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ファクトリー

十一、


 吉屋の三番倉は、漆喰(しっくい)で塗り固められた頑丈な壁で出来ていた。

 柿葺(こけらぶ)きの屋根を覆いつくす太陽光発電のパネルが、白く透きとおる半月の仄明かりを照り返しているほかは、ごくありふれた古めかしい土蔵造りである。

 しかし、ひとたびその内部に足を踏み入れたなら様相は一変し、壁、床、天井ともに全てが真っ白いエポキシ樹枝で塗装され、まばゆいほどのハロゲン光に満たされていた。

 そして、壁際にびっしりと並んだ精密機械と、それを上回る数の生体培養装置が、天井から束になって下りる電気ケーブル群と複雑に繋がっていた……。


 松江太夫は、すぐ横にあるバイオリアクターの覗き窓から、中に浮かぶ不気味な物体を見つけて思わず顔をしかめた。装置内部を満たす薄緑色の培養液には、蜥蜴(とかげ)ほどの大きさをした人間の胎児が、(へそ)の緒の代わりのエチレンのチューブに繋がれ、ぷかぷかと漂っていたのだ……。


「おい……、ちょっと番頭、これは何だ?」

 ふだんは陽気な松江太夫も、さすがにこの光景には肝を冷やしたようで、険しい顔つきをしていた。

「あたしには、まだ母親の腹ん中にいる嬰児に見えるけど……」

 四郎兵衛は、ずらりと並んだ培養装置のケースに向かって手を合わせ何やらぶつぶつと念仏を唱えていたが、松江太夫の問いに、えへんと大きく咳払いしてから厳かに答えた。

「それは額部曇(アブドン)です」

「あぼどん……だって?」

「いえアブドン、すなわち命の皰です。男女の結合によって生じた伽羅藍(カララン)の白滞から骨が、赤滞から肉が造られ、やがてそれは成長して合掌した胎児の姿となるのです」

「言ってる事がさっぱり分かんねえよ。じゃあ、このおびただしい数の臓物は一体何だ? まさか酢の物にして食おうってんじゃないだろうね……?」

 松江太夫は、ずらりと並んだ円筒形のケースに浮かぶ不気味な臓器の群をさして言った。

「これは閉戸(ヘイシ)すなわち初肉です。閉戸はやがて鍵南(ケンナン)となり、法然自覚、五部の仏智として如来を形作る体の一部となるのです」


 ――この野郎、すっかりイカれてやがる…………。


 そのとき松川鶴吉が、部屋の奥に立ち並ぶ大型機械のかげから、悲鳴を上げながら飛び出してきた。

「ひいいっ! な、な、何か凄いもんがありますよ。太夫! 太夫ーっ!」

 松江太夫と早川虎之助があわてて駆け寄ってみると、ひときわ大きな培養装置の中に、成人した男性の逞しい裸体が悠然と浮かんでいた。濃い眉の下にある双眸は静かに閉じられ、まるで眠っているようである……。

