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6 歯車

 後日の休み時間。俺はいつもの窓際、最後方の席で時間を潰していた。

 まだ昼前のせいか窓から注ぐ陽ざしが激しい。

 黒い学ランに熱がこもり背中がサウナみたいだった。これじゃあ余計に眠気が増す。

 うつらうつらと頬杖をついて、文庫本を何となく読んでいたら右側――出入り口付近で固まるグループの歓声が聞こえた。


「すっごい。これSSRじゃん。何回ガチャしたの⁉」

 吸い寄せられるように視線を移すと、廊下側最後方の席で騒ぐ栗橋翔の姿があった。

 翔は例のごとく机に行儀悪く腰かけ、数人のゲーマーグループの男子生徒の輪に入り込んでいた。

 男子二人は終始まくしたてるミルクティーブロンドの女王に少しだけ遠慮がちだが、満更でもなさそうだ。


「あーしもこれダウンロードしてんだけどさ。ガチャ渋すぎない?『赤城』が欲しいのに全然でないんだけど」

 キャメルのカーディガン。袖口からちょっとだけ出た指先で翔はスマホをいじっている。


「赤城かぁ。ここのメンツじゃ誰も持ってないなあ」

 相手をしていた男子生徒の一人が腕組しながら言っているが、内容が良く分からない。

 戦艦擬人化系ゲームでもやってんのだろうか。

 翔の周囲の席で行儀よく座している男子諸君は皆大人しくていい奴らなんだけど……ギャルにデレデレのご様子だ。

 無理も無い。翔は勘違いするほど近い距離で接してくる。パーソナルスペースゼロ距離戦を仕掛けられたら誰だってそうなる。俺だってそうなる。

 しかも香水まで匂わせてくるのだ。鬼に金棒、ギャルに香水だ。


「じゃあ今度引けたら教えて? いい?」

「勿論。じゃあ今日にでも課金しようかな」

 ――課金しようかな(ポッ)

 顔をほんのり赤く染めて鼻をこする眼鏡男子。

 翔はゲーム会社の回し者でもなんでもない。それなのに一人の高校生を課金地獄に陥れる事に成功したようだ。

 眼鏡男子の隣に座っているもう一人も満更でもなく、完全に手玉に取られてしまっている。


「てか、見てこれ。あーしのSSRこんなんだけどさぁ」

 まじまじと画面に吸い寄せられる大人しい男子二人組。

 といいつつ机から垂れ下がる彼女の白い脚を気にしているのがバレバレだ。

 ゲームの話をしているのに二人の頭の中はミルクティーブロンドギャルの事しかないのだろう。


「すごいな栗橋さん。赤城持ってなくても十分いけるよ。この……モンブランなら」

 モンブランだと? ケーキかな? 俺は文庫本を開いたまま、脳裏では渦を巻いた黄色いマロンクリームの上に乗る栗のケーキをイメージした。

 それなら赤城は何だろう……赤城〇業? ガ

 赤城〇業と言えば……そうだね、ガリ×2君だね。

 お菓子の擬人化ソーシャルゲームなんだろうか。


「マジ? あーし持ってるのあとこれとか……」

 スマホ画面を水戸黄門の印籠のように見せつける翔。


「どれどれ……んっ」

 眼鏡を直しながら唸り声を上げる男子生徒。俄かにその顔つきが変わる。


「マッターホルンも持ってるのか。すごいな栗橋さん。こいつ良いスキル持ってるからすぐ育てた方いい。最適解なんだ」

「マジで? 環境キャラってやつ? でもあーし、スキルとかあんま見てないんだけど。詳しく教えてくんない?」

 人にものを聞く態度は凄い素直だった。

 一方で、これが全く何のゲームなのか想像もつかない。多分、最適解とか環境とか意味分かってないで言ってる。

 赤城っていうから連合艦隊の航空母艦かと思ってたらお菓子が出てきて今度は山だ。

 艦隊攻めずに最高峰攻めるの?

