 翔は斜め下をぼんやりと見ていた。ヘッドライトに照らされたミルクティーブロンドもまた、眩く輝いている。


 ――黙ってればこんなに可愛いのに。でも彼女はギャルなのだ。


『間もなく発車致します――』

 俺達は終始無言のまま、ドアの開いた車内へと足を進めた。






 いくつかの駅を過ぎ、車内も大分混んできた。新宿が近くなってきたせいだ。


「疲れたな……」

 吊革にぶら下がりながら狭い町並みを眺める。

 視線を落し、座席に腰かける翔をちらりと見ると目が合った。


「……」

 翔は、上目でこちらを見ている。先ほどから視線を感じていたが話しかけてくる様子はない。


「何だよ」

 そんな硬直状態がどうにも我慢できなくなり、俺は口を開く。


「いや、普通に見どころあるんだなって」

「なんだよそれ」

 そう言い返したのだが、彼女が何を言いたかったのか理解した。


「ああ。さっきのか」

 翔の隣には杖を抱えたおばあさんが座っていた。先程の駅では人が大分増え、座っていた俺はおばあさんに席を譲ったのだ。

 多分、翔はそれを『見どころ』があると言ったんだ。そう気づいてハッとすると、それが顔に出ていたのだろう。翔が噴き出しそうな顔でこちらを見ていた。


「不愛想だけどいいとこあるじゃんって事。一応褒めてるんだよ?」

「そうかよ。栗橋さんこそ、結構まともなんだな」

 お年寄りへの親切心を忘れないなんてギャルの割にいいとこあるじゃないか。そう言う意味だったのだが、翔はムッとした表情を浮かべる。


「うっさい」

 かくんとローファーの先が俺の脛を軽く小突く。全然痛くないけど、俺はわざとらしく膝を曲げて痛がる振りをする。翔はバカじゃないのと鼻で笑うが機嫌は良さそうだった。


「水梨さ。変わったよね」

 翔は俺を向く事なく、車窓を仰ぎ見ながら呟いた。

 知らず首が傾ぐ。


「どこが? 全く心当たりないんだけど」

「背とか大きくなったし――」

 翔は窓を向いたままの姿勢で、一瞬だけこちらに視線を向ける。

 どうやら、さっきホームで待ってる時ちらちら見てきたのはそれだったらしい。


「そりゃ思春期だし。男だよ? 背も伸びるっての」

「ぷっ。思春期って……」

 突如噴き出す翔。膝を擦り合わせながら小刻みに足を踏んではしゃいでいる。

 その子供みたいな反応に俺はムッとする。


「今度は何がおかしいんだよ……」

 俺が喉元で唸りながら呟くと、翔は『ごめんごめん』と付け加えて続けた。


「思春期……思春期ってさぁ。ウケるんだけど」

 何度もその言葉を繰り返す。他の乗客の迷惑にならない程度の声ではあるが鬱陶しいったらない。俺は仏頂面のまま、笑い袋みたいに震える翔が収まるのを待った。


「あとは……声がすっごい落ち着いた」

 彼女はようやく呼吸を整えた所で、落ち着いた声でそれだけ呟く。


「声低くなるのも男だし、当たり前だって」


 ――じゃあ前はどうだったんだよ。

 一瞬沸いた疑問。しかし、翔はそれすらもお見通しなのか、小さく頷く。