「に、人間じゃあないか……? おいっ、ちょっと……、番頭……」

 松江太夫が呼ぶとすぐに四郎兵衛がやって来て、その培養液に浸された男に向かい有難そうに手を合わせながら念仏を唱え始めた。


色清淨句是菩薩位 聲清淨句是菩薩位 香清淨句是菩薩位 味清淨句是菩薩位……


「おいこら、お経なんか上げてないで答えろ! こいつは誰だ? あんた達が殺した男の一人かい? おいってば!」

 すると横にいた早川虎之助があっと驚きの声を上げた。

「思い出した、あいつだ! この男は、離れ家で一番偉そうに振る舞っていたあの坊主だ。確か”れんかあじゃり”とか呼ばれていたぜ……」


 すると突然、戸口の方からその蓮華阿闍梨の低く凄みのある声がして、みなが一斉に振り向いた。

「それは、鉢羅奢伽(パラシャキャ)というのだ……。鉢羅奢伽とは、すなわち清浄なる菩薩の境地、仏果円満の形だ」

「……こいつあ驚いたよ、(うり)二つじゃないか」

 松江太夫は、培養液に浮かぶ男と戸口に立つ蓮華阿闍梨とを何度も見比べて、感嘆の声を上げた。


「まだ未完成だが、それは私の新しい体だ。何人たりとも近付くことは許さん」

 そう言い終わった刹那、蓮華阿闍梨の手元から青白い閃光がほとばしり、一直線に四郎兵衛の体を貫いた。甲高い悲鳴を上げ、バネ仕掛けのように飛び跳ねた四郎兵衛は、そのまま仰向けにひっくり返って白目を剥いたまま動かなくなった。殺された四郎兵衛の体からは何故か一滴の血も流れなかったが、その胸部には、床が見えるほどにはっきりとした風穴が空いていた……。

「ちょ、ちょっと、何て事するんだよ……。こいつあ、あんた達の仲間じゃないのか?」

 蓮華阿闍梨は、酷薄そうな唇を三日月の形にして笑った。その側らには左右四名ずつ、十文字槍を携えた僧が凄い形相でこちらを睨みつけている。


「この建物には、誰も近付けるなと言っておいたのだが……。まあ、昔から使えない奴だったし、いずれは口封じのために殺そうと思っていたのだ」

 阿闍梨の手には、不思議な形をした銃が握られていた。四郎兵衛のあっけない死に様からみても、かなりの威力を秘めた武器に違いない。松江太夫は、虎之助に匕首(あいくち)を捨てるよう小声で促した……。


「先に忠告しておくが、我々は、お前達などの手に負える存在ではないよ。なにせ七百年も昔からこうして生き続けているし、この先、千年もの長きを生き続ける宿命を背負った身なのだからな……」

 そう言いながら蓮華阿闍梨は、松江太夫たち三人を取り押さえるよう他の僧達をうながした。すかさず黒衣をまとった屈強な僧が四人ほど駆け寄り、手にしていた荒縄で太夫たちの体を縛り上げた。それを見届けてから蓮華阿闍梨はゆっくりとした足取りで倉の中に入り、ガチャンと重たい扉を閉じた……。


「お前たちのような凡人には想像もつかないだろうが、我々は、今からおよそ千年先の未来からやって来たのだ。その時代に蔓延した遺伝病の治療法を探すためにね……。過去のさまざまな時代を旅し、その時代に生きる人間の遺伝子サンプルを採取していたのだ……」

 蓮華阿闍梨は、松江太夫の前まで来ると彼女の端正なあごを指でつまみ上げ、ぐいっと自分の方に振り向けた。とたんに彼女の顔に生臭い息が吹きかかる……。

「ところが、ちょっとした事故があってね……、我々は、元の世界に帰れなくなってしまったのだよ」

 松江太夫は、顔を振って阿闍梨の指を払いのけたが、彼は執拗に太夫のあごをつまんでは強引なやりかたで自分の方に振り向かせた。


「我々は、何としても採取した遺伝子サンプルを我々の生きていた時代へ届けたかった……。そして、みなで色々考えた末、その方法はたった一つしかない事に気付いたのだ…………。くっくっく……、そう、その方法とは、我々が生まれたその時代がやって来るまで、ずうっと生き続ける事さ……」

