日和見令嬢と猫な君・2
恋といえば、従姉殿。
従姉殿といえば、恋。
そんな刷り込みができるほど、私は従姉殿の側にいた。
ぶっちゃけると半分住んでいた。
なぜ嫁入り前の男爵家の娘がと言われれば、仕方ないのですと扇の下にため息を隠すしかない。
まあ家族と反りが合わなかったのだ。よくあるよくある。
それは道ばたに置いておいて。
子爵家の総領姫。社交界の華。カルティアラの赤薔薇。
そんな従姉殿のもとには、毎日のようにひっきりなしに人が訪れた。
パーティーや茶話会のお誘いから、個人的な恋のメッセージ。
それから、パトロンを求める老若男女。
そうそう。あの人は、胸をときめかせる求婚者じゃなくて、パトロンを求める学者として会いにきたんだっけ――。
『エド、おひさしぶりですね。学校以来かしら。
さ、どうぞかけて』
ぱちっと軽やかにウィンクした従姉殿に、学者の彼は、くいっとメガネを持ち上げた。
『……もう二度と、会うものかと思っていたからな。
こちらは?』
『アスタリアよ。わたくしの従妹なの』
『そうか。メルディアン嬢の相手は大変だろう』
『そうかもしれないわ。わたくしが一方的に可愛がってばかりだもの』
くすくす笑う従姉殿を、エドワードさんさんはしかめっ面で見ていた。
どうやら出て行け、といった類の話ではないらしい。
従姉殿の隣に座ると、エドワードさんさんが正面に座り、私たちの間のテーブルに紙を幾枚も乗せた。
『こちらが、俺の取り組んでいる研究の概要。
そちらが、支援を受けたい内容と期間。あなたへの見返りだ』
『もう、あなたって情緒がないわ。
……そこが、いいところだけどね』
ぷりぷり怒ったかと思えば、微笑んで肯定してみせる。
うぶなネンネやボウヤなら、これで虜になってしまうこともあるのだが、エドワードさんは眉をピクリとも動かさなかった。
すごい。
従姉殿の色香が通じない人、はじめて見たかもしれない。高鳴る胸を押さえながら二人を見ていると、従姉殿は真剣な顔で紙を覗きこんだ。
『まだ聖女について調べてたのね』
『……あなたも無駄だと思うか』
『そうね。でも……この「呪い」があるなら、「聖女」も居るはずだ。という仮定だけで、五年を費やしてしまうあなたは好きよ。それに……』
従姉殿の頬に、思案の陰がさした。
『忘れられるはずがないわ。
……わたくしたちの目の前で起こったことだもの』
私はとっさに、従姉殿の手をとった。従姉殿が目を丸くして、「優しいのね」とつむじにキスをしてくれる。……そういうことじゃ、ないんだけど。
『……俺も、忘れない。
だが個人でやるには限界がある。庶民には、遺跡の見学許可が降りないんだ』
『それでわたくしを思いだしたのね』
『……そう、だ』
うっとエドワードさんの声が詰まる。
私の耳は、敏感にその声の音を聞いた。
乗った感情は恥ではなく、後悔だ。……従姉殿に興味がないけど、利用するようで心苦しいってところかしら。
『もちろん大歓迎よ。この遺跡なら、一週間ほど待ってもらえれば許可を出せると思うわ。どう、エド?』
『……』
『エド?』
『一週間、だな。ありがたい。
……よろしく頼む』
私は、どっどっと高鳴る胸を押さえ、そーっと呼気を吐き出した。
二人が細かいコトの打ち合わせに入ったが、難しすぎて右から左に流れていく。でも、エドワードさんと従姉殿の一挙一動を眺めていれば、飽きはこなかった。
エドワードさんは、従姉殿に頼りたくなかったのだ。そうすれば、従姉殿と対等だといえなくなると思った。
それはなぜ? それは――それは……エドワードさんが従姉殿に、恋をしているから。
あっ、従姉殿が笑ってるときは目をそらしてる。それに従姉殿はちょっと残念そうだ。もちろんエドワードさんは気づいてない!
