第一章「太陽の背中」
登場人物
冰熬
祥哉
達見 レイタ
ワーカー
モルス
ジェイド
ソルミ
アルベージュ
ビルダ
ギミル
ゾール
人として生まれたからには太平洋のようにでっかい夢を持つべきだ
坂本 龍馬
第一章【太陽の背中】
前向きな英雄は言った。『信じなさい』
直向きな詩人は言った。『唄いなさい』
臆病なヒーローは言った。『吠えなさい』
泣き虫な偉人は言った。『耐えなさい』
堅物な学者は言った。『転びなさい』
捻くれた信者は言った。『嘆きなさい』
哀れんだ賢者は言った。『問いなさい』
口の無い死者は言った。『生きなさい』
脆弱な希望は言った。『忘れなさい』
軟弱な勇気は言った。『逃げなさい』
それぞれ目的も意味も道も違えども、言葉を紡ぐことでその姿を象っている。
それは、いつからだったのだろう。
「急いでみんなを集めろ!襲撃するぞ!!」
「ダメだやられた!!うわっ!!あっちもこっちもあの女の犬だらけだ・・・!どうする!?」
「レイタさんたちはどこだ!?あの人たちに応援を頼もう!!」
「あの女・・・!!俺達を皆殺しにする心算か!!」
「しかたない・・・!喧嘩を売ったのは俺達の方だからな!!」
助けを呼ぶ声、銃弾から身を守るべく縮める身体、空の青さを忘れてしまうほどの爆音と煙に包まれていた。
ここはとある名のある国である。
つい最近までは、とても平和な国だった。
しかし、先代の国王が病死してからというもの、国の治安は悪くなり、荒れ果てていくようになった。
国王の妻である女性、アルベージュがこの国を治めるようになってからのことだ。
「米や麦がないのなら、お菓子を食べればいいじゃない」
笑いながらそう言う彼女を良く思わない国民も当然出てきた。
しかし、アルベージュは女王となっただけではなく、国の兵士たちをも虜にし、自分に刃向かう者は子供だろうと老人だろうと、関係なしに罰していった。
アルベージュに対抗すべく、1つの集団が結成された。
それは反乱者たちで作られた部隊で、親を死に追いやられた者、兄弟を亡くした者、ここで生きて行くという手段を閉ざされた者たちなどがいる。
彼らはアルベージュを女王の座から下ろすべく、戦いを挑んだ。
しかし、結果は惨敗。
彼らは姿を消してしまい、消息は不明のまま、時間だけがただただ無情に過ぎて行った。
だが、彼らが姿を消してから2年もの月日が流れている今でも、戦いの最中だとささやいている者達がいる。
いわば、冷戦状態なのだと。
きっと彼らが国を救ってくれるのだと信じ、待ち続け、希望と絶望の狭間で揺れ動く猜疑心だけを頼りに生きてきたのだ。
彼らがすっかり静かになると、女王アルベージュは益々国民を苦しめる生活ぶりを発揮した。
それは税金を絞りとるだけではなく、貧しい家の子供を勝手に売ったり、女も男も関係無く、身体を売らせる商売をさせに国外に出したり、死ぬか貢かの選択を迫るのだ。
「私を恨むのは見当違いよ。その身分に生まれてきた自分を恨みなさい」
そう言って、彼女はまた美しく微笑む。
「おい、なにへばってんだよ」
「あーあ。師匠を敬うってことをお前に教えてやりてぇなぁ。この歳になるとは、急激に体力がなくなっていくんだよ。それはもう恐ろしいくらいにな」
「はいはい、禁煙してたのに、また煙草なんて始めるからだろ。その歳でまたニコチン中毒になったらもうダメだな。やめられねぇな」
「祥哉知ってるか。人間やろうと思えばなんだって出来るんだぞ。禁煙だって出来るんだ。人間ってすげぇなぁ」
「あんた、自分が人間じゃないって言いたいの?口動かす元気あるなら、さっさと足を動かして欲しいね」
「あー、腰痛ェ」
拠点を転々としている冰熬と祥哉は、また拠点を変えるべく、歩き続けていた。
なるべく人には会いたくないという冰熬の我儘を聞き入れ山道を歩いていたのは良いが、冰熬は腰をさすりながら、祥哉との距離を離して行く。
足を止めた祥哉は後ろを振り返ると、冰熬は適当な場所に腰を下ろして勝手に休憩を取っていた。
「先行ってるぞ」
「あいよー」
手をひらひらとさせながら、祥哉の方を見ることもせず休んでいる冰熬。
肩を上下させてため息を吐くと、祥哉は冰熬を置いて先に目的地まで向かう事にした。
どうしてまた拠点を変えるのかと問われれば、特にこれといった理由はない。
