父上と、呼ばないで
「ありがとうございます、アリス様」
「いえ、本当は上質な毛皮も贈りたかったのですが、生憎焼失してしまって・・・・・・」
「日頃から色々と頂いているのに、今日は妻と子のためにグリズリーの肉まで・・・・・・。これ以上贈り物を頂いてしまっては、天罰が下りますよ」
結局、討伐したグリズリーの毛皮は到底使い物にならなそうだったので、お肉だけ回収して帰還することにした。
今日おすそ分けに行く予定だった家を回りきり、最後にカーターさんの家を訪れた。カーター家に新しい命が誕生したということで、上質なグリズリーのお肉を差し入れたのだ。
「大したお返しは出来ませんが、どうぞ上がっていって下さい。妻も、アリス様がいらっしゃれば喜びますので」
時間もあるし、お誘いを無下に断るべきではない。何より、生まれたばかりの子供を見てみたい。
なので、私はお言葉に甘えて、お邪魔することにした。
「今日は、アリス様お一人で狩りに?」
「いえ、ギル・・・・・・ギルバートも一緒でしたよ。獲れた野うさぎは、ほとんど彼が仕留めたものです」
「それはすごいですね。彼にもお礼を言いたいのですが・・・・・・」
「山を降りてから、さっさと家に帰ってしまいました。お礼を言われるのが恥ずかしい年頃なんでしょうね」
「はは、アリス様もギルバート君と同い年ではありませんか。さすが、大人びていらっしゃいますね」
そんな話をしながら、カーターさんに勧められるまま椅子に座る。
そして、出された紅茶を一口飲んだ。茶葉の良い香りが口の中に広がり、冷えた身体が温まる。
「アリス様、よくいらっしゃいました」
私が一服している間にカーターさんが呼んだのか、隣の部屋から奥さんが出てきた。彼女の腕の中には、小さな赤ん坊が抱かれている。
「うわぁ、可愛いですね」
「はい、まだ生後2週間ですが、目元が私に似て・・・・・・」
「いや、目は父親譲りだろう」
「何を言っているんですか。鏡を持ってきてあげましょうか?」
そんな小競り合いを横目に、私の視線は赤ちゃんに釘付けだ。今は眠っているようで、ぷくぷくとした頬が可愛らしい。
「この子のお名前?」
「エリスといいます。実は、アリス様のお名前に似た響きが良いなと、夫と一緒に考えました」
「えっ、私の?」
「はい。アリス様のように、立派に育って欲しいなと思いまして」
気恥ずかしくて、顔が火照ってしまう。そんなに大したことはしていないのに、名付けのモチーフになるとは・・・・・・。
「ところで、お仕事の調子はいかがですか」
なんだか居心地が悪いので、慌てて話をそらすことにした。
カーターさんは設計士の仕事をしており、かなり優秀な人だと聞いている。
「あまり芳しくはないですね。ここでは、設計の仕事は多くないですから」
「そうですか・・・・・・」
「気候が厳しくて、移り住んで来る人はなかなかいませんからね。新しい炭鉱でも見つかれば、移住者が増えて忙しくなるかもしれませんが」
テュルク領は自然豊かな土地柄で、以前は鉱山がいくつかあったようだ。しかし、現在はほとんどが閉鎖されており、新しく炭鉱を見つけるのも難しいだろう。
「私たちが不甲斐ないばかりに、領民の皆さまにはご苦労を・・・・・・」
「何をおっしゃるんですか。アリス様には領民一同よくして頂いておりますし、領主様は税金を安くして下さっています。これ以上、私どもが望むことはありません」
テュルク領の税金は、他所に比べるとかなり安い。それは、領民に出ていかれては困るのと、出来るだけ商人を呼び込むためにやっていることだ。
領主の父や、補佐をする兄たちは皆勤勉で贅沢などしてはいないが、それでも、経済政策や開発などで、あまり良い結果が出ていないのは事実である。
「私は領主家を継ぐことはできませんが、父や兄たちが、きっとテュルク領を盛り立ててくれるはずです。それまでの間、皆さまにはご不便をおかけします」
