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18 張り詰めた教室

たくさんのポイント評価いただきありがとうございます。

毎話の事ですが、文字数が少なくなってしまうので良い所で区切れない……

申し訳ないです。

 翌朝の俺は寝不足だった。

 あの後、帰ったのは九時過ぎ。風呂と夕飯を少しだけ食べてすぐにベッドに入るも、殆ど眠りに付けなかった。

 浅い眠りのまま、気づけば陽の光が差し込み始めていて、そのまま起床。電車で立ったままうたた寝して、気づけば校門をくぐっていたのだ。

 教室前でクラスメートが雑談していて、俺が来るのを見るとそっと道を空けてくれた。

 開けっぱなしになっている教室のドアをくぐり、窓際の席に座る。まるで自分がロボットになったように自然に行われる日常動作。

 陰鬱な気分を嘲笑うかのように窓辺からは清々しい陽の光が差し込んでいた。


「おはよ」

「ああ……」

 鞄から私物を取り出していると、珍しく翔から声を掛けられる。互いに欠伸混じりの挨拶だ。


「寝てないっしょ?」

「ん、まあ……」

 からかうように笑っている翔だが、対する俺は真顔のまま。眠いんだから仕方がない。


「そっちこそ寝てないだろ?」

「え、分かる?」

 どことなく虚ろな翔の瞳。すぐ下にうっすらとクマが出来ているのを俺は見逃さなかった。


「ありゃー、メイクしてきた筈なんだけど」

 わざとらしく後ろ手で頭を掻く翔。


「ねえ、聞いた⁉」

 突然の眼を覚まされるような声。俺と翔はほぼ同時に教室の後ろを振り返った。そこには数人の女子生徒が集まっていた。クラス内でも活発な女子だけのグループだ。


「白瀬さんの話!」

「ああ、新宿で変なオッサンと歩いてたんでしょう? 嫌だよねー。そういうイメージ無かったんだけど」

 俺と翔は思わず顔を見合わせる。

 互いの視線が『誰かに言ったのか?』という深い猜疑心を呼び起こしていた。


「隣の組の人達が見たんだって」

 話からすると、俺達の他にも目撃者はいたらしい。まあ、新宿なら学校帰りに寄らない事も無いので仕方ない。


「何あれ……」

 翔が小さく唸るように言った。

 彼女が指先で自分の前髪を摘まむのを俺は見逃さない。


「ムカつくんだけど」

「待てって」

 そのまま歩き出した所を、俺は袖を捕まえて抑えようとする。


「なに、何かあんの⁉」

「大アリだよ。今問題起こしてどうなんのさ」

 俺は翔の瞳をじっと見つめながら静かな口調で諫める。


「それに、事情も何も知らない騒ぎたい連中には何言ったって無駄だよ。自分の見たい物、聞きたい事しか認めない」

「でもさぁ!」

 久々に強気の口調の翔。

 その感情を隠そうともしない苛立ちっぷりは、周囲の生徒達の注目を誘う。

 俺は彼らの神経をこれ以上翔に向けさせないように、努めて落ち着いた声音で言い聞かせる。


「分かってるよ。お前もムカついてるんだろうし、俺だってムカついてるんだ」

「……そ」

 そう言った途端、翔は小さく腕を下ろした。

 翔が前髪を整えながら周囲の生徒達に睨みを利かす。

 すると、彼らはまた元の行動へと戻っていく。

 机に参考書をしまい込むもの。隣同士での雑談を始めるもの。

