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見果てぬ夢……

「や、やったぞ!」

「へっ、ざまあ見やがれってんだ!」

 弓曳童子の放った矢がみごと化け物の眉間に命中したのを見て、佐吉親分たちは、手を打って喜んだ。

「これで、あの化けもんの野郎もお終えだ……」

 しかし、瀕死の手負いとなった化け物は、あっさりとは死なず、逆に半狂乱となって暴れ回り手がつけられない状態となってしまったのだ。

「いやだあああ、うぉれは、死ぬわけにはいかないのだああああ!」


「お、おい、化けもんが暴れ出したぞ、どうする? 太夫や兵庫がまだ中にいるんだ」

「まずいな、早く助け出さねえと、巻き添いを食って死んじまうかもしれねえ……」

 そう言いながらも、藤次たちは、倉の中に踏み込むことが出来ないでいた。化け物の暴れぶりは凄まじく、奇声をあげながらまるで酔っぱらったようにふらふらと徘徊しては、機械を蹴倒したり壁に穴を開けたりしていたのだ。


 松江太夫は、舌打ちした。

「なんだかヤバそうな雰囲気だな、おい兵庫、このままここにいては危険だ、逃げるよ」

 彼女は、永井兵庫に肩を貸して立たせると、よたよたと入り口を目指して歩き始めた。

「しっかりしねえか。あの化けもんはじきに死ぬが、とばっちり食ってこっちまで道連れにされたんじゃかなわねえ。もうちょっとの辛抱だ、きりきり歩きな」

「……太夫、俺の事はもう放っておいてくれていい、あんた一人だけでも逃げてくれ」

「馬鹿言ってんじゃないよ、あたしが仲間を見捨てて逃げると思うかい? いいから、四の五の言わず、あたしの言う通りにしてな!」


 松江太夫は、化け物から死角になるよう物陰などをたくみに選んで歩いた。

 やがて、入り口付近でやきもきしながら中の様子を窺っていた佐吉親分たちが、二人の姿を見つけ大あわてで駆け寄ってきた。

「おい太夫、こっちだこっちだ!」

「よかった、生きてたみてえだな」

「ひとを勝手に殺すんじゃないよ」

「もう大丈夫だ、よし兵庫、俺たちにつかまれ」

 佐吉親分や藤次たちが、ぐったりしている永井兵庫を両脇から支え素早く戸口の外へと連れ出した。松江太夫は、ほっとしながらその後に続く……。


「くぉらああ、うぉまえら何処へ行くうううう」

 その時、化け物から勢いよく伸びた舌が松江太夫の足首に絡みつき、もの凄い力で彼女を引き倒したのだ。

「きゃあ!」

 彼女は、仰向けにひっくり返ったまま、ずるずると化け物の方へ引きずられていった……。

「ば、ばか、放せ、放せってんだこの野郎!」

「太夫ーっ!」

 藤次がすかさず手を差し伸べたが間に合わない。松江太夫は、あっと言う間に化け物の真ん前に引き据えられてしまったのだ。


「うぉまえ女だろ? くんくん……女の匂いがする」

「だ、だったら何だい? まさかあたしを口説こうってんじゃないだろうね?」

 化け物は、松江太夫にのし掛かって両肩をがっちりと押さえ込んだ。彼女は、手足をばたつかせて抵抗したが圧倒的な腕力の差にねじ伏せられて体の自由が利かない。血まみれの蓮華阿闍梨の顔がぬーっと迫ってきた……。

