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日和見令嬢と事態は踊る


 白薔薇会。

 それは主に、大貴族の子息で構成される学生の模範となるべき会だ。

 いきのいいボンボンこと公爵子息のアラン様。

 彼の幼なじみである、伯爵家次男のリカルド様。

 白薔薇会のムードメーカー、これまた伯爵家三男坊カイル様。

 唯一年下の、侯爵子息のユアン様。

 上から順に、俺様、参謀メガネ、朗らか筋肉、辛辣ショタである。

 ちなみに貴族の令嬢で構成される赤薔薇会もあるにはあるが、会長だったシスティナ様の権威失墜により、今はほとんど機能していない。

 

「ゆゆしき事態ですよねぇ……」

「ええ。ほんとうにまったく、アスタリア様の言うとおりですわっ」


 私の目の前で、一緒に昼食をとっていたリスティア様がフォークを片手にきーっと銀髪を逆立てる。あ、来るぞと思っていると、その前にナターシャ様がおっとりと首を傾げた。


「ひょっとして、赤薔薇会のことですか~?」

「ええ……はい。

 先日訪ねてみたのですが、サロンには誰も居られなくて」


 言いながら、声を少しばかり潜めてしまう。

 赤薔薇会の話題は、システィナ様ばりに嫌悪される……というワケではないが、二言目には「システィナ様」に繋がってしまう。

 危ないところには近づかない。冒険はしない。これが貴族社会では下位である、男爵家や準男爵家の者の処世術である。

 私だって貴族の端くれでプライドもあるけれど、侯爵家とか公爵家にかかれば、蟻のごとくぷちっとつぶされる立場だからね。


「仕方ありませんわ。だって、システィナ様が――」

「……会のメンバーを操って、ユーリ様に嫌がらせをしてた、とは聞きますけど」

「許し難いことですわ。栄えある赤薔薇会を、私欲のために使うなんて!」


 ちょっぴり大きなリスティア様の声に、周りの注目が集まる。食堂でのおしゃべりは目を瞑られるが、大きな声は歓迎されない。ナターシャ様が振り返って、「なんでもございませんのよ」と微笑むと、リスティア様が赤面した。


「ごめんなさい。リスティア様、ナターシャ様。

 ここで出すべき話題ではありませんでしたね」

「わ、悪いのはわたくしですわ。大声で騒ぐなんて、はしたないことを。……ナターシャ様、ありがとうございますわ」

「気にしないでくださいな~。

 それより、ぱんけーきというものを食べてみませんか?

 なんでもユーリ様がご考案されたお菓子なのだとか~」

「まあ」


 給仕がスッと隣に来て、メニュー表を見せてくる。

 それを楽しそうに覗きこむ二人を見ながら、私はこっそりとナターシャ様の様子を窺った。

 ――ふつう、だわ。まるっきりいつものにこにこ顔。

 どっと肩から力が抜けて、私も給仕に目配せする。

 すると目の前に、メニュー表が広げられ……


「お嬢様、読み上げましょうか?」

「あ、いえ。ううん……パ……持ち帰りでサンドイッチを頼める? あと温かい紅茶を保温瓶ごと」

「かしこまりました」


 一礼をして給仕が去っていく。不思議そうにするナターシャ様とリスティア様に、ちょっとお腹がいっぱいでと私は愛想笑いしてみせた。



「おかしい……おかしいです……」

「なにがですの?」


 エビとアボガドのサンドイッチを、機嫌よく食したシスティナ様が優雅に首を傾げる。私は保温瓶の紅茶をチビチビと飲みながら、しかめっ面した。


「パンケーキ、私も食べたかったんです。

 食べたかったんですけど、なにかこう……

 胸のあたりがもやもやとしてお腹がいっぱいになり」

「そうなの」

「パンケーキやカツ丼、ライスカレーの文字を見るのもおっくうになって」

「あのひとは、そういったものも作っているのね」

「あの――それで……

 ……なんでそんなににやにやしてるんですか?」

「だって」


 おかしそうに笑い声をあげたシスティナ様が、笑みを含んだ声のままつづける。


「わたくしのことが気にかかった、ということでしょう? パンケーキとやらは、わたくしが食堂に入れなくなってから出来たらしいじゃない」

「いやー! そういう善意の解釈やめてー! やめてくださーい!」


 こころがいたむー!