 よし、これでいい。


 教室後方では未だ女子グループの一派が噂話に明け暮れている。

 騒ぎ立てる彼女達の会話は一見、内輪で行われる井戸端会議に見える。

 しかし、声のボリュームは過剰で、周りに言いふらす気満々だ。

 彼女達の隣を陣取るゲーマー男子コンビも気まずそうにしている。いつもソシャゲをしてはしゃいでいるのに、他の人の悪口に萎縮しているようだった。


「ところで、白瀬さんは?」

 騒ぎ立てる女子グループには聞こえないよう、翔にだけ届く声量で問う。

 翔は熱くなった身体を襟元でパタパタ扇ぎつつ、気まずそうに俺の視線から逃げる。


「呼び出し喰らってんのかも……」

 いつも白瀬さんが座っている席、教卓前の最前列を見る。机には彼女の通学鞄が掛けられている。もう来ている筈だが、肝心の姿は見えない。

 結局、HRが始まっても白瀬さんが現れる事は無かった。





 白瀬さんが戻ってきたのは一時限目の途中だった。教科担は何も窘める事無く彼女を席に座らせ、授業を続行した。

 終了のチャイムが鳴っても白瀬さんは席に座ったまま動かない。周りの生徒は潮でも引くみたいにそれぞれの仲間がいる、なるべく離れた場所に移動する。

 放課後に繁華街を大人の男性と二人で歩いていた――このスキャンダルは、尚一層尾ひれがついて飽きるまで騒ぎ立てられるのだろう。

 クラス内での彼女が優等生として築いていた地位は崩れ、最早、白瀬紫莉を擁護する者は誰もいない。

 でも俺達だってもう高校生だ。それに、ここは進学校でもある。規範を守る分別がついている生徒も多い筈だと信じたい。

 今の所、彼女の前でわざと聞こえるような悪評を言う者はいない。先ほどまで好き勝手喋っていた女子の一派もそれは同じようで、白瀬さんがいる今は鳴りを潜めている。

 しかし、暗黙の了解で、悪意は教室内を覆っていた。


「面倒なことになったな」

 休み時間が始まって間もなく。俺の席に来るなり涼介が言った。


「本当にな」

 それっきり、俺達は二人して窓を眺めたまま黙り込む。

 憎らしい程に澄みきった青空を旅客機が飛んでいく。

 空を真っ二つに引き裂く白い飛行機雲。遠雷のように聞こえるジェット音に目を閉じていたら、涼介がふと呟く。


「何か事情でもあったんじゃねえの……もちろん健全な意味で」

 付け足された健全という二文字。しかし、俺ははっきりと首を縦に触れないのが辛い所だ。


「大人の男と二人っきりで夜の街とか、どんな健全な事情だよ?」

 現に、俺はその瞬間を目撃しているのだ。

 しかし、涼介は考える素振りを崩さない。小一時間と言える長い間、低く唸りながら瞑目し、やがて切れ長の二重瞼がゆっくりと開かれる。


「……道案内とか?」

「すげえプラス思考だな」

 俺が溜息すると、同時にふっと薄ら笑いが漏れた。


「だって白瀬さんだぜ? そういう事すると思う?」

 窓の縁に背中を預けながら、涼介が長い腕を振って見せる。


「まあ……どうだろうな」

 とぼけながらも、一応彼女はギャルなんだぞと、心の中の俺がそう毒づいていた。

 砂原涼介は根っからのお人好しだ。だから、こんな能天気な事が言えるのだろうか。

 それとも単に信じたくないだけ?