それは冰熬という旅人の気紛れであって、明確な理由や目的があるとすれば、それは旅人とは呼べないだろう。
そんな自由気ままに生きている冰熬という男を置いて祥哉は足を進めて行くと、まるで絵画に描かれているような美しくも妖しい、大きな城が聳え立っていた。
「すご・・・」
山を下りて行くと、そこには錆びれた街が並んでいた。
目の前にある城とは随分と様子の違う街の風景に、祥哉は足を止める。
まるで戦争でもした後のように、家々は壊れており、店も道もまともな姿はしておらず、そして何より、人の気配が感じ取れなかった。
いや、気配はあるといえばあるのだが、祥哉の視界には入ってこなかった。
隠れているのだろうその人々のことなど気にしてはいられないが、もしも冰熬と祥哉の滞在場所が見つからないようだと困る為、祥哉は誰かいないかと探すことにした。
「誰もいないっつーか、俺の前に出て来ないっつーか・・・」
どうしようかと考えていると、祥哉の前に1人の男が現れた。
青い髪をしたその男は、祥哉のことをじっと見ていたため、祥哉は声をかけようと近づいたとき。
「!!!」
いきなり左右から同じ顔の黒い髪の男が現れ、祥哉の身体を拘束した。
「!!何の真似だ!?」
「ビルダ、捕まえたけど、どうする?」
「城に連れて行け。奴等の仲間かもしれない。拷問の準備もしておけ」
「へへ、ビルダは怖いねー。ギミル、早く縛って」
「ゾール、俺に命令しないで。同等なんだからね、俺達は」
「わかってるよ」
ギミルとゾールという同じ顔をもつ男に、祥哉は両手と両足を縛られ、それに目を隠されてしまった。
どうして目を隠すのかと疑問には思ったが、そのまま祥哉の身体は2人に支えられながら、どこかへと連れて行かれた。
しばらくして目隠しを外されると、そこは広い部屋の真ん中だった。
天井にも壁にも、ギリシャ神話のような絵が描かれており、床は大理石で出来ていた。
シャンデリアも大きいものがぶら下がっており、天井に規則正しく並べられている小窓からは僅かな光が差し込んでくる。
その小窓はステンドグラスになっているようで、光によってカラフルでありながらも、目障りにならない色合いが出来上がっている。
「すげ」
「お気に召したかしら?」
「あ?」
大きくて眩しい金色で出来た扉から姿を見せたのは、1人の女性だった。
黄色の髪の毛は長くウェーブがかかっており、左目の下にはホクロがある。
高いヒールを器用に履きこなし、コツコツと音を響かせながら祥哉に近づいてくると、その女性の後ろから先程の青い髪の男も入ってきた。
「ビルダ、あなたは下がってなさい」
「何かあれば、責任を問われるのは私ですので」
「嫌な言い方ね。まあいいわ。それよりあなた、名前は?」
男、ビルダは部屋の隅でこちらをじっと見ている。
女性は頭に王冠を被っており、女性の質問に答えずに何者かと考えていると、突然、女性が祥哉の頬を叩いた。
女性の力で叩かれたくらいではどうってことないが、会っていきなり叩かれるなんて初めてのことだ。
祥哉は女性を睨みつけると、ビルダが祥哉の背後に回り、首にナイフを突きつけてきた。
「名前を聞いてるのよ?あなた、新月の仲間じゃなくって?アジトは何処にあるの?」
「・・・俺は祥哉。新月なんて知らないし、アジトも知らない」
「なら祥哉、あなた何をしにここに来たというの?目的は?」
「目的なんてない。いいから解放しろ」
「あなたみたいな強気な人、嫌いじゃないわ」
ふふふ、と笑いながら、女性は祥哉に背を向けた。
首に当てられていたナイフも遠ざかると、祥哉はひとまず小さく息を吐く。
「あんたこそ、何者だ」
「アルベージュ様に向かって無礼な」
「アルベージュ?」
聞いたことがあるような、ないような。
祥哉が首を傾げていると、女性は毛皮がついた少し暑苦しそうな扇子を広げて口元を隠しながらこちらを見た。
「私はアルベージュ。この国の女王よ。それは演技なのかしら、祥哉?」
「女王・・・?」
「新月の奴らのアジトを吐くまでは、ここから出すわけにはいかないわ。ここにしばらくいてもらうわ」
「だからさっきから何の話を」
バシッ、と扇子を強く畳むと、アルベージュはまたコツコツと歩き出した。
「あなたが新月の仲間でないなら、お迎えで来るのを待つのね」
そう言うと、アルベージュは部屋から出て行ってしまった。