 じたばたする私に、システィナ様はひとしきり笑ってから、眉宇をきゅっと寄せた。


「……赤薔薇の会は、やっぱり機能していないのね」

「みたいです。事実上の解散状態のようですね。

 知り合いに赤薔薇会に入れる血筋の方がいらしたので、それとなく話を振ってみたのですが」

「――待って。わたくし、そんなこと頼んでないわ」

「これは私が気になったからです。私だって、赤薔薇会の今後、気になりますもの。一応言っておきますが、これは大半の下級貴族が思っていることですよ」


 同じ男爵令嬢であるリスティア様の反応を思い出しながら付け加える。

 たいていの下級貴族はそうなのだが、リスティア様、赤薔薇会のファンだったのよね。赤薔薇会のお茶会の様子をこっそり拝見するのを、何度付き合ったかなー。

 

「……あなたの知り合いはどういう反応だったの?」


 納得いってませんけどオーラを放出しているシスティナ様に、私は首を振った。


「まったくのいつも通りです。

 二人きりで話せば別かも知れませんが、そこまでやるのはちょっと」

「しなくていいですわ、もうっ。

 ……あなたに何かあったら、今のわたくしではどこまで庇えるか」

「そういう時は、お互い無関心でいましょう。

 下手に庇い合うと目をつけられて泥沼ですよ」

「……そういうものなの?」

「アラン様のご性格は、システィナ様のほうがご存じでは?」


 とたん、眉間に深いシワが刻まれる。あっ、やぶ蛇。

 白薔薇会の会長ことアラン様は、システィナ様の婚約者なんだよね。

 まあ……その婚約者をいじめ抜いてる筆頭なワケだけど。

 婚約者が同じ学内に居るのに、アラン様は男子寮に女の子を住まわせたワケだけど。当初の非難囂々っぷりからは考えられない状況だよ、今って。


「赤薔薇会を動かすのは、今の段階では難しいですね」

「……一人一人、わたくしが説得――

 いえ、話も聞いてもらえないでしょうね」


 顔を見たら避けられるのがオチです、とシスティナ様が自嘲げに言う。なんとなく彼女の手の甲を撫でると、システィナ様の眉尻がさがった。


「あなたって、ヘンな人ですわ。

 力になれないって言ったくせして、わたくしに協力するんだから」

「身の安全のためですよ。ずるいでしょう」


 胸を張ると妹を見守る姉的視線が降ってくる。やめろー! そういう家族愛的なのはやめろー! よわいんだー!

 システィナ様は、変えようとしている。

 システィナ様と、ユーリ様。二人をめぐって、ぴりぴりソワソワするこのリアトワール上級学園を。

 学園が静かに、平和になってくれるなら、私だって願ったり叶ったりだ。でも。


「あっ。そろそろ行かないと」

「あら、そうなの。……今日は早いですわね」

「面会の予定があるの。

 だからまた明日ね、猫さん」

「では、わたくしも部屋に戻るとしますわ。飼い主さん」


 くすっと笑うシスティナ様は、他愛ない日々を楽しむふつうの女の子に見えた。だから私は浮かんだ問いを、そっと胸にしまいこんだ。


 

 リアトワール上級学園は、全寮制だ。

 けれど、卒業するまで学園から一歩も出られないといったことはなく、事前に申請すれば外出は許可されるし、長期休暇ではほとんどの学生が実家に帰ってつかの間の自由を謳歌する。