「そんなことはありませんよ。うちの領は外への転居者が少ないと聞きますから、皆テュルク領が好きでここにいるんです」
「そう言って頂けると助かります」
それから、カーターさんたちとしばらく談笑して、私は家を後にした。赤ちゃんはとても可愛らしかったので、口実を作ってまた会いにいきたいと思う。
「ただいま」
「おかえりなさいませ、アリス様」
家に帰ると、玄関で侍女のサーナが出迎えてくれた。彼女は私より8歳年上で、おっとりした可愛いらしい娘だ。
この世界の20歳は結婚適齢期のため、結婚の申し込みがよく来るようだが、サーナはそれを全て断っている。建前では、テュルク家の末娘である私がまだ幼く、それを放って結婚など出来ないということらしい。
しかし、私はもう12歳になるし、別に侍女がいなくても普通に生活出来る。サーナもそれは分かっているはずなので、本心からまだ結婚する気になれないのだろう。
「はい、これ料理長に渡しておいて。今日のご飯は熊鍋になるかな」
「グリズリーのお肉ですか」
「山で遭遇したから倒したの。毛皮はダメにしてしまったけれど、お肉はたくさん獲れて良かった」
「アリス様が狩りに出られるようになって、食卓が賑やかになりましたね。お勤めを始めた頃は、お食事が野菜や芋ばかりで、ここは本当に貴族様のお宅なのかと驚きました」
「料理長が作るなら、野菜と芋だけでも美味しいけどね」
雑談をしながら、屋敷の2階にある自室に戻り、室内着に着替える。日本にいた頃、貴族は自分で着替えないという話を聞いたことがあったのだが、全然そんなことはなかった。
我が家では、他の人にやってもらった方が良いことは任せ、後は自分でやるというスタンスである。王都の方にいる高級貴族は別かもしれないが、うちのような辺境の貴族には、そういった風習はない。
「そういえば、領主様がお探しになっていましたよ。なんでも、アリス様が春からお通いになる学園について、お話があるとか」
「分かった。じゃあ今から会いに行ってくるね。父上はどこに?」
「執務室にいらっしゃいます。私はこれを料理長のところに持っていきますので、失礼致します」
サーナは熊肉を抱えて、優雅にお辞儀をした後、キッチンへと歩いていった。
私も、はやる気持ちを抑え、全速早歩きで執務室へ向かう。
「失礼します、アリスです。父上、いらっしゃいますか?」
扉を軽くノックし、声を掛ける。
少しの前があり、大きめの扉がゆっくりと開かれる。そして、扉を開けた侍女のエリーは、私と入れ替わりで部屋から出て行った。
「父上が私をお探しとのことで、参りました。何か御用でしょうか」
「先ほど王都から連絡があり、学園の入学試験の日程が・・・・・・なあ、アリス。そのかしこまった話し方はなんとかならんのか。お前と話していると、娘ではなく部下と話しているような気分になる」
「娘とは言え、父上は領主です。ですから、最低限の礼儀は・・・・・・」
「その話し方のどこが最低限なのだ。せめて、父上ではなくお父様と・・・・・・まあそんなことはどうでも良い。エトワール魔法学園の入学試験が2ヶ月後に決まった。アリスなら問題はないだろうが、一応今のうちから準備しておきなさい」
この世界の学校は、魔法師や官僚、冒険者など、将来就く業種ごとにいくつか種類がある。その中でも、私が行くのは魔法学園だ。
両親は開明的な教育方針を取っているので、私もお姉様も学校に通うことが出来る。
しかし、一般的な貴族の娘は学校など行かず、親の決めた相手と結婚することが多い。それが一概に不幸だとは言えないかも知れないが、私はこの家に生まれて良かったと思う。
「承知致しました。それで、出発はいつ頃になさいますか?」
父上が不思議そうに首をかしげる。まるで、私の発言が理解不能だと言わんばかりに。
「そんなもの、好きにすればいいだろう。ちゃんと試験に間に合うなら、いつ出発しても構わん」