ビルダも同じように部屋から出て行くと、部屋の外から鍵をかけられてしまい、祥哉は出られなくなってしまった。
「どうなってんだ?」
その頃、祥哉から随分と遅れて到着した冰熬は、山から見下ろした街の雰囲気に嫌な予感がし、祥哉が下りた道とは別の道から下りて行くことにした。
「・・・・・・」
ピタリと足を止めると、冰熬は少しの荷物を地面に置く。
「さっきからコソコソと、何の用だ?」
「・・・へぇ、俺の気配に気づくなんて、あんた何者?」
冰熬の後ろから、黒髪を後ろで1つにまとめ、耳には金色のリングのピアスをつけた男が現れた。
それからもう1人、オレンジの髪で前髪が異様に短い女性もだ。
「俺はワーカー。こいつはソルミ。あんたどっから、何をしに来た?返答次第じゃ、捕まえなくちゃならねぇが」
「・・・俺はしがない旅人だ。別に理由があってここに来たわけじゃねえ。出て行けと言うなら出て行くが、生憎、知り合いのガキが先に行っちまってるから、そいつは探さなきゃならねぇがな」
「しがない旅人が、俺達の気配に気づくわけねぇ。嘘吐くならもっとマシな嘘をつけ」
「嘘じゃねぇよ」
「・・・ソルミ」
ワーカーという男が名を呼ぶと、ソルミはいきなり冰熬に襲いかかってきた。
素早い動きに軽い身のこなし、只者ではないことは明らかだった。
まさか自分の攻撃が避けられるとは思っていなかったのか、ソルミはムキになってしまい、何度も何度も冰熬に攻撃を繰り返す。
しかし、その蹴りさえも冰熬は軽く避けると、それを見ていたワーカーはソルミの首根っこを押さえる。
「止めておけ。お前じゃ敵わねえことだけは分かった」
「けど!!」
「あんた、敵じゃねえなら、ちょいと力を貸しちゃくれねぇか?」
「俺ぁ誰の味方もする気はねぇよ」
「この国に来たからには、知っておいてもらいてぇことがある。それに、先にきたあんたの知り合い、もしかしたらあいつらに捕まってるかもしれねぇから」
ワーカーにそう言われ、冰熬は顎に手を当てながら、確かにそうかもしれないと、先に歩きだした2人の後を着いて行く。
古びた家の瓦礫の隙間に入ると、そこには地下に繋がる階段があり、そこを下りて行くと広々とした空間があった。
「ワーカー。そいつは?」
黒い髪をした男に何か説明をしているワーカーの他に、そこにはだいたい10人以上の男女がいた。
「紹介するよ、こいつは俺たちのリーダーの達見レイタ。こっちはモルス。こいつはジェイド」
モルスという女性は全盲の少女のようで、ピンクのウェーブがかかった髪をしており、ジェイドという男は緑の髪で耳は隠れていた。
他にも全員の紹介をされたが、正直いって覚えられなかった。
「俺達はレイタと筆頭に、アルベージュという悪魔のような女王を追放すべく立ち上がった集団、新月軍だ」
どうしてそのような集団が結成されたか、ワーカーが話しを進める。
「2年半くらい前までは、その女の旦那のモンタナって男が国を統治していた。そのときは本当に平和で、戦争とも無縁の国だったんだ」
前国王はとても優しい人で、自分のことよりも国民を考える人だったという。
アルベージュと結婚をしたのは、確か5年くらい前だっただろうか。
その時はみな、国王が選んだ女性なのだから、きっと良い人に違いないと信じていた。
しかし、アルベージュは悪女だった。
浪費するためだけに嫁いだとした思えないような荒い金遣いに、国民のことなど考えない我儘で身勝手な女性だったのだ。
そしてある日、モンタナはいきなり病死してしまった。
2人の間に子供はおらず、モンタナに兄弟もいなかったため、必然的にアルベージュが女王となってしまったのだ。
「きっとあいつが殺したに違いないんだ!!」
「病死だったんだろ?持病でもあったんじゃねえのか?」
「国王は健康だった。あいつが来てからだ、いきなり体調を崩したりするようになったのは。国王が死んで、あいつが女王となるとき、俺たちはあいつを引きずり下ろそうとなんとか抵抗をした。けど、ダメだった・・・」
一度は敗れた新月軍だが、まだ諦めてはいないようだ。
「俺達は戦う。以前のような国を取り戻すまで・・・!!」
「・・・・・・」
顎をかきながら話しを聞いていた冰熬は、ふと、先程のソルミの動きを思い出した。
「お前等、どこで知り合ってこんな集団作ったんだ?」
「俺達、ほとんどはもともと国の兵士だったんだ」
「兵士・・・」