「昔は女の子みたいに高かったじゃん。キンキンしてた」

 その温かな眼差しは遠く過去を見ているようだった。

 彼女と俺しか知り得ない思い出の世界だ。乗客で埋め尽くされた車内で俺達の間にだけ変な世界が出来上がっている。そんな気がして途端に背中がむず痒くなる。


「そうかぁ?」

「そうだよ」

 とぼけたて問い返す俺だが、翔は言葉をそのまま繰り返す。やはり、彼女の目はあの頃のまま。好奇と悪戯心に満ち満ちていた。

 何故だろう。俺は懐かしさを覚えていた。心だけ昔に戻ったようなそんな感覚きっと、窓から照り付ける夕陽と、茜色の街並みのせいだ。


「でもさ、水梨って外見はあんま変わんないかも」

「?」

 翔が身をよじって髪を払う。その動作に車窓を見ていた俺の視線も彼女に戻る。


「去年の入学式ですぐ分かったし。まさか東京に戻ってるなんて……それに同じ高校だなんてほんとビビった」

「ビビるって……使い方おかしくない?」

 俺は別に札付きの不良ではないのに。

 だが、翔が言うのも無理はない。例え俺が東京に戻ったとして、住んでいる町が殆ど同じ地域だったとしてもだ。果たして、翔と同じ高校になる確率はどれだけあるのだろうか。

 東京にはいくつもの高校があるし、電車という交通手段が発達している。田舎と違って志望校の選択肢も半端ないのだ。その中で同じ高校に合格し、再会した。


「確かに。妙な腐れ縁かもね」

「本当にね」

 翔は俺の言葉に頷くが、心なしかとても嬉しそうに見えた。


「てかほんとに昔と変わんないんだもん。色白くて不健康そうなのも、何か可愛いまんま」

「嫌な言い方だな。可愛いって」

 俺が言い返すと、翔は学校で見せるあざとい微笑を浮かべる。


「じゃあさ、かっこいいと言ってほしいとか?」

「何言ってんだかな」

 俺は再び顔を背ける。吊革に重心を預けると垂れ下がった広告が目についた。


「私は……十分だと思うよ」

 だが、翔はそんな俺をからかう事無く、独り言のように呟く。


「何が……」

 聞き返そうとした瞬間、次の停車駅を告げるアナウンスが響き渡った。ガタン、と音をさせて電車があからさまに減速する。


「降りないの?」

 翔は自動扉上の電光板を見ながら問いかける。

 釣られるように振り向いて停車駅を確認――そこは昔住んでいた最寄り駅だった。


「ああ、昔はこの駅が最寄だったな」

 恐らく、翔はまだ同じ場所に俺が住んでいると思ったのだろう。

 この電車を使い始めて一年ちょい。いつも素通りして気に留めたことも無かった。でも、翔は覚えていたのだ。


「昔の記憶って案外覚えてるんだな。でも、同じ最寄だったら中学校で再会してるんじゃない?」

「ああ。確かに……」

 そう言って翔は舌を出して笑う。

 俺よりも大人で、同い年なのに姉みたいな物言いで、それでいて実際何でも知っている。その癖して肝心なところでうっかりしているのは昔のままだった。俺も自然と笑みがこみ上げる。


