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弓曳童子

二十、


「それっ、お玉を救い出せ!」

「お玉ちゃん、いま助けてやるからな」

 キメラ化して化け物と成り果てた蓮華阿闍梨が、松江太夫の飛ばす紙の蝶に気を取られているあいだに、診察台の上に意識なく横たわるお玉を救い出すべく、藤次、平次、佐吉親分、永井兵庫の四人が猛然と三番倉の中へ飛び込んだ。


 エポキシ樹脂の床には化け物が食い散らかした残骸や、破損したバイオリアクターからこぼれ出た臓器などが散乱し、大量の血や培養液などが汚泥のごとくぶちまけられていた。

 藤次たちは、血で滑っては転び、目玉を踏んづけては転び、腸に足を引っかけては転びしながら、漸うお玉の元へとたどり着いた。


「お玉ーっ、無事か!?」

「お玉ちゃん!」

 お玉は、睡眠薬を打たれ、くびられた兎みたいに脱力していたが、血色も良く、気持ちよさそうに穏やかな寝息を立てていた。

「よ、よし、早いとこ外に運び出そう……」

「そ、そうですね……」

 そう言いながら、みな目のやり場に困って咳払いした。お玉は、眩いばかりの全裸だったのだ……。

「や、やい平次っ、こっちを見るな、お玉の裸を見るなってんだ、こん畜生め!」

「そんなこと言ったって、おやっさん、見ないことには運べませんよ。それにあっしは、お玉ちゃんの裸なら何度も見て……あ」

「なな、何おう!? この野郎ーっ、いつの間に俺の大ぇ事な娘の裸を見やがった?」

「い、いつでしかねえ……ははは」

「何が、ははは、だ、こん外道め!」

 平次に掴み掛からんばかりの剣幕で目をつり上げている藤次を、佐吉親分が怒鳴りつけた。

「馬鹿野郎っ! やめねえか、みっともねえ」

 そして彼は、着ている羽織を一枚脱いで、お玉の上にそっとかけた。

「今はそんな事してる場合じゃねだろ、太夫があの化けもんの気を引いている間に、早ええとこお玉ちゃんを外に運び出さねえと……」


 しかし親分がそう言い終わった刹那、ついに化け物の口からカメレオンのように伸びる舌が、松江太夫の蝶を捕らえたのだ。

 念願の獲物をつかまえた喜びに歓喜の呻きをもらすと、化け物は、長い舌を素早く巻き取ってその白い蝶を口中に飲み込んだ。

 くっちゃくっちゃくっちゃ……

「…………う……不味いい……不味いいぞ……こんなもの喰えねええ」

 化け物は、黄色い唾液と一緒に紙のかたまりをぺっと吐き出し、不愉快そうに視線を游がせた。そしてその拍子に、お玉を運び出そうとしている藤次たちの存在に気付いてしまったのである。