アルベージュが即位するまでは、モンタナの下で働いていた兵士たちだったようだ。
しかし、アルベージュが女王になってからというもの、国を守ろうとアルベージュに立ち向かうために兵士という殻を脱いだ。
「道理で・・・。その辺のガキとは動きが違うと思ったよ」
そう冰熬が呟いたときだ。
「レイタ!さっき入った情報だ!!新月軍の誰かがビルダたちに捕まったって!!」
「そんなはずはない。各所に配置してる仲間とも連絡は取れている」
「けど・・!!確かに誰かが連れて行かれるのを見たって・・・!!」
一体誰のことだろうと皆首を傾げていると、冰熬だけが目元に手を置き、深いため息を吐いていた。
「あー・・・それな、多分」
「?」
「さっき言った俺の知り合いのガキだ」
やっぱり捕まってたかと、焦るのかと思いきや、冰熬は落ち着いた様子でジェイドが淹れたコーヒーを飲んでいた。
それを見て、レイタもワーカーも、他のみんなも互いの顔を見合わせる。
「あんたの知り合いが捕まったんだろ?助けに行かなくていいのか?」
「あー、まあ、そのうちな。あいつのことだから、そう簡単には死なねぇはずだ」
それより、と冰熬は続ける。
「もっと教えてくれるか。そのアルベージュって女と、この国のこと」
戦争になって死んでいった仲間のことも、裏切って国に戻って行った仲間のことも、奪われたもの、失ったもの、全て。
それは同様に、誰かの命を奪ったことでもあり、壊し、傷付けたことでもある。
「新月軍を作ってから、あいつらは俺達の家族にまで狙いをつけた」
両親、兄弟、親戚、友人まで、捕まって捕虜にされた者もいれば、抵抗してその場で殺されてしまった者もいる。
「復讐ってわけじゃねぇが、俺たちはあの女を赦さない。いや、赦すことなんて絶対に出来ない」
「それがどうして今こんなところで隠れて暮らしてるんだ?」
「一度戦って、負けて、仲間を失って、その傷はそう簡単に癒せるものじゃない」
「俺ぁてっきり、戦うことを放棄して逃げてるのかと思ったよ」
なんだと!?とワーカーだけでなく、ソルミもモルスも冰熬に対して睨みをきかせるが、それに対して答えたのはリーダーでもあるレイタだった。
「確かに、今の俺達は戦うことを放棄したと言われても仕方ない暮らしをしてる」
「レイタ・・・!」
「だが、まだ牙はある。この牙が折れるまでなら、何度でも戦う心算だ」
シン、と静まったその空間に、冰熬の小さなため息だけが響いた。
後頭部をぽりぽりとかきながら、今度は冰熬は肩を小刻みに揺らして笑った。
「若ぇってのは無謀か無知か、はたまた勇敢か分からねえとこだな」
「なに!?」
冰熬の言葉に、ワーカーはぐっと一歩前に進んで冰熬との距離を縮めようとしたが、レイタの手によって止められた。
ソルミは眉間にシワを寄せながらも、腕組をして壁に凭れかかる。
「あんた、旅人なら大人しく立ち去った方が身のためだ」
「ああ、そうだな。だがその前に、あいつを助けに行かねえとな、一応」
「城に行く心算か?あんたも捕まって捕虜にされるぞ」
「構わねえよ。それに、俺みたいなおっさんを捕虜にしたってメリットなんてねぇし。それに、あいつを放って消えたりしたら、それこそ地獄の底まで追いかけられそうだしな」
小さく肩を震わせながら笑っている冰熬を見て、レイタたちは怪訝そうな表情を浮かべていた。
ただ分かるのは、その知り合いのガキとやらとは、信頼関係があるのだろうと、それだけだ。
よっこらせ、と声を出しながら冰熬は立ちあがると、出口に向かって歩いて行く。
「もし」
背中から、レイタの声が聞こえてきた。
「もしまた会う事があったなら、名前くらい教えてくれ」
「ああ、そん時ぁ、もっと腹割って話そうか」
そう言うと、冰熬はまた下ってきた階段を今度は上って行く。
瓦礫の中から出てみると、少しの間だけとはいえ、太陽から遮られていたあの場所では感じなかった眩しさで目が眩みそうになる。
腕で日差しをよけながら、冰熬は街の中心から城に向かって歩いて行く。
冰熬が去ってから、レイタはモルスにこんなことを聞いていた。
「モルス、どうだった?」
右目も左目も見えない全盲の少女、モルス。
見えないが故に、それ以外の感覚は誰よりも研ぎ澄まされている。
モルスは見えない目を開けたまま、声が降ってきた方に顔を向けると、こう答えた。
「悪い人ではないわ」
