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35 彼女のいない夏

 六月も半ばに差し掛かり、初夏と言える季節に変わりつつあった。

 既に夏服へと衣替えも終わっていて、梅雨が明ければ、いよいよ東京のうだるような暑さが来る。

 白瀬さんが転校した後のクラスにも大分慣れた。

 彼女の圧力が無くなった事で女子の一派がまた幅を利かすと思いきや、案外大人しくしている。

 以前と変わらない教室の風景。俺は今までと同じように窓辺で読書に耽っていた。 


「元気?」

 窓から差し込む陽光に目を眇めながら顔を上げると、そこには栗橋翔の姿があった。

 この暑さではカーディガンを羽織るのも流石に辛いのか、ワイシャツにだらしなく緩められた青いネクタイがぶらさがっているだけの格好。

 クーラーもまだ稼働しておらず、薄く汗ばんだその姿は、はっきり言って目のやり場に困る。


「何だよ、どうしたの」

 無駄に緩められた胸元に目が行きそうなのを抑えつつ、俺は視線を合わさずに答えた。


「相変わらずだなあ」

 翔はそう言って空いていた前席に座り込む。これは多分、居座るモードだ。


「せっかく、素直になったと思ったのに。最近またそんな感じだねえ王子は」

 椅子の背もたれに肘をかけ、ぐっと顔を寄せてくるギャル。


「うるさいな。俺は元々素直だっての。てかその呼び名やめて。あと近い」

「まくし立て過ぎだし、そんなに恥ずかしいのかな」

 俺はそんな翔から距離を取る。

 すると、翔はまるで懐いてくれない猫でもみるかのような残念そうな顔で笑った。


「……ひどいなあ。せっかく構ってくれるようになったと思ってたのに」

「何か言った?」

「なーんにも!」

 聞き返すと、翔は周囲のクラスメートに聞かせるような大声を上げた。

 俺はただでさえ空気キャラだ。クラスはおろか学年にも名を轟かすギャルと会話をするなんて恐れ多いにも程がある。

 でも……流石にさっきの言い方は無かったかも。

 せっかく俺に構ってくれてる優しい幼馴染ギャルを邪険にしてしまった。それが昔の自分と重なって申し訳なくなる。


「もう少し声のボリューム下げろって事」

 俺は罪悪感を感じつつ、顔を逸らして呟いた。

 それが周囲にクラスメートがたくさんいる中で言える、最大限の譲歩。


「ああ、そっか」

 俺の意志が伝わったのか、翔は急におとなしくなる。

 椅子に腰かけ、膝を揃えて俯いた横顔。多くの生徒の喧騒で色づいた教室の中で、間近から聞こえる彼女の息遣い。目を合わせると、長い睫毛を瞬かせて翔はにこっと笑う。


「ごめんねっ」

「お、おう。それくらいのボリュームだと助かる」

「おけ」

 はっきり言うと割と、素直に聞いてくれるんだな……

 ははっと乾いた笑いを飛ばす翔。


「ねえ」

 と、急にその天真爛漫一辺倒だった表情が真剣なものとなる。


「紫莉とちゃんと連絡とってる?」

 そう言って何気なく取り出したのはスマートフォン。

 翔はぬいぐるみがやたらぶら下がったそれをいじり始める。

 俺はポケットに入ったままのスマホに目を落とし――しかし、翔のように取り出す事無く、


「一応ね」

 それだけ呟く。

 トーク履歴とか見せて白瀬さんの毒舌っぷり。普段にもましてネットだと毒のキレが増して饒舌になるあたりも含めて見せてやりたかったのだが……今はやめとこう。


「まあ、小説の添削とかしてたり……こっちがしてやったり、そんな感じ」

「ほー。ほうほう」

 最近のやり取りを報告すると、翔はフクロウみたいに鳴きだす。

 どうやら俺のその行動に感心しているらしい。


「そう言えば小説書いてるんだったねぇ。で、紫莉は相変わらずサイコパスなのばっか書いてるん?」

「最近はちゃんとした文学っぽいのも書いてるみたいだよ」

 すると、翔はうんうんと満足気に頷いていた。

 活字読む能力が翔にあるかどうかは別として。今度白瀬さんの作品を見せてあげようと思った。勿論、白瀬さんの許可を取って。そうでないと俺が殺される。


「そうだっ」

 不意に、翔は思い出したように顔を上げると、胸ポケットから折りたたまれた紙を取り出す。


「偉く小さく折りたたんでるな。授業中に回す手紙にでも使うの?」

「ちがうよっ」

 素っ頓狂な声で翔が身体を跳ねさせる。

 周囲の数人がこちらに注目するのに気づき、翔はその背を椅子に縮こまらせた。


「今朝の先生の話聞いてなかったの? これ」

 すごく小さく折りたたまれたのを広げたそれは、進路調査票だった。

 朝のHRで説明していたのをすっかり忘れていた俺は、


「ああ。それか……ああ、うん?」

 偉く間抜けな相槌を打っていた。

 翔はしばらくの間、ジト目でこちらを見ていたが、


「なんにも聞いて無さそう……海里、朝弱いし寝てたっしょ?」

 そう言ってムスっとしながら小さく息を吐く。


「でもそれなら元々考えてたし」

 俺が答えると、翔は目に興味の色を浮かべて近づく。


「マジ? じゃあ文理選択とかももう決めてるの?」

 食い気味な態度の翔。目がキラキラしていて香水の甘い匂いが巻き起こる。

 でもあまりそう言うとまた寂しそうにするので俺は口呼吸で答える。きもいな、俺。


「勿論。一応三年は文系に行くつもり」

 机の中に適当に突っ込んでおいたのは既に書きかけた進路調査票だった。

