お父っつぁんの遺伝子
十五、
「ちょっと、お玉ちゃん! あんた、どうして今までその事を黙ってたんだい?」
女中部屋のすり切れた畳の上でお玉と膝を突き合わせながら、おたきが例の腫れぼったい目にぐっと力を込めた。
「水くさいじゃないか、あたしゃ、何かあったら直ぐに相談しなって言ったはずだよ」
お玉は、俯いたまま消え入りそうな声で答えた。
「ごめんなさい……、あたし、平次さんに口止めされていて、それで……」
おたきは、子供の頃から目付きが悪い。
普通にしていても何だか怒ってるみたいだし、笑ってみてもちっとも嬉しそうに見えない。でも、彼女と付き合いの長い者なら、やぶ睨みの瞳のその奥が暖かい慈愛の光に満ちている事に気付くはずだ。
「うちの旦那様にも困ったもんだ。道楽で散財してるうちはいいけれど、妖しげな連中と付き合って御上に目を付けられるようじゃ、この吉屋もどうやら先が知れたね」
「妖しげな連中…………おたきさんは、あのお坊さまたちの事を御存知なんですか?」
庭でキリギリスが鳴きはじめた。
「さあねえ、どこの寺から押しかけてきたものか…………」
おたきは、太い腕をゆっくりと胸の前で組み、表情を曇らせたまま目を閉じた。
「……八年ほど前になるかねえ、旦那様が古い寺社地址から奇妙なものを掘り出してさ、何でも黄金で出来たしゃれこうべだっていうけれど、それが結局何だったのか、あたしゃ知らないんだ。でも、その直後だったねえ……やつらがこの吉屋にやって来たのは……。あたしゃあね、一目見て胡散くさい連中だと分かったよ。だけれど旦那様は、やつらに心酔し、結局、あの離れ家に住まわせることにしちまったのさ……」
「奉公人が亡くなり始めたのは、その時からだったんじゃないですか……?」
「そう言われてみれば、その通りだねえ……、もっと早く気付くべきだったよ」
「…………もしかしたら平次さん、何か良からぬことに巻き込まれてるんじゃ……?」
「さあ、それはどうだか……」
おたきは、ちょっと眉根をよせて考え込んでいたが、やがて太いため息をついて立ち上がると、お玉の肩にぽんと手を乗せた。
「ちょっと平次さんに事情を聞いてくるよ。お玉ちゃん、あんた、この話のケリが付くまで、いったん実家に帰ってな」
「えっ? でも……」
「もし、あんたの言う通り、うちにいた女中があの坊主どもに殺されていたとしたら……、そして、あの松江とかいうおきゃんな娘が御用の筋の者だったら、この先、きっともう一騒動あるに違いないさ。その時あたしゃ、あんたを守ってやれる自信がないよ。だからさ……旦那様にはあたしが話しておくから」
そう言い残すと、おたきは、お玉の返事を待たずに部屋を出ていってしまった。
お玉がどうしたものかと考えあぐねていると、入れ替わるように吉屋喜兵衛が、その憔悴しきった血色の悪い顔を覗かせた。
「ちょっと、お前、番頭の四郎兵衛を見なかったかい?」
「あっ、旦那様、おはようございます。今日は朝から見掛けておりませんが……」
「そうかい、この忙しいのに困った奴だ。あんた……お玉さんだったね? 悪いが番頭を探して私が呼んでいたと伝えてきてくれないか。おそらく倉の方にでもいると思うんだが……」
そう言い残すと、喜兵衛もまた、お玉の返事を聞かずにそそくさと廊下の向こうに消えてしまった。後に残されたお玉は、困惑したとき無意識にやってしまう小さい頃からのくせで、しきりに自分のほっぺたをつねっていた。
「困ったわ……。このまま店を出て行くわけにもいかないし……」
お玉は、逡巡した挙げ句、とりあえず四郎兵衛を探しに倉の方へ行ってみる事にした。
吉屋には八つの倉がある。
一番倉と二番倉は、かなり古い時代に建てられたもので、使わなくなった家財道具などが埃を被ったまま押し込められていた。ここには大掃除のとき以外、滅多に店の者が立ち入る事はない。