 白瀬さんと見知らぬ男。二人はたまたま会ったという感じではなく、恐ろしく親密だった。それこそずっとお互いを知っている、少なくとも俺にはそう見えた。

 例え、お人好しの爽やかイケメンの涼介でも、俺の口からその事実を聞くと心証は変わってしまうだろう。

 涼介まで白瀬さんと距離を置いている姿を想像するのは嫌だ。しかし、クラス内にそういった同調圧力があるのは否めない。


「こういう事態になった時に表立って攻撃する奴は嫌いだ」

 知らずそんな独り言が口から出ると、涼介は驚いたように小さく口を開く。


「……でも、面倒を避けて白瀬さんとも距離を置くヤツもいるだろうな」

「ああ。その光景を傍目から見るのはもっとムカつく」

 俺は涼介にそう返し、教室内を軽く見渡す。

 翔と親しげに話している女子数人。その中には天沼の姿もあった。教室後ろのドア付近では運動部の連中が集まっているが、その誰もが普段よりもテンションは低めだった。

 間違いなくその影響は強まっている。


「とにかく今は事態を見守るしかない。下手な事をしたら白瀬さんを逆に追い詰めるかもしれないからな」

「ああ、分かってる」

 自分でも素っ気ない返事が出た。

 涼介の提案に、俺は何も反論出来なかったのだ。


「そうか。良かった」

 涼介はどこか安堵したように溜息を漏らした。

 それがこいつなりの優しさだって事も俺は知ってる。

 でも……


「なんか嫌だよな。こういうの」

「そうだな……」

 親友の言葉に安心して妥協してしまう自分がとても許せなかった。



 午前の授業を終えるチャイムが鳴り、クラスメート達はそれぞれの昼休みに入る。

 席を発って食堂にダッシュする者、持ってきた弁当を取り出して早速食べ始める者。とりあえず仲間と集まって喋り出す者。皆がバラバラに動き出したのだ。

 俺はというと机に座ったまま。その視線は教卓前の白瀬さんの背中を向いている。

 俺に見られてるとも知らず、白瀬さんは立ち上がる。音もさせずに椅子を引いて、いつもの静かな立ち振る舞いで教室を出ていく。

 しかし、その様子を皆の視線が無言のまま追っているのが分かった。

 俺の席は最後方だ。悟られないようにしていても皆の行動やら視線は手に取る様に分かる。

 一見、知り合い同士の会話に華を咲かせ、無関心を装っていた。しかし、誰もが彼女への興味を消せないでいるのだ。

 白瀬さんの背中に当てられる粘つくような視線。

 だが、白瀬さんはそれらを浴びながらも全く動じない。上履きが床を叩く音が響き、彼女が教室前方のドアをくぐって出ていく。

 すると、徐々に毛羽立った空気は教室内から薄れていき、ようやくそれぞれの昼休みが始まった。

 あちこちで散発的だった雑談の声も増え、そのトーンもあっという間に上がっていく。

 すっかりいつもの喧騒を取り戻した教室。弁当の美味しそうな匂いに俺も何か食おうかと思ったが……


 ダメだ。俺にはやるべき事がある。

 俺はゆっくりと席を発つと、教室後方――白瀬さんが出ていったのとは逆のドアへ向かう。

 大して興味を持たれていない空気のような存在が俺だ。白瀬さんと打って変わって誰も気にも留めない、

 開放された扉の敷居を越え廊下に出る。そして、小さくなりつつある彼女の背中を追った。

 廊下を曲がり階段を降りる。徐々に近づく白瀬紫莉の背中。

 背中まで伸びた美しい黒髪は、数多くの生徒が行き交う中でも驚く程に見分けがついた。

 彼女は意外と歩くのが早い。俺は少し意識して足を動かす速度を上げていく。


 ――しかし、早いな。

 いつもHRが終わると同時に帰る俺は、中学時代は帰宅部ガチ勢だった。

 街でも学校でも徒党を組んでのろのろ歩く連中は本当にイライラする。その真横を颯爽と追い越していくのはある種の快感で、俺くらいのスピードなら競歩も目指せると思ったのに……

 世界は広い事を痛感させられる。


「白瀬さん」

 職員室の手前で歩を緩めた彼女に声をかける。

 ゆっくりと振り向いた白瀬さんは俺の顔を見ると、小さく息を吐く。


「水梨君。どうしたの? 今からまた聞き込みなんだけど」

 俺からのこれ以上の問いを許さない。彼女の言葉の節には明確な拒絶が含まれていた。


「でも……」

「はぁ……もういいわ。これは私の問題だし」

 俺が食い下がると、白瀬さんはもう一度これ見よがしに溜息をつく。


「それだけじゃない」

 言い返す俺に、白瀬さんは少しだけ驚いたように口を開く。

 その沈黙が続きを知りたがっているようにみえて、俺は黙りこくって対峙するのがどうにもなくなってくる。


「昨日、直接その現場を見たんだ。俺も新宿に俺も用があってさ」

「そう……なんだ」

 俯きがちなまま、白瀬さんはどこか遠い目。

 耐えられなくなった俺は一歩踏み出す。


「教えてくれ。白瀬さん、君は……」

「後でね」

 遮る様に白瀬さんは背を向ける。黒髪が翻り、彼女の背筋に沿うようにはらりと被さる。


「今はそんな暇ないの」

 その瞬間、こちらを横顔で一瞥した彼女は呟いた。

 彼女がそのまま職員室に入っていくのを、立ち尽くし見送る。

 今は昼休みだ。周りの生徒や教職員が行き交う中、俺は途方に暮れていた。

 しかし、待てども白瀬さんが戻ってくる気配は無い。

 後で、と彼女は言った。

 つまり、まだこの問題を整理するチャンスはあるという事だ。

 彼女の言葉を心の中で繰り返しながら、踵を返す。

 それでもやっぱり気になるんだろうか。自然と足が立ち止まってしまう。


「白瀬さん……」

 何気なく振り向いた先、職員室の扉はまだすぐ近くにあった。

 しかし、俺にとってその距離は、目にしているよりずっと遠くに見えたのだった。


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