「そうか」
初めてあった男、冰熬という男ははたして自分たちにとって敵となるのか味方となるのか。
これまでにも、国にやってきた旅人はいた。
しかしその誰もが、すぐに国から去ってしまうか、捕まって捕虜にされてしまっている。
あの男もどちらかだろうと思っていたが、国をすぐに去る気もないようで、だからといって捕虜になるようにも見えなかった。
フラフラと、風のように雲のように、自由に動き回るあの男に興味を持ったところで、レイタたちはアルベージュを倒すべく、集まるのだった。
「くっそ!ほどけねぇ!!」
その頃、祥哉は1人、自分の動きを止めてしまっているロープと格闘していた。
あがいたところで解けるわけもなく、せめて足が解放されていれば歩けるのだが、足も縛られてしまっているこの状況では、祥哉はただただ虚しく暴れるほかない。
「あー、疲れた。腹も減った。それにしても、あいつ今何処にいるんだ?俺のこと助けに来るのか?」
ブツブツと文句を言っていると、ガチャ、と鍵が開く音がした。
そこから顔を出したのは、アルベージュではなく、ビルダだった。
不気味なほどに表情を変えないビルダという男のことは何も知らないが、クールという言葉とはまた違った雰囲気を持っている。
部屋の奥の方に置いてあった豪華な椅子を持ちあげると、それを持って祥哉に近づいてきた。
その椅子で殴られるのかと思った祥哉は思わず身体を後ろに反らせようとするが、どうやら違うようだ。
また扉が開く音がすると、今度はアルベージュがやってきた。
ビルダが用意したその椅子に足を組みながら座ると、その横には透明で小さなテーブルが用意され、その上に紅茶とクッキーが出された。
そのクッキーからは香ばしい香りがするだけではなく、温かい匂いもする。
お腹を空かせている祥哉は、ゴクリと唾を飲み込むが、それが祥哉の口に入ることは決してなかった。
「それで、アジトを吐く気にはなった?」
「だから!俺は違うって言ってるだろ!何度言えば分かるんだよ」
「犯人はみなやってないって言うのよ」
「犯人じゃないだろ。その新月ってのも、何なんだ?あんた、どうして俺がそれだって思うんだよ?」
祥哉とアルベージュが話している間、ビルダは大人しく扉付近にいる。
紅茶で喉を潤すと、アルベージュは足を組みかえながら祥哉を見る。
「あなたのような、私に刃向かってくる連中はみんな新月よ。それとも、そんな演技で私を騙せるとでも思ってるの?ここ2年くらい大人しくしてると思ったら、やっぱり活動を続けていたのね」
「だから、なんのことか俺にはさっぱり」
「なら、証拠を見せなさい」
「証拠?」
噛み合わない話しをしていると、アルベージュがとんでもない単語を綴った。
思わずキョトンとしてしまった祥哉を見て、楽しそうに微笑む。
真っ赤に染まったルージュが不気味で、美しいはずのその顔は、まるで人間を地獄に突き落とす死神のようだ。
「あなたが新月でないなら、証拠を見せなさい。それが出来ないなら、あなたは新月の者とみなされ、最悪処刑されるかもしれないわね」
「はあ!?」
証拠などあるはずがない。
それを知っているからか、アルベージュは喉を鳴らしながら高く笑った。
どうしようどうしようと、祥哉は今自分の思考回路で考えられるだけの手段を精一杯考えてみた。
しかし、そのどれもが確実にここから出られる手段ではなかった。
あー、うー、と色々考えてはみたものの、時間だけがただ無情に過ぎて行き、結局、祥哉は答えが出せなかった。
それに満足したのか、アルベージュは話しを進めようとしたその時、祥哉たちがいる部屋をノックする音が聞こえた。
ビルダが扉を開けると、そこにはギミルとゾールが立っていた。
そこでなにやら話しをしたかと思うと、一旦扉がしまり、ビルダがアルベージュの元へきて耳元でヒソヒソと何かを言う。
「保護者・・・?」
「はい」
「・・・いいわ。入れなさい」
ビルダが部屋から出ると、アルベージュは祥哉をじっと見る。
「あなたの保護者という人が来たわ。そいつに話しを聞きましょうか」
「保護者・・・!?」
誰のことかはおおよそ見当はつくものの、まさかこの歳になって保護者と名乗られ、しかも迎えに来られるなんて、屈辱ともとれるものだった。
玄関まで距離があるからか、少し時間が経ったころ、その人物は現れた。
