23 夢うつつ
ポイント評価ありがとうございます。
これから書いていく上での勉強になります。
「うわぁ……すっごい」
エスカレーターを上りきった俺達を、白色灯に照らされてピカピカと輝く新幹線が迎える。
青と白の車体に長く伸びた顔。
タイミングよく構内放送が始まり、どこか鼻を詰まらせた声が出発時刻を告げていた。
寒く陰鬱とした暗い駅舎から一転、拓けた世界は眠りこけていた頭を一挙に覚まさせる。
清々しい程の新幹線の輝きに俺も子供心を取り戻して高揚を覚えた。いい日旅立ちってこんな感じなんだろうか。
「この車両だよね」
開かれたドアに白瀬さんが真っ先に入っていく。俺と翔も続く。
切符を握り締めて座席番号を確認。早朝という時間もあってか、まだ人はほとんどいない。
「空いてるね」
「今は行楽シーズンでも無いし、平日の朝っぱらよ。そりゃ空くわよ」
何でそんな喧嘩腰で論破にかかるんだろう、この黒髪ギャルは……
物知りの姉と無邪気な妹みたいなやりとり。そんな二人を差し置いて俺は歩を進める。
「さて……」
程なくして指定席は見つかったが、俺はシートに入らないまま、通路で立ち止まる。
「どうしたの? あっ」
白瀬さんが顔を出して覗き込むが、俺がどこに座るか悩んでいたのを察してくれたらしい。
「水梨君が真ん中に座りなよ」
「え、でもさぁ」
言いかける俺に構わず、白瀬さんは奥の席に入っていく。
「さあ、来なって」
そして、深々と窓際席に腰かけ、俺を呼ぶ。彼女の華奢な手のひらがぽんぽんと真ん中の席を叩いている。
「いや、でもさ……真ん中って」
俺は躊躇っていた。これから目的地に向かうまでの数時間、俺はギャル二人に挟まれる形になるのだ。耐えられない!
窓際を陣取って、会話はお二人で勝手にどうぞってスタンスを取ろうかと思っていたのに。
「これじゃ寝れないじゃないか……」
「早くしてよー」
翔に背中を押され、俺は真ん中の席に座らされる。
にやりとしながら通路側席に座る翔。甘いシャンプーの匂いが漂ってきて何とも肩身が狭い。
「何でそんなにかしこまってるの? もっとリラックスしなよ」
そう言って俺の腕を掴んでひじかけに乗せさせると、何かに気づいたように口を開く。
「あれ……これ無い方いいんじゃね?」
「ちょ……おま」
翔はそんな事をほざきながら、唯一俺との間に境界を作っていた肘掛けを取っ払う。
「はあ、疲れたぁ……やっぱ新幹線のシートって快適だね」
案の定、腕がこちら側にまで垂れ込んでくる。腕同士が密着する。
ブレザー越しに柔らかな温もりが伝わり、あっという間に身体が引きつる。
「確かにこれ邪魔」
「白瀬さんまで⁉」
反対側の白瀬さんも右に倣えの要領で肘掛けを取っ払う。あまりの勢いで肘掛を上げたのでシートに振動が伝わって背中に響いた。
これ、後ろに人いたら蹴られてるレベルの迷惑行為だ。
「これで開放感が出たね、水梨君?」
そして同じように腕をこちらの陣地に。両者の身体に俺は文字通り肩身を狭くする。
やめてくれ……心の中の俺は早くも泣き言を言い始めていた。
「なんだか修学旅行みたいだね」
「あー確かに。二年だしね」
えへへとか気の抜けた笑い混じりに翔がそんな事を言うと、白瀬さんが相槌を打つ。
確かに、二年の俺達には修学旅行という高校生活最大のイベントが待ち構えている。でも旅行があるのは十一月とまだまだ先の模様。
「あれ紫莉。修学旅行って京都だっけ?」
「そうそう。これなら予行演習にもなるし、いいんじゃない?」
白瀬さんと翔は盛り上がっているご様子。
それはともかく、俺を挟んで会話のキャッチボールするのやめてくれないかな。ますます疎外感を受けるじゃないか!