 もちろん、家族や知り合いが学生を訪ねてくることも、とくに規制されていない。


「従姉殿」


 面会室で優雅に紅茶を飲んでいた従姉殿が、ぱぁっと笑った。

 薔薇の花弁のように艶やかで赤い髪。猫のように神秘的で、時にいたずらっこのようにきゅーっと細められる黄金の瞳。

 まったく、今日もばつぐんにきらきら輝いてるなぁ。生まれてこの方、このひと以上にうつくしい人を見たことがない。


「アスタリア、会えて嬉しいわぁ。

 すこし背がのびた? 体調を崩してはいない? あら、この可愛いえくぼはどうしてかしら」

「従姉殿が相変わらずなので、つい」

「まあ、うふふ。

 そういう時は、いつも変わらず素敵よって言うのよ」

「はいはい。従姉殿は、いつも輝く薔薇のようです」

「いいですわよ、その調子」


 ぱっちんとウィンクが飛んでくる。

 あ、私のお茶を持ってきてくれた使用人に被弾した。

 震える手で置かれたティーカップをそしらぬ顔で持ち上げる。従姉殿はもちろんニコッと少年に笑いかけ、手まで振っていた。


「今の子、とっても可愛かったわぁ。

 それにね、煎れてくれたお茶も美味しかったのよ」

「はいはい。それで、ご用件は?」

「ご用件は……ふふ……エドのこと。

 覚えてる?」

「ええ。聖女研究をされている方ですよね。

 従姉殿に援助を頼みにきた――従姉殿?」


 頬に手を当てて、従姉殿はほうっと艶っぽいため息をつく。

 なんだろう。この反応。

 首をひねっていると、従姉殿は手を合わせてくねくねと体を踊らせた。


「あの、従姉殿。

 非常に言いにくいのだけれど、今の従姉殿はちょっと……」

「あん、もう。

 まだじらされるのね、いいわ。

 気づかない振りをしておいてあげる」


 ぱちんとウィンクをしてきた従姉殿に、私の口をぱっかりと開く。

 あのぅ。そのですねぇ。

 ひょっとすると、もしかすると、従姉殿は妙な勘違いを起こしていない? 

 しかし私が声を上げる前に、従姉殿はエドワードさんの近況について話し始めた。


「一年前にエドへ調査許可を出した遺跡、覚えてる?

 あの遺跡はね、エドの睨んだ通り聖女に関するものだったの。

 もともとなんらかの祭祀遺跡だろうとは言われていたけれど、これはもう世紀の大発見よ。あなたたちの次の世代の教科書には、絶対にエドの名が乗ると思うわ」


 力説する従姉殿に、ぼけっと頷く。

 すごいことなのだろうが、いまいち実感がわかない。

 だって、病は医者に、街灯は松明じゃなくてガス灯の現代人よ。

 聖女ってなにそれ? お話のなかのひと?で終わりである。

 そんな私の反応の薄さに気づいたのか、従姉殿は愛らしく眉間にしわを寄せた。


「もっと驚いてくれてもいいのに」

「うーん。

 実際に聖女さまが現れたとかなら驚きますけど」

「あら。実際に現れるかもしれないのよ」

「……え?」


 いたずらっこのように目を細めた従姉殿は、私の耳元で囁いた。


「エドが見つけたのは、聖女の鑑定遺跡。

 聖女が偽物か、本物か分かるのですって。

 そして、遺跡には他にもこう書いてあったの。

 ――呪いが始まる時、聖女候補は現れる、と」


 間近で見た従姉殿の顔は、真剣だった。

 至極まじめな顔のまま、従姉殿はつぶやく。


「第一王子の呪いも、解けるかもしれないわ」


 ぱくぱくと口を動かす私に、従姉殿はにっこりと笑う。


「ね。エドってすごいでしょう?」

「ち」

「ち?」

「ちょ、ちょっとそう思いました。あははは」


 乾いた笑いが口から漏れる。そうでしょうと我が事のように喜ぶ従姉殿がにくらしい。違うの、違うんだよ。従姉殿。私はエドワードさんはとくに何とも思ってないし、そもそもエドワードさんが好きなのは……。

