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メタモルフォーゼ

十八、


「……充電完了しました」

「よし、カウンターショックの出力を200ジュールから300ジュールに上げろ」

「はい」

 白衣の僧が、電気除細動装置の操作パネル上にある出力つまみを右へ大きく回すと、手術台を取り囲んでいる僧たちの間に緊張がはしった。心電図は、相変わらず凪いだ海原のようにフラットだ。

「通電しろ」

「3……2……1……通電!」

 次の瞬間、電気ショックの衝撃で手術台に横たわる蓮華阿闍梨の体がばんと跳ね上がり、彼の胸部に除細動パドルを押し当てていた僧が反動でよろめいた。その振動で、輸血用チューブと人工呼吸のエアウェイが大きくたわみ、手術台のスプリングが軋んで鈍い悲鳴を上げた。

「……どうだ?」

「ダメです」

 心電図の波形をモニタリングしていた僧たちが、白いマスクの下から狼狽えた声を絞り出した。彼らは、額に大量の汗を浮かべ、一様に焦りの色を見せている。


 無事に新しい生体への脳移植を終えた蓮華阿闍梨であったが、最終段階の心肺蘇生が上手くいかず、このままでは脳細胞が死滅する恐れがあったのだ。


「よ、よし、もう一度充電しろ……、今度は、出力を最高の360ジュールまで上げろ」

「だ、大丈夫でしょうか……?」

躊躇(ちゅうちょ)している暇はない、一か八かだ」


 蓮華阿闍梨の新しい肉体は、入滅した釈尊のように穏やかな表情で仰臥している。その肋骨が浮き上がった胸部に、除細動パドルの電極パッドを押し当てながら白衣の僧が低く呻くように言った。

「――次でダメならこの体はあきらめて、…………いっそ阿闍梨様のクローンを造ってみては?」

「ばかな! クローンは人格まで継承しない。そんなものは、阿闍梨様であって阿闍梨様ではないのだ……」


 やがて、除細動装置を操作する僧の緊張しきった声が充電完了を告げた。

「よし、通電しろ」

「通電しますっ!」

 バシッという音がして蓮華阿闍梨の体が激しく上下し、それと同時に鼻をつくオゾンの臭いが辺りに立ちこめた。

 一瞬の静寂が訪れる…………。


「…………ダ、ダメです。心室筋の収縮が連続しません!」

 だらしなく四肢を投げ出した阿闍梨の姿は、まるで糸の切れた劇人形のようであり、その体には元から命など宿っていないかのようであった……。


「まずいぞ……、どうする?」

「…………取りあえず血液が凝固しないよう融血剤を投与しろ。それと、リドカイン、アトロピン、およびエピネフリンをそれぞれ10cc静注するんだ。阿闍梨様を……いや、蓮見教授を絶対に死なせてはならない」

 そう呻いてぎりっと歯噛みした白衣の僧は、次に無菌室の外にいる僧を大声で呼びつけた。

「おい、緊急事態だ! 阿闍梨様の新しい体が蘇生しない。大至急この対処法を医療用アンドロイドに問いただしてくれ」

「は、はいっ」

 指示を受けた僧は、すぐに部屋の隅に置かれた黄金の髑髏のもとへ駆け寄り、その道化じみた顔に向かって厳しく問いつめた。

「おいっ! CPRが上手くいかないぞ、どうすればいい?」

 しばしの間を置いて、その髑髏は、抑揚のない機械じみた声で答えた。

「ア……、アイデー、ト、パッスワードヲ、ニュウロク、シテクダセエ……」

「……あん? パスワードは、さっき言ったぞ」

 僧は、訝しげに髑髏を見つめた。

 吉屋喜兵衛や番頭の四郎兵衛が本尊と崇めたこの髑髏の正体は、未来文明の粋を集めて造られた医療用アンドロイドの頭部であった。それは、人間の脳に限りなく近い有機素子で出来た集積回路を頭脳に持つスーパーコンピュータであったのだ。


 一瞬このアンドロイドに疑いの眼差しを向けた僧は、やがて別の僧を呼んで問いかけた。

「おい、こいつの調子が変だ。とうとうROMがいかれたか……?」

「うーん……、我々が時間移動中に遭難してから数百年間、ずうっと土の中に埋もれていたからなあ……。八年前に偶然掘り出されたときだって、こいつがちゃんと動くとは誰も思ってもみなかったんだ」