二人の打ち合わせは、たしか二時間ばかり続いた。
私が、エドワードさんの姿を見たのはこれっきり。
あとは、この前の春に、従姉殿が教えてくれたっけ。
『研究が一段落したら、またうちに来ますわ。その時は、一番に知らせてあげますからね』
うふっと笑ってウィンクした従姉殿は、十中八九にエドワードさんの恋心に気づいていない。恋文どころか熱っぽい視線ひとつおくらないエドワードさんも、この恋を発展させるつもりはないのだろう。
だって、エドワードさんは学者だけど庶民。従姉殿は悪女だけど貴族の令嬢。二人の恋が、結ばれることはないのだから。
「……どうかなさったの?」
紅茶のカップを膝元に置いて、彼女が小首を傾げる。どうやらずいぶんとボーッとしてしまったようた。日も陰ってきており、ちょっぴり寒い。
彼女も私も、そろそろ部屋に戻る時間だ。
「えーとね、猫。ちょっと思い出してたの。
――私の従姉に恋をした人が居たんだ。その人は、告白しないどころか、従姉のことを何とも思っていないように振る舞っていたよ」
「はあ……」
「まああと一分ですむからちょっと聞いて。
従姉とその人には身分の差があって、結ばれないから諦めたのかも。
あるいはもっと単純に怖かったのかもしれない。
でも……私はその人が、不幸だとか悲しそうだとか思わなかった」
システィナ様の青い目がまあるくなる。
うん。このひといきなり何を言ってるのかしらっていう顔である。
「きっと報われなくても、
その人にとっては素敵な思い出なんだと思うお話よ」
「そう思えたら……幸せですわね」
「そうですねぇ……。
私はまだ恋はしたことないんだけど、あなたは――」
まあるく見開かれた目が、ぱちくりと瞬く。えっと思う間もなく、彼女は声を震わせた。
「なんだ。わたくしの声が、聞こえないワケではなかったのですのね」
「……あ」
ずりっと後ずさる。するとシスティナ様の目から、涙の滴がポロリとこぼれた。
「……ご、ごめんなさい」
ふるふるとシスティナ様が頭を振る。
その間にも、彼女の青い目からはポロポロと涙が零れ落ちていく。
ああ。うう。うん。もう。
ハンカチを取り出して、システィナ様に差し出す。
目が見開く。また涙がこぼれる。その繰り返しばかりで、ちっともハンカチは受け取ってもらえない。
これはもう。……仕方ないよ、アスタリア。
「システィナ様」
「――え」
「ごめんなさい、いままで聞こえない振りして。でも、そんなに泣いたら、明日ヒドいですよ」
「……」
「だから……」
システィナ様の白磁の肌を、ぽんぽんと拭く。
彼女は何も言わない。私も何も言わない。
ただ六つの鐘が鳴る前に、システィナ様が緊張しながら口を開いた。
「ねえ、あなたは……
あなたの名前はなんというの?」
「ごめんなさいそれはちょっと」
「……この流れで断りますの!?」
「だってー! 私だって白薔薇会に睨まれるのは怖いんですよー!」
「わたくしがあなたを巻き込むとお思いなのですね。もう!」
「違います。私は気が緩んでうっかり呼びを撲滅したいだけです!」
「なんですの、それー!?」
「なんでしょうかね、これー!?」
システィナ様の顔があっけにとられる。私はすばやく立ち上がり、彼女に向かって手を差し出した。
「私、あなたの力にはなれません。
だから私のことは、臆病で卑怯な木っ端令嬢とだけ覚えておいてほしいんです」
「……あなた、バカな人ね」
小さな笑いが、システィナ様から漏れた。
宙にのばしかけた手を固く握って、彼女はひとりで立ち上がる。
「ずっとわたくしのことを猫と呼んでいましたよね」
「あ、そこは今後も猫さんって時々呼ばせてください。うっかり呼び防止のために」
「……だからなんなんですのそれ……」
呆れかえったシスティナ様の視線が痛い。
でも仕方ないんだよ。友達のご令嬢たちに、「猫を飼い始めた」って言ってしまっているのだ。その猫が実はシスティナ様ということを知られる確率を少しでも減らしたい。主に私のうっかり言い間違いとかから。
「まあ、許してさしあげます。
だから、わたくしがあなたをどう呼ぼうが、わたくしの勝手よね?」
「……なんて呼ぶんですか?」
システィナ様は、ふふんと胸を張る。
なんだかこういう彼女はひさしぶりに見たなぁと思っていると、自信満々にソレは告げられた。
「これからもよろしくね。わたくしの飼い主さん」
「――えっ」