 そこまで考えて、やっぱり口をつぐむ。

 だって、エドワードさんが黙っているのに、特に親しくもない私が言ってしまうのってヘンじゃない。

 ふぅと息を吐いて、考えを第一王子に向けてみる。

 カルティアラ国王には、四人の子供がいる。その内三人は王女で、王子は第一王子のみ。カルティアラでは、女性王族へ王位継承権はないから、必然的に第一王子が王太子なのよね。

 だけど、今の第一王子は皇太子の役目を果たせる状態じゃないらしい。病や怪我ではない。「呪い」だ。呪いは王子の姿を変えて、二度と人目に触れられない姿にしたという。五年も前のことだから、私もよくは知らないが……。


「あの時は、わたくしもエドもなにもできなかった。

 でも、ようやくフレデリック様を――」

「従姉殿……」

「ね? エドってすごいのよ」

「……従姉殿」


 ひくーい声を出すと、従姉殿があらっと視線を上向けた。

 深刻な空気は霧散したが、同時に肩の力も抜けていく。

 時計を見てみれば、そろそろ面会の終了時間だ。


「そういえば、従姉殿。

 ミストを護衛騎士から解任して、ごめんなさい。

 私には、すこしもったいないひとだったというか」


 ぱちり。

 瞬いた従姉殿は、なんだそんなことかと言いたげに軽く笑った。


「事情は聞いているから、あなたはなにも気にしなくていいわ。

 わたくしもミストの志を応援するし……

 でも、もったいないわぁ」

「……ごめんなさい」


 軽く頭を下げる。

 こればっかりは、ひたすらに下げ続けるしかない。

 何せあのミスト、私に護衛騎士を解任された途端、ユーリ様の護衛騎士になりにいったのだ。もちろんユーリ様は受け入れ、アラン様の率いる白薔薇会の面々は、揃ってギリギリと歯ぎしりしたらしい。

 兵士、いや民の騎士になるんじゃなかったの? それとも、民ってユーリ様のことだったのかーい!

 それはともかく。

 私は従姉殿が目をかけ、育てあげていた人物を失ってしまったのだ。従姉殿は私には寛大だけど、やっぱりちょっと怒ってて、だから、コントみたいなエドワードさんさんさんへの勘違いを継続……。

 

「ミストなら、ゆくゆくは、第三王女アグライアさまの騎士になれると思っていたのに」


 え?

 はしたなくも口を開けた私に、従姉殿がケーキの残りを見るように眉を下げた。


「あの、従姉殿。

 えっと……ミストは、商家の出ですよね?」

「ええ。そうそう、会長があなたにお礼を言っていたわよぉ。

 息子はとうぶん店に出しません、ありがとうございますですって」

「わぁ。相当怒ってますね」

「今すぐに商会へ戻れば、一年ほどですむのではないかしら?

 ……。

 王族の護衛騎士に庶民が選ばれたことは一度もないわ。

 それどころか、伯爵家以上の家格を持つ子弟にしか勤められないと言われている難職よ。でも、わたくしミストならできると思ったの。――ミストの本来の望みにも、添うかなともちらっと思ったわ」


 ミスト本来の望み。

 その言葉が、いやに突き刺さる。

 ミストは王女の護衛騎士になりたいなどと一言も言ってなかった。

 違う。そうじゃない。

 庶民のミストが王女の護衛騎士になれば、貴族は侮蔑と嫌悪とかすかな恐れをもって彼を見るだろう。でも、庶民はミストに夢と憧れを見たに違いない。

 民のための騎士になる。

 そう言い出したのは、ぶっちゃけユーリ様に感化されたと思っていた。もちろんそれ間違いじゃない。ない、けど。

 胃の腑がズンと重くなった。

 

「民のために何かしたい。民を守りたい。

 従姉殿は、ミストのそういう望みを分かっていたんですね。

 でも、私は……」

「分からなくていいのよ。

 だってミストだって分かっていなかったのですもの」


 おっとりと頬に手を当てる従姉殿を、複雑な気持ちで見る。

 さすが従姉殿。ちょっと怖い。自分の夢が分からないってあるのかな?