一方、四番から八番までの倉は、堀割に面した場所に建てられた水油の倉庫で、船から下ろした積み荷を管理するため、常に当番の手代が何人か詰めていた。
お玉は、まずこの油倉庫から探してみることにした。
廻船が着くたび賑やかに人足や商人たちが出入りするこれらの倉では、早朝から多くの奉公人たちが忙しく立ち働いている。ひょっとして平次に逢えるのではと期待したお玉であったが、どの倉を探しても彼の姿は見当たらなかった。
仕方なく、四番倉の帳場にいた年配の手代に四郎兵衛の所在を訊ねてみると、
「番頭さんなら、ちょうどいま私たちも探していたところさ。なんせあの人が、通い帳やら倉の鍵やらをみんな持ち歩いているから困ってるんだ……」
「ここには、まったく顔を見せていないのですか?」
「何せいそがしい人だからねえ……。すまないが、もし見かけたらここにも顔を出すよう伝えておくれ」
――ここには、いないようね……。
次に彼女は、一番倉と二番倉へ向かった。
それは、屋敷裏手の雑木が生い茂った片隅にある。苔むした土蔵造りの倉には、常にしっかりと南京錠が下ろされていた。鉄格子の付いた小さな明かり取りの窓から中の様子を覗いてみたが、真っ暗な倉庫の中に人のいる気配はない。
――ここも違う……。
残るは、三番倉だけである。
「……ここの三番倉は、何だかとっても怪しいって松江さんが言ってたわ。おたきさんにも近付くなって念を押されたし……。どうしようかしら?」
一瞬、お玉の脳裏をお小夜の悲惨な死顔がかすめ、彼女はぶるっと身震いした。しかし厄介な事に、この可愛らしい娘の中には、確実に岡っ引き藤次の遺伝子が受け継がれていたのだ……。
――濡れぬ先こそ露をも厭え……って、お父っつぁんがよく言ってたわ……意味は、良く分かんないけど……。
お玉は、晴天を突き上げる入道雲のいただきを仰いですうっと大きく息を吸い込んだ。
鳶の鳴くこえが耳に心地よい。
そうして今度は目を閉じたままゆっくりと息を吐き出した。
両の拳をぐっと握りしめる……。
――行こう! 行って、あたしのこの目で確かめよう!
そう覚悟を決めると、彼女は、猫のように円らな瞳を油断なく光らせ、木陰に身を隠しながら一歩、また一歩と三番倉に近付いていった……。
吉屋の三番倉は、一種異様な雰囲気を漂わせている。
漆喰の壁は、全面が真っ黒く塗装され、窓の類は一切付いていない。かわりに通気用のダクトが等間隔に並び、屋根には一面太陽光発電のパネルが敷き詰められていた。
そして内部からは、絶えず何か得体の知れない動力音が低い唸り声となって漏れだしていた。
――あら、扉が開いているわ……?
いつもは厳重に施錠されている三番倉の重たい扉が、ほんのわずかだけ開いていた。誰かが慌てて中に入り閉め忘れたようだ。
お玉は、物音をさせないよう慎重に近付くと、扉の隙間からそっと中を覗き込んだ。内部からひんやりと漏れ出すエアコンの冷気がお玉の顔を撫でる。
彼女の視線の先、入り口からすぐの所に白衣を着た僧侶が二人、語気を荒げながら話し込んでいるのが見えた……。
「黒服の四人はともかく、用心棒をやられたのは痛かったな。あれを造るのにどれだけ苦労した事か……」
「我々が発見したときには、既に死亡していたのだ。だが、体細胞のサンプルは保存してあるから、母体さえ手に入ればいつでもクローンを造り出せる。そんな事より、逃げた連中の足取りがいっこうに掴めないようだが……」
「そろそろ、この施設も引き揚げた方が良さそうだな。今夜にでも、阿闍梨様の脳を新しい生体へ移植して、早々に機材を他所へ移すとしよう……」
「ふむ……。少し勿体ないが、ここは爆破して証拠を隠滅しなければなるまい」
――爆破ですって、大変! みんなに知らせなくちゃ……。
そう思って後ろを振り向いた途端、お玉の表情は凍り付いた。
いつの間にか薄ら笑いを浮かべた蓮華阿闍梨が立っていたのだ……。
次回へ……。