紙屋の佐吉
六、
「……きしょうめぇ!」
厳つい手で狙いをさだめ、藤次は、自分の首根っこをぴしゃりと打った。
「深川ってえところは、何でこう蚊が多いんだ? 俺の血ぃなんぞ吸っても、うまくも何ともねえだろうによ…………ええい、このっ!」
再び、自分の横っ面をぺしっと張ってから恐る恐る手のひらを眺め、そして彼は、勝ち誇ったように会心の笑みを浮かべた。
「へっ! ざまぁ見やがれってんだ」
陽もすっかり傾いた永代橋には、それでも足早に行き過ぎる通行人が後を絶たない。
元禄のころ架けられた大川第四番目のこの橋は、今では幕府財政難のため渡橋銭を徴収し、町民によって維持、管理されていた。橋を渡る者は、南北のたもとにある詰め番所から番人が竹竿に括り付けて差し出す笊に、銭二文というものをちゃりんと投げ入れて通るのである。
吉屋のある佐賀町は、この永代橋のたもとにあった。
広小路には大勢の人馬が行き交い、茶店や露店などが軒を連ねている。藤次は、早朝から顔見知りである心太売り屋台の横に陣取って筵を敷き、そこに商売ものの刻み煙草が入った桐の箱を置いて、ぷかり、ぷかり、とやりながら、さりげなく吉屋に怪しい人の出入りがないか見張っていたのであった……。
「よう、藤次。遅くまでご苦労だな」
背後から、喉をつぶした講釈師のような、しゃがれた声が藤次を呼んだ。
彼が煙管をくわえたまま視線だけ後ろに向けると、そこには、背が低くでっぷりと腹の突き出した貫禄ある壮年の男が、四角い顔をいっそう角張らせて笑っていた。裾の短い縞柄小袖を尻っ端折りにした上から無紋の黒羽織りを着て、帯の後ろには、燻し銀の房なし十手を挿している。
深川一帯を縄張りとする岡っ引き、紙屋の佐吉であった。
「ああ、こりゃあ親分……。おっ、忠次郎の旦那もおそろいですか。こりゃ、ご苦労さんで……」
そう言いながら立ち上がって、藤次は、腰を屈めたままぺこりと頭を下げた。
佐吉と一緒にいたのは、南町奉行所の渡辺忠次郎という同心である。まだ若いが、すらりと背の高いちょっとした男っ振りの美丈夫で、小銀杏にした髷が涼しげな目元によく似合っている。深川八幡横手の大新地あたりにくり出せば、娘達がきゃあきゃあ騒ぐこと請け合いだ。
「どうです、何か収穫が有りましたか?」
忠次郎が間のびした声で訊いた。着物に香を炊きこんでいるのだろう、何やらとても良い匂いがする。
「……それが、どうも」
藤次が情けない顔をして、後頭をぐしゃぐやと掻いた。
「あれだけの大店になりやすってえと、人の出入りも、まあ半端じゃあございませんので……。いざ、怪しいと思やあ、誰も彼もみんな怪しく見ぇちまうし……、そうでもねえと思やあ、全て自分の気の迷いと腹ぁ括っちまう始末でして……」
「おいおい、しっかりしてくれよ……。煙草屋の藤次と言やあ、俺が抱える手下の中でも一、二を争う知恵者のはずだぜ」
腕組みしながら笑う佐吉に対して、「面目ねえ……」と藤次は、頭をたれた。
「……そろそろ店じまいのようですね」
吉屋では、手代や丁稚たちが慌ただしく店の前を片付け始めていた。その様子に涼しげな視線を投げかけておいて、忠次郎があっけらかんとした口調で言った。
「藤次さん、夜通し張り込むつもりですか?」
「へえ……、まあ……」
「なんせ大事な一人娘が奉公に上がっているからなあ……、四人も死人が出ちまってるんだ、他人事じゃあるめえ……」
そう言って、佐吉がまた笑った。
この男は、顔の輪郭が四角いわりに目鼻立ちが妙に整然としていて、藤次の妻のおりくに言わせれば”将棋盤のような顔”なんだそうだが、笑うとその”将棋盤”がシワだらけになって、とても愛嬌のある風貌になる。その愛嬌のある顔が「おっ!」と言った。
吉屋の、間口が十二、三間ほどもある表の土間では、奉公人が総出で大戸を立て始めていたが、その脇にある路地木戸をくぐって、大柄な手代風の男がのっそり現れたかと思うと、表通りを東に向かって早足に歩き始めたのだ。
「あっ、こん畜生! あの野郎は、平次じゃあねえか。くそっ、あいつめ……。店の中じゃあ毎日、お玉といちゃいちゃいちゃいちゃ乳繰り合ってるに違ぇねえんだ……」
と頭から湯気を立てて地団駄ふんでいた藤次であったが、尻っからげして威勢良く毛ずねを晒すと
「ちょっと、あっしが行って、とっちめてやりやす!」
そう言って今にも駆け出しそうな勢いであったので、あわてて佐吉が止めた。
「おいおい、待ちなって! あの男にゃ、ちょうど以前から内々に訊きてえ事もあったんだ。お前が行ったんじゃ話がしっちゃかめっちゃかになっちまう……。俺が行くから、お前はここで大人しく張り込みを続けてな」
そして、忠次郎に「それじゃあ、あっしは、これで……」と言い残すと、深川一帯を治める岡っ引きの親分は、すでに黄昏れ始めた表通りを、肩で風を切って雑踏の中に消えていった……。
「べらぼうめえ……、江戸のかたきを、長崎で討ちそこねちまった…………」
後に残されがっくりと肩を落とした藤次に、忠次郎がにっこり笑いかけながら間延びした声で言った。
「果報は寝て待て……って言うじゃないですか」
次回へ……。
[閉伊琢司からのコメント]
老朽化が進んだ永代橋は、文化四年八月、富岡八幡宮の祭りに押し寄せた見物客の重みにたえられず、その一部が崩壊して千五百人もの死者を出しました。群衆の混雑に紛れて巾着切りが横行しましたが、財布をすった者が死に、すられた者が助かって、その財布が元の持ち主へと戻ってきたなんて事もあったそうです。