 けれど私の煩悶を断ち切るように、従姉殿はばっさりと言い切った。


「でも、わたくしの見込み違いだった。

 大事な人の大切な誰かを守れない。……そんな人に、騎士は務まらないわ。余計なことをしてごめんなさいね、アスタリア」


 やわらかな手が、ぽんと頭に乗る。

 従姉殿ったら、私が悲しんでると思っているんだ。

 ……どっちかというと、従姉殿を怖がってるんだけどなぁ。

 本人も気づいていない望みを見いだし、それを叶えられるプランを練り、飴と鞭で実行させて、誰にも気づかれずに遂行させかける……

 うん、怖い。傍目には全部ミストの手柄に見えてしまうところが、ものすごく怖い。


「次は女の子にしてみようかしら。

 ロクサーナとかいいセンを行きそうなのよね。

 どう思う?」

「私は、その子についてよく知らないので、

 なんとも言えないのですが……」


 従姉殿、ほどほどに。

 そういう次の言葉は、宙に消えた。


「それでは次の面会に連れてくるわね!」

「……なんでですか?」

「え? だって、あなたの護衛騎士(仮)よ?」


 はした(略)口を開けたまま、絶句する。

 そんな私に、従姉殿はとろける蜜のような甘い笑顔でほほえんだ。


「わたくし、あなたが大好きだから。

 ついつい心配してしまうのよ。許してね」


 

 ぱたんと面会室の扉がしまる。

 そうして、従姉殿からもらった舶来のお菓子を抱え、私はトボトボと歩き出した。

 ロクサーナ嬢、かぁ。男性の騎士だったミストほどは目立たないだろうけど……。従姉殿には、即座に白旗を振るのが一番正しいとは分かっていても、納得というのはベツだ。

 ――だいたい、護衛騎士が必要なのは、私より従姉殿のほうなのに。

 ――男爵令嬢で護衛騎士もちなんて、私だけなんだよなぁ。

 吐き出した息は重い。

 断るワケにはいかないけれど、今はとにかく目立ちたくないのだ。


「できるだけ護衛の話は引き延ばして……

 できれば護衛がくる前に、あれこれ片づけば……」


 まあ、そんな都合がいいことがある筈が……

 

「よくやった、リカルド。

 これで明日にもあの女を、ここから追い出せるワケだな」


 今にも高笑いしそうな声に、さっと壁に張り付く。

 高くもなく低くもなく。ピアノで言えばソ付近の声は、めっちゃ聞き覚えがある。

 白薔薇会の会長。学園のトラブルメーカー。そしてシスティナ様いじめの筆頭……アラン様だ。


「気が早いですよ、アラン。

 ですが、理事長が帰ってくる明後日までには、追い出しておきたいですね。……彼女は理事長の娘ですから。学園評議会の決定なぞ、父親に泣きつけば三十秒で取り下げてもらえます」


 快活なアラン様の声とは反対に、その声はゆったりと流れる水のように穏やかだ。なのに、背筋がゾッとする。体が危機感を覚えて仕方ない。こっちも、もちろん知っている。白薔薇会の参謀、とある男爵令嬢の強敵……リカルド様である。


「それじゃあ意味が」

「ありますよ。

 父親に泣きつこうが、泣きつきまいが、彼女の名誉にはけして消えない汚名が残ります。それに……ユーリ様は、そうなのでしょう?」


 顔がしかめっ面になる。

 まただ。

 この一月、イヤというほど聞いた話である。システィナ様がーユーリ様がー。そろそろ耳にタコでもできそうである。

 でも、この話を聞き逃すわけにはいかない。幸い彼らは私は気づかず、会話を続けた。


「ああ。

 ユーリは聖女だ」


 ……え?


