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五 不毛

 英一は坂を上りきったところにある教会の前で車を停めた。

 車を停め、降りるのはもう何か所目かになる。ひどく汗をかいたため脱いで助手席に置いていた上着を、再び手に取り、教会左手奥の墓地へと向かう。

 階段状になっている墓地へ回ると、奥の小さな墓碑の前で、高原が手になにも持たず、人形のように少しも動かず立っているのが見えた。

 すぐ近くまで行ってから、英一は高原に声をかけた。

 振り向いた高原は、英一を見ても驚いた様子は見せなかった。

 それは驚かなかったというよりも、反応しなかった、という表現のほうがふさわしかった。

「こんな時刻に、墓地で過ごす趣味がおありとは知りませんでした。」

 高原がようやく少し表情を和らげた。

「・・・お恥ずかしいことです」

「生きている人間では、相談相手になりませんか?」

 英一は足元に目をやる。墓碑には、かつて大森パトロール社に所属し、そして殉職した、警護員の名前が刻まれている。

 小さくため息をついて、高原は宙へ視線を止めた。

「殉職した警護員に、一言謝罪をしたかっただけです。それ以上のものでは、ありませんよ。」

「高原さんは、本当に変わったかたですね」

 正面から高原をを睨むように英一はその視線を相手の目に向ける。

「・・・・・?」

「警護は天才的なのに、ご自分のことについては、恐ろしく無防備でいらっしゃる。どこまでも、なにもわかっておられないのですね。」

 目を少しだけ見開いて、高原が英一を見返す。

 そして、すこしメガネの奥のその知的な瞳を細め、微笑した。

「はい・・・・。言われるまで、教えてもらうまで・・・・気がつかなかった。そうなんです・・。」

「・・