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箱庭童話  作者: 夕焼こやり
1/1

オニの子

これから頑張って書いていきます。よろしくお願いします。

 ルイは自分が拾われた時の話を聞くことが好きだった。


 オニとルイが暮らしているのはイタジ国の西側をぐるりと囲む、天ツ山脈で一二を争う高さのクロガネ山である。冬はもちろんのこと、夏も火がなければ過ごせないほど夜は冷え込む。そうして夜毎囲炉裏を囲んで、あやとりもお手玉も手すさびに紙にとりとめもなく字や絵をかきつけることも飽きた時、ルイはオニに近づいて話をねだる。そうしたらきまってオニはルイを膝にのせて楽しげにはぜる囲炉裏の火を眺めながらぽつりぽつりと話し始めてくれた。火の明かりが遠くを見つめるようなオニの目にともりきらきらと光る。オニの目は冬の空のような澄んだ青で、もとから美しいけれども、金の光が入るとなおのこと綺麗だった。


「あれはこの山に暮らしてから、一番酷い吹雪が止んだ次の日のことだった」


 その日オニは雪が小止みになった時を見計らい食料を取りにふもとの森まで下りてきていた。いくらオニといえども寒いものは寒い。早く帰って酒をたっぷりいれた鍋を作って温まろうと積もる雪を踏みしめながらふもとにたどり着いた。

 食料はいつもふもとの決まったところに固めておいてある。そこからひょいひょいと当分入り用な物を選んで背中の籠に入れて帰るのがお決まりだ。残った分は放っておいて人が取りに来るなり動物が食べに来るなり成すがままにしている。さて辛口の酒があればいいが、と期待しながら一塊の荷物を見たオニは目をむいた。

 たとえ真冬であろうともこの山の守りであるオニのためにこの場所には常に食料がおいてある。山で摂れた山菜、釣ったばかりの川魚、この国が誇るイタジ米、血の処理まで済ませた鹿肉。だが自分がそれを求めたことなど一度もない。確かに肉は好むが、オニはオニであって鬼ではないのだ。

 そこにいたのは紺の着物をどす黒い血で染めた女だった。血のあとが点々とふもとの方から続いていた。女がうめいたのを見て慌ててのぞき込んだ。生きているのが不思議なほどの怪我を女は負っていたが、薄く目と口を開いてオニに言葉を落とした。


「この子を」


 女はうつぶせの格好で、何かを庇っているような姿だった。どうかこのこを。オニはそううわごとの様につぶやき続ける女の身体を静かにずらした。そこにいたのは布で包まれた五つばかりの女児。おい。かけた声は今再び激しく降り始めた雪に吸い込まれた。すでに、多分、否きっとルイの母だっただろう女は死んでいた。オニは呆然としながら女の瞼を閉じた。

 うああん。温もりが消えたのを感じ取ったのか今までぴくりともしなかった幼子が起きてしまっていた。かあさん、寒いよ、痛いよ。泣きじゃくりながら目の前の人間だったものにしがみつく子どもはしばらくたった後、オニの腕に抱かれて眠ることになる。ゆらゆらと揺れる身体、痛む傷、温かい布団。その日から三日続けてルイは熱がでて生死の境をさまよった。起きたとき、すっかりと名前以外のそれまでの記憶を忘れていた。それからずっと、オニとともにここにいる。クロガネ山の小さな居心地のいい洞窟の中に。







 一月に二回オニはルイをクロガネ山から下りさせた。代わりにルイがいたのはクロガネ山にくっつくような形の小さなシロバネ山だ。オニはその日がくると決まって食料を持たせてルイを家から出す。理由は教えてくれないが成長したルイはそれが決まって満月と新月の日であることを少しずつ知るようになっていた。シロバネ山で一日駆け回った後ぼろけた山小屋で火を焚き布団をひっかぶって眠る。そして朝がくるとクロガネ山にかえる。その繰り返しだった。

 モモと出会ったのもその日で、シロバネ山だった。クロガネ山には人がほとんどやってこないがシロバネ山のふもとには集落がある。猟師や山菜取りの人間と会いそうになった時ルイは隠れた。人はルイを見つけると「鬼っ子様」「鬼様の子」と呼びとても恐れた様子をみせる。それが嫌だったからオニがクロガネ山から下ろす日が嫌いだった。人と会い、話すことなんて想像したこともなかった。

