2 幼馴染とのおもひで
翔はいつも人の輪の中心で笑顔を絶やさない、そんな少女だった。
元々、黒髪よりかは色素が抜け気味だった。亜麻色のショートカットを肩で揺らして服装も男の子っぽいパーカーとかズボン姿が多かったと思う。
彼女はよく俺の家に迎えに来て一緒に遊ぼうと誘ってきたのだ。
その頃の俺は今と違って無邪気で、誘われると尻尾を振ってついていった。
当時、翔は最先端のゲーム機を持っていた。彼女の父親はそういう趣味を持っていて、もれなく翔も女子の癖してゲーム好きだった。
彼女の家のリビングには格ゲー、レースゲームから歴史シミュレーションまで……実に多種多様なソフトが揃っていた。
彼女の父がプレイしていた信〇の野望はともかく、当時の小学生なら大喜びのラインナップだ。
親が厳しく、なかなかゲームを買ってもらえなかった俺にとって、そういう家は羨まし過ぎた。
俺達はよく翔の家に集まってゲーム祭りをした。
俺は格ゲーが下手くそだった。翔にはボコボコにされて勝てた覚えが無い。
しかし、嬉しそうに笑う彼女を見ていると負けているのに嬉しくなるのだった。
多分、一緒に遊んで感情を共有する。そういう事の繰り返しがひたすらに楽しかったのだ。
彼女と一緒に過ごす時間は、いつも例えようのない幸福感で心が満ちていた。
跳ね回る鼓動はいつ破綻するかわからない程で、俺はそれが悟られないように必死に抑えた。
あの頃の俺は、今とは大違いな程に笑っていたと思う。
「はぁ……」
ふと、逃避していた記憶の中の世界から現実に戻る。
視線の先は、窓。
さざ波のように揺れるカーテンが風で煽られると見飽きた高層ビルの立ち並ぶ景色が広がっていた。
俺は幼い頃、この東京の街で暮らしていたのだが、小学校の途中で田舎に引っ越した。
そして、中三の終わりに再び戻ってきたのだ。
「なに黄昏れてんの?」
横目を向けると、からかうような顔で翔が俺を見ていた。
去年の春。入学式の新入生点呼で栗橋の名を聞いた。聞き覚えがある名前とは思っていたが、まさか本人だとは思わなかった。
再び高校で再会するなんて……しかし、時の流れは残酷だ。
栗橋翔はギャルになっていた。しかも、何か口調が怖い。
そして、俺はこういう系統の女子が苦手なのだ。
彼女の名前を知らない男子はこの高校では皆無、それ程までにこのギャルは学校内の有名人となっている。
片や、俺は目立たなくて地味な空気キャラ。
数年越しの再会はお互いの明暗をくっきり分けてしまった。
「何、久々にあーしと話して嬉しいんだ?」
翔は俺の肩先を指でつつく。
学ランの肩パッドの防御力は高いけど、俺のメンタルは豆腐だった。
「てか、何その『あーし』って。滑舌適当過ぎでしょ」
「いいの。あーしはあーしだし。水梨ってさ。本当に昔と変わんないね」
翔は俺の指摘も何のそのと言った様子だ。
どことなく舌ったらずな口調なのは計算してるんだろうか。指先でカールした髪を絡ませながら、こちらを窺っている。
「どこが? 滅茶苦茶根暗になったと思ってるんだけど」
「そういうとこ。あと本当は素直な癖に素直じゃないとこ」
「素直じゃないし」
俺が不貞腐れた風に言い返す。
「ほら、昔のまんまじゃん」
すると、翔はからかうように言って笑うのだった。
――こいつも本当に昔と変わんないな。
新しいクラスに進級して、二か月目に入ろうとしていた。
週末に行われる校外研修は東京湾上に浮かぶギガフロートの見学だ。
見学と言っても名ばかりで、要は新クラスの親交を深めるのがこのイベントの狙いなのだ。
自由見学の班の組み合わせをあみだくじで決めようと言い出したのは女子の一派だった。
まず、男女それぞれでグループに分かれる。その後のくじでグループごとのカップリングを決める。男女混成班の出来上がりという訳だ。
この学校は女子生徒が多く発言権が彼女達にあるので、こんな合コンみたいな事がまかり通るのだ。
俺は数少ない友人、砂原涼介とコンビを組んだのだが、くじで一緒になった女子グループがマズかった。
……グループ?