 しかし、啞然とする俺を余所に、彼らのソシャゲトークは熱を帯びていく。


「次のピックアップはユーラシア大陸だからね。それに、いよいよエベレストが実装されるんだ」

 やっぱ山みたいだ。というか、山の擬人化ゲーとか全く想像がつかない。


 俺は盗み聞きもその辺にして、視線を落とす。机の上にはページを開いたままの文庫本があった。

 集中しようとページに目を凝らすと、教室内の話声はくぐもった雑音になっていく。

 俺は春の暖気にうとうとしながらも、机に置いた文庫に目を通していたのだが……


「んっ? 何これ……」

「ちょ、やめ……」

 不意をつかれた。

 気づけばすぐ近くに翔がいて、手を伸ばすより早く文庫本をかっさらわれた。


「ボロっちいね、これ。……『歯車』?」

 翔は首級のように掲げた文庫のタイトルを読み上げた。


「……小説のタイトルだよ」

 そう、俺が読んでいたのは歯車。芥川龍之介の最後の作品、その文庫版だ。

 古びた裏表紙には参宮さんぐう高校図書室というシールがはっつけられていた。


「これ小説? あくたがわ?」

 パラパラめくりながら、初めて知る作家だと言わんばかりに首を傾げる。


「羅生門とか分かるでしょ? 現国で今習ってるとこだし芥川なんて聞いた事無いわけがない。知ってるくせに」

「は? 超わかんないんだけど。つか芥川とかマジ勘弁。下人外道過ぎだし」

 俺が言い返すと、わざとらしく間延びした声を上げる翔。おまけに下人のディスりを始める。

 ていうか、下人外道って内容知ってんじゃねえか。

 しかし、そう言った所でどうにもならないから黙っておく。翔は文庫本をまじまじと見ながら、俺をきろりと睨みつける。


「でもさ、こんな陰気臭い本。何で読んでんの?」

 さっきゲーマーグループに乗り込んだ時みたいに、今度は俺の真意を探ろうと顔を寄せてくる。


「水梨の趣味ってこういう陰気臭いのなの? 他にも陰気臭い趣味とかあるん?」

「陰気臭い前提で俺の趣味を推測するのやめて欲しいんだけど……」

「でもさ……」

 白い歯を見せて意地悪く笑う翔。


「ねえ、水梨って他にも趣味あんの? 教えろし」

 相変わらず口調にドスが効いていて怖い。

 彼女の有無を言わせない詰問は、最早異端審問か魔女裁判の勢いだが、これ以上は押し黙るしかなかった。


 ――絶対言えない。このリア充ギャル系女子には。

 野球や音楽、スマホのゲームならまだしも……俺の趣味は小説なのだ。しかも読むだけでなく書いたりもする。

 目の前のギャルが認めてくれるとは到底思えないジャンル。


 去年の春に文芸部へ入部した日、顧問の桐生先生に開口一番こういわれた。

『まず文学を読め、話はそれからだ』

 曰く、古今東西の名作は古今東西の日本人から絶大な支持を受けて今も親しまれている。そういった作品を読めば必ず自分の身になるらしい。

 それが桐生先生の常套文句だった。てか『らしい』って何だろう、確信無いのかな。

 だが、物事には切り替えが肝心なのだ。

 もしかしたら俺の知らない作風や表現に触れられるかもしれない。

 異世界チーレムとか成り上がりとか悪役令嬢だけ読んでいては見識は狭いままだ。

 芥川作品ならばそれなりに評価されてるだろうし、読んでみるかの勢いで借りてきたのだった。

 そして、読み始めて早速状態異常『ねむり』――文学的に言えば『ぼうっと』していたようだ。



「そもそもさ。これ読んで何しようとしてたん?」

 しかし、俺の思惑など目の前のギャルに語ったところで理解される訳が無い。


「あは、タイトルからして歯車だし。社会の歯車に俺はなる~とか?」

「それな!」

 指さしながら赤髪ショートの女子が呼応する。すごいナチュラルに会話に加わってたので俺もビビる。


「ていうか、いつからいたの……」

「さっきからだよー」

 気の抜けるような鼻にかかった声。その友人は赤い髪を揺らし八重歯を見せて笑った。確か、いつも翔とツルんでる内の一人だったはずだ。

 そして、いつの間にか窓際でギャル二人に追い詰められている俺。


「水梨って真面目そうだし、卒業してそのままブラック企業に入っても辞めなさそうだよね~」

「あるわ。超ある」

 二人のギャルは俺の希望就職先を社畜にした所で満足したのか馬鹿笑いしている。


「一応進学希望なのに……」

 言い返すけど、聞こえていないようで二人はまだ笑っている。

 彼女達は俺の親にでもなったつもりなんだろうか。


「ねえ。何でこんな古いの読もうと思ったの? 龍之介なら現国の授業だけでよくね?」

「知り合いの男子みたいな感覚で日本を代表する文豪を呼ぶなっての」

 俺は文庫を翔の手から取り返すとさっさと机にしまい込んだ。


「教えろし」

 それでも尚、構ってくるミルクティーブロンド。髪とか好奇心に満ちた瞳とかがいろいろキラキラ

 していて眩しいったら無い。


「いいじゃんいいじゃん。いつから文学少年になったん? 何かきっかけとかあるんでしょ?」

 口調を柔らかくしたって無駄だ。

 それに……きっかけだと?