「まあ、京都とは逆方向なんだけどね……」
「あれ、水梨君?」
ぎこちなく会話に乱入すると、白瀬さんが怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
なに? 顔にご飯粒でもついてる? 眼のクマ酷い?
「もしかして緊張してるの?」
貴女達女子が身体寄せて来るからです――なんて言い返せない自分が辛い。
白瀬さんはきょとんとした顔で俺の眼を見て心をリーディングしようとしている。
その眼が真っすぐで可愛らしい。
こういう時に学校モードのあざと天然系を出さなくてもいいのに……
「いや、別に緊張してないし。ずっと寝てなかったから眠いと言うかなんというか」
はやる心臓をおさえつけながら誤魔化そうとしていたら、出発の放送が入る。
プシューという空気の抜ける音と共に、開けっ放しになっていた乗車口の自動扉が閉まる。
「いいね、この感じ。修学旅行って感じだ」
学を修めるどころか、サボる気マックスなのに翔が能天気な事を言う。
片や俺は、この後の展開が気が気でない。
新幹線がホームを抜けると、まだ夜が明けたばかりの高層ビルが出迎える。
景色が目まぐるしく動くのに、翔と白瀬さんのお喋りは止まらない。
この車両にはまだ人は少ないけど出張とかでサラリーマンも乗り込んでると言うのに……
「ねえ、聞いてた?」
「はい?」
そう言うと、翔が白瀬さんと目配せする。
「向こうのお土産、何がいいかって話」
「サボるのに家族にお土産もって帰るつもりなのか……」
いつの間にか二人の会話に俺も強制参加させられているようだ。
中古で買ったRPGの『つづきからはじめる』で始まった展開並みに戸惑う。
それと同時に、俺はこの数時間、絶対に寝れないな、と確信したのだった。
と思いきや、はしゃぎ気味の怒涛のトークタイムはいつの間にか終了していた。
遠足のバス車内でのおしゃべりよろしく、新幹線が徐々にスピードを増すと共に二人は大人しくなっていったのだ。
都心を過ぎると、背の低い住宅やビルが密集する関東平野の風景が広がる。
建物の背丈、そして密集具合が徐々に減っていき、代わりに増えるのは緑や小さな山だ。
起伏の富んだ自然が多くなってくる頃には陽もすっかり上っていた。
両隣のギャル二人はあれほどまくし立てていた会話も鳴りを潜め、うとうと居眠りしているようだった。
「良かった、これで静かになるぜ」
ほっと胸を撫でおろすものの、落ち着ける状況では無い事にすぐに気づく。
よりによって二人は、俺の両肩に頭を預けて居眠りしているのだ。身体も重いし、密着している体温で暑苦しいったらない。
『まもなく――です』
車内放送が次の停車駅を告げる中、俺は肩を左右にもぞもぞして悶絶していた。
緑の増えた景色。朝日に照らされた山々を眺めていたら、忘れかけていた疲れが肩にどっと圧し掛かってきた。
少し、眠ろうか。
俺はこの状況下なのに、まどろみに落ちていくのだった。
逆光に目を眩ませながら、俺は大きな背中を追いかけていた。
これは夢だと確信する。
夢の中の俺は背丈も小さく、追いかける背中は巨人のように大きく広い。その頭の上に乗っかったキャスケットは、ゆらゆらと左右に揺れていた。
ごちゃついた小道は舗装されているものの、所々に土がめくれて雑草が伸びている。
遠くに潮騒が聞こえ、ここが故郷の港町なのだと直感していた。
「なあ海里。元気にやってるか?」
大きな背中は振り返り、こちらに顔を見せるが、向こうから照り付ける陽光のせいで表情ははっきり見えない。
「爺ちゃん……」
俺の脳裏にはぼんやりと祖父の優しい面影が再生されている。