「いえ、父上のご都合もあるでしょうから、お伺いしているのですが・・・・・・」
「何を言っているのだ。私はついていかんぞ」
「では、どなたがご一緒に?」
「もちろんお前一人だ。安心しろ、金と身分証は事前に渡しておく」
「なんと! か弱く幼い娘を、はるか遠いかの地へ、たった一人で⁉︎」
「フェリスはもう王都の学園に通っているだろう。フェリスの時は、ちゃんと私がついて行ったさ」
「フェリスお姉様の話ではありません!」
「悪いが、他にか弱い娘など、いた記憶がないな」
フェリスお姉様は5つ歳の離れた才女で、官僚になるため学園に通っている。しかし、魔法はほとんど使えないので、私が行く魔法学園とは違い、官僚養成のための学校だ。
ちなみに、兄は3人おり、長男と次男は成人して父の手伝いをしている。三男のロドリックお兄様は、軍の士官学校に通っており、私より3つ年上だ。
「他のお兄様方が王都に行く時も、お父様がご一緒なさったでありませんか」
「当たり前だ。王都までは馬車で1週間かかるのだぞ。幼い子供を、親の同伴無しで行かせられるものか」
取りつく島がない。父上は、本気でついてくる気がないようだ。
しかも、私がさらっと「幼い子供」から除外されている。
「・・・・・・逆に問うが、本当に私が必要か? 日頃から山に入り浸り、本来軍を動員するような魔物を平気で狩ってくると思えば、勉強している素振りもないのに、家庭教師をすぐさまお役御免にする学力。私が息子たちに同伴したのは、旅中に魔物が襲ってこないとも限らないからだ。私も領主としての責務があるのだから、必要もないのについて行くことは出来ない」
別に、戦闘力的な心配は一切していないのだが、子供一人で遠出をすることには抵抗がある。道中の馬車や王都の中に入る時に、子供だからといってぞんざいに扱われたりしないだろうか。
・・・・・・などということを心配している訳ではない。その辺りは父上もきちんと手配してくれるだろうし、王都には兄姉もいる。
一番の目的は、父上を休ませること。最近、ずっと執務室にこもって仕事をしているから、そろそろ外に出た方がいいと思う。
王都に行くまでは政務をする必要はないし、必要なことは私がやるから、父上を煩わせることも少ないはず。気分転換にはちょうどいい気がするのだが・・・・・・。
しかし、この断り方は、本気でついて来る気がなさそうだ。よほど政務に余裕がないのだろうか。
残念だが、ここは折れるしかないか・・・・・・。
「王都に着いてからは、フェリスかロドリックを頼れ。2人とも寮住まいだが、力になってくれるはずだ」
「・・・・・・分かりました。では、失礼します」
若干落ち込みつつ、執務室を後にする。
扉を開けようとした時、後ろから声をかけられた。
「・・・・・・すまんな。別に、アリスを蔑ろにしようとしている訳ではないんだ。お前のことは一番に信頼している。だから、胸を張って行ってこい」
「ありがとうございます。頑張ってきます」
私はゆっくりと扉を閉め、自室へと戻っていった。
アリスが去った後の執務室。
テュルクの領主——ケマル=テュルクは一人、窓の外を眺めていた。
「いやー、危なかった。また王都に行かなくてはならなくなるところだった」
庭の通路に降る積もる雪を、アリスが製造した魔道具——ルンバッバ3世が外側に押し出していく。おかげで、テュルク家では、わざわざ雪かきをしなくても済んでいる。
今日も、ルンバッバ3世の動きは軽快だ。
「私のような田舎者には、貴族の世界など息が詰まる。アリスには手助けなど必要ないし、付き添わずに済んで助かった」
ケマルは夕食前だというのに、棚の奥にしまっていたとっておきの酒をグラスに注ぐ。
部屋の電気を消し、すっかり暗くなった中、欠けるところのない月の光が、煌々と辺りを照らした。
「素晴らしい我が娘アリスと、今宵の美しい満月に、乾杯」
夜は次第に深くなっていく。淡いアルコールの匂いが、部屋の空気に交わって、消えた。