銀髪に顎鬚、捕まっている祥哉を見て笑いを堪えているのは一目瞭然だった。
「あなたね、保護者っていうのは」
「そうです」
「丁度良かったわ。色々と話を聞きたいと思っていたの」
ウェーブのかかった髪の毛を靡かせながら、アルベージュは保護者、冰熬に微笑みかける。
「この子が新月の仲間じゃないかって話を聞いていたところなの。だけど正直に話してくれなくて困っていたのよ。あなたは正直に話してくれる?私、素直な人が好きよ」
「ご期待に沿える答えかどうか」
バタン、と扉が閉められると、この空間には4人の人物。
1人は身体を縛られており、1人はその前で優雅に座っており、1人は扉の近くで立っており、1人は扉と捕まっている男の中間あたりにいる。
「こいつ、自分が新月軍ではないと言い張っているの。今丁度、証拠を見せてくれと頼んでいたところよ」
「証拠ですか・・・。じゃあお聞きしますが、何を見せればその新月ってやつじゃないと信じてもらえますかね?」
「そうねぇ・・・」
うーん、と実際に考えているのかは分からないが、アルベージュは考えているような素振りを見せた。
口元には長い人差し指が触れ、光の差し具合によっては黄金のような輝きにも見えるその長い髪は揺れる。
足を数回ブラブラさせてから、アルベージュはこう答えた。
「とりあえず20年、無償で働き続けるというなら、信じてみても良いわ」
アルベージュの口から出てきた年数に、冰熬は苦笑いする。
首の裏に手を当てがって摩りながら、うーん、と小さく首を傾げたかと思うと、笑いながら口を開く。
「そりゃ無理な話です。俺はこの国の住人じゃありませんし、労働であんたとの信頼関係が築けるとも思いません」
「ほう、なら、どうするの?この男を見殺しにして、あなただけ逃げる?それとも、この男と一緒に永久にここで牢獄に入る?」
「こいつを犠牲にするのは簡単ですがね、生憎、そういうわけにはいかないんですよ」
「麗しいこと。この国で、この私の前で、どうやって2人揃って逃げる心算なのか、聞かせていただける?」
逃げたところで、すぐに追手が来て捕まってしまうのだろう。
それを分かっているからか、アルベージュは余裕そうに微笑みながら、どうしようかと考えている冰熬を見つめていた。
「二胡はありますか」
「二胡?そんなものあったかしら、ビルダ?」
それ自体を聞いたことがないようで、アルベージュは扉の近くに立っているビルダの方に顔を向けて聞く。
すると、ビルダはすぐにこう言う。
「確か、倉庫の中で埃を被っていたかと。弦も張ってあるかは定かではありませんが」
いつのことだったかは忘れたが、以前、ビルダはその倉庫ともいえる、いらないものが沢山ある離れへ行ったことがある。
城に入ってすぐだったからか、それともt単に生意気だったから嫌がらせの心算だったのか、その部屋を掃除しろと言われた記憶がある。
今では滅多にみない楽器を始め、壺や掛け軸、本や美術品があった。
高級そうなそれらは、年月を感じさせる埃によって、気品を失っていた。
そんなことを思い出しながらビルダが答えると、アルベージュはすぐに冰熬の方を見る。
「して、二胡が何?」
二胡というもの自体、名前さえ聞いたことのないアルベージュは、それが物の名前なのかそれとも個数のことなのか、それさえ分かっていないだろう。
興味がないのか無知なのか、とにかく、冰熬は口元だけに外面の笑みを浮かべると、こう述べる。
「二胡とは楽器、つまりは演奏するんです」
「演奏?」
馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、暇を持て余していたため、アルベージュはビルダに頼んで二胡とやらを持ってきたもらうことにした。
ビルダが城の裏手にある倉庫、というよりもすでにゴミ捨てのようなその場所に向かって探してみると、記憶の通り、そこには二胡があった。
埃を被っているし、弦だってピン、とは綺麗に張っておらず、音だって出るのかさえ不安になるほどの古さだ。
その回りにも沢山のものが溢れている。
決してこれから先、この倉庫から出るとは到底思えないそれらだが、出すべきところへ出せばそれなりの値段だろう。
しかし、こういったものを売り飛ばそうとしてもアルベージュは良い顔をしない。
物の価値をあまり知らないばかりではなく、知らないのに手放すのを嫌がるのだ。
