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ツイッタリア戦姫譚Ⅲ

3 契りと血筋


 ステンドグラスから差し込む光に輝く白亜の間。


 赤子を抱きかかえる天使の意匠のステンドグラスは、ツイッタリア帝国建国の祖と、それを守護する天使を讃える物だ。


 その光は神の恩恵を与え、人々を導くとされている。


 はたして、その天使の手から一度すり落ちた私に、血のつながりを否定されていた私に、その恩恵はあるのだろうか。


 そんな思いと短剣を抱きながら血の色に似た赤の絨毯をゆっくり踏みしめ、玉座に近づく。


 玉座に座るのは、ツイッタリア臣民の畏敬の対象であり、黄金の守護者として大陸中に名を馳せたエルレーネ=ローゼンブルグ=ツイッタリア皇帝陛下。


 私は慣れないヒールに苦労しながらも形式通りに皇帝の前に跪き、首を垂れる。


「汝、面を上げよ」


 大理石で造られた空間に冷たく響く言葉。


 数々の策謀を巡らせ、あらゆる暴力を振るい、権力を欲しいままに帝国の最大版図を築いた女帝。私の人生を2度も狂わせた張本人。


 いったい、どんな性悪で欲深い人間であるのかと女帝を見ると、苦悩で刻まれた皺の中に穏やかな笑みを湛えていた。


 しかし、黄金の守護者の由来となった金髪は艶のない白髪となり、幾重にも折り重なる絢爛な皇帝衣装から覗く素肌は痩せ衰え、もはや骨と皮しかない。


 豪奢で荘厳な謁見の間で、か細い呼吸をする皇帝の姿は、過去の栄光に縋りながら国体を保つツイッタリアの現状そのものだった。


「そう畏まらずともよい。我が求めに応じ、よく来てくれた。アンネローゼよ」


「恐れながら、陛下。私の名前はアンナでございます」


「アンナ=ブロック。市井では、その名で暮らしておったそうな。さぞ苦労をしたことであろう。人払いは済ませておるから遠慮はいらぬ。さぁ、近くへ参れ」


 女帝の柔らかな言葉と態度に私は躊躇する。


 女帝の言う通り、謁見の間には護衛の兵士がいなかった。


 傍に控えているのは先ほど案内してくれた老執事のみだが、彼は払うべき人ではないということだろうか。


「流石に、エルウィンのように祖母に甘えてくるなど出来ぬ話よな」


 女帝は玉座より立ち上がり、私に歩み寄ってくるが、その足取りはたどたどしく、よろめき倒れそうになる。慌てて身体を支えようとした時には老執事が支えていた。


「陛下。御無理をなさいますな」


 支えようとして行き場を失っていた私の手を女帝が握りしめる。弱々しいが、放さないという意思を感じさせる手。そして、縋るような蒼の瞳に、そのまま玉座の横へ連れていかれる。


「まず、我が祖母を名乗るにあたって、汝に謝らなければならんな。我は息子と息子の愛した女を祝福してやれなかった母親じゃ。個人の幸せよりも、国としての幸せの在り方を選んだ」


 私が生まれたとされる時期と刻を同じくして、多くの者に祝福された王族の婚姻が私達から祝福を奪った。


「隣国の姫殿下との縁談が舞い込み、戦争の気配がする中でのことでした。そんな中で、皇太子殿下の身分違いの娘の恋物語など他国に付け込まれる隙となりかねなかったのでしょう。その甲斐あって、戦には勝てたようですが」


 皮肉をたっぷりと塗りたくった言葉に何か反応があるかと思ったが、女帝の手は振り払われることもなく、穏やかに熱を伝えるだけだった。


「確かに西のフェイスブルクとの同盟を得て南方のインスタ戦役は完勝であった。しかしながら、我が息子達の婚姻は決して幸せとは言えなかった。息子の心は汝の母親に奪われたまま、隣国より嫁いできたテレジアは伴侶の愛の行方に戸惑い、なかなか世継ぎを授かれなかった。それは辛い日々であったと思う。ようやく誕生したエルウィンがどれだけ彼女の救いとなったか」


 その愛とやらの行方に戸惑うのは私も同じだ。今になって、本当は父が母を想っていたなど聞かされたところでどうしようもない。


「しかし、我が王道と信じ、進んできた道の代償として血の晩餐会などという狂気を生み、そのエルウィンにも過酷な運命を負わせてしまった。我が親愛なる臣民も同様であろう」


 血の晩餐会、死神の宴とも呼ばれた宮殿襲撃事件。先の戦役で勲功目覚ましく、次期皇帝と目された皇太子の死を悲しんだ者もいただろうが、小躍りして喜んだ者達も少なからずいたことだろう。


「私欲にかられた貴族達の横暴と、好機と見た隣国の侵略により、今なお私達から日常の幸せが奪われております」


 私の故郷で目にする国旗は1つだけではなかった。度々入れ替わる軍隊、その度に行われる徴発。なけなしの食料だけでなく、そこでは人の尊厳が毟り取られた。


 笑顔の消えた孤児院は日の当たらない檻の中そのものだった。


「そして、ここには私達から奪われ、渇望しても手に入らない全てがあります。温かい食事、煌びやかな衣装と住居、略奪を拒む城壁と兵士。そんな安穏な環境で玉座にふんぞり返る者が私達の運命を『同様』の一言で片づけるか!」