「うぉれは、もうすぐ死いいぬうう」

「……そ、そうみたいだね、線香でも上げて欲しいのか?」

「だあが、うぉれのいでーんしは、うぉまえの中で生き続けるううう」

「ななな、何だってえ!?」


 突然、化け物は、松江太夫の両足首を掴んで左右に広げた。彼女の小袖の裾がめくれ上がり、白い太ももから下腹部までが露わになった。

「きゃあ! こ、こ、この助平ーっ!」

「うぉれ、ぶち込むうう。うぉまえの中に、うぉれのいでーんしをぶち込むうう。そしたら、うぉれは生き続けられるううう」

 キメラ化して化け物と成り果てた蓮華阿闍梨であったが、その執念とでも言うべき生存本能は消えていなかった。赤黒い巨大な生殖器が徐々に松江太夫へと迫る……。

「わっ、馬鹿っ、来るな、それ以上近寄ると屁を引っ掛けるぞ……」


 そんな様子を見ながら、佐吉親分や藤次たちは、どうしていいか分からず、ただおろおろするばかりであった。

「お、お、おい、太夫がてーへんだぞ、このままじゃあ化けもんのガキを生むハメになっちまう……」

「そりゃあまずいよ、だってそうだろ? そんな事になったら産婆さんが腰抜かす……」

 藤次が泣き笑いの表情で後頭をぐしゃぐしゃと掻いた。


「おいおいおいおい、なに馬鹿な事言ってんだよ!」

 その時、藤次たちの後ろから、からくり儀右衛門がずずいっと割り込んできた。そして、化け物相手に必死の攻防を繰り広げている松江太夫に向かって大声で叫んだ。

「おーい、太夫ーっ、聞こえるかあ?」


 松江太夫は、すでに半べそである。

「こらーっ、呑気に構えてないであたしを助けろー!」

「よーく聞け、お前さんの右足には、歩行するときの衝撃を吸収するために圧縮空気が詰まっている」

「だ、だから何さのさ? あたしの足がこの状況で一体何の役に立つのさ? って、ひいーっ、化けもんに犯されるー!」

「太夫、よく聞け! 圧縮空気の力でその化けもんを倒すんだ、風砲と同じ原理だ」

「どどど、どうすればいいんだよーっ!」

「いいか、まず爪先を化けもんの顔に向けて狙いを定めろ、その後で、脛と足首を繋いでいる蝶番を外すんだ」

「どーやったらそれが出来るんだーっ!」


「うぉおい! 暴れないで大人しくうぉれ様のいでーんしを受け入れろおお!」

 化け物が、その巨大な腹の下から突き出す生殖器をずいっと押し出してきた。

「きゃーっ! ちょっちょっちょっと待ってーっ!」

 松江太夫の顔は、もはや涙でぐちょぐちょである。からくり儀右衛門のこめかみをすうっと冷や汗が伝い落ちた……。


「いいか太夫ーっ、落ち着いて聞いてくれーっ!」

「落ち着けるかーっ!」

「じゃあ、落ち着かなくていいから俺の言う通りにしてくれ、まず右足の指を全て曲げるんだ」

「ま、曲げた、曲げたよ、この先は? 早くしてくれ!」

「よし、じゃあその状態で中指だけ立てるんだ」

「そんな器用なこと出来るかー!」

「うぉまえら、さっきからうるさいぞ……」

 化け物がさらに腰をぐいっと突き出した。もはや彼の生殖器と松江太夫の距離は、一寸ほどしかない。松江太夫は、えっえっと泣きながらも必死になって儀右衛門から言われた通りの事を試みようとした。

 しかし、足の中指だけを立てるというのは容易な事ではない。すでに化け物の生殖器は、その尖端を松江太夫に接触させていた……。

「うう……、ひっくひっく、出来ないよ、足がつる」

「太夫、頑張るんだーっ! 出来なきゃ、化けもんと夫婦の契りだぞーっ!」

 性欲の権化と化した蓮華阿闍梨の顔が、にたーりと醜悪な笑みを浮かべた。松江太夫の全身に鳥肌が立つ……。

「嫌だーっ! そんなの絶対嫌だーっ!」

 叫びながら松江太夫は、女の意地と貞操を賭けて渾身の気力を振り絞った。

 そして次の瞬間、彼女の足の指は、みごとに『ファック・ユー!』の形を作ったのだ!


 カシャン

 松江太夫の金属製の右足首をつなぎ止めていた蝶番が外れた。

 と同時に、


 スッポオオォォォーン!


