おきゃんな娘
二、
「東西東西ーっ。まず最初は白紙を一枚、一応は裏と表をあらためます」
地囃子と歓声のなか、高座の中央に敷かれた緋毛氈の上にちょこんと正座した娘は、幻術をあやつるような手さばきで、すばやく白紙を銀杏の葉のかたちに切りととのえた。それを二枚かさね根本をこよると、一匹の白い蝶ができあがる。腰にさした白扇をひろげはたはたと煽ぐと、手のひらに乗せた紙の蝶が、まるで生きた本物の蝶のように中空高く舞い上がった……。
観客がどよめく。
年のころは十七、八の身のこなしがどこか艶やかな娘だ。縞模様の振袖に襷がけ、髪は高島田に結っている。笑うと牡丹が咲いたように華やぐのだが、いまは雛人形のようにしゃちほこばっていた。
「御覧にいれまするは浮かれの蝶、舞い立つ姿は花散る里ーっ」
再びの地囃子とともに、わっと客席がわいた。くるくるともつれ合いながら舞う二匹の蝶は、つかの間の逢瀬を楽しむ恋人同士のようにたわむれ、高く低く右に左に、客の目を釘づけにした。
「胡蝶の舞のひと手、お目に止まりますれば、これにてご無礼を仕ります」
「いよっ、松江太夫。日っ本一!」
――勇肌と書いて“きゃん”と読む。深川女の心意気だそうな。
利口に立ち回る処世術を野暮とあざ笑い、たとえ損な役回りを演じることとなっても粋を貫く心意気、この稟質な美意識こそが”きゃん”の真骨頂なのだ。
そして、ここに辰巳芸者にも負けないくらいの”きゃん”な娘がいた。深川は、富岡八幡宮の門前仲町に小屋掛けする見世物小屋の美人手妻師、松江太夫である。
「ああ、暑い暑い……。こう、蒸し暑い日が続くと、こんな稼業が心底いやんなっちゃうねえ……」
見世物小屋の客席を満たす歓声に送られながら、松江太夫が紫色の幔幕をめくりあげ、腰をかがめて舞台裏手にさがってきた。のろのろとした手つきで襷を外しながら、三つならんだ縁台の真ん中に腰をかけ、うつろな上目づかいでため息まじりに額の汗をぬぐう。
「一日中こんな物を着てたらさあ……、この若さで、梅干しみたいなお婆ちゃんになっちまわないかねえ」
松江太夫は、かぎ型に曲げた人さし指でぐいっと振り袖の襟をくつろげると、もう片方の手で白扇をはたはたあおぎながら、豊かな胸の谷間に生温い風を送りこんだ。
「よう、太夫! 相変わらず婀娜なすがたが挑発的じゃねえか……」
松江太夫が、うっすらと紅をさした一重まぶたの下にある円らな瞳を細めて、色っぽい流し目ですみっこのほうを見やると、いそがしく立ち働く裏方衆の向こうがわに、ひょろりと背の高い五十がらみの男が、生来の猫背をさらに窮屈そうに丸めて座っているのが見えた。路考茶の縞物小袖に博多織の角帯をきりりと締め、役者のように鼻筋のとおった相貌のてっぺんには、申し分けていどの本多髷を結っている。
「まあ、儀右衛門の旦那じゃございませんか! ちょうど良かったわ……」
松江太夫は、気だるい仕草で立ち上がると、赤い鼻緒の黒漆塗り下駄をからりからりと引きずりながら、儀右衛門の前にやってきて、仁王像のように立ちはだかった。儀右衛門が、煙管をくわえたまま上目づかいに松江太夫をちらりと見る。とたんに、彼女が振り袖のすそをがばっとめくりあげた。
「……な、何だい、やぶからぼうに!」
「何だいじゃありませんよ。旦那に造ってもらったこの足、熱気が中にこもっちゃって暑いったらありゃしない。とてもじゃないけど、あたしゃやりきれませんよ」
松江太夫のすらりとした右足は、ひざから下が…………金属製だった…………。
「なんとかして下さいよう……、儀右衛門の旦那あ…………」
――田中儀右衛門久重は、希代の天才からくり師である。
北九州は久留米の通町にある鼈甲細工屋、田中弥右衛門の長男として生まれた彼は、十代のころより数々の複雑なからくり装置を設計製作してはみなをあっと驚かせ、ついには、”からくり儀右衛門”の通り名で世に広く知られるようになった。
のちに”近江大掾”を名乗り、上方でもかなりの有名人であったが、二年ほど前、イギリス船が浦賀に来航してからは、頻繁に江戸に出てくるようになった。
舞台の方から、わっと歓声があがる。軽業師の早川虎之助が、十八番の”天狗の飛行”を見せたようである。
「ちょいと焦げ臭えなあ……。油が焼けちまったかな?」