「まあ、確かにあるけど……」

 俺はそのまま口ごもる。

 けど、やっぱ言える訳ないっしょ。うん、絶対に言えない。


『ラノベ書きたいから文学触れる事にしました』


 とか、口が裂けても言えない自信がある。

 そもそも、ギャル相手に俺のラノベ愛を打ち明けた所で多分、馬鹿にされる。

 俺は文才が無い。今朝方ウェブで公開した新章は鳴かず飛ばずだ。

 朝の時間帯なら見てくれる人多いとかそういう指南系の短編作品に書いていた。

 だから早起きをして投稿し……そして、損をした所なのだ。

 一文の得にもならないし、増えぬアクセス数に鳴かず飛ばずどころか俺の方が人知れず泣きたい気分だった。

 ああ、誰かラノベに理解のある友達が欲しいなあ!

 そうしたら色々読んでもらって感想改善点聞けるのに。


「んじゃ。趣味の話はいいや」

 話題が飽きたのか、翔はあっけらかんとした顔で俺をもう一度見下す。

 そして、にんまりと悪戯っぽく目を細める。


「ね、水梨って休みの日は何してるの?」

「えっ」

 ノーモーションでオーバーキルの言葉が飛んできた。

 沈黙の俺、追及の目を向けたままの翔。

 彼女のマスカラで盛られた瞳がぱちくりしている。

 そのまばたきのタイミングに合わせるように俺は口を開く。


「うーん……寝てたりとか?」

「は? 意味わかんないんだけど」

 一瞬真顔になった上に地の声が出ていた。こいつ昔っから声本当は低いんだよな。

 小さな頃、格ゲーで負ける俺を下手くそだとなじる時と同じ声音でビビる。


「せっかくの高校生活なのにさあ。時間もったいなくね?」

 不満げな翔は腰かけた机の端に細い指を喰い込ませた。

 そして、机からこちらに視線を向けた所で、


「せっかくなんだし、好きな子とかいないの?」

 とんでもない質問を火の玉ストレートでぶつけてくる。


「せっかく繋がりが強引過ぎるでしょ。どういう繋がりだよっ!」

 ナチュラルに好きな人を聞き出そうとするギャルに戦慄した。

 露骨に顔に出て狼狽する俺。


「ねえ! 王子の好きな女子教えてよ~」

 翔はもう一度にやりと笑う。


「なんで!?」

「気になるから! それが理由っ!」

 じゃれるように顔を近づけてくる翔から必死に逃れようとする。

 何考えてんの、このギャル。


「もうやめときなって~」

 長い袖で手を隠しながら、ずっと隣で見ていた翔の友人も会話に入ってくる。


「王子はシャイなんだから、そんなにまくし立てたら怖がられるよ」

 翔のミルクティーブロンドに比べたらインパクトは薄いが、赤く脱色されたショートカットの彼女もまたギャル系と言えるだろう。

 ただ、翔ほどじゃないから半ギャル……マイルドギャルってとこか。

 しかし、彼女もまた俺の天敵である事に変わりはない。そして、彼女は来週の見学で行動を共にする班メンバーでもあるのだ。


「てか、何その呼び名。女子の間では俺をそんなあだ名で呼んでんの?」

「でもさぁ!」

 しかし、俺の質問は封殺される。

 翔は納得がいかないのか、顔を上げてミルク色のブロンドを振り乱した。芸能人みたいに真っ白な歯を覗かせて、わあんと感情を爆発させている。

 それを見てカーディガンで隠れた袖でブロンドを撫でて宥める彼女の友人。

 傍から見るとクラスでも有数のギャル二人がじゃれ合っている構図。その手のやり取りが好きなヤツなら垂涎ものの光景なのだろうけど、俺はこのコンビが苦手なのでひたすらにやりにくい。