「くぉらあ! その女は、俺のもんだああ、俺が後で犯るんだああ、俺が後で喰うんだああっ!」

「まずい、化けもんが感づいたぞ」

「みんな、走れっ!」

 四人は、お玉を抱えたまま慌てて出口へ向かった。

「むわてえ、おまえらああ!」

 すかさず化け物が八本の足を不気味に蠢かせて追いかけてくる。しかし、人肉をぱんぱんに詰め込んだ腹を引きずっているためスピードが出ない。


 ずるずるずるずる……


「すぉの娘には、うぉれ様のいでーんしをぶち込んでやるんだああ、ぜぇーたい逃いいがさねええ!」

 化け物は、立ち止まって一声吼えると、お玉を取り返すべく、鞭のようにしなる粘着質の舌を伸ばしてきた。しなやかな赤い舌が風を切ってぶうんと唸る……。

「ひっ」

「あとは、俺に任せろ」

 刹那、永井兵庫が反転した。

 と同時に裂帛の気合いもろとも佩刀を抜き放った。白刃がハロゲン光を鋭く反射してぎらりと煌めく。

「えいっ!」

 鞘走った津田助広作二尺八寸の刀身が、斜め下から化け物の舌を斬り上げた。切断された舌が、血を撒き散らしながら部屋のすみへ吹っ飛ぶ。

 さらに兵庫は、振り上げた刀の柄を握る手首を返しながら、たたたっと疾駆して間合いを詰め、化け物の前足目掛けて猛然と斬り下ろした。

「やあっ!」

「ぎゃあーっ!」

 木材を断つような音がして、剛毛におおわれた太い足が床に転がった。

 返す刀で、さらにもう一太刀。

「たあっ!」

「ううう……」

 前足を二本とも切断された化け物は、苦痛に顔を歪めてその場にうずくまった……。


「へっ、たわいのない。いっそ、このまま足を全部斬り落として、見世物小屋にでも据えてやろうか?」

 丸っこい顔に嘲笑を浮かべながら永井兵庫がゆっくりと刀身を振り上げ、じろりと化け物を見下ろした。

「……それじゃあ地獄に帰ってもらおうかな」

 兵庫は、化け物の首を刎ねるべく、ぐっと腰を落として踏ん張った。

 と……その時、頭を垂れてうずくまる化け物の肩が小刻みに震え出した。兵庫は、その邪悪な雰囲気に気圧され刀を振り下ろすのを一瞬ためらった。

「む……?」

 化け物は、笑っていたのだ。

「……くっくっく……ふっふっふっふ……ははははーっ! すぉれは、ムリな相談だなああ!」

 不意に、化け物が立ち上がった。次の瞬間、兵庫は信じられない光景を目にしていた。切断したはずの化け物の足が、みるみるうちに生え揃ったのである。

「なにい?」

「馬鹿がーっ、ひゃっひゃっひゃ、だまされてやんのーっ! 本当は、痛くも痒くもないんだよおお。うぉれは、ぜったいに死ななーいっ、ぎゃはははーっ!」

 耳まで裂けた蓮華阿闍梨の口から、切断したはずの赤い舌が勢いよく伸びて兵庫に襲いかかった。

 ――こいつは、不死身か?

 不意を突かれた兵庫は、鞭のようにしなる舌をかわすのに必死で、刀を振るう事も出来ず、ぐらりと体勢を崩した。その隙を逃さず化け物の丸太のように頑丈な足が一閃し、兵庫の顔を横殴りに叩きのめした。

「ぐわあ……」

 血とともに前歯が数本吹っ飛んだ。兵庫は、そのまま五、六間ほども床を転がり、壁に激突してだらしなくのびた。

「ぶぁかめ! うぉれ様を殺せるとでも思ったかーっ! ひゃひゃひゃ」

 化け物は、兵庫の顔にぺっと唾を吐いてから入り口の方に向き直った。藤次たちは、すでにお玉を外へ連れ出している。

「うぉまえを喰うのは後だああ、むぁずは、あの娘を取り戻すぞおお」

 化け物は、床に散らばった血や臓物を引きずりながら、入り口へと突進した。その重量を受けて、倉の床がみしみしと鳴った。


 ずるずるずるずる……


「おい、兵庫ーっ! 大丈夫か?」

 化け物が去ったのを見計らって機械のかげから松江太夫が飛び出し、兵庫の元へと駆け寄った。

「おい、しっかりしろ、おいってば……」

「……ああ、太夫か」

「馬鹿野郎、無茶しやがって……、あいつは、なんぼ手足を切り落としてもまたすぐに生えてくるんだよ」

「……ははは……そういう事は早く言ってくれなくちゃあ」

 力なく笑った後、永井兵庫は、ごぶっと血を吐いた。

「もう喋るな、あたしが必ず助け出してやるから」

「……いいって、俺に構わずあんただけでも逃げな」

「馬鹿言ってんじゃないよ、このすっとこどっこいめ!」

 弱気な兵庫を叱っておいて、松江太夫は、ゆっくりと立ち上がった

「……なんとかあいつの気を反らす事が出来れば、その隙に逃げられるんだが」

 そう呟いて化け物をぐっと睨みつける松江太夫の足下には、金色の髑髏が転がっていた……。


 突然、倉の入り口にある重たい扉が勢いよく開け放たれた。

「ぬぁんだああ?」

 化け物が驚いて立ち止まる。

 そこには…………一人の少年が立っていた。


 少年は、矜羯羅童子(こんがらどうじ)さながらに頭髪を逆立て、そのどんぐり(まなこ)でぐっと化け物を見据えた。

「うぉいボウズーっ、そこにいると、喰っちまうぞおお、ひゃひゃひゃ!」 

 化け物は、ひとしきり大笑いすると、すかさずその凶悪な舌を伸ばし、入り口に立ちはだかる少年の顔を嬲るようにぺちゃぺちゃと舐め回した。

「……んん?」

 だが、しばらくすると化け物は、渋い顔をしてすぐにその舌を引っ込めてしまった……。

「……不味いい……こいつは、喰えねえええ」

 ぺっぺっと唾を吐く。


 戸口の外では、佐吉親分や藤次たちが不安げな眼差しで事の成り行きを見守っていた。

「儀右衛門のだんな……、本当にあんな物で、化けもんをやっつけられるんですかい?」

「俺を誰だと思ってるんだ? ”からくり儀右衛門”だぜ。まあ、見てなって……、あの『弓曳童子』は、俺の作品の中でも最高傑作なんだ」


 少年の姿をしたからくり人形、弓曳童子がゆっくりと動き出した。

 ギーッ、ガッチャン……ギーッ、ガッチャン……ギーッ、ガッチャン……

 化け物は、訝しんで首をひねる。

「ぬぁんだ、こいつう……?」

 弓曳童子は、左手に見事な黒漆塗りの半弓を持っていた。化け物が呆気にとられている前で、彼は、背負っている矢筒から一本の(かぶら)矢を抜き取ると、矢筈を弦につがえて半弓を引き絞った……。