 シロバネ山は一回りするのに二時間すらもかからない小さな山だが、それなりに谷や崖もある。モモがいたのは小さな崖の下で、めったに見つからないという薬草をとる時に足を滑らせてしまったことが原因だった。受け身をとったからか目立つ怪我はさほどなかったが足を痛め崖を上ることができなかった。その時兎を追っていたルイが通りかからなかったらモモは飢え死にしていただろう。山狩りをしたとて探し当てるのに酷くわかりにくいところでモモは空を見上げていた。

 その日モモは同居している人間と口喧嘩をして屋敷を飛び出し怒りのままにシロバネ山に登っていた。冷静になって考えてみれば同居人は悪くなく、むしろモモの八つ当たりを受けただけだ。モモが出来損ないなのは彼女のせいじゃないし、それに一族が冷たい目を向ける中助けてくれた恩があるというのに。

 怒りは自己嫌悪へと変わり、ごまかすように山奥へと足を進めていった。前に一度だけ彼女が嬉しそうに見せてくれた薬草を見つけたのはその時だった。この薬草を持って帰ろう。素直じゃない自分は謝罪も感謝もいつも告げることはできないがせめて貴重だというこの薬草を渡してあげよう。そして崖の途中に生えている薬草を慎重にとって、登って上に戻ろうとしたときに足を滑らせて落ちたのだった。落ちた時にも薬草を握ったままだったのは少しだけ笑った。その後仰向けになって空を見上げて泣いた。そうして崖の上に立っていたルイと目が合った。



 しばらく二人とも何も言わなかった。モモはこちらを見るルイの目から興味が薄れていくことに気付き焦った。まさかこいつ、何もしないつもりなのか。だから必死に声をあげた。助けてくれ。まだ死にたくない。やけにぼろぼろの着物をまとう子どもは首をかしげ、頷いた。

 ルイはモモがどうしても上ることが叶わなかった崖を鹿のようにくだり、そしてモモをおぶったまま軽々と登った。モモはルイの背中につかまりながら女児に背負われる恥ずかしさにたえた。一目見た時は髪の短さに男児だと思ったが身体の柔らかさに悟ってしまっていた。こんなにも身軽で力の強い子どもがいるなんて。

 その時ふと思い出した。クロガネ山に住む鬼とその子どもの話を。モモが住む集落は月の始めと終わりに二度クロガネ山のふもとに食料を捧げに行くのがずっと昔からの習わしだ。前は鬼しかいなかったがいつのまにか小さな子どもがその傍にいるようになっていたらしい。鬼はクロガネ山から出てこないがその子どもはシロバネ山で見かけることもあるのだという。そう、たしか大人たちは。


「鬼様の子……?」


 進む足が急にとまりがくんと身体が揺れた。ちがう。低い声だった。


「私はオニじゃない」


 ルイは自分が拾われた時の話を聞くのが大好きだが、たまに言われるオニの言葉が好きじゃなかった。


「お前はオニじゃない、人の家族がいたんだ」


 わかっている、わかっているが、それを自分でも認めているが、それでもオニのことがルイは好きだったからいろいろと複雑すぎた。

 その後もルイは何も言わずに山道を歩いた。少し怖いくらいの速さだった。動物みたいに素早く音もなく進んでいく。人じゃないみたいだ。モモは目の前の身体の匂いにふと思った。猟師は勘のいい獲物たちに気づかれないように煙草もめったに吸わないし山に入る時は何かの実を潰して身体に塗っている。ルイからは人ではなくて山の匂いがした。

 またルイが急に止まった。顔をみあげるとそこは集落から山への入り口だった。命を助けてくれてありがとうと礼を言うか言わないうちに背中から降ろされた。何も口にせずにルイは山の中に踵をかえした。あっけにとられていたがモモははっと気づいて声をあげた。まってくれ。ルイは歩みを緩めこちらを見や

る。君の名前を教えてくれないか。


「ルイ」


 それがはじめてのルイの名乗りであることをモモは生涯知らなかった。ルイは記憶を失ってからはじめて人と話したのだった。

 慌ててモモも名乗る。そして礼を言い、また会えるかと問いかけた。

酷く奇妙なものを見るような目でルイはモモをみた。その後何の会話もなく二人は山と集落に分かれた。片足を引きずりながら随分遅くに帰れば同居人には酷く心配されていた。これがルイとモモの出会いだった。