 倉の内部に、能舞台で鼓を打ったような澄んだ音が響き渡った。


 圧縮空気の力によって押し出された松江太夫の右足首が、まるでロケット砲のように飛び出し、蓮華阿闍梨の顔面に深々とめり込んだのだ。

「うううぎゃあああああぁぁぁぁ……」

 その反動で化け物は、仰向けにひっくり返ったまま八本の足をぴーんと伸ばし、ビクビクと痙攣し始めた……。


「おーい、大丈夫かーっ、太夫ーっ!」

 事の成り行きを安全な場所から見守っていた藤次たちが声を掛けた。

「うるせーやい、馬鹿野郎っ!」

 松江太夫は、ひとくされ悪態を付いてからよろよろと立ち上がり、断末魔の呻きを漏らしている蓮華阿闍梨を横目に見ながら、乱れた着物の裾を直した。

「ひ、ひどい目にあったぜ……、ちくしょう……女の敵め」


 ちょうどその時、三番倉の周囲が慌ただしくなった。小池藤太郎が捕り方の人数を従えて駆けつけたのだ。


「太夫ーっ、もう大丈夫だ、奉行所の手勢が応援に来たぜ」

「だから、もう遅いんだって! ……ふん、へっぽこ役人め、今頃のこのこやって来やがって」

 松江太夫は、裏返したカメみたいに情けない姿の化け物が、未だ醜悪な生殖器をぴーんと立てているのを見て、ふつふつと怒りが込み上げてきた。

「こんの野郎ーっ、よくもよくも! よーし、見てろよーっ」


 彼女は、丸くて可愛い尻を蓮華阿闍梨の顔に近付けると、威勢よく小袖の裾をがばっと捲り上げた。

 そして、渾身の力を込め思いっきり息んだのだ!

「これでも食らえーっ!」


 ぷうっ。


 ――その瞬間、七百年もの長きにわたって生き続けてきた未来の科学者、蓮見一郎教授は、完全にその生命活動を停止したのであった…………。



二十一、



 海鳥の鳴き声とともに、頬を撫でる風が潮騒を運んでくる。

 傍らに立つ松の木漏れ日が逆光となり、松江太夫は、眩しそうに長いまつ毛を伏せた……。


 視界いっぱいに碧瀾を湛えた海原が広がっている。

 深川の果て、洲崎は、たび重なる津波の被害により寛政三年、幕府によって家屋が取り払われ洲崎原と呼ばれる一面の原っぱとなった。

 春には、見渡す限りタンポポが咲き乱れ、秋になると竜胆がその薄紫色の可憐な花を咲かせる。今は、浜菅と鬼百合が恥ずかしげに風に揺れながら、背の高い夏草の合間に見え隠れしている。