 キリキリキリキリ……


「やる気かあ、てめええええ」

 いきり立った化け物が突進する。その瞬間、ひょうと矢が放たれた。鏑矢は、鋭い唸りをあげて空気を切り裂き、一直線に化け物の眼球を貫いた。

「ぎゃああああああーっ!」

「やったあ!」

 佐吉親分たちが小躍りした。

「こりゃあ、てえしたもんだ! やっこさん、先刻とはうって変わってずいぶん苦しがってるようですぜ」

「そうか、越ヶ谷、千住の谷!」

 からくり儀右衛門が、ぽんと手を打った。

「やつが不死身なのは手足だけで、頭は再生しないんだ」


 化け物が苦しがるなか、弓曳童子が早くも二本目の矢を番え半弓を引き絞った。彼の体内では、複雑に組み合わさった歯車がぎしぎしと音を立てて回転している。このからくり人形は、儀右衛門がこれまで培ってきた機巧技術の集大成なのだ。

 ――いいか、頭を狙え、頭だぞ……。

 佐吉親分はじめ、みなが思わず拳を握りしめた。

 キリキリキリキリ……


 びゅうっと二本目の矢が飛んだ。

 鏑矢は、(はやぶさ)の羽音みたいに空気を震わせながら一直線に化け物へと吸い込まれていった。

 しかし……。

「調子に乗るなあああ!」

 化け物が渾身の力を込めて前足をぶうんと振り回した。矢は、阿闍梨の顔を射る前にくの字に折れ曲がり呆気なく弾き飛ばされてしまった。

「ちくしょう、払いのけやがったか、よーし、もういっちょういったれーっ!」

 嘆息と怒号が飛び交うなか、弓曳童子が三本目の矢を射た。矢は、過たず化け物の頭部めがけ飛んでいったが、しかし、これもすんでの所で見事にかわされてしまったのだ……。

「あー、おしい……、もうちょっとの所だったのに」

 平次が興奮した面持ちでぎゅっと拳を握りしめる。

「よし、この調子でがんがん矢を射かけてやれ!」

「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる……ってね、化けもんを仕留めるまでどんどんいきましょう」

 盛り上がってやんやの喝采を送る藤次たちに、儀右衛門が水をさした。

「実はよ……、弓曳童子が矢を放てるのは四本までなんだ」

「何だって?」

 みなが一斉に儀右衛門の方を振り返った。その目には、多分に失望と非難の色がこめられていた。

「……それじゃあ次の矢を射たらもうお終いってわけかい? なんなんだよ、役に立たねえな」

「何言ってやがる! 矢を四本射るだけでも大変な仕掛けなんだぞ。あれだけ複雑なからくりを造れるのは、日本広しと言えどもまあ俺くれえのもんだ」

「……とか何とか言ってるうちに、四本目が放たれますよーっ」

「ちくしょう、これで打ち止めか……、何とかあの憎たらしいツラを射抜いてほしいもんだが」

 みなは、合掌して思い思いの神仏に祈った。

 ――どうかどうか、みごと化けもんのまぬけヅラに当たりますように……。

 しかし化け物は、余裕の表情で前足を振り上げて油断なく身構えた。

「ぶぁかめーっ、こんなちゃちな攻撃が、そう何度も通用するかあああ」

 弓曳童子が弦を引き絞る。

 キリキリキリキリ……。


 その時、松江太夫が、右足を後ろに大きく振り上げた。

「へっ、調子に乗ってんじゃないよ、てめえは、これでも食らいな!」

 彼女は、その鋼鉄の右足を勢いよく振り下ろし、サッカーボールの要領で、黄金の髑髏を思いっきり蹴飛ばしたのだ。

 ガッコーン!


 重量約30キロほどもあるアンドロイドの頭部が、もの凄い勢いで化け物の後頭部に激突した。

 ぼこ……。

「あがっ!」

 化け物は、こぼれ落ちんばかりに目を見開いて、ぐらりと前のめりに揺らいだ。その瞬間を逃さず、弓曳童子の引き絞った弓から最後の矢が快音を立てて放たれた。

 ばびゅん!

 矢は、閃光の如く真一文字に中空を駆け抜けると、みごと蓮華阿闍梨の眉間に突き刺さったのだ。

「あ痛だああああああぁぁぁ!」

「大当たりぃーっ!」


 たまらず化け物は、源頼光に斬りつけられた土蜘蛛のように、きりきりと舞い狂った……。

「ひ、ひとでなしいいいいいい……」




 次回へ……。


だらだらと書いてきましたが、次回、最終話です。どうか最後までお楽しみ下さい。でわ……

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