「あれあれ……?」
ふと巡らせた所で、某名探偵少年のような疑問符を投げかける。
他の班は軒並み五、六人のメンバーだというのに俺達の班だけ人数が合わない。
「この班って俺達だけ?」
問いかけてみるが多分、翔に聞いても仕方がない。
俺は班メンバーである親友、砂原涼介の姿を探した。
「あ、涼介ならいないよ。向こうで班長同士の打ち合わせしてる」
翔は薄ピンクに彩られたネイルの指先を伸ばす。
遠く離れた席に探し求めていた砂原涼介の長身痩躯の背中が見えた。
爽やかな横顔にイケメンスマイルを張り付けて談笑している。まるで上流階級の社交界を絵に描いたような風景だ。
人気者のギャルが寛大な慈悲の精神で、すみっこの席で不貞腐れる俺に構ってる構図とは偉い違いだ。
彼ら班長達は真剣な面持ちで話し合っていて、戻ってくる気配は無い。
「残念だったねぇ」
白い歯を見せて悪戯っぽく翔が笑う。
「三人だけ? それでも少なすぎじゃない?」
「一応、あと二人いるよ。でも一人休みで、もう一人は保健室」
「なにそれひどいな。殆ど欠席かよ」
一応俺達以外にも班員はいるようだ。
でもこの場にいるのは栗橋翔だけ……あと俺か。どっちにせよこれ以上発展が無い組み合わせだ。
「ねえ。小学校以来の幼馴染のあーしなんかよりも、そんなに砂原が恋しいの? めっちゃ寂しそうなんだけど」
すんごいわざとらしく、幼馴染って強調してくる栗橋さん。
そういう発言はなるべく小声で囁いてほしい。俺は周囲のクラスメート達を気にしながら向き直る。
「そんな寂しそうに見える?」
「見えまくり! 寂しいと死んじゃうウサギみたいだし」
――うっそだぁ。一匹狼っぽく黄昏てたんだけど。
そう言い返してやりたいが思わず声が詰まった。
ていうか、見えまくりなのは翔のスカートから伸びる生足の方だ!
「だって浮かない顔して窓ばかり見てるし。あーしはもっと水梨と交流深めたいのに」
今もまさに、青いチェック柄のプリーツスカートから太ももが見え隠れしているのだ。
正直、目のやり場に困る。
「……」
「ふぅん、そっかあ」
黙っていたら、翔は何やら企んだのか、にんまりと微笑む。
「もしかしてもしかして。女には興味なくて砂原のがいいの? 水梨ってそっち系? だからあーしが話しかけても面白く無さそうにしてるとか」
と思ったら、見当違いの方向に持ってかれた。
ギャルの見た目で腐ってるとは恐れ入った。
「ちょっと待って……そんな訳ないっての」
俺は必死に否定する。
別にそういう訳じゃない。
単に、親友の砂原涼介がいなければ、女子グループとまともにコミュニケーションができないだけだ。
俺は自分から女子に声を掛ける事はしないのだが、翔は涼介が席を外した直後、俺に絡んできたのだ。
いつもなら他の活発な連中と騒ぎ合っているのに。
「ねえ」
「!?」
考えていたら翔の顔が目の前にあった。マスカラで盛られた綺麗な大きな瞳の中には、驚いた俺の顔が映っている。
「久しぶりにこうして話してるわけだしさ。あーしの印象教えてよ」
そう言ってカールした髪を再び触り始める翔。何ともいじらしい仕草。
いきなり問い詰められた俺は、どう答えるか言葉に詰まるのだった。