「じゃあ、またね。栗橋さん」

「うん」

 次で降りるのは翔一人。俺は一応別れの挨拶をするのだが、


「……てかさ。その栗橋さんって呼び方やめてくんない?」

 彼女は立つことなく何か言いたげにこちらを見返していた。


「何でだよ。もう何年も会ってない相手にいきなりフランクに接せられないって。俺コミュ障だって分かってる?」


「いや、それは別に良いんだけどさ。なんか気持ち悪いんだよね、ううん。キモイ」

「ええ……」

 割と真顔の翔。怖いです。しかもわざわざキモイって二回も言わなくてもいいのに……」

 ショックを隠し切れず、強張った苦笑しかできない俺。


「昔みたいに『翔』でいいじゃん」

 翔は小声でそう付け加えた。俺は思わず彼女を見たまま息を詰まらせた。

 配慮してくれてるんだろう。でもちょっと待って欲しい。


「流石に女子相手に名前呼び捨ては……」

 子供時代ならともかく、高校生になって女子を名前で呼ぶのは躊躇する。


「栗橋さんさ、昔は名前で呼ぶと怒らなかった?」

「はぁ……?」

 すばやさが二段階も下がりそうな怖いギャルの睨みだ。しかし、俺も負けじと言い返す。


「それにショウって名前。男みたいだからあんま呼ぶなって自分で言ってたじゃん」

 俺はいつも翔の後ろを追っかけて行った。だからおいてかれそうになるとよく叫んだものだ。

 しかし、翔は自分の名前を男みたいだと思っていたらしく、名前を大声で呼ぶのを嫌がったものだ。すらすらと、そういう思い出が鮮やかによみがえる。


「それはぁ……あんたが大声でいっつも呼ぶからじゃん」

 翔は指にかけていた自慢のカールした毛先をするりと抜くと、俺を見つめる。


「てか、何でそういうどうでもいい事覚えてんの。やっぱキモいんだけど」

「ええ……」

 しかし、言葉とは裏腹に翔はすっごい顔が紅潮していた。照れ隠しかな? 


「てか基本的にあーし、名前で呼ばれたいんだけど。中学だと皆名字呼びになるし、そんなの何か寂しいじゃん?」

 翔はすごく説得力ありげに強く頷いた。

 まあ、俺も東京戻ってきてからは殆ど名字呼びかもしれない。実際、親友と言える涼介すら俺の事を水梨と呼ぶ。

 翔の言いたい気持ちも分かる。仲の良い奴には下の名前で呼ばれたい。

 でも、今の俺と翔は仲良しと言えるような間柄なんだろうか。長い年月を経て色んな事情が変わってしまったのだ。もう昔みたいなガキ同士じゃない。俺達は一応、高校生だ。


「でも、今更翔さんだなんて言いづらいし」

「だから呼び捨てでいいって言ってんじゃん。海・里」

 まだ遠慮気味の俺。しかし、翔は畳みかけるように名を呼ぶ。


「その言い方だと逆に馬鹿にされてるみたいなんだけど……」

 引き気味に俺が言うと、翔は再度俺を睨みつける。


「そんなだから女子の間で女嫌いとかホモ疑惑とか上がるんだよ?」

「ホモ扱いされてんの!?」

 さらっととんでもない事実を俺に教える翔。普段女子と関わらないからこういう話は初耳だったけど、寝耳に水だ。


「もっとナチュラルに心を解き放てばいいのに……」

「ちょっと詳しく聞かせて貰おうか、弁解させてくれ」

 俺は翔を問いただそうとしたのだが、


「あ、着いた」

 翔はパッと立つと鞄を肩に掛けた。反射的に俺は道を譲る形となる。

 電車がゆっくりと停車し、開いたドアの先には見覚えのある駅名の看板が見えた。


「じゃね」

 翔は跳ねるように電車を降りる。振り返り様に巻き髪ロングヘアーが夕陽に照らされていた。


「おい、待てよ。翔……!」

 話の途中だった俺は呼び止めようと声を掛けたのだが、名前呼びしているのに気づいた所で口ごもってしまう。まさかのタイミングで出てくるとは。

 翔は少しだけびっくりした後で、嬉しそうに笑った。


「ふふ。じゃあね、海里っ」

 そのままドアが閉ざされる。動き出す電車の向こう。翔はこちらに向かって小さく手を振って見せた。


 ――あざといやつめ。

 動き出す電車。俺は他の乗客に見られているという事に気づき、気恥ずかしさで知らんぷりを決め込む。

 少しだけ自分でも罪悪感を感じてしまう。だが、こうも思った。

 何で、いつもこうなんだろう。ずっと、他人に嫌な思いをさせたくなくて避けてきた。不用意に距離を詰めないように接してきた。

 でも、確かにそれだと人の本質は分からない。翔の言う通り、ナチュラルに自分を解き放つのも大切な事なんだろう。

 でも俺は――人の心の奥底を知って自分が傷つくのはもっと嫌なのだ。

 空いた翔の席に腰かけ、対面の窓を眺める。線路沿いに立ち並ぶ家々は水あめみたいに一緒くたになって流れていく。 

 もし、俺も翔と同じように生きられれば、相手とナチュラルに接する事が出来れば、そんな事を思いながら車窓を眺める。


 ――まあ、そうした所で今度は昔のネタで延々いじられそうなんだけど!




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