 それを取り出して見せると、翔は『マジかマジか』と鳴き声を発しながら、席を発つ。

 どうしたものかと顔を上げてその動きを観察していたら、翔は俺の隣の席に移動する。

 礼儀正しく膝の上に握った手を置いてこちらを見る。柄にもない真摯な姿勢に少し引いた。


「流石だね、海里は。ちゃんと考えてるなんて偉いよ」

「そ、そうかな」

 割と真剣な声音でそう言われると照れる。

 俺は呆気に取られていたら、


「えっ、意外だな海里。文系なの?」

 突然話に入ってきたのは砂原涼介だった。

 涼し気なワイシャツが長身痩躯に馴染んでいる。

 れいのごとく食堂帰りらしい。


「やっほー、お二人さん」

 その隣には翔の友人でギャル仲間の天沼橙子もいる。

 進路調査の話題に夢中だったせいか、二人が接近している事に全く気付かなかった。

 毎度の事ながら、こいつらステルス機能でも備えてるんだろうか。

 FPSでサーチアンドデストロイが上手そうな立ち回りに俺は戦々恐々していた。


「進路調査のハナシ⁉」

 ジュースパックのストローから口を離した途端、天沼がまくし立てる。

 二人は俺の周りの空いてる席に相次いで腰かける。

 窓際最後方の俺の席。空白だった周囲の席があっという間に埋まる。

 いつかの時のように将棋のアナグマみたいに囲まれる形となっていた。

 てか、俺の席いつも空き過ぎじゃないの……


「へえ~、水梨文系なんだ。良かったじゃん、翔」

 そう言って天沼が赤髪を揺らして翔に笑いかける。

 ぼんやりと視点を移した先、翔は指先で頬を掻きながら何故『あはは』とか気まずげに笑っている。


「何、どうしたの? 俺が文系だと何かあんの?」

 二人のやり取りが何を意図した物なのか、まるで想像がつかない。

 その得体の知れなさに不安になって問い詰めたら、翔の代わりに天沼が答える。


「翔も文系なんだよ。文系コースで良かったじゃん♪ お二人さん」

 そう言って白い歯を見せて笑う天沼。

 何故だか祝われているようだ。


「でも海里が文系で意外だな」

 心の中でモヤモヤしていたら、涼介が新たな一石を投じる。


「何で? もしかして……」

 涼介の爽やかスマイルに不穏を感じ、俺は問いかける。

 サラサラ髪を窓からそよぐ風でそよがしながら、涼介は小さく頷き、


「俺は理系なんだよなあ」

 絶望の一言。


「ええ……」

「三年は別々のクラスかな?」

 乾いた笑いをする涼介なのだが、俺は気が気じゃない。多分感情が絶望一色だ。

 それはつまり、翔と同じクラスになる可能性はあっても、涼介とは三年次は絶対に別クラスになるって事だ。

 ギャルに構われても、いつも助け船を出してくれていた涼介はいない。この先、俺は自分で何とかするしかないのだ。とてもじゃないが考えられない。


「……」

 そんな不安が多分、顔に出ていたのだろう。


「そんなに砂原と一緒じゃないのが不安なん?」

 天沼が頬杖をついて覗き込んでいる。

 猫みたいな丸い目を細めて悪戯っぽく俺を見ている。


「でもまだ先じゃん? ちなみに私も理系の予定だよ」

 んで、天沼が聞いても無いのに自身の選択コースを打ち明ける。

 俺の肩を景気づけに叩くのだがすごくどうでも良かった……


「……」

 ウンザリしながら目線を外した先、そこには翔の少し緊張したような顔があった。

 涼介と天沼が言っている間、終始黙りこくっていた翔と目が合う。


「……海里は文学部志望なんでしょ?」

 そう小さく息を漏らし、俺に目配せする。

 俺が目線で頷くと、翔は満足気に微笑む。


「?」

 しかし、そんな俺達の様子を見ても他の連中には分かる訳も無い。

 天沼と涼介は不思議そうに顔を見合わせるだけだった。

 何故俺が文学部志望なのか。それに、『小説執筆』の趣味を知っているのはこの場では翔だけだ。

 それが何故か翔に優越感を与えてるらしい。


「何笑ってんの? 翔っ!」

 蕩けたようににんまりした翔に天沼が絡んでいく。

 カーディガンの袖口で翔を後ろから抱きしめながら、すんごい近い距離で顔を近づけ合ってじゃれあっている。


「ちょ……やめてよ橙子ったら」

「ええい。話せ。話すんだ翔ッ」

 ギャル二人のイチャイチャっぷりに他の男子生徒達もこちらを気にし出した。

 そんな所で俺が気付かないフリをして視線を変えると、窓一杯に広がった青。

 夏の雲一つない晴れ渡る空がそこには広がっていた。

 そんな悩みなんて吹き飛ぶような光景を見ていると、ふと思う。

 最初はどうなる事かと思ったけれど、なんやかんやで俺は翔とコミュニケーションを取れている。少なくとも、昔に比べたら大分マシになったと思う。

 ちらりと視線で翔を窺うと、翔もまた天沼にじゃれつかれながらも俺を見て目線で返してきてくれた。

 小さな頃、知らずの内に疎遠になっていた俺達だけれど、今はこうして気を許しあえているのだ。この空気でコミュ障な俺からしたら大分経験値溜まってきたんじゃないだろうか。


 ――ねえ? 白瀬さん。

 青空を見ながら、俺は心でそう語り掛ける。

 なんやかんやで翔との仲を取り持つきっかけになってくれた白瀬紫莉。


「ありがとう」

 せめてこの思いが広い空から白瀬さんの街まで、届きますよう。

 俺は彼女に、感謝の念を送った。


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