「でも、こいつのお陰でヒトクローンES細胞を造り出すことに成功したんだぞ。阿闍梨様の新しい生体だって……」

「とにかく今は緊急事態だ、だましだまし使っていくしかないだろう」


 そして彼らは、髑髏に向かってもう一度問いかけてみた。

「医療用アンドロイドD4−QP、教えてくれ。阿闍梨様を蘇生させるにはどうしたらいい?」

「ア、ア、アイデート……痛テッ!」


 髑髏が安置されている大型機械の裏側には、松江太夫が息を殺しながら身を潜めていた。彼女は、となりにしゃがんで髑髏の声色を真似ている松川鶴吉の耳を勢いよく引っ張った。

(おいこら! もっと、それらしいセリフを並べやがれ)

 松江太夫が目でそう叱りつけると、鶴吉は、冷房の効いた室内にもかかわらず、こめかみにつうっと冷や汗を滴らせた。

(そ、そんなこと言ったってよう……、俺ぁ、(おつむ)はそこそこ良いが、学はからっきし無えんだ)


 鶴吉と太夫は、蓮華阿闍梨の手下どもが宵闇に紛れてこの三番倉に髑髏を運び入れたとき、隙をついて一緒に忍び込んだのであった。髑髏は、からくり儀右衛門の手によってあらかじめ音声出力端子が外されていた……。

(弱っちまったなあ……、いっそ香具師(やし)の口上なら上手く言えるんだが)

 鶴吉は、何かそれっぽい言葉がないか懸命に頭をめぐらせた末、今さっき聞いたうろ覚えの言葉を口にしてみた。


「オ、オーサンショウオノ……、ケ、ケ、ケッセーヲ……、ニュウロク、シテクダセエ……」

「何……? D4−QP、もう一度言ってくれ」

「オーサンショウオノ……ケッセー」

 僧たちは、互いの顔を見合わせた。

「……どういうことだ? 大山椒魚の体液から造った血清を、今ここで阿闍梨様に打てというのか……?」

「しかし、あれはまだ試験段階だぞ、生体内(イン・ピボ)の実験にも成功していないし……」

「でも、今までD4−QP(こいつ)の言う通りにやって失敗した事はないんだ。何せ、我々の生きていた時代の医療データを余すことなくインプットしてあるからな……」

 そのとき、無菌室から「おうい、まだか?」という切迫した叫び声がした。二人の僧は、互いの顔を見合わせながら意を決したようにうなずいた。

「よし、D4−QP(こいつ)に賭けてみよう!」


 二人の僧がいなくなると、鶴吉は、さっそく松江太夫によって、さっきとは反対側の耳を引っ張られながら厳しく責め立てられた。

「この、おたんこなす! すっとこどっこい! なに訳の分かんないことばかり言ってんだよ」

「だ、だってよう太夫……、あいつら、伴天連(ばてれん)みてえな言葉ばかり喋りやがるし……」

「奴らを、この髑髏を使ってだまくらかし、一網打尽にしようってえ魂胆なんだ、あんたが上手くやってくれなきゃ困るじゃないか」

「……なあ太夫、涙を呑んで、ここはひとまず引き揚げましょうや、明晩にでもまた再起をはかるとしてさ……」

「ばかっ! 何が涙を呑んでだいこの俵録玉(ひょうろくだま)っ! お玉ちゃんをこんな所に残して引き揚げられる訳ないだろ!」

 鶴吉は、情けない顔をしてうへいと首をすくめた。


 一方、ビニルテントの無菌室では、心電図のモニタを食い入るように見つめていた僧たちの間から歓喜の声が上がっていた。

「やった! 阿闍梨様の心臓が動き出したぞ」

「やはり医療用アンドロイドの言うことは正しかったんだ」

 例の血清を静脈に注射した途端、鞭がしなるように心電図の波形が動き出し、土気色だった蓮華阿闍梨の顔に徐々に赤みがさしていった。やがて彼は、ゆっくりと瞼を持ち上げ充血した目を数回瞬いた……。


