髑髏本尊
十三、
「痛てて、痛てててて……」
「どしたい太夫、癪でも起こったかい?」
「……へっ、どうせ片腹痛いとか言うんでしょ?」
荒縄で、ぐるぐると縛り上げられたまま額に脂汗を浮かべ、蛇のようにくねっている松江太夫を、早川虎之助と松川鶴吉の二人が投げやりな口調でからかった。
三人は、吉屋の離れ家に押し込められ、手足を厳重に縛られたうえで湿気った畳の上に無造作に転がされていた。辺りには辛気くさい線香の匂いが立ち込め、ふだんから雨戸を立て切っているのであろう、息苦しく淀んだ空気に満ちていた。
夜が明けるまでには、まだ四半刻ほどある。
小さな格子窓から差し込む仄明かりが護摩壇に並ぶ法具の数々をぼんやりと照らし出し、漆箔のごとく闇に金や銀の輪郭を浮かび上がらせていた。
「て、てめえらなあ……。あたしゃ、いま縄抜けするために肩の関節を外してるんだ、茶化すんじゃあないよ、こん畜生め!」
そう言って松江太夫は、苦悶の表情に渾身の力を込めて身をよじりながら切ない呻き声を漏らした。
「…………あの生臭坊主どもめ……念入りに縛りやがって……畜生、今にどうするか……覚えてやがれ」
そう呪詛の言葉を漏らし、その後もしばらくのあいだ「痛てて」と「畜生」を繰り返しながらくねっていたが、最後には何とか自力で縄目を解くことに成功した。
「ふう……、玉の肌に痛々しい縄の跡がついちまった」
彼女は、一度大きく深呼吸してから外した肩の関節を入れ直すと、二の腕に激しく食い込んでいた縄の跡を指でさすりながら安堵の吐息を漏らした。
「おっ、太夫、まんまと縄を抜けたようじゃねえか。さすがは松江太夫だぜ。さっ、早ええとこ俺の縄も解いてくんな」
「へっへっへ、助かった。俺あ、そろそろ辛抱が切れてきたとこだったんだ。ほんっと太夫は頼りになるねえ……」
薄闇の中から二人の喜ぶ声が聞こえたが、松江太夫は、あえてそれを無視して護摩壇の方へ向かった……。
秘境に埋もれ、風化した古代寺院のようにその機能を停止して静まりかえる護摩壇は、その陰々滅々たる雰囲気の中にも、やはり底知れぬ摩訶不思議な力を秘めているように感じられ、松江太夫は、思わず肩をすくめてぶるっと身震いをした。
”護摩”とはサンスクリット語の”ホーマー”、すなわちバラモン教の火神アグニがもたらす火炎による一切の浄化を意味している。
中央に置かれた護摩炉は、祈願する内容によってその形が使い分けられる。
息災を祈るのであれば円形、金銭的な御利益であれば正方形、怨敵調伏などは三角形だ。――そして、今この壇上には八葉形の護摩炉が置かれている……。
八葉形の護摩炉で祈るものは……すなわち男女の和合であった。
「こいつあ、立派なもんだ。油問屋の離れにこんな大袈裟な護摩壇が祀ってあるなんて、こいつあ御釈迦様でも知らぬ仏の……」
そこまで言いかけて、太夫は、思わず息を呑んだ。
……と同時に、彼女の視線は、供物や法具の並ぶ壇上のある一点に釘付けになったのだ。
「…………お、おい……これは」
そこには、金色に輝く人間の首があった。
顔も、頭皮も、耳たぶに至るまで全てが黄金色の素材で出来たその顔は、冷たい輝きを放つ水晶のような眼球を半眼にして、まるで瞑想にふける行者のように涼しげな表情を保っていた。
「おい…………虎之助、こいつがあんたの言ってた、喋る髑髏ってやつかい……?」
「……ああ、その通りだ。そいつがクソ坊主ども相手にあれこれ指示を出しているところを、俺ぁこの目で見たんだ……。なあ、そんな事より、意地悪しねえで早くこいつを解いてくれよう」
媚びた目で哀願する虎之助と鶴吉を無視して、松江太夫は、そのヒンヤリとした金属の感触を伝える髑髏の頭部をそっと指先で撫でた。
「こんなものが喋るわけないよねえ……。きっとどこかに人が隠れていて、こいつが喋ったように見せかけていたんだ……」
そう言って、松江太夫が力なく笑ったそのときである。
「IDト、パスワードヲ、入力シテ下サイ……」
「わあっ! しゃ、しゃ、喋ったーっ!!」
松江太夫は、でんと尻餅をつくと、そのままの格好でザザザッと畳の上に尻を滑らせながら勢いよく後退った。
「ば、化けもんだっ! しゃれこうべの化けもんが喋ったっ! おいっ! おい、どうするよ!? おいってば……」
彼女は、芋虫のように縛られて身動きの取れない早川虎之助に取りすがると、その体を両手で激しく揺すった。
「おい、こら寝てないで起きろ、虎之助! しゃれこうべが喋ったんだぞ! あの、しゃれこうべが……」
「ひゃひゃひゃ! 太夫、止めてくれ、くすぐったいってば!」
大騒ぎする彼らを前にして、髑髏に埋め込まれた眼球がキュイーンというモーター音をさせながらゆっくり視線を巡らせ、やがて恐怖におののく松江太夫の顔にピタリと焦点を合わせた。
「医療処置ガ必要ナカタハ、IDト、パスワードヲ、入力シテ下サイ……」
次回へ……。
[閉伊琢司からのコメント]
髑髏本尊にするしゃれこうべは、誰のモノでも良いという訳ではありません。一番良いのは学識のある高僧のもので、二番目が修行によって験力を身に付けた行者、三番目が国王、四番目が将軍、五番目が大臣となり、その後は、長者、父、母、千頂、法界髑となります。千頂と法界髑は、複雑な呪法を用いて作り出す髑髏で、墓場から掘り出す日にちや個数が厳密に決められています。