夢の中で見る自分の主観は曖昧で、海辺の町を歩いている俺、どこか落ち着いた場所で祖父と対峙している俺、そして、この光景を夢だと自覚して俯瞰している俺がいた。
そう言ったいくつものカメラを常に切り替えながら見ているようだった。
祖父は、あの頃と同じ優しい表情をくしゃっと丸めて笑っている。白髪交じりの髪が帽子の脇からはみ出していて、浅黒く日焼けした顔は皺に塗れていた。
記憶にある元気だった頃の祖父がそこにはいた。
不思議な感覚だった。本当はもう会えないと分かっている筈なのに、そういう余計な感情は削ぎ落されていて、ただひたすらに会えてうれしいという感情しかない。
ずっと会いたかった。会って話したかったという願望が俺にはあったのだろうか。
だからこそ、夢で故人と会っているのに違和感なく受け入れられているのかもしれない。
これは夢だ。嘘偽りの世界だ。しかし、この世界では見ている景色も、俺自身の心もいくつもあるようで、五感がふわふわしていた。
「俺は元気だよ。何とかだけど、上手くやってる」
何故かこみ上げる涙を必死にこらえながら、俺は祖父に言い返した。
「そっかぁ。強くなったんだなあ海里は」
祖父は俺の頭をそっと撫でながら、温かな笑顔で笑った。
太陽が真上から照らして陰りを作り、帽子の鍔の下で、祖父は笑っていた。
祖父は俺が小さな頃、いつもこの帽子をかぶり、俺を連れ回してくれたのだ。
でも、もう帰って来ない。それを心のどこかで知っているからこそ、俺は泣いている。
「爺ちゃん、俺頑張るよ。だからもう心配しないでいいよ」
何を頑張るだなんて具体的な事は一つも言えない。
俺は元気でやってる事をただ祖父に伝えたくて、だから言葉だけが先走っていた。
きっと、心の中にごちゃごちゃに詰まった色んな事も、今なら祖父に伝わっている筈だ。
ここは夢の中なのだ。現実とは大きく異なる理だってあるはずなんだ。
もしあの世があるのなら、今ここで語り掛けている思いは、向こうで元気にやっている祖父にも伝わるのと、そうに違いないのだと確信していた。
「ありがとう、俺をいつも遊びにつれてってくれて」
だから、俺は祖父に言い続ける。泣くまいと必死に明るい表情を作りながら。
最期に言えなかった感謝の言葉を今こそ言う為に。
「もう心配しないでいいからさ。見守っていてよ」
都会暮らしだったせいか、俺は良く標準語を使うと笑われて、悔しくてそういう学校での愚痴を祖父によく零していた。そうすると祖父は、俺の頭を撫でて笑ってくれるのだ。
確かに俺は弱虫で泣き虫だ。けど、今はそれなりに頑張って生きているつもりだ。
だから、俺は念を押すように祖父の手を握った。
「あの時は涙なんて枯れて出なかったからさ」
結局、俺は祖父の最期に立ち会う事ができなかった。
それがいつまでも後悔として心の中で尾を引いていて、祖父がもういないんだと思い知る度、今でも悲しくなる。
「俺、これからは一人で大丈夫だから」
俺は皺塗れの祖父の大きな手を取って言い続ける。
「自分なりにだけど頑張れるようになったから。だから……」
祖父は何も言わずに俺の髪をワシャワシャとする。彼の顔はあの頃と同じように、優し気に微笑んでいた。
「……あ、見守るって言ってもさ。実際に出て来なくていいから。普通に怖い」
いくら知っている親密な人間でもおばけ的なルックスは流石に怖い。だから念を押す。
俺ばかり可愛がってくれた祖父の事だ。ここで話したことで一気に懐かしんでリアルで化けて出て来られても困る。
「ははは、相変わらず海里は面白い事を言うな」
祖父はそれを聞いてからからと笑い、
「爺ちゃんがお前を怖がらせるわけないだろう」
豪快な手のひらで俺の頭を撫で続けるのだった。