27 花火は上がらない
歯磨きを終えた俺達は、それぞれに敷かれた布団に入る。
寝相の悪さを自称する翔は、過ちとかそういうのには絶対ならないけど……などと前置きした上で、俺の布団を約一個分遠ざける。
翔と白瀬さんが隣同士で、そこから距離を置いて俺の布団が横たわっている状況だ。
「じゃあ消すね」
そこそこ古い蛍光灯の紐を引くと、パチンという音と共に室内が闇に包まれた。
静寂な闇の中には、互いの吐息と海のさざめきが遠く聞こえるだけ。
目が慣れてくると、窓辺からは鈍く輝く海がはっきりと見えた。月光に照らされているのだ。
東京みたいに高いビルは皆無。ここが近辺では一番上にある場所だった。
この景色を独占しているようで、それに何よりも風情があるのがいい。
「綺麗だね」
声がしたので振り向くと、二人も同じように夜の海を眺めていた。
特に、一番壁側にいた白瀬さんはタイかどこかの寝そべった大仏みたいに、肘を立てた状態で窓を見ていた。黒髪優等生(表向き)がするには豪快過ぎるポージングだ。またイメージが崩れちゃったじゃないか!
しかし、室内に入り込む僅かな光は、そんな彼女の瞳をキラキラと輝かせていた。
それはまるで闇に灯る小さな星みたいだった。
「水梨君。今日は本当にありがと」
「えっ」
「私と、それから翔をこんな素敵な所に連れてきてくれて」
暗くした所で早速眠くなってきたのか、ゆっくりした口調で白瀬さんが言った。
「白瀬さんが行きたいって言ったから。俺はそれに乗っただけの話だし」
どこか照れ臭くなった俺。窓の方に視線を戻す。これで、背後の二人の表情は窺い知れない。
「それに……白瀬さんがいなければ、俺だってここに一生帰って無かったかもって思うんだ。だからさ。俺の方こそ、ありがとう」
息遣いが聞こえてくるだけで、白瀬さんは俺のお礼返しには何も答える事が無い。
でも、それでいい。俺は潮騒に耳を澄ませてそっと目を閉じる。
「何よー。二人してさぁ」
と、俺達の間で挟まれた翔が割り込んでくる。一人除け者になった扱いが不満なのだろう。
「あーしが紫莉説得したんだけど」
得意げ半分、不満半分の翔が押しつけがましくドヤる。
「あはは。翔もありがと」
白瀬さんはそんな翔を労うように声をかけて宥める。
ヘソを曲げた猫でも可愛がるような仕草でほのぼのしてくる。
「あのさ。紫莉」
「なぁに?」
翔のはっきりした声音に、白瀬さんはどことなく間延びした声で問い返す。
「お父さんと暮らしたいなら、ちゃんと紫莉のお母さんにも言うべきだよ」
いつものおちゃらけた感じもふざけ合う調子でもない、至極真面目な言い方だ。
「でも親同士の問題だし……子供の私が言った所で」
「子どもだからこそ、だよ」
口ごもる白瀬さんだが、翔ははっきりと言い続ける。
「それくらいのわがままは許される筈だって」
「あーあ。分かったって!」
それまで弱気だった白瀬さんが同じ口調で言い返して見せた。放課後に見せるあの格ゲーの鬼神みたいな強い声音。
このまま女同士のキャットファイトが始まるんじゃないかと、俺は戦々恐々しながらそのやり取りを聞いていた。
「翔が心配しなくても、私は私で解決するから。本気になった私の強さ、知ってるでしょ?」
「それはそうだけどさぁ……」
大丈夫だとまくし立てる白瀬さんに、翔はたじたじになっていた。
恐る恐る二人の方を振り返ると、すっかり調子を取り戻した白瀬さんと目が合う。
白瀬さんは俺の不安げな顔を見ると、大丈夫だと言わんばかりのドヤ顔で口角を緩ませた。
「それにしても……ここで花火くらい上がりなさいよね」
「何を言うかと思えば……」
気の抜けた声しか出せない俺。今日は夜明け前に起きて長旅だったし、相当疲れているのだ。
この期に及んで起きていられるのは、傍らに気の抜けない二人がいるせいだろう。
その片割れたる白瀬紫莉は、俺を値踏みするように睨みつけると、諦めたように小さくため息をついた。
「ようやく踏ん切りもついたとこだし、この辺が山場じゃん? 空気読んだ花火が夜空にどっかーんて大輪の花を咲かすの? いいと思わない?」
そして、何で上がんないのよ、ともう一度ぼやく。それがどこか冗談と本気が入り混じっていて翔はくすくすと笑いを零していた。
「悪いね。今は完全に行楽シーズンから外れてんだ」
夏休みならともかく、今はまだ春だ。俺達三人だけの為に、過疎地域のひなびた温泉街に上げる花火なんて赤字もいいとこだろう。
地元出身者の俺の説明に納得したのか、白瀬さんは暗闇の中でこくんと頷いた。
「じゃあさ、また来ようよ。夏に」
そう言って白瀬さんは布団の中に顔を埋める。 こちらを見ている瞳が僅かな月明りに照らされて潤んでいた。
「いいね、それ。今度はちゃんと予定組んでさ。何なら橙子も呼ぼうよ。あと砂原とかさ」
白瀬さんの提案に翔が乗ってくる。でもちょっと待ってくれ。
「水梨君は? どう思う?」
そんな事を考えていた俺の思考が透視されたのか。白瀬さんがいきなり振ってくる。
「ええ? ああ……いいんじゃないの」
半分寝落ちしかけてた。俺が返答に窮していると、
「そろそろ眠くなってきたっしょ?」
「それとも、私達二人とだけのがいいとか思ってた?」
そう言って翔と白瀬さんは声を漏らして笑い合う。何この結託感。
「ああ、そうかな? ごめん……よくわからん」
はっきりと答えるのはどうにも恥ずかしい。
俺はまるで意味不明な返答を繰り返す。
……などと供述しており並みに挙動不審だな、俺。
「海里マジ眠たそうじゃん。紫莉、もう終わろ? 明日早いんだから寝るよっ」
そんな俺にすかさず翔が助け船を出してくれる。この気配り上手、流石ぁ。歯ブラシを予備の予備まで持ってきただけある。
そんな事を考えながら、そして耳を打つ波音と共に意識が薄れていく。
二人はまだ何か小声で話しているようだったが、盗み聞きする余裕などなく、俺はあっという間に眠りに落ちていった。