「じゃあさ。どういうタイプが好きかだけ教えてよ」

 そう言って翔は俺をちらと見る。割と目がマジだ。

 でも、俺は答える気は毛頭ない。


「答えてよ。誰にも言わないからさ」

「嫌だよ。そもそも好きな女子いないし」

「タイプ教えるだけなのに、好きな女子いないのは……うん、分かった」

 腕組しながら何度も頷いている。

 しかし、片目を開けて俺を問い詰めるように続ける。


「でも、教えるのが『嫌だ』って答えるって事は、好きなタイプは一応あるって事だよね?」

「うっ……」

「だから、その好きなタイプを教えろって言ってんの。あーしは!」

 無駄に頭が回るなこのギャル。言い逃れの矛盾を追及されて俺は口ごもった。

 大抵、この手の質問は答えると周囲に撒き散らされるのは定番だ。

 相手はしかもコンプライアンスZEROに定評のある栗橋翔。余計言えるかっての。


「さあ……さあさあ!」

 しかし翔は、俺を問い詰める。


「吐きな」

 まるでキャバ嬢が酔っぱらった客にビニール袋を持ってくる勢いで肩に手を置き囁く。

 ついでに背中をさすり始める。本当に嘔吐させる気なのかな。


「……そんなに言いたくない?」

 肩越しに近づく彼女の淡い鳶色の瞳。


「「……」」

 眼と眼が合う。その瞬間、俺の中で鼓動がとくんと跳ねた。

 別にギャルに変わり果てた翔に何の感情も抱いてないけど、やっぱ女子に近づかれると跳ねるものは跳ねる。

 馬子にも衣裳、ギャルで動悸だ。


「んっ」

 その動揺が伝わったのか翔もちょっとだけ臆したように口許を引き締めた。

 ごくり、と彼女の喉が鳴った。そんな気がした。


「……じゃあいいや。保留って事で」

 翔はぱっと俺から離れて席を発つ。

 さっきまでの神妙な態度が嘘のよう。すっかりいつものあっけらかんとした態度に戻っていた。

 俺の反応が面白くないからいじるのにも飽きたのだろうか。


「はぁ……」

 まあ、よかった。

 俺も小さく息を漏らし、汗ばんだ襟元を整える。


「お、メンバー揃ってんじゃん。ちょっといい?」

 そうしていたら、砂原が近づいてきて思わぬ助け船が入った。

 丁度、俺達班メンバーを見て話しかけてきたのだろう。


「正しくは……あと一人だね」

 ぽりぽり指で頬を引っかきながら、翔が補足する。

 そうだ。この四人に白瀬紫莉を加えれば全員が揃う。

 しかし、どこに行ったのか教室内に彼女の姿は見えない。


「白瀬さんは……いないのか。でも、まあいいや」

 そう言って涼介は改めて来週の見学の打ち合わせを始めた。

 俺の席の周辺がリア充軍団に占拠された。砂原に翔にそれから翔の友達の半ギャル。

 がやがやと騒ぎ出した所で俺は窓辺を見る。


 ――翔は何で俺なんかに構うのだろう。

 そんな根本的な疑問を俺は考えていた。

 そもそも俺は自分で言うのもなんだけど、クラスの空気だ。

 かたや目の前のギャル、栗橋翔はクラスの人気者。

 本来ならば俺など歯牙にもかけない、取るに足らない存在だ。


 それなのに、何でだよ……

 横目で窺うと翔は涼介や赤髪ギャルの友人と笑いながら来週の話に華を咲かせていた。

 俺はそんな彼女達を釈然としない面持ちで見ていたら、


「おい、聞いてるのか?」

 不意に声を掛けられた。

 視線を戻すと、涼介が困ったような顔で苦笑いを浮かべている。


「見学ルートの最後の確認。白瀬さんも揃ったら放課後やるから。今日残れるかって話」

「ああ。俺暇だし帰宅部だし、いつでも大丈夫だよ」

 てかいつも一緒にゲーセン寄るだろうに。

 俺はいつでも砂原の後ろをついてくんだぞ?

 気にしなくてもいいのに、砂原はいつも俺に確認を取る。

 流石イケメン。気の周り方が半端ない、軍師みたいなヤツだ。


「よし、じゃあ放課後、もっかいこの席周辺に集合な」

「え、ちょ……待って俺の席周り?」

 砂原に訂正を求めようと俺が言いかける。


「「はーい!」」

 そこにギャル二人の授業では到底聞き得ない素晴らしい返事が被さって俺はタイミングを失う。

 そして、追い打ちを掛けるように昼休みの終了を告げるチャイムが鳴ったのだった。


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