第33話
どれくらいの時間歩き回っただろうか、30分くらいは経ったように思える。段々と空が蒼くなりはじめた。その蒼は透き通るほど綺麗で、力強く、しめやかに空を染めていく。
歩き疲れたこともあり、近くの河川敷の斜面に腰を下ろした。
ふと、赤い花が咲いているのが目に留まった。もっとも、目に留まっただけで、特別な意味があったわけではない。もしこれが博識な人間なら「あれの花言葉は確かこうだったな」なんて思っていたかもしれないが、あいにくそんな知識は持ち合わせていなかった。
「綺麗だなあ」
今だけ味わえるこの非日常の時間を嚙みしめようと思った。
もうすぐ陽が昇ろうとしている。西の空は蒼いままだが東の空が赤くなってきた。
朝日が昇るのまで見て帰ろう。この時間をずっと過ごしていたかったが流石にずっと外にいるのは寒いし、起きてそのまま出てきたので携帯や財布を置いてきてしまった。
陽が昇り始めた。それはそれはもったいぶるようにゆっくりと、誰も手にすることのない高さで。
昔、まだ高校生の頃に吹奏楽部が「陽が昇るとき」という曲を全校の前で演奏していたのを思い出した。7分か8分か、それくらいの曲で音楽の知識などがない俺にとって、当時は退屈で仕方なかった。もうどんな曲だったかは覚えていないが、あの人たちはこの瞬間を表現したかったんだと今になって分かったような気がする。
それからは特になにを考えるでもなく、ただただ陽が昇る瞬間を眺めてた。
次第に街は音を響かせ始め、すっかりいつもの日常に戻ってきた気分だ。
「そろそろ帰るかな」
ポツリと呟いたそれは街の喧騒に溶けていった。
家に帰る途中、普段は寝ているせいでお目にかかれない朝の街並みをたっぷりと目に焼き付けた。高校生をたくさん乗せたスクールバスに眠気覚ましのコーヒーを買いにコンビニ寄るサラリーマン。
もう少し遅い時間になれば小学生が朝から元気いっぱいに挨拶し、中学生が昨日のテレビの話題をしながら登校するんだろうな、と想像をかきたてられた。
携帯は忘れてきて正解だったかもしれない、きっとこの非日常を写真やビデオに撮っても意味はない。五感で感じるからこそいいものなのだと思う。
家に帰ると母が起きていた。特に驚いた様子もなく「おかえり」と言われた。
「ただいま」と返す。母は振り向くことなく淡々と自分の弁当を作っていた。
「あんた、どこ行ってたの」
「どこってわけでもないけど…散歩」
「行くなとは言わないけど、ほどほどにね」
「わかってるよ」とだけ言って部屋に戻った。そういえば、何年振りかの親子の会話だったかもしれない。




