5 文芸部のワナビ
「いや、それ全力で引かれてるから」
開口一番、俺は現実に突き戻される。
湯気の上がるカップに口を付けながら、その女性教諭は俺の理想を斬って捨てた。
コーヒーのほろ苦い香りと共にある種の感情が鼻腔に広がる。
そう、やっちまったっていう絶望感が。
場所は文芸部の部室である第二図書準備室。
スチール製の質素な本棚が向かい合う最奥に、高価そうな応接テーブルとソファーが並べられている。処分予定だった校長室の備品をめざとく譲ってもらったのだろう。
「久しぶりに部活に顔を出したと思ったら……」
女教師は、足を組んで俺を呆れ顔で見ていた。
桐生佳織。現代文の教科担であり、文学部の顧問でもある。
そして、彼女はこの第二図書室の管理人でもあった。
「嘘です。絶対反応良かったから!」
「水梨君。女子の建前とか全然分かってないから、それ」
俺がコーヒーカップをガタンと置いて反論するも、桐生先生は全く臆さない。
「こういうのもなんだけど、白瀬さんは結構しっかりしてるし、性格的にも大人だからね。察してくれたのよ。残念過ぎる貴方の趣味嗜好に」
「何故ですか。絶対俺の趣味に理解してくれてましたよっ」
「はあ……これだから『男子』は」
男子は滅茶苦茶トゲのある言い方だ。
気の強い女子グループのアタマが『ちょっと男子』って指図するくらいには心がガリっと抉られる。
絶対この先生、高校時代はきっつい女子グループで筆頭を務めてそうだ。
かっちり着こなしたスーツの襟元を見ながら、そんな光景がまざまざと浮かび上がる。
「君には徹底的に足りてない物があると思うの――それは『コミュニケーション』 特に女子とのね」
意味のない考察を続ける俺を捨て置き、先生は語り始める。
「女子……ですか」
俺は生返事しながらコーヒーカップをもう一口。
窓辺に見える向かい側新棟、真新しい白い壁をぼんやりと眺める。
「持ってきてくれた小説も会話殆ど無いじゃない。普段の会話が無いって言ってるようなものだし。それに……」
そう言って、ふっと鼻で笑う先生。
心に何かがグサリと突き刺さる。
「いきなり世界観の説明と歴史を長文でやられてもね」
桐生先生は昨晩、ネット掲示板の小説相談スレで俺を論破してきた『名無しさん』と同じ説教を始めた。
「ふむふむ……おや?」
ダブルクリップで留められた俺の小説をパラパラとめくる。虫でも殺すかのような冷たい眼差しだ。
「これは酷い。主に構成と内容と台詞回しが最悪レベルね」
「全部じゃないですか!」
「そうかしら? 字は綺麗よ?」
紙をめくり、先生は俺に原稿を見せつける。
A4紙にはびっしりと黒い文字列がしたためられている。この一字一句が俺が魂を込めて書き上げた戦記ラノベのストーリーなのだが……
「それ、パソコンでプリントアウトした活字じゃないですか……」
「うん。知ってる。すっごい綺麗に印刷されてるじゃない?」
俺はもうメンタルボロボロの放心状態で答えた。
甲子園で十点差をつけられても尚もマウンドを降りずに投げ続ける負けピッチャーの気分だ。
「しかも登場人物だけは異様に多いっていう」
「諸葛亮しか出てこない三国志なんて張り合いが無いですし、アーサー王がぼっちの円卓騎士団とか悲しすぎませんか? ほら、日曜の朝にやってる正義のヒーロー番組もそうだ」
しらけ顔の先生。しかし、俺は気を取り直して言い返す。自分の作品を自分で好きになれないでどうする、の精神だ。
「五人戦隊も仮面〇イダーも、毎週敵の怪人は変わるでしょ? 必要なのは魅力的なキャラなんです。そして、それは多いほどいい。……多分そんな感じ」
破れかぶれになっているが俺は言い続けた。
聞いている内に先生はこめかみに手を当てて途方に暮れた。
「だめですか?」
「……ダメ」
心がナイフみたいに荒みきったオフィスのお局みたいな眼だった。
背筋が凍り付く。
「それもそうだし、そもそもキャラが皆似たり寄ったりなのよ」
ふっと息を吐いて苦笑いを浮かべる桐生先生。
彼女の視線に釣られ、俺も原稿をテーブル上へと戻した。
「まあ、敢えて言うなら? このお姫様の人物造形はいいかもね」
そして、湯気の上がるマグカップを細い手で持ち上げる。
「一応ヒロインなんで結構気を入れて作り込みましたよ」
俺も自分のコーヒーカップをくいと持ち上げて答える。
今の格好、ネ〇カフェアンバサダーのCMあたりで様になりそうなポージングだ……多分。
「水梨君」
先生は何か言いたげな顔で俺の瞳を見つめてくる。
「ところで、この作品のヒロイン。モデルは『白瀬さん』でしょ?」