 ルイは後から自分は何故あの時モモを助けたのだろうと何度も思い返すようになる。いきつく答えは一つだ。モモが助けてと言ったから。山の中では毎日多くの命が消えていく。それは当たり前のことで、ルイは消えかけている命に行き合ったとしても救い上げることをしなかった。命に責任をもつことなどできない。それにそれは酷く屈辱だろうと思った。でもモモは声をあげた。助けてと。ここで死ぬわけにはいかないと。だからルイはモモを助けたのだった。







 ルイ―――鬼っ子様についての話を猟師に話をふれば驚くほど多く彼らは山の子どもについて知っていた。鬼っ子様はシロバネ山には新月と満月の日に現れる。いつもはクロガネ山で鬼様と暮らしているようだ。たまに山で遠目で見かけるときは信じられないほどの速さで駆け抜けている。よく鳥を追いかけているから好物ではないか。

 一人の猟師が心配そうに言った。


「お坊ちゃん、山に手を出しすぎちゃいけませんよ。あちらは山、こちらは里の生き物ですからね」


 でもモモはもう一度ルイに会いたかった。それは何故なのかモモにもわからなかった。だから新月と満月の日は朝から山をめぐった。もう足手まといは嫌だから危ない所は避けたが小さな山をすみずみまで。それでも再会したのは初めて出会ってから二か月経ったときだった。


「ルイ!」

 

 だから、だから―――――。この前と違って今度はモモが崖の上、ルイが崖の下にいるときに、見つけられたことは心の底から嬉しかった。ルイはゆっくりと顔をあげた。

 それからの日々、正確に言えば三年間は本当に楽しかった。モモは初めて同年代の子どもと親しく話した。ルイは初めて誰かと遊ぶということをした。モモは初めて読んだ本の話をした。ルイは初めて魚の取り方を教えた。モモは修行をしている姿に初めて拍手された。ルイは初めて花を贈られた。モモはルイが自分より早く弓が上達するのを見てへこんだ。ルイは月に二回しか会わないことをふとさみしく思った。

 ルイがシロバネ山で誰かに会っていることをオニは気づいていた。それでもルイの顔を見て何も言わなかった。ただ、潮時かもしれないとだけ思った。もともとルイは山の下からやってきた人間だ。いつか返そうと思っていた時期が早まっただけだ。山の下の人間と一緒になればオニの子だったルイには苦労も多かろうが必ず幸せになるだろう。押し花にした花を眺めているルイを見ていると少しだけ切なく感じた。

 


 ある年の夏の大干ばつさえなければ、きっと、オニが想像したとおりになったはずだった。

 


 その夏一すくいの水は一塊の金塊よりも価値があった。稲はわずかに生えたけれどもその実はとても小さかった。クロガネ山のオニへの捧げものはどんどん減っていったけれどもいついかなる時も欠かさず捧げられていた。イタジ国への今年の税はとうてい払えそうになかった。都から役人がやってきて今年は減税してもらった時人々は安堵と悔しさで泣いた。役人は集落の隅にある倉庫を見てあれは何かと聞いた。素朴な村人たちはクロガネ山の鬼に捧げるものをまとめているのだと素直に答えた。

 激怒したのは役人だった。この国にあるものはすべからく全て都の神人のものであるはずだった。それを異形である鬼に捧げるとは何事か。役人は都に帰り異形を払う者たちに依頼した。クロガネ山の鬼を退治するようにと。しばらくしてやってきたのはモモの家族だった。







 モモは都で名のある異形退治一族の三男であった。しかし幼い頃から身体が弱く、また三男ということで誰にも期待されずに育った。遠い親戚の女人が身体が弱いなら空気のいいところで療養をと提案したので都から遠く離れたこの集落にきた。その女人はモモが集落にきた年齢のころの子どもを昔亡くしたということだった。

 集落に来たのは年の離れたモモの次兄だった。興味もなさそうに武装した兵士たちを率いていた。そしてモモを見て、自分には弟がいたことを思い出したらしかった。次兄は何もかもがどうでもよかった。入り婿である父は母とその父である祖父の言いなりだし、母と祖父は当分くたばりはしないだろう。あの二人のいいなりで生きていかなくてはならないことにうんざりしていた。だからある意味自由の身であるモモが羨ましく次兄は弟から目をそらした。羨ましがったところで何も変わらなかった。集落についてから初めての新月の夜に彼らは鬼退治に向かった。

