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クローニング

十四、


「表に四人…………裏にも一人いたな……」

 吉屋の裏庭にある石灯籠のかげに身を伏せ、永井兵庫が押し殺したような声で言った。

 陽に焼けた丸い顔がいくぶん強ばり、こめかみからふくよかな頬にかけてつうっと生温い汗が伝い落ちる……。

 わき上がる虫のこえと堀割を流れる涼しげな水音が、むうっと噎せるような夏草の匂いとともに辺りを押し包み、すでにうっすらと白みはじめた東の空では、家々の(いらか)を並べた地平線が水墨画のような濃淡を見せていた……。


「取りあえず、俺があの四人をやっつけるから……、その隙にあんたは、裏の方にいる奴を斬り伏せてくれ」

 そう言いながら、からくり儀右衛門があくびを噛み殺した。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ旦那あ、まさか本気でそいつをぶっ放すつもりですかい?」

「当たりめえじゃねえか。その為にわざわざこんな重たいもんを担いできたんだ」

「だけど、夜中にそんな大きな音をさせたら大騒ぎになるでしょう?」

「ふっふっふ、俺を誰だと思ってるんだ? からくり儀右衛門だぜ、そのくれえの事はちゃんと考えてるさ。こいつあな、そんじょそこらにある鉄砲とは鉄砲が違うんだ。いまからそいつを見せてやるから、恐れ入って小便ちびるんじゃあねえぞ」


 儀右衛門が肩に担いでいるのは全長四尺六寸あまり、銃身だけでも二尺四、五寸はある異形の銃だった。

 普通の種子島と明らかに違う点は、火縄、火挟み、火皿といった点火機構が一切無いことである。また、銃床が異常に大きく、二匁玉を込めた弾倉が二つ取り付けられていた。

「これは、圧縮空気の力で弾を飛ばす”風砲”ってんだ。阿蘭陀(おらんだ)から持ち込まれたものに、国友籐兵衛一貫斎という天才鍛冶師が改良を加えたものさ。火薬を使わねえから雨風も関係なく撃てるし、発砲音もごく小さくて済むんだ。へっへっへ、しかも二十連発ときたもんだ!」

 そう言いながら膝立ちの姿勢で風砲を構えると、離れ家を守る僧侶の一人に狙いを定め引き金を絞った。


 ――カシャンという鋭い打撃音が闇を裂いた。

 次の瞬間、四人いた僧侶のうち一人が短い悲鳴を上げながらもんどり打って宙を舞った。他の三人は、訳が分からず慌てふためいている……。

「どうだ、驚えたか?」

「……す、凄げえ」

「刀を振り回すばかりが能じゃねえってことよ」

 からくり儀右衛門は、自慢げに鼻をふふんと鳴らすと口の右端をつり上げてにいっと笑った。


「よし、どんどんいくぜ!」

 彼が再び風砲を放つと、次の標的となった僧侶は頭を撃ち抜かれ、離れ家の戸板を赤黒く汚しながら踏み潰された虫のように転がった。

 そして敵は、ようやくこちらの存在に気付いたらしく、何やら口汚く罵りながら十文字槍を振りかざし怒濤の勢いで駆け寄ってきた。

「おっと、こっちに来やがるぜ、危ねえ危ねえ。へっへっへ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い……ってね」

 言うが早いか、風砲の銃身が重たい反動を伝え、飛び出した二匁玉が迫り来る敵の一人を襲った。弾丸は敵の胸部を貫通し、撃たれた僧は、あっと槍を放り投げてそのままばったりと大の字に倒れた。

 しかし、その隙にもう一人の僧が素早く竹藪の中に飛び込んで姿をくらませたのだ。


「あっ、あれ? もう片方の奴が消えちまったぞ……」

 儀右衛門は、いささか狼狽して竹藪の中へやみくもに銃弾を放ったが、めくら撃ちでは敵に当たるはずもなく、舌打ちしながら風砲の銃身を下ろした。その途端、左手に広がる竹林の陰から先ほどの僧が黒衣の裾をひらめかせ、歯を剥きながら襲い掛かってきた。

「きえーっ!」

 獣じみた掛け声とともに繰り出された十文字槍の尖端が儀右衛門を襲った。

 彼は長躯を反らせ、すんでのところで攻撃をかわしが、敵は息つく暇を与えず、素早く槍を引くと更に踏み込んで必殺の第二撃を見舞った。

 ――いけねえ!