「あ、阿闍梨様、お目覚めになったのですね……。ああ、良かった、一時はどうなる事かと……」

「新しい体を得られたご気分はいかがですか? いま人工呼吸器の挿管を外します」

 口々に喜びの言葉を投げかける弟子たちの顔をぐるーりと見回した後、蓮華阿闍梨はおもむろに上体を起こした。

「い、いけませんよ阿闍梨様、もうしばらく安静にしていなければ」

 その言葉を無視して、蓮華阿闍梨は、憑かれたように己の体中をまさぐった……。

「は……ははは……これが、これが俺か? 俺の体なのかっ!? ふふふ……素晴らしい! 実に素晴らしいぞ! ははははーっ!」


 やがて彼は、輸血用チューブを乱暴に引き抜くと手術台の横に立ち上がり、自分の股間を覗き込んで狂喜した。

「性器だ……わたしの性器がここにあるぞ……ひ……ひひ……ひひひひひ……」

「あ、阿闍梨様……、いま点滴の準備をしますので、もう一度横になってください」

 戸惑いながら語りかける白衣の僧の襟首を締め上げ、蓮華阿闍梨は、口の端から涎の糸を引きながら喚いた。

「女だ……女だ、女だ、女だ、女だーっ! 女を連れてこい、今すぐ女をここに連れてくるのだ。ひーひっひっひ! 私の……私の性器が、私の遺伝子が女の体を求めている……」

「だ、だ、駄目ですよ阿闍梨様、今はまず体力を回復しなくては……」

 必死に阿闍梨をなだめようとする弟子の僧を乱暴に払いのけると、彼は爬虫類じみた目をぎらつかせて呟いた。

「…………そういえば腹減ったな」

 次の瞬間、そこにいる全員の表情が凍り付いた。

 蓮華阿闍梨の口から鞭のように伸びた赤い舌が天井を這う一匹の蜘蛛を捕らえ、たちまち己の口に引きずり込むとそのまま飲み込んだのである。

 彼の左右の目は、完全に別々の方向を見ていた……。


「……あ、あ、あ、阿闍梨様」

 恐れおののく弟子の僧たちを前に、表情一つ変えず口の中にある蜘蛛をくちゃくちゃと咀嚼(そしゃく)していた蓮華阿闍梨は、やがてそれをごくんと飲み下すと感情のない虚ろな視線をぐるりと巡らせた。

「ふしゅるるる……、食い足りねえええぞ。もっと、もっと、もっと食てええええぞ」

「ひいっ!」

 阿闍梨の顔を覗き込んだ僧が、その場にへたりこんで失禁した。理知的だった蓮華阿闍梨の風貌は、今や純然たる生存本能に支配された下等生物のものと成り果てていたのだ……。


「たーんぱーく質がああ、欲っしいいいいいぞおおおおお」


 間の抜けた声でそう叫んだ途端、阿闍梨の背骨がめりめりと音を立てて変形し始めた。

 巨大な(こぶ)を背負い込むように膨れあがった背面から剛毛に覆われた赤黒い腕が何本も突き出し、その鋭い鈎爪で周囲にいた僧の体をがっちりと掴んだ。やがて捕らえた獲物をその怪力で口元まで引きずると、まるでリンゴでも囓るようにばりばりと音を立てて喰い始めた。

「ひいいいいいっ! 止め止め止め止め止めてえええええっ!」

「たたた、大変だーっ! 阿闍梨様の体が、キメラ化したぞーっ!」


 阿修羅のごとく何本もの腕を生やし、かつての部下達を生理的欲求の赴くままに捕食する化け物となった蓮華阿闍梨の浅ましい姿を見て、他の者たちは転げるようにしてその場から逃げ出した。

 そんな様子をしり目に、蓮華阿闍梨の四つある邪眼の一つは、部屋の隅に全裸で横たわるお玉の姿をしっかり捉えていたのであった……。




 次回へ……。


[閉伊琢司からのコメント]

 人の受精卵が卵割をはじめ、やがて胚盤胞となるとき、その中に内部細胞塊というものが出来ます。この内部細胞塊を構成するのは多能性幹細胞といって、人体のどんな部分にでも変化しうるマルチ細胞なのです。この多能性幹細胞を利用して、人体の負傷部分や疾患部分を新しく作り直してしまおうというのが再生医学の元となった考え方です。そう遠くない将来、自分自身の体から採取した細胞を培養してつくった器官や組織を、癌などに侵された部分と交換してしまうなんてことが可能になるかもしれませんね。

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