第3話 勇者と加護
「…えぇっと…。い、今なんて仰いましたか?」
ラロッカは自分の耳に届いたマルクスの返答が信じられず、恐る恐る聞き返す。
対するマルクスは、この距離で聞こえなかったのか? などと検討違いなことを考えながらもハッキリとした口調で繰り返す。
「いや、だから使徒とかそういうの大丈夫です。まず俺が使徒になるって意味が分からんしな」
「えっ? 私の説明聞いていましたよね? マルクスさんの魂がこの上なく澄んでいるって…。しかも感動されてましたよね? えっ? 使徒になる流れですよね?」
「使徒になる流れ、なんて言葉初めて聞いたな。いや、確かに俺は今まで色んな奴らにバカにされてきたぜ? 自慢じゃねぇが3桁回数は経験があるし、勿論腹だって立った。正直さっきラロッカ様が俺を認めてくれて本当に嬉しかったぜ」
「そ、それならーー」
「でもな、だからと言って俺は今の生活がまるっきり不満な訳でもねぇんだわ。そりゃあ若い頃は強い魔物を討伐して国の英雄に、なんて考えたこともあったがな。今はこの身の丈に合った、平穏で平凡な生活に愛着すら沸いちまってる」
マルクスは優しい笑みを浮かべ続ける。
「それによ、俺も物語でしか聞いたことなかったが、神様の使徒ってやつはそれだけで強大な力を持つんだろ? それならよ、こんなくたびれたおっさんじゃなくて、それこそヴィスタみてぇな未来ある若人にでも力を与えてやってくれよ」
子供の頃、眠りにつくまで母親が話してくれた伝説の勇者の物語。
勇者は神の使徒として強力な加護を与えられ、様々な困難を旅の仲間と共に乗り越え、最後には凶悪な闇の力を持つ大魔王を討ち、世界に平和をもたらすお伽噺。
マルクスは決まって、母親の優しい声で語られる、勇者と大魔王の戦いの最中に眠りに落ちたが、夢の中ではいつもマルクス自身が勇者となり、魔王を討ち世界を救っていた。
その夢はその時のマルクスの何よりの宝物で、歳を重ねた今でもそれは変わらなかった。
しかし、とマルクスは小さく息を洩らす。
今、目の前に神様がいるーー
その神様が自分を使徒にしたいと言っているーー
強大な力を与えてくれると言っているーー
昔夢見た勇者になれるのだろうーー
そこまで考えてマルクスは自身の手足が震えていることに気付き、小さく笑む。
ーー俺は、そんな器じゃねぇよな
そして目を瞑り、幼少の自分に懺悔する。
ーーごめんな、夢を叶えてやれなくて
「ーーって訳でラロッカ様よ、悪いんだが今回は諦めてくれよ。魂の質? みてぇのは分からんから何とも言えねぇがよ、まぁまたいい奴が見付かると思うぜ? 少なくとも力にビビって震えちまう俺みたいな奴よりかはな」
苦笑いを浮かべながら、しかしどこかスッキリとした顔でマルクスはラロッカに頭を下げる。
ラロッカは眩しいものを見るときの様に目を細め、マルクスを優しく抱擁する。
「悩ませてしまい申し訳ありません。あなたの気持ちを無視して、考えを押し付けてしまったことを深くお詫び致します」
「い、いや、気にしないでくれよ。俺がヘタレってだけだからよ。あ、あとちょっと距離が近いぜ。免疫が無い俺には刺激が強すぎんだが…」
神を冠するだけあって神々しい程の美貌を持つラロッカに抱擁され、しどろもどろになりながら真っ赤な顔で硬直するマルクス。
そんなマルクスを愛しげに見つめながら、ラロッカは囁く様に歌い出した。
どこかで聴いた覚えのある、しかし決して思い出すことの出来ない、優しい歌声が『慈愛の森』に響く。
それは遠い太古の記憶。
世界が始まり、そして終わり。そこに確かに存在した、生命の営みを讃える美しいメロディー。
気付けばマルクスは身体の力を抜き、ラロッカにもたれる様にしてその歌声にただ耳を澄ませていた。
やがて歌声が止み、僅かに残る余韻が森を埋め尽くす頃、マルクスは知らずに閉じていた目を開いた。
目の前にはラロッカが微笑んでいる。
「すげぇ……。なんていうか、それ以外に言葉が無いぜ。なんだか身体が軽くなった気がするしよ…。ホント、本当にすごかった!」
「フフフ、気に入って頂けて何よりです。今の歌はあなたに加護を与える儀式。あなたの言う通り、使徒の力は強大です。ですが、力に対して臆病なあなただからこそーー」
「待て待て、一旦、一旦待とうか」
右手を突き出しラロッカの言葉を制止するマルクス。もう、本当にすごい嫌な予感がしていた。
「あぁ~っと……、聞き違いじゃなけりゃ今ラロッカ様は加護? とか言ったな? 俺の記憶が確かならよ、加護ってやつは神の使徒に与えられるもんじゃなかったか?」
「はい、その通りです! 我が使徒マルクス、あなたが私に遠慮して使徒を辞退したことくらいお見通しですよ?」
このこの~! とでも言うかの様に肘でつついてくるラロッカ。マルクスの眉間が轢くつく。
「ラロッカ様よぉ、俺の気持ち無視して考え押し付けてどうたらっつって謝ってなかったか?」
「はい。私は我が使徒マルクスの奥ゆかしさを考えていませんでした。あんな言い方をされれば、我が使徒マルクスが使徒という栄誉を他人に譲るということは、少し考えれば分かることです。本当に、自己犠牲の鬼なんですから」
やりすぎはダメだぞ! という風に鼻先をちょんっと突いてくるラロッカ。マルクスの青筋が隆起する。
「俺よぉ、足りねぇ頭なりに真剣に考えたんだわ。そんで自分で納得して辞退したんだわ。言ったよな? 俺は今の生活に愛着があるって。 言ったよな? まるっきり不満じゃねぇって」
「我が使徒マルクスよ、まだ遠慮しているのですか? あんまり遠慮すると、遠慮虫になっちゃーー」
「気合一閃! 木の葉落とし!」
「ちょっ! 危ないですよ我が使徒マルクーー」
「我が使徒我が使徒うっせぇゴラッ! 何を勝手にしてくれちゃってんの?! 平穏で! 平凡な! 俺の生活を返せ馬鹿神!」
「馬鹿神とはなんですか! 遠慮ばかりしないで下さい我が使徒マルクス!」
「お前に遠慮なんかするかぁっ! 成仏しろや! 木の葉落とし! 木の葉落とし! 木の葉落と……し…?」