 避けきれないと悟った儀右衛門は、死を覚悟して両目を閉じた。

「えいっ!」

 刹那、闇にぎらっと白刃が閃いた。

 上方の名刀、津田助広の、俗に濤瀾刃と呼ばれる刃紋が、夜明け間近の薄明かりを反射したのだ。

 十文字槍は、儀右衛門の体を貫く前に三つに分断され、からんと小気味よい音をさせて草の上に転がった。

 あとには、血飛沫を上げて立ち尽くす敵が、沈みかけた宵月を睨みながら断末魔の呻きを漏らしているばかりであった……。


 永井兵庫が愛刀をぱちんと鞘に収めるのと、その足下に敵がどうと倒れるのとが同時だった……。

「どうです、旦那? 居合いの技も、まんざら捨てたもんじゃないでしょう」

「…………そうだな」

 儀右衛門は、青ざめた顔から滝のように吹き出す汗を何度も手のひらでぬぐった。


「よし、さっさと皆を助け出そう。そろそろ吉屋の奉公人たちが起き出す刻限だ」

 儀右衛門は、松江太夫たちを救出すべく離れ家の障子戸を蹴倒して中に突入した。しかし、縛られているはずの三人は、頭を寄せ合い何やら神妙な面持ちでひそひそと話し込んでいた。

「あれ? お前ぇら無事に縄を抜けてるじゃねえか。畜生、無理して助けにくることなかったぜ。おかげで、こっちあ死ぬ目に遭ったんだ」

「おやまあ、儀右衛門の旦那、ちょうど良いところに来てくれたもんね。ちょいとこれをご覧になってよ」

 松江太夫の膝の上には、金色の髑髏が大切そうに乗せられていた。その髑髏が儀右衛門に向かって言った。

「IDト、パスワードヲ、入力シテ下サイ……」

「な、何だ、こりゃ……?」

「さっきからこれしか言わないんですよ」

「医療処置ガ必要ナカタハ、IDト、パスワードヲ、入力シテ下サイ……」

「一体、何の事だか分かります?」

「うーん……、阿蘭陀や英吉利の言葉なら少しは分かるんだが……。それにしても面白いなあ、生首が喋るなんて……。一体どういう仕組みになってんだ?」

 儀右衛門は、松江太夫から髑髏を受け取ると興味深そうにその顔や頭部を撫で回した。

「坊主ども、こいつの言う事をいちいち有り難がって聞いていたそうですぜ」

「ほう……、(いわし)の頭も信心から、というやつか?」


 そんな様子をぼんやり眺めていた松江太夫が、不意に何かを思いついたように言った。

「ねえ鶴吉、あんた、この声が出せるかい?」

「この声って……どの声?」

「じれったいね、この声だよ!」

「IDト、パスワードヲ、入力シテ下サイ……」


 同じ頃、離れ家の裏手では永井兵庫が、蛇に睨まれた蛙のように脂汗を垂らしていた……。

 ――こいつあ、いけねえ……。この野郎は、あの生臭坊主なんかとはわけが違うぞ……。

 彼が対峙しているのは、垢じみた小袖と野袴に身を包んだ浪人風の男であった。

 ぼさぼさの蓬髪が陽に焼けて縮れ上がり、伸び放題の汚らしい髭が冷酷そうな口元を覆っている。猛禽のようにつり上がった瞳は、涅槃(ねはん)図の釈迦のように半眼を閉じたままどこか遠くを見つめていた。