 太夫は、もう一度阿闍梨の指を払いのけると、彼の顔を斜に睨みつけながら言った。

「あんたの言ってる事は、ちんぷんかんぷんでよく分かんないよ! 人は神様じゃあないんだ、千年ものあいだ生き続ける事なんて出来るもんか」

「確かに……人間の体は、百年とたたないうちにボロボロになってしまう……。だから我々は…………」

 蓮華阿闍梨は、突然、身にまとっていた絢爛な金糸の僧衣を脱ぎ捨てた。

「こうやって、体の部品をつねに新しいものと交換しながら、数百年という気の遠くなるような年月を生き続けてきたのだ」

「ああっ!」

 松江太夫は、驚きの声をあげた。蓮華阿闍梨の体には至るところに縫合の跡があり、その皮膚は、まるで古着のようにつぎはぎだらけだったのだ……。


 彼は、両手を大きく拡げて天井を仰ぎ、歓喜の表情で倉の中をぐるりと見渡した。

「ここは、我々のファクトリーだ! 日々、我々の体を製造し続ける! 我々は、常に古くなった体を新しい部品と交換する事が出来るのだ!」

「……狂ってる」

 虎之助が嫌悪のこもった声で囁いたが、松江太夫が厳しい目でそれを制した。その様子を見ていた蓮華阿闍梨は、薄気味の悪い笑みを口元にたたえながら、もう一度松江太夫の形の良いあごをぐいっと力任せに掴んだ。

 彼女の美しい顔が苦痛で歪む……。

「……しかし、お前達のような無知な輩は知るまいが、生体移植には免疫拒絶反応というものがあってね……、我々は絶えずそれに苦しめられてきたのだ……。免疫抑制剤を長年投与し続けた事により、我々の生殖機能は完全に失われてしまった……」

 蓮華阿闍梨の生殖器は、紫色に変色したまま壊死(えし)していた……。


「しかし!」

 と阿闍梨は声の調子を上げた。その表情は嬉々としながらも、目は死んだ魚のようにどろりと濁っていた。

「我々は、遂に手に入れたのだよ! 究極の生体をね……。未受精卵に、我々自身の体から採取した体細胞の核を直接移植する事で、ヒトクローンES細胞を造り出すことに成功したのだ。もう、免疫拒絶反応に苦しむこともない。いや、それどころか培養したヒトクローンES細胞をもう一度母体に戻せば、我々自身のクローン人間だって造り出せるのだ! はーっはっはっは! 凄い事じゃあないか! だって、そうだろ? 我々は、もはや神と同格の存在なのだから!」


 恍惚の表情で語り続ける蓮華阿闍梨をしり目に、早川虎之助がぼそりとつぶやいた。

「ねえ、太夫……。あの野郎、さっきから一体何を喋ってやがるんです?」

「さあね……。なんせ、あたしゃ坊主と地頭にだけは逆らわないようにしてるんだ……」

「…………ひょっとすると、俺たちぁ、えらいもんに首を突っ込んじまったようですね?」

「どうやら、そうみたいだね……いつもの事だけど…………」

 松江太夫は、少しでも縁起(げん)が良くなるようにと気合いをこめて息んでみたが今度は放屁することが出来ず、代わりに、はあと太いため息をついた。

「仕方ないさ……、これがあたしの性分なんだ」

「だから俺ぁ、はなっから止めようと言ったんだ……」

 泣き言を口にする松川鶴吉に冷たい一瞥をくれておいて、松江太夫は、勝ち気そうな眉にかかる切り前髪を揺らしながら、ふんとそっぽを向いた……。


「こいつらは、いったん離れ家の方にでも押し込めておけ。女は、被検体として卵子を採取し、クローン人間の母体とする。男の方は……そうだな、生体内(イン・ビボ)の実験にでも使おう。どちらにしても、もうすぐ夜が明ける。殺すのは明晩だ。連れて行け!」

「はい」


 ――おいおい、あんまり調子に乗ってんじゃないよ。

 松江太夫は、心の中で独り()ちた……。




 次回へ……。


[閉伊琢司からのコメント]

 ヒトクローンES細胞とは、未受精卵の力を借りてヒトの体細胞から作りだした多能性幹細胞の事で、これを使えば免疫拒絶反応のない生体移植が可能とされています。しかし、未受精卵の使用が倫理的な問題に抵触するため、その代用品としてiPS細胞というものが研究されています。iPS細胞とは、またの名を誘導多能性幹細胞といい、体細胞の塩基配列を未受精卵の力を借りず人工的に初期化して造られる多能性幹細胞の事です。いま、再生医学の最先端技術として注目されています。

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