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六 スパイラル

 墓地から先に出てきた英一が自分の車へ向かう途中で、茂は事務所の車の前から離れ、その前へと歩み寄った。

「まだ、葛城さんは高原さんと・・・・?」

「ああ、話しておられるよ。じゃあ、俺はこれで帰る。」

「三村」

「なんだ?」

「・・・あの、今回のこと・・・・・ありがとう。」

 英一は少し伏し目になった。

「高原さんをパニックにした原因は、今回、少し俺にもある気がするから。」

「え・・・?」

 そのまま続きを言うことなく、英一は自分の車へと歩いていった。

 茂は事務所の車の運転席に先に戻った山添のほうを見た。山添が手招きしている。

 助手席に乗りこむと、山添はその黒目勝ちの目で微笑み、それからあくびをした。

「眠くなってきました。運転できなくなったら、河合さん、よろしく。」

「お、俺もあまり自信が・・・・」

「河合さんも聞きました?三村さんの話。」

「はい。あいつ、すごいでかい声でしゃべってましたから。墓地の入口にいた山添さんや俺のところまで、まる聞こえでしたよね。びっくりしました。」

「そうですよね。あんなふうに怒る、そういう人には今まで見えなかったですからね。」

「今度会社で文句言っておきます。」

「それはしないでください。」

 茂はふと沈黙し、そして、もう一度山添の顔を見た。

「あの、山添さん・・・・」

「なんですか?」

「今回の案件、犯人がストーカーとかじゃないって、やっぱり普通に考えれば分かるものだったんでしょうか?」

「そうですね・・・」

 山添は、目線を少し上にあげた。

「・・・我々警護員の仕事は、犯人を割り出したり推理したりすることではありませんが、警護をより効果的に、そして安全にするために、排除できる危険は事前に排除する。その限りで、状況から犯人像を想定することが可能ならそうします。」

「はい。」

「今回、犯人が同性の友人、それも近しい友人が犯人と思われた理由は、少なくとも三つありました。まず、恋愛感情のストーカーが、クライアントと面識がない・・・一度も会ったことがないのはやはりおかしい。それから、そういうストーカーは、ピンポイントの殺害予告は普通しない。それはむしろ単なる怨恨による殺害予告です。そして最後に・・・怨恨で婚約パーティーで、というのは、普通に考えれば異性がらみの、同性からのものでしょう。」

「はい。」

「もうひとつあげるなら、やはり、怪しまれず殺せるのは近くに行くことができる女性の招待客のみ。そういうことです。」

「・・・そうですね・・・」

 山添は、悔しそうに笑った。

「でも、警護するにあたって、俺もそして怜も、必要以上にこういったことを・・・・考えないようにしていました。」

「どうしてですか?」

「どうしてか・・・・実はよくわからないんですが、・・・・こういうことはあくまで傾向とか推測とかであって、確定的な事柄じゃないんだから、警護にあまり影響のないことだ、と思っていたと・・・そう思ってはいましたが・・・・」