「やはり、そうなのですね。

 彼女に初めて会ったときから……そうなのだと、思っていました」


 リカルド様が、ほうっと感嘆の息をついたのが聞こえた。

 まって。まって。

 聖女? なんでここで聖女が出てくるの?

 聖女って、えーと呪いを解ける存在で……従姉殿によると、もう出現しているかもしれなくて――。


「だとすれば、彼女も哀れですね。

 異世界より来た聖女候補は苦難によって、その資質を試される。

 彼女は、ユーリ様のための試練というわけだ」

「ハッ。

 俺は怒りしか感じんな。

 例え、神があいつの意志を操っていたのだとしても、俺はあいつがユーリにしたことは、忘れない」


 アランの声は、煮えたぎるマグマのようだった。

 ぐつぐつ。赤い炎が揺れ、だいだい色のプールが泡をふいている。

 

「では、婚約者殿の罪の軽減は願いでないと?」

「あいつは王族と対等である聖女を汚したんだ。

 ――そうだな。

 あいつがユーリとフレデリック様の前に膝まずいて泣いて許しをこうなら、元婚約者の誼で、死刑嘆願書じゃなくて国外追放刑嘆願書にサインしてやるよ」


 それから二人は、エドワードさんが発見した遺跡の話をはじめた。

 どうやらこの遺跡がこの計画の要らしく、明日の評議会後にすぐに利用できるよう申請しているらしい。

 そんな話を、軽やかに話しながら、去っていく。私から、離れていく。

 吐き気がした。

 お腹の中で、マグマが煮えたぎっている。

 評議会ってなんだっけ。それが明日行われて、たぶん、そこでシスティナ様に、なんらかの罪に――。

 

 はじめてシスティナ様と出会った時、システィナ様は頬を腫らしていた。次に会ったときは、バラバラに刻まれた教科書を一かけらずつ拾い集めていた。その次に会ったときは、アラン様の嫌がらせで朝食時以外、食堂に入れなくなっていた。

 つぎに、あった、ときは。そのつぎに、つぎに……。


「ぅぇ……」


 それが、ぜんぶ。ぜんぶ。

 ぜんぶ、ユーリ様が「聖女」となるために必要だったって?

 たったひとりで耐えて、泣いたのも私の目の前だけで、やっと笑えるようになって。

 システィナ様が選んだことすべてが、ユーリ様の、為だったって?

 その上。

 学園から追い出して、死刑? ユーリ様と第一王子に謝れば国外追放?


「ふざけんな」


 口元を拭って、勢いよく立ち上がる。

 私は踵を返して、元来た道を走り出した。


 