 松江太夫は、海岸線に沿った土手に立ち、両手を大きく広げて深呼吸した。

 潮の香りと甘ったるいような熱風が肺いっぱいにみなぎる。

 目を細めて、遠く江戸湾を望むと、銀光を揺らぐ水平線の彼方に、おもちゃみたいに小さな船影がゆっくりと動いているのが見える……。


「よう、太夫じゃねえか、こんな所で何してるんだい?」

 松江太夫が、欠伸を噛み殺しながら振り向くと、そこに渋茶染の着物を着た伊助がいた。

「あら……、誰かと思えば、六軒堀のご隠居じゃありませんか」

「こんな場所でばったり出くわすとは、奇遇だな、これも弁天様の御利益かい?」

 伊助は、骨張った顔をくしゃくしゃにして笑った。


 近くで楽しそうに潮干狩りをする子供たちの笑い声が、波の音に混じって聞こえる……。


「ああ、そうだ、平次とお玉ちゃんの祝言に顔を出してくれてありがとうよ。あの二人も、近々お前ぃさんの所に挨拶に行くと言ってたぜ」

「結局、親子二代で岡っ引きになっちまったね」

「ははは、でも平次とお玉ちゃんは、五本松のあたりで畳屋を始めるらしいぜ。おたきさんにも手伝ってもらうんだとさ」

「ふうん……」


 松江太夫は、小袖の裾をさばいて松の木の根本に腰掛けると、紺碧を游ぐ白雲を見て眩しそうに目を細めた。


「そうだ、永井兵庫のやつ、体の塩梅はどうだい?」

「ああ、大したこたあなさそうだよ。顎の骨を痛めたんで、しばらくのあいだ軽口を叩けないだろうけど」

「ははは、そりゃ結構だ、いやいや失礼、大事にならなくて本当によかったよ」


 そう言ってから伊助は、不意に真顔になって、

「……お前ぃさんはもう耳にしてると思うが、儀右衛門のだんな、どうやら肥後へ旅立ったらしいぜ」

「へえ、本当かい? あたしゃ初耳だね」

「そうかい、聞いてなかったかい……。何でも、佐賀藩に精錬方として招かれたんだそうだ、大砲を造るためにね」

「…………大砲ねえ」

「何だか物騒な世の中になってきやがったなあ……」

 伊助は、魚の鱗みたいにぎらぎらと光線の渦巻く遠い海原を見つめ、ふうっとため息をついた。


 ――この二年後には、ペリーが浦賀に来航する事となるのだ……。


「やっこさん、最後までお前ぃさんの足の事ばかり気に掛けてたぜ」

「あたしの足は大丈夫さ、儀右衛門のだんながすっかり直してくれたからね。まあ、大事に使っていてもそのうちガタが来るんだろうけど……、そりゃあ生身の体だって同じ事だからね」

 松江太夫は、小袖の裾を割ってまぶしいほど白い足を見せながら笑った。たまらず伊助が目を反らす……。


「…………ねえ、ご隠居」

「なんだ?」

「人間がさ、死ぬ事なく、ずうっと生き続けられる世の中になっちまったら……、それは、あたしらにとって幸せな事かい?」

 突然、松江太夫がしんみりした口調で訊いた。

「なんだい、やぶからぼうに……?」

「いえね、今回の事件であたしゃつくづく考えちまってさ……。そりゃあ、人はだれでも長生きしたいよ、でもね、もし本当に何百年も生きられたとして……、それで本当に楽しい人生が送れるなんて、あたしにゃあ思えないんだ」

「まあ、そう言われりゃそうだろうなあ……。それに、人が死ななくなったら住む場所が足りなくなって困る。やっぱり、必要以上に人間が増えねえためにも、死ぬときあ、潔く死んでもらわなくちゃな」

「ははは、ご隠居らしいね、でも、大家さんとしちゃあ、店子がどんどん増えたら儲かって仕方がないだろう?」

「べらぼうめ! これ以上、家賃を払わねえ店子が増えたんじゃ、俺あ、首くくんなきゃなんねえよ」

 伊助が、また顔をしわくちゃにして笑った。


「唐人の尻でからっけつ――ってね、あたしもふくめ、裏長屋に住まう連中はみな貧乏人ばかりさ」

「そうで有馬の水天宮――ってな、あっ、思い出した、俺あ、蕎麦を食いに来たんだ。どうだい太夫、縁起直しに冷てえところを一緒につるっとやらねえかい? もちろん酒もご馳走するぜ」

「きゃっほう! 蟻が鯛なら芋虫や鯨――ってね。今日は、なんか良い事があるんじゃないかと思ってたんだ、こんな所で黄昏れてた甲斐があったよ」


 松江太夫は、色っぽい仕草で立ち上がると洲崎弁天社の方角に向かって、ぱんぱんっと二度かしわ手を打った。


 ――限られた一生を精一杯生きるから人生は楽しいんだ。あたしゃ生きてるうちにせいぜい楽しませてもらうよ。


 心の中でそう呟くと、松江太夫は、両の拳を握りしめ力一杯息んで……。




 機巧乙女之手妻顛末   完


 相変わらずのおバカ小説でお恥ずかしい限りですが、最後までお読み下さり本当にありがとうございました。

 当初、主人公の松江太夫は、バイオニック・ウーマンみたいなサイボーグにしようと思っていたのですが、さすがに江戸時代の科学力でそれはウソっぽすぎるだろ〜という事で、鋼鉄の右足を持つ手妻師という設定に変えました。

 SFを書かれる作者さんは、みなその作品中に奥深い世界観を構築されていて「さすがだな〜」と感心ばかりさせられました。いつかまた、SF作品に挑戦する機会があれば、もう少しテーマを深く掘り下げ、もっとSFらしい小説を書けるよう努力したいと思います。(平成20年10月 閉伊琢司)

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