 モモはルイにオニを退治しようとしている人間たちがいることを教えていた。オニには暮らしている洞窟から離れて山の中で隠れているよう言っておくとルイは不安そうに答えた。クロガネ山は広い。隠れてさえいれば見つかることはないだろう。そのうち諦めて都に帰ってくれるだろう。そう二人とも考えたものの何故か嫌な予感がした。

 その日新月でなければ。モモは後になってから何度もそう思った。異形のものは満月の夜に力が強くなり理性がなくなりやすくなるため異形退治は力が弱くなるという新月の日に行われることが多い。しかし、オニは新月にも新月の日にも理性がなくなりやすくなる、人が会う初めての異形だった。



 ルイは自分が誰であったか、どこに住んでいたか、そういったことはすべて忘れてしまっていたが、文字は覚えていたしオニから教わっていたから洞窟の奥にあった本やモモが貸してくれた本を読むこともあった。だからこの国の異形専門の軍隊である星夜隊を知識の上では知っていた。クロガネ山に踏み込んでくる兵士たちの一人が持っている旗が星夜隊でることを示していた。それを見てルイはオニの言いつけを破ってシロバネ山ではなくクロガネ山で過ごすことを決めた。オニとルイの住む洞窟は山の七合目あたりにある。見つけにくい所にあるはずだが連れている犬たちが隠れ見ているルイの不安を誘った。モモに会いたかった。







 新月の夜が明けた次の日、モモたち集落の人間はぼろぼろになった兵士たちを迎えることになった。ああやっぱり。誰しもが口にはしないがそう思っていた。兵士たちはオニを見つけて攻撃したがその全てをいなされ酷く狂暴化したその姿に追いかけられそのほとんどが広大な山で遭難し、半死半生でかえってきたという。オニは理性を抑えられずに「敵」を追いかけてしまったのだった。モモの次兄だけが山から帰ってこなかった。ルイは次の満月の日にシロバネ山に現れなかった。

 オニの討伐が行われた次の新月の日、モモはシロバネ山でルイを見つけた。酷く悲しい顔でルイはオニが死んだこと、モモの次兄が次の鬼に選ばれたことを告げた。山に選ばれた人間は鬼となりその前にいた鬼の代わりに生きる。山の守りである鬼は人のため、山のために生きる。ルイを育てたオニを次兄は討ったが山は次兄を次の鬼に選んだ。これまでの一月ルイは次兄に山での生き方を教えていたのだという。ルイはオニがいないクロガネ山でこの先も生きるつもりはなかった。



 集落で共に暮らさないか。モモはその言葉を口に出すことができなかった。きっと酷く悲しげな顔で微笑まれることはわかっていた。だから。

「元気で」

「うん。元気で」

 たったそれだけのやりとりで二人は別れた。どこに行くのかは聞かなかったがルイはクロガネ山の中へ消えていった。山にある国境を越えてイタジ国ではない所へ向かうのだろうか。いつか見たいと話していた海を渡るのだろうか。

 小さな背中を見送った後モモは自分の屋敷へ帰った。一族から異形落ちを出したことに母と祖父は怒り狂ったものの流石に親族を討つことはできないようだった。だが代わりに彼らはモモを都に呼び戻すことを決めた。出来損ないなりに長男の代用品にさせたいらしい。相変わらず勝手なことだとモモは笑った。もう言いなりになる身体の弱いぼんくら三男ではないことに彼らはいつ気づくだろうか。

 モモがこれからすることは山ほどある。都に戻ること。修行を続けること。力をつけること。人脈をつくること。母と祖父から少しずつ権力を奪うこと。長兄や父と取引をすること。閉鎖的なこの国から出ていくこと。この世界のどこかにいるルイを見つけること。

 腕輪を強く握る。この腕輪と対になっているものを別れ際にルイにたくした。今のモモは幼すぎてとても言えなかった。でも、再会したその時になら、言えなかった言葉をあの人に言えるだろう。







 ずっと、隣に。





書き上げるのにわりと時間がかかりました……。

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