「・・・・・」

「でもやっぱり、一番の理由は、親友が命を狙っているなんて、思いたくなかったんだと思います。」

「・・・・・・」

「恥ずかしいことです。プロとして。」

「いつ、確信されたんですか?」

「一回目の襲撃のときです。明らかに、機械的な襲撃でした。襲撃の方法が、手慣れていた。雇われた人間だとわかりました。」

「そうなんですね。」

 教会に続く公園の木々が、風を受けてざわめいた。



 街の中心の高層ビルにある事務所は、朝焼けの光がブラインド越しに細く差し込んでいるだけで、静まり返っている。

 応接セットの長椅子に寝ていた深山は、事務室へ入ってくる人間の気配に、そちらを見た。

「板見くん、なにしてるの、こんな朝早く」

「深山さん・・・やっぱり、まだここにいらっしゃったんですね。」

 入ってきた板見は、その大きな両目であきれたように先輩エージェントを見た。

「ちょっと眠くなって横になったら、そのまま寝ちゃった。あはは。」

「・・・あんな真夜中に、自宅じゃなくて事務所へ送れっておっしゃるから、大丈夫かなとは思いましたが」

「心配してくれたの?」

「そりゃそうです。・・・コーヒー淹れますけど、飲まれますか?」

「うん。ありがとう。」

 深山は上体を起こし、パントリーへ向かったごく若い後輩エージェントの背中を見ながら礼を言う。

 間もなく、カップをふたつ持って板見が戻ってくる。

「社長ほどは上手じゃありませんが、和泉さんからはいつも美味しいって褒めてもらってます。」

「うん・・・あ、なかなか上手じゃない?」

「ありがとうございます。」

「僕の様子、変だった?」

「ええ、すごく。」

「ごめんね。」

 板見は、うつむいて、少しばつの悪そうな顔をした。

 深山はコーヒーをもう一口飲み、微笑む。

「あれで、・・・・借りはふたつとも返した。次は、また、僕が高原のクライアントを狙うことになるかもね。」

「それですめば、いいですね。」

 深山は、板見のほうを一瞥し、再びカップに視線を戻した。

 そして微かに、その両目を、伏せた。

「・・・・そうだね。」

「・・・・・」

「せめて、願うよ。あの人が・・・・僕以外の人間には、殺されないでいてくれる、ことを。」

 板見がうつむいたまま、唇を前歯に挟むように強く噛んだ。

 深山はもう一度、後輩エージェントのほうを、少し優しい表情で見た。

「板見くん、僕のこと、大丈夫かなって不安になってる?もしかして」

「あ、いえ・・・・」

「アサーシンに、情は無関係。だからこそ、借りは返したんだよ。」

「そうですね。」

「君の心配は、それだけじゃないね?」

「・・・・・」

「高原の腕を考えると、いかに僕でも、危ないって思ってるでしょ。」

「えっと・・・・はい、少し。」

「あははは。でもそれは、残念ながら、当たらない心配だよ。」

「・・・・・」

「簡単なこと。実力がほぼ拮抗していたとしたら、どちらが勝つと思う?・・・相手を殺す気がある人間と、ない人間と。」

「・・・・・そうですね。」

 板見はコーヒーカップを少し強く握りしめていた。



 朝日が差し込む事務室で、茂は給湯室へふらふらと入り、目覚めの麦茶を飲み干していた。

 昨夜は、というか今日未明は、高原と葛城を自宅へ送った後、事務所へ車を返しに来て、自分のアパートへは歩いて帰るつもりだったがそこで力尽き、事務所の当直室に泊まった。

 しかし茂はひとりではなかった。最初から帰宅するつもりがなかった山添も事務所に泊まり、そしてまだ寝ている。

 日曜朝の事務所は出勤者の出足が遅いが、山添が眠そうに畳の部屋から起きて出てきたのはそれから三十分ほど後、茂がトーストと卵を食べながら端末をチェックし始めたときだった。

「あ、いいなー。トースト、まだあります?」

「はい、卵はゆでておきました。今、パンも焼きますから。」

「ありがとう、河合さん」

 給湯室で自分の分のトーストを受け取り山添が茂とともに応接室へ入り、テーブルの上の卵を手に取る。

「いつも池田さんが新鮮な卵を常備していてくれてありがたいですね。卵は総合栄養食ですから。」

「便利ですよね。」

「河合さんはプライベートではなにかスポーツするんですか?」

「いえ、とくに・・・・。山添さんはトライアスロンがプロ級だと聞きました。」

「そんなでもないですよ。社会人になってから始めたんですから。」

「学生のころはダンス部ですもんね。すごくお上手だったです。素人の俺が見てもなんとなくわかるくらいに。」

 山添はパンをほおばりながら笑った。

「踊りって、なんか分野が違ってもちょっと共通するものがあるらしいですけど、河合さんは今までさんざん、三村英一さんの舞を見てきたから目が肥えているんじゃないですか?」