まるで子供のようなアルベージュにも慣れてきたのか、ビルダはアルベージュの宥め方を覚えた。
二胡に被っていた埃を軽く落としたのみのその二胡を持って部屋に戻ると、紅茶を飲んでいるアルベージュがいた。
ビルダが戻ってきたのを横目でちらっと確認すると、再び紅茶に口をつける。
無言で二胡を冰熬に渡すと、冰熬はそれを受け取って、まずは音が出るかを試してみた。
思っていた通りというのか、見た通りと言うのか、幾年も使っていなかった二胡からは綺麗な音は出なかった。
セットになっている弓を右手に、二胡を左手に持つと、冰熬はその場に胡坐をかいて座った。
腰に下げていた布で、二胡に被っていた埃という埃を全て綺麗に拭きとると、弓の方も綺麗にする。
新品同様、というわけにはいかないが、それでもビルダが倉庫で見た時よりは随分と綺麗になった二胡をセッティングすると、冰熬はアルベージュの方を少しだけ見る。
「では、演奏させていただきます」
これまでにアルベージュが聴いたことがあるのは、バイオリンやチェロ、トランペットやピアノがほとんどだった。
ソロで演奏させることもあるが、オーケストラを呼んで演奏させることもあった。
だからといって、音の違いが分かるのかと問われれば、正直なところ分かっていないのだろう。
それでも、心地良い音というものがあって、城で特にこれといった仕事もないアルベージュにとっては、大事な暇つぶしであった。
仕事がないというのは、本来、国を治めるものなら有り得ないことだ。
しかし、生まれながらにそういった環境があったわけではないアルベージュは、何も分からないまま女王になった。
それに、アルベージュの隣には常に、仕事の出来る男ビルダがいるため、本当に何も分からないのだ。
そんなアルベージュの暇つぶしに付き合わされる演奏家たちも、演奏したからといって、多大なる報酬がもらえるわけでもなかった。
この際、それは良いとしよう。
音が反響するほどの広い部屋で、たった1人の男が奏でるその音は、どこまでも続く草原のように広大で、身体中に振動がくるように強かった。
目を瞑って聴いていれば、世の不浄など忘れてしまうほどの美しい音色で、耳障りな銃声など掻き消してしまうほど心奪われる力強さもあった。
満月の夜に聴いたなら、これまで感じたことのない孤独を感じてしまいそうな、そんな儚さもある。
ふと、祥哉がアルベージュの方を見てみると、その二胡の音色にうっとりとしているアルベージュがいた。
半分寝ているのではないかと思うくらいに瞼は重たそうに下がっており、口角はあがったままじっとしている。
どのくらい時間が経ったのか。
静かに音が止むと、しばらく、誰一人として口を開かなかった。
それは演奏の余韻に浸っているのか、耳にまだ残るその音をとどめておくためなのか。
まず先に沈黙を破ったのは、他でも無い、演奏した張本人だった。
「いかがでしたか?」
「・・・・・・」
胡坐をかいたまま、冰熬は尋ねた。
ふう、と深く長いため息を吐いたあと、アルベージュはささやくようにして言う。
「満足よ。けれど、これであなたたちを解放しろというの?」
「今回のところは、多めに見ていただければと思います。俺もこいつも、逃げも隠れもしません」
「・・・・・・」
真っ直ぐな目で見てくる冰熬に、アルベージュは口を閉ざした。
今の演奏に心を動かされたわけではない、といえば嘘になる。
このまま新月の一員かもしれない男を取り逃がすのは、アルベージュたちにとっては多少の痛いところでもある。
「良いわ」
「アルベージュ様」
「いいのよビルダ。どうせ新月の連中はいつか私達に戦いを挑んでくるわ。そのときこの二人の顔があれば、その時捕まえて痛めつければいいだけ。そうでしょ?」
納得がいかないのか、ビルダは冰熬の方を睨むような目つきで見る。
しかし、それを聞いていた冰熬はさっさと立ち上がると、持っていた二胡をビルダに手渡し、祥哉のロープを解いた。
「何を勝手に」
「今日のところは、俺の演奏に免じて帰してくれるんですよね?なら、さっさと帰らせてもらいますよ」
ロープを解いて祥哉を連れ、そこから立ち去ろうとする冰熬の前に立ちはだかったビルダだが、アルベージュに止められたため、その背中を悔しそうに見つめるしかなかった。
「良いのですか?」