 激情に身を任せ、懐に入れていた短剣に手を伸ばした瞬間、私の首筋に冷たい感触が伝わる。


「姫様、それはなりませんぞ」


 細身の刀身を握る老執事が子どものいたずらをたしなめる調子で言葉を紡ぐが、放たれる殺気の鋭さは刀身のそれを超越していた。


 永遠のように感じる重い空気の中で、私はただ死を予感していた。


「よい、アーデル。気の済むようににさせよ。その刃には我の心臓を抉る権利がある」


 女帝の言葉に恭しく首を垂れて下がる老執事の姿を見て、ようやく呼吸と恐怖を忘れていたことに私は気づく。そして、震える肺になんとか空気を送り込みながら短剣を抜き放つ。


 睨みつけた先の女帝は呼吸を変えることもなく、身じろぎすることもなく、私を静かに見据えていた。


「我は余命幾ばくもない。死の淵に向かう我が、これからを生きる汝等に本当の意味で残してやれるものは少ない。一度は家族の縁を裂いた我が、新たに縁を結ぶなど滑稽であろうが、どんなに滑稽であろうと祖母としての贖罪をしなければならん。どうかエルウィンを家族として支えてやってはくれまいか。その契りを我の涸れ果てた魂1つで成せるならば、この心臓、喜んで汝にくれてやろう」


 皇帝としての立場のある者が私情に駆られ命を差し出す姿など滑稽だ。だが、もっと滑稽なのは私だった。


 微かにくすぶる復讐心を捨てきれず、握りしめた短剣は、かつて握り損ねた家族の幻影を追い求めた結果だ。


 しかし、感情に身を任せて抜いた刃は、冷たい殺気と決意の前に震える程度の覚悟しかなかった。私は死にゆく老人との覚悟の差において負けたのだ。


 とめようのない悔しさと一緒に流れた涙が短剣に続いて床に落ちる。


「私は、戦災孤児のアンナとして生を送ってきました。激情に駆られ、更なる国難を招こうとした愚かな女です。そんな私にエルウィン殿下の支えとなる力があるのでしょうか」


 それに、幻影を追い、現実を受け止めきれずにいた私には、もう一度エルウィンに合わせる顔などない気がした。


「アーデル、二人は謁見前に会えたのであろう。どうであった?」


「はい。あのように殿下が無邪気に笑われたのは、あの誕生会以来でございます」


「そうかそうか。その笑顔を引き出せたなら、それは十分過ぎる力であろう。汝は我らが揃っても出来なかった難題をやってみせたのじゃ。それに刃をよう抜けた。並みの姫であれば、あの殺気の前で抜かすは腰ばかりよ」


 そう言って穏やかに笑った女帝に、会ったこともない親の顔を重ね、胸が締め付けられる。


「今、エルウィンに必要なのは共に泣き、共に笑いあえる相手じゃ。エルウィンは幼いながらも重責を背負おうとしておる。あの小さき双肩ではすぐに潰れそうなほどにな。しかし、そんな時に背負っているものの重さを勘違いさせてくれる相手がいるだけで人はとんでもないことを成せるものじゃ」


 余命幾ばくもない女帝と重責。あの泣き虫な迷子でさえ新しい道を拓こうとしているのに、私はいつまで過去の亡霊に捕まっているのだ。


 落とした短剣を拾い、鞘に戻して懐に仕舞い入れ、深く呼吸をする。


「エルレーネ様、まだ私は貴女を祖母と呼ぶことはできません。しかし、その心臓は私に差し出された物です。いつか私が貴女を祖母と呼べる時まで勝手にとめることは許しません」


 私に今できる精一杯の反抗と前進。それは抱擁を持って迎えられた。


「平然と無理難題を吹っ掛けるのは血筋かの。じゃが、悪くない」


「なので、御無理をなさらないようお願いします」


「そうじゃな、祖母と呼ばれるまで長生きせねばならないからの。アーデル、我は休む。姫を部屋まで案内せい」


「姫様、先ほどは失礼致しました。処分は如何様にも」


 先ほどの殺気が嘘のように慇懃な態度で礼をする老執事。気配なく距離を詰めてくるのは心臓に悪い。


「その姫というのは田舎娘の私には分不相応な呼び方です。アンナと呼んでください。それが処分です」


 戸惑う雰囲気の老執事に先ほどの報復の手応えを感じ、女帝と一緒に笑う。


「立場を活かすも殺すも本人次第じゃ。市井の者としてアンナとして生きるも良し。王族に連なる者としてアンネローゼとして生きるも良し。ゆるりと滞在し、汝の幸せの在り処を探されよ」


 女帝がカーテンの奥に消え、私達もその場を辞そうとした時、耳障りな警鐘が鳴り響いた。


『賊だー!!』


 城内と一緒に胸中がざわつきだし、私を待っている少年の顔が不意に浮かび上がる。


「エルウィン!」


 叫ぶと同時に慣れないヒールで駆けだしていた。

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