「えっそれはそんなことは多分ないと」

「そういえば、武道と踊りも、まったく共通点がないわけじゃないですよ。体の軸の使い方とか足腰とかね。河合さんも武道上達のために、ひとつ踊りでも。」

「いえあの、とりあえずやめときます」

「あははは。三村さんが無料教授してくれそうなのになあ。河合さんだったら。」

「そんなことは絶対ないと思います」

「三村さんだって、舞のために剣道をしてるっておっしゃってたし、」

「はあ・・・」

 山添は朝食を食べてしまうと、麦茶を一口飲み、そして少し目線を上げてなにかを思い出すような表情をした。

「夕べ、というか今日の未明というべきですかね、三村さんが晶生に言っていたことが、ずっと頭を回ってます。」

「・・・・えっと、実は、俺もです・・・・」

「内容もですが、やはり、三村さんの様子がすごかった。」

「・・・・はい。」

「そしてむしろ・・・おっしゃっていた言葉自体は、なんとなく・・・たくさんお話になった割には・・・・」

「そうですよね。内容は、結局あまりたくさんじゃなかったです。」

 山添は、笑った。

「三村さんは、すごく頭がいい、理路整然とした人なのに、なんだか冗長だった、ってことですよね。」

「そうなんです。要約すると、結局・・・」

「そうですね、結局・・・・」

 朝日は次第にその光と高さを増していく。


 朝日が南の空で次第に高くなり、塀の中の植木を透かして木の扉に反射している。門扉が開き、白い車が巨大な日本家屋の敷地内へ乗り入れ、玄関前で停まった。

 玄関の戸がほぼ同時に開き、和服ではなくカジュアルな洋装をした三村英一が、客を出迎えた。

「おはようございます。お疲れのところ、わざわざ申し訳ありません。いつでもよろしかったのに・・・・」

「いえ、間が空くと忘れてしまいそうで。こちらこそ、お休みのところすみません。すぐにお暇しますから。」

 高原は笑顔で、手元の紙袋を英一へ手渡した。

 英一は恐縮した表情で、一礼する。

「あんなところに落としてしまって、もう戻ってこなくて当然ですのに、ありがとうございました。」

「うちの山添が気がついて。行きは持っておられた上着を、お帰りのときは持っておられなかったので、見に戻ったら落ちていたそうです。」

「あはは・・・」

 墓地で、墓碑の前で、高原の襟首を英一が掴んだときに英一が地面に落とした上着を、数時間後に届けに来た高原のその表情を英一は改めて見つめた。

 メガネの奥の、知性と愛嬌が不思議に混じったいつものその両目に、深く優しい微笑みが湛えられていた。

「・・・・三村さん?」

「いえ、高原さんが笑っておられるのが、ちょっと今日は妙に・・・特別なことのような、感じがします。」

「え・・・?」

 どうぞ、お入りくださいと言おうとして、英一は失敗した。

 そして、ぎこちない咳払いの後で、ふっと左後ろの植木のほうを見た。美しい白い花がいくつもついていた。

「高原さん、これから事務所へ?」

「はい。」

「今朝花をつけたんですが、よろしければ何本かお持ち帰りください。」

「はい。」

 英一は、背中を向け、花を選び始めた。そして左手を両目の前に翳し、少し押さえた。

「日が高くなってくると、ここは眩しい。もう少し刈り込みを控えるように庭師には言ってあるんですが・・・・」

「・・・そのようですね。」

 そのまま英一は、後ろを向いたまま、ずっとそのままでいた。

 高原は、やがて、言った。

「墓地で、三村さん、あなたはたくさんのことを言ってくださったけれど、でも結局、たったひとつのことだけを、言ってくださった。」

「・・・・・・」


 応接室のソファに座ったまま少し上を見て、山添が、言った。

「そう、結局この言葉に尽きるんですよね。・・・”我々は、あなたに、幸せでいてほしい。あなたに笑顔でいてほしい。でも、自分たちになにができるのかわからない。いったい、どうすればいいんですか?教えてください。”・・・・つまりは、たったの、これだけのこと。」


 高原が英一の背中へ向かって、言葉を送り続ける。

「あんなに取り乱した三村さんを見たのは、後にも先にもあのときだけかもしれませんね。それも私なんかのために、です。・・・・驚きました。そして・・・・本当に、嬉しかった。」

「・・・・・・」

「そして・・・・あなたが言ってくださったことと、まったく同じことを、私も、あなたに言いたい。それが今日、私が、言いたいことです。」

「・・・・」

「言っても仕方がないって、あなたも、私も、そして皆、わかっているのに。でも、どうしても、言いたいこと。そうですよね。」

「・・・・そうですね。」

「大丈夫です、三村さん。こちらを向いてくださいなんて、言いませんから。」

 英一は背を向けたまま、少しだけ、うつむいたように見えた。


 茂は少しうつむき、そして再び山添の顔を見た。

「はい。そしてそれは・・・」

 山添は、複雑な表情で、しかし優しく、笑った。

「ええ、答えなんか、大概、わからないでしょう。いえ、もっと正確に言うなら・・・・ループするんです。だから、言っても仕方がないことなんです。それなのに、その問いを、どうしても、やめることができない。」

「はい。」

「おんなじところを、ぐるぐる回る。」

「・・・・・」

「でも、きっと、二度目三度目に回ってくるときは、その前のときとはなにかが違う。そう思いたいものです。」

「そうですよね。」

「解決できないことであっても、問題の存在自体を認識することだけでも、いつか何かが違ってくると、おもいます。」

「はい」

 その時、従業員用入口をカードキーで開ける音がして、足音が事務室内へ向かってきた。

 山添が立ち上がり、茂も続いた。

「怜でしょう。あと、晶生も今日は来るって言ってましたね。」

「はい!」

 茂はその顔に、最上級の笑顔を用意して、山添に続いて応接室を出た。

 窓の外で、朝日はさらに高さを増していた。

第十三話、いかがでしたでしょうか。

次回は月ヶ瀬警護員が警護をします。

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