 夜半。

 お行儀のいい令嬢たちがすっかり眠ってしまうのを待ってから、私は寮の自室を抜け出した。そしてきぃきぃと軋む階段にひやひやしながら、寮の最上階である三階をめざす。

 リアトワール上級学園の女子寮は、三階建てのそこそこ広いお屋敷だ。

 生徒たちは、お屋敷の部屋を実家の格に関係なく、一人一室与えられている……んだけど。

 まあ、家格って私たち貴族には切っても切れないものなのよね。

 だから自然と、三階の一番いい部屋は公爵令嬢とか、一階は男爵や一部の子爵令嬢といった具合になっている。

 私はむろん一階。伯爵令嬢であるシスティナ様は、三階の三番目にいい部屋なのだ。

 百合のレリーフが刻まれた、扉の前に立つ。

 ちなみに一番いいお部屋は、薔薇のレリーフである。現在無人。王族や公爵令嬢でもいないと使われない。

 こんこんと軽く扉をノックする。返事はない。

 でも細く扉が開いて、ちいさな隙間から覗いた青い瞳が見開かれた。


「本当に、来たのね」

「うん。

 その様子だと、手紙は呼んで貰えたみたいですね。

 準備はできました?」

「――話がしたいの。部屋に入ってきてくれるかしら」

「それは……」


 きしっとどこかで廊下が軋む音がする。

 見回りの使用人か。私のように抜け出す不良お嬢様か。

 どちらにせよ、ここで見つかるワケにはいかないのだ。

 ――仕方ない、かぁ。

 システィナ様が開けてくれた扉に滑り込む。


「それで話ってなに?

 あと三十分で……」


 ガウンの袂をたぐりよせて、システィナ様はまっすぐに私を見た。

 さっきは気づかなかったが、よくよく見てみるとシスティナ様の服は夜着だ。おまけに手にはバッグの紐さえ持っていない。


「システィナ様、早く着替えて。

 そうだ荷物は? ううん、着の身着のままだって従姉殿は気にしないだろうけど、大事なものとか、もっていったほうが――」

「アスタリア・フォン・イライザ様」


 名前を呼ばれて、びくっと肩がふるえる。

 名乗ってはいなかったが、システィナ様は理事長の娘だ。学園の一生徒の氏名を調べるなんて、私と出会ったその日にできていただろう。


「わたくしは、行きません。

 このまま明日を待って、評議会に出席します」

「……明日の評議会が、世間でどういう判断をされるかは分かりません。

 でも、アラン様たちは、すくなくとも本気だった。

 本気であなたを陥れようとしています」

「では。

 あなたは、わたくしに罪はないと仰るのですか?

 わたくしはユーリ様に何もしていない、

 すべては濡れ衣だと?」


 罪をはかる裁判官のように、システィナ様は私をまっすぐ見た。

 ひたと見つめられたので、見つめ返す。


「あなたは?

 自分に死刑や国外追放となるほどの罪があると思いますか?」

「……

 赤薔薇会の噂は事実ではありませんわ。

 行きすぎたところはあったかもしれませんが、

 わたくしは間違ったことをしたとは思っていません」

「そう。

 私はどっちだって、何だっていいのです」


 システィナ様が、ユーリ様になにをしたのか。

 彼女の言葉は真実なのか、偽りなのか。

 二人について噂はたくさん流れているけれど、どれも私には真実かは分からない。

 ただ。

 

「あなたに、これ以上傷ついてほしくない」


 言いながら、口元に皮肉の笑みが浮かぶ。

 だって今更だ。ずっと見て見ぬふりをして、あの時、アラン様たちに食ってかかることもできなくて。

 でも。

 システィナ様の青い目を、まっすぐに見返す。 


「それに、私は聖女とか、評議会とかどうでもいいです。

 白薔薇会や赤薔薇会も興味ない。

 けれど、今の学園の雰囲気は大嫌いよ。

 みんなあなたやユーリ様の噂ばかりして、誰もいじめを止めないで……止められないで。

 今の現状を変えられるのは、きっとあなただけです。

 だから、追い出されないで。理事長と連絡をとって、また戻ってきて」


 胸の前で手を握る。神に祈るような私のポーズを、システィナ様は固くこわばった彫像のように見つめた。


「……わたくしは」

「うん」

「行きません」

「……っ。

 それは、どうして? なにか策があるのですか?」

「寝耳に水でしたもの。

 それに理事長の居ない間に評議会が起こせるのならば、

 副理事長を含む半数以上の教師は、白薔薇会に取り込まれているのでしょう」


 淡々というシスティナ様に、私は部屋の時計を見た。暗闇の中では見がたいが、私が来てからもう五分はゆうに過ぎている。


「だったら、なおさら!」

「わたくしは、この学園から……いいえ、アラン様から逃げるわけには行かないのです」


 自分でも顔がひきつったのが分かったけれど、こればっかりは仕方ない。なんでそこでアラン様が出てくるのかなぁ!? いや、婚約者だし、恋愛感情もあるっぽいけどさー!