儀右衛門は、煙管の先で松江太夫の右足首をこんこん叩きながら、口の右端をにいっとつり上げて笑いかけた。
「こんな事じゃあねえかと思って、今日はちょいと良いものを持ってきてやったんだ」
そう言いながら側らに置いてある風呂敷包みを開いて、小さな桐の箱を取り出した。
「何ですか、これ?」
「一昨昨日にな、英吉利から届いたばかりの”くうらー”っていう代物よ」
箱の中には、銀細工のように綺麗で精密な部品が、ていねいに真綿にくるまれたまま収められていた……。
「この三枚の羽がな、こうやってくるくるって……”えれき”の力で回るのよ……。こいつがありゃあ、おめえ、足の中にこもった熱気なんざあ、すっかり外に出せるってえ寸法よ。どうだい、さっそく取り付けてみるかい?」
「ぜひともお願いしますよう」
「よし、それじゃあここに腰かけて、そうそう……。そうしたら、おみ足をこっちに寄越しな……」
天才からくり師、田中儀右衛門は、さまざまな工具がぎっしりと詰め込まれた桐箪笥の引き出しを開けると鼻唄まじりに作業を始めた。
松江太夫が右足を失う大怪我をしたのは、二年ほど前、富岡八幡宮別当の永代寺で開帳が行われた日のことである。
ごった返す参拝客を相手に、歯磨き粉売りの大道芸人が口から吹いた火が、思いも掛けず松江太夫たちの興業していた見世物小屋に燃え移ったのだ。
その小屋は、丸太の骨組みに筵をはりめぐらせただけという簡素なもので、火の回りは予想以上に早かった。
客を外へ逃がすため、煙にまかれながらも必死で中に踏みとどまった松江太夫であったが、いよいよ炎に舐めつくされ消炭のようになった梁が天井から崩れ落ちると、その下敷きとなり気を失ってしまった。
駆けつけた火消しの若い衆があわてて彼女を引きずり出したが、梁材に潰された右足はついに元へは戻らなかったのである……。
――何を言ってやがる! 命があっただけでもめっけもんさ。八幡さまに感謝しなくちゃ……。
同情されるのが大嫌いな彼女は、いつもそう強がって見せた。
「出来たぜ……」
部品の取り付けが終わった松江太夫の足には、脛の裏側に風を通す小さな穴がいくつも空けられていた。
「その、くるぶしのところにある突起を押してみな」
「これかい?」
松江太夫が、イボのような突起部分を押すと、ぶーんと音がして冷却装置の羽が回りはじめ、足の中にこもっていた熱気が排出されていった……。
「……ちょいと音がうるさいけど、でもなかなか良い塩梅じゃないか」
彼女は、機嫌良く立ち上がると、儀右衛門の前でおどけた恰好をしながらゆっくりと回ってみせた。
「どれどれ……」
そこへ、居合抜きの達人、永井兵庫が寄ってきて、松江太夫の腰のあたりに日焼けした丸っこい顔を近づける。
「ほう、こいつあ粋なもんだね! 太夫の足もとから何だか涼しい風が吹いてくらあ」
「ちょっとお、やめておくれよ……。何だい、この人は? ひとの尻に顔を近づけちゃってさあ。屁でもひっかけてやろうか!?」
「よせやい。太夫の口からそんなせりふ……、ひいきの旦那衆が聞いたら幻滅するぜ」
その時、物まね師の松川鶴吉が女の声色を真似ながら言った。
「ねえ、太夫ぅ。甚平店の伊助さんがおみえになったわよん」
「え? 六軒堀にあるなめくじ長屋のご隠居かい? そりゃあ珍しい……」
松江太夫が、そう言い終わらぬうちに伊助が、裏口の筵をめくって骨張った顔をずいっと差し入れてきた。
「よう、太夫。相変わらずみてえだな」
「おや、ご隠居。久しぶりだってのに、ずいぶんとご挨拶じゃないか」
「ははは……、気ぃ悪くしたら謝るけどよ。今日は、お前ぃさんに頼みがあって来たもんでな……」
松江太夫は、軽く科をつくりながら伊助に近づき、白扇で自分の顔を煽ぎながら目をぱちぱち瞬かせた。
「……頼みって何だい?」
伊助は、底光りする双眸をすうっと細めて松江太夫を見据えながら言った。
「ちょいと……調べてもらいてえ事があるんだ」
「何を?」
松川鶴吉の口まねで、鶯が一声鳴いた……。
「佐賀町にある水油仲買問屋でな……吉屋ってんだ…………」
次回へ……。
[閉伊琢司からのコメント]
手妻とは手品、つまり江戸時代の奇術の事です。日本で初めて刊行された手妻の本は『神仙戯術』という中国からの伝書です。白紙で作った蝶を飛ばす術もこの本にちゃんと載っています。