「良いのよ、別に。それより、今日の貢物はどうなってるの?まだ届かないの?」
「何分、出し尽くした、と一様に言うものですから」
「ふん。出し惜しみしたって、碌なものじゃないのにね。まあいいわ。見せしめにそろそろ誰かを犠牲にしないとと思ってたところよ」
城からなんとか出ることが出来た冰熬と祥哉は、宿を探すことにした。
「意外だな」
「あ?何がだ?」
「あんたが楽器を弾けるなんてさ。そもそも、俺だって二胡なんて知らなかったし。昔弾いたことあるのか?」
「なんだ、その話か」
冰熬という男と楽器は、どう考えも結びつかなかった。
祥哉の勝手なイメージだったのかもしれないが、楽器というのは繊細な人間が触れるものであって、自分や冰熬のような野性的というか、男というか、とにかく、何かを演奏するという考えがなかった。
それに、あんな綺麗な音を奏でて。
「ちょっと齧ったことがあるだけだ」
「齧ったことがあるだけで、あれだけ弾けるもんじゃないだろ。あんた、まだ俺に隠してることあるだろ」
「うるせぇなぁ。いいだろ別に、あんなもんひとつやふたつ弾けようが弾けまいが」
「あんたに弾くっていうイメージがないから言ったんだよ。そもそも、二胡なんて親しみないだろ。三味線くらいだ」
「同じようなもんだろ。それよりお前、また勝手に突っ走って勝手に捕まって、一体何がしてぇんだよ。楽しいのか?」
「勝手にって、あんたが遅いからだろ。楽しくないし」
適当に祥哉の問いかけをはぐらかしながら、2人は人が見当たらないこの街で、営業していそうな宿を探す。
しかし、街には人がおらず、たまに見かけたとしてもすぐに隠れてしまう。
だからなのか、次に人影を見つけると、祥哉は鬼のような形相でその人影を捕まえようと全速力で走りだすのだが、すぐに見失ってしまう。
そんな祥哉を見ながら、面白いなー、と冰熬が呑気なことを思っていることは、祥哉は知らないだろう。
「おい、誰もいないけど、今日も野宿か?折角久しぶりに温かい布団で寝られると思ったのに」
はあ、とため息を吐きながらそんなことを言う祥哉。
ふと、祥哉は先程自分が疑われたその名について冰熬に問いかける。
「新月ってなんだ?あんた知ってるのか?」
「ああ?ああ、まあな」
「知ってんのかよ!一体なんなんだ?新月って。月が見えなくなるやつだよな?満月とは真逆の」
「どうでもいいが、俺ぁもう眠い。なぜなら気を使ったからだ」
「普段俺に欠片も使わないからな」
それより何より、あれで気を使っていたのかと、祥哉は冰熬の方を疑いの眼差しで見るが、本当に眠そうに目を細めていた。
いや、いつもあんな感じだったかもしれない。
「それにしても寒い。祥哉、お前の上着貸せ」
「この下、サラシしか巻いてないのに脱げってか。酷だな」
「そろそろ冬だからな。俺は大人しく冬眠して暖かい春が来るのを待つことにする。お前は上着を俺に貸して冬を越せ」
「あんたは熊か。あんたに貸すくらいなら地蔵さんに貸すよ」
「せめてリスにしろよ。熊なんて俺に似てねぇだろ」
「むしろリスって言葉があんたの口から出てきた時点で俺はあんたをぶっ飛ばそうかと思ったよ。俺の中のリスのイメージが崩れるから一生口にするな」
寒い寒いと、身体を縮こませながら眉間に深くシワを寄せる冰熬をよそに、祥哉はさっさと進んで行く。
すると、後ろからこんな声が聞こえてきた。
「あんまり突っ走って、また捕まるんじゃねえぞー」
ピタリと足を止めると、祥哉は踵を返して冰熬に近づいたかと思うと、殴ろうと拳を作りながらも、自分は大人だと何度も言い聞かせた。
それでもこの多少なりとも募ってしまった苛立ちをなんとかさせようと、祥哉自身の身体によって風を避けようとしていた冰熬の前から身体をどかせた。
それに気付いた冰熬はまた祥哉の後ろに隠れようとしたため、何度も何度も左右に動いて冷たい風を冰熬に向かわせる。
第三者から言わせれば、何を馬鹿馬鹿しいことを、と思うかもしれないが、この小さな復讐によって、祥哉の心はスッキリするのだ。
「あんた寒がりだったっけ?」
「俺は囲炉裏と炬燵を心から愛する男だ」
「寒がりなんだな。あんたを殺すときは、真冬を選ばせてもらうよ」
「出来れば半纏と腹巻、それからお茶とミカンも用意しておいてくれ」
「寛ぐ気満々だな」
徐々に陽も沈んで行き、祥哉は両手を擦り合わせて寒さを凌ぐ。