「~~~~ッ!?」
いきなり核心をつかれて盛大にコーヒーをぶっーっと吹き出した。諸葛亮か陸遜並みの看破能力だなこの先生。
「ちょっと、汚れちゃうじゃないっ!」
桐生先生は声をキンキンさせながらテーブルをティッシュで拭き取ろうとする。
「てか、何でモデルが分かったんですか?」
テーブルを一通り綺麗にした後で、俺は問いかける。
「だって、黒髪ロングという外見、描写。そして大人しい性格まで――ことごとく白瀬紫莉という女子生徒を連想するのよ」
桐生先生は小さくため息をつくと、そこから先は立て板に水みたいな勢いでつらつらと理由を述べ始めた。
それら逃げようがない的確なプロファイリングに、俺は背筋が寒くなるのを覚えた。
「先生。こんな仕事辞めて取調官とか捜査官の方が向いてるんじゃないですか?」
犯人は二十代あるいは三十代~五十代の男女とか、そんないい加減な予想を言ってのける元刑事より信頼できる。
先生が捜査一課に配属された暁には、ピンポイントで犯人を特定できそうだ。
「あのね、水梨君」
しかし、桐生先生は一通り述べた後で、諭すような口調で俺に語り掛け始めた。
「人物をよく観察して作品に生かしているのは素晴らしいわ。でも、『ユカリ・シラセ』なんてまんまじゃないの」
ああ……そっちでバレちゃったか。
「アナグラムに見せかけた名付け方だったんですけどね」
「そのまんまじゃないっ! 名字と姓入れ替えただけをアナグラムって言わないわよ」
先生は可愛らしく両手でプンスカ振るいながら声を上げた。
「ガ〇ダムの登場人物でならいそうだけど……この作品の世界観じゃ違和感ありまくりでしょ! 中世ヨーロッパよ? もろ日本人じゃないっ」
顔にバッテンを張りつかせた勢いで俺をたしなめる桐生先生。
てかガ〇ダム知ってんのかこの人。世代的にS〇EDから見始めたのだろうかとか、俺はそんな事を巡らせて現実逃避する。
「そもそも、クラスの友達をそのまま使うのはどうかと思うの」
「友達ではないですよ」
俺の反論にぴくりと先生の細い眉が動く。
「彼女はただのクラスメートです」
断じて言い切った。
それをもの悲し気な瞳で先生は見ている。
「でも、彼女……貴方と同じ文芸部員なのよ?」
「それは知ってますけど」
諭すような言い方の先生に俺も言い返す。
「彼女とは去年、この部室の出入りで数度挨拶した程度です」
だからこそ、この春に同じクラスになった時は驚いた。
空気の俺なんて気にも留めていなかった筈だ。
だからさっき、白瀬さんに話しかけられた時は高揚してしまったのだ。
「俺となんて会話も接点も無かったですし……他人みたいなもんですよ」
しかし、俺の白瀬さんに対する感情云々なんてこの先生に言えるはずが無い。
だから、誤魔化す。
「白瀬さんの事気になってるんでしょう? アタックしてみればいいのに」
前言撤回、バレバレだった。
「ふふ……」
桐生先生はからかうような笑みを浮かべて頬杖をついて俺を上目で見つめる。
「アタックってなんですか? 洗剤ですか? 玉砕して驚きの白さで燃え尽きろって事ですか」
「告白よ。男なら当たって砕けて露と消えるべき」
冗談でボカすつもりがプレイヤーにダイレクトアタックの台詞が飛んでくる。
「まさか全肯定されるとは思いませんでした」
「私にはそういう意味不明な冗談は通用しないわ。さあ、今すぐ砕け散るがよい」
どっかの魔王みたいな台詞をよくもこうつらつらと……敗北消滅確定の前提で先生は話を進めてくる。
そのせいか、俺も余計言い返してしまう。
「無理ですって……しかもラノベの話をしたらドン引きされました。多分」
「ああ。君はコミュニケーションが絶望的だったのよね」
汚物を見るような眼を向けた後で桐生先生は首を振る。
「まあいいわ。来週の班行動で女子と会話できるじゃない。その時に色々聞けばいいのよ。小説の話とか」
そう言って先生は、俺の肩を二度叩く。
「どうせ君が女の子と話する機会なんて長い人生の内で今くらいでしょう? 青春できるのは今だけなら何でもやってみなさい」
そして、やんわりと俺の未来を暗闇に閉ざす発言で面談をシメた。
ついでに俺の心もシメられた思いだった。それこそ鶏みたいに。
「褒めて伸ばす、突き放して伸ばすはともかく……未来を閉ざして伸ばすスタイルの教師は初めて見ました」
「ふふふ。ありがとう」
不敵に笑う先生。
しかも、彼女はこの部活の顧問でもあるのだ。
「わかりましたよ。今まで通り適当にやります」
そんな彼女のありがたい言葉を素直に受け入れられず、俺は憎まれ口で答えたのだった。