 そして、右手にだらりと下げた切れ味の良さそうな抜き身が、うっすらと白みはじめた夜明け間近の闇に不気味な反射光を送っていた……。


 ――俺あ、今まで名人上手とうたわれる人間を大勢見てきたが、こんなにモノ凄いやつあ初めてだ……。よくて相討ち……、下手すりゃあ、俺の素っ首が胴から離れて地べたを転がるぞ……。

 男の剣気に飲まれながらも、永井兵庫は、渾身の気力を振り絞って刀の柄に手をかけた。

「やめておけ」

 地底から沸き上がるような声だ。

「貴様のごとき腕で、俺を斬れるはずがない……。何故なら、この俺の体には、究極の三剣士の遺伝子情報がクローニングされているのだ」

「なにおう!? 苦労人だあ? へっ、笑わせるない。自慢じゃあねえが、こちとら、おぎゃあと生まれ出てから今日の今日まで苦労のしっぱなしよ! べらぼうめえ! 四の五のぬかしてねえで、とっとと掛かってきやがれ!」

 永井兵庫は、大きく踏み出して斬撃の間合いに入ると、抜き打ちの太刀を一閃させた。

 ――なむさん!


 男がにやりと笑った……。

 兵庫には知る由もなかったが、この男の体には、塚原卜伝、宮本武蔵、伊藤一刀斎という伝説的な兵法者のゲノムDNAがコピーされていたのだ。

「やっ!」

 白刃が風を切って唸り、打ち上げ花火のように夜空に血煙が舞った。

「うぐ……」

 倒れたのは男の方であった……。

 彼は、刀を振り上げることもなく木偶のように斬られて夏草の上に沈んだのである。


 あまりの手応えのなさに、兵庫は、あっけに取られたまま、しばしのあいだ目を瞬かせていた。

「な、なんでい、拍子抜けするなあ……。見かけばかりの空大名ってやつか?」


 ――居合いの勝負は、一瞬で片が付く。


 それは、頭で考えて行うものではない。敵の刀の軌道を視覚でとらえ、その対処法を脳で分析してから行動したのではとうてい間に合わないのだ。

 敵が動くとほぼ同時に、こちらも反射的に動いていなければならない。

 ――頭ではない、おのれの体に刻み込まれた遺伝子の記憶そのものが直接、五体を突き動かすのだ。


 今、逆袈裟に斬り上げた永井兵庫の攻撃に対し、男の体内に宿る三人の兵法者の遺伝子が反射的に指示を出した。

 塚原卜伝は、半歩退いて敵の刃をかわしざまにその手首を斬り落とせと命じた……。

 宮本武蔵は、敵よりも一瞬早く踏み込んで車から回した太刀で胴を両断せよと命じた……。

 そして、伊藤一刀斎は、半身になって敵の太刀を受け流し、返す刀で敵の頸動脈を一閃せよと命じたのであった……。


 同時に、異なる三つの指示を受けてしまった男の体は、結局、三すくみとなり、動きを封じられてしまったのだ。

 船頭多くして船山に上る……、彼は、この(ことわざ)を遺伝子レベルで実践してしまったのであった……。


「けっ、馬鹿馬鹿しい……」




 次回へ……。


[閉伊琢司からのコメント]

 風砲とは、いわゆる空気銃のことです。ニュールンベルグにおいて戦争目的で開発されたのは17世紀初頭のことですが、初期のものは1発目を発射すると圧縮空気が減少してしまい2発目からは射程距離、命中精度ともに半減したため戦争ではあまり使われなかったらしいです。日本では、文政元年に国友村の鍛冶師である一貫斎がオランダより将軍に献上された風砲をモデルに、弾の威力を落とさずに20連発できる風砲を開発し評判となりました。技術屋魂によってオリジナルより優れたコピー商品を作るのは、当時から日本の十八番だったのですね。

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