「あんな浮気者で権力と頭と顔しか取り柄がない婚約者は、即刻ゴミ箱にポイすべきです!」

 

「――アスタリア様」


 暗闇で鳴らした鈴が、響くような声だった。


「わたくしのことを想ってくれてありがとう。

 いままで陰ながら助けてくれて、本当にありがとう。

 でも、もうよいのです。

 どうか、あなたはあなたのことだけを考えて」


 ――わたくしの味方を、もうしないで。

 そう続けたシスティナ様は、真摯だった。

 視線から気遣いを、言葉から真心を、気配から優しさを感じた。

 だから、うん。

 肩の力がすうっと抜けていく。

 このひとの説得、無理だわ。馬車で三日かかる国へ行っている理事長が今この瞬間に、この部屋へ出現するくらいの無理加減だ。

 だって、この人は、たった一人で立ち向かうつもりなのだ。

 赤薔薇会という仲間も、父親という後ろ盾もなく。

 評議会なんていうつるし上げの場に。

 あーあ。

 じわりと喉元に、苦いモノがこみあげてくる。

 肩の力どころか、体の力も抜けて、私はその場でたたらを踏んだ。

 でもそれは一瞬のことで、カッと頭が熱くなる。


「どうして、あなたはそうなんですか」

「それは……」

「なんで、頼ってくれないんですか? 私じゃなくていい。こうなる前に、あなたのお父様や、買収されてなさげな教師とか、ううん元赤薔薇会のひとだって――」


 いつかかいま見た、赤薔薇会のお茶会の様子を思い出す。

 茶会の中心にいたシスティナ様はきらきらと輝くと同時に、身内だけに見せる打ち解けた表情をみせていた。


「ご友人にだって!」

「――」


 ぽかんと無防備に、システィナ様が口を開ける。

 対する私の顔は、怒りと羞恥で真っ赤になった。

 言った。言ってしまった。

 目尻に涙が浮かんで、必死に瞬いた。

 誰にも助けを求めず、自分は間違ってないからと胸を張り、理不尽にくっしない。うつくしい伯爵令嬢。あっぱれで高潔な精神だ。まるで絵物語に出てくる騎士みたい。

 でも、伯爵家のご令嬢だよ? 理事長の娘だよ? 赤薔薇会の会長ですよ?

 こんな事になる前に、ううんこんなことになっても、助けたいって想うひとはたくさんいるはずなのに――なんで一人で立ち向かおうとしてるの、このひと。

 ばかじゃないの。ばかじゃないの。ばかじゃないの?

 袖口のなかで拳をにぎりしめる。

 でも、システィナ様の気持ちもすこしは分かるのだ。

 誰も彼も敵だと想っているのかも知れない。

 あるいは彼らにいっぺんの弱みも見せないことが、彼女の矜持なのかも知れない。

 しかしそれはあまりにも、孤独で孤高で。

 自分がちっぽけな虫になったみたいな錯覚が、胸を去来した。


「あの……」


 戸惑いの声に、口を引き結ぶ。

 何にせよ、部外者の私が言ってはいいことではなかった。

 けれど、口から出た言葉は取り消せない。流れた水は、盆には返らない。

 息を整えてから、ぐるりと踵を返す。


「もう、いいです。

 いいですから、私は私で勝手にします。

 あなたも、ご自分のなさりたいようになさってください。

 ……さよなら!」


 扉の向こうから小さな声が聞こえた気がしたが、私は小走りで階段を駆け下りた。

 そうして彼女に謝ることも出来ずに、翌日を――アラン様のしかけた評議会の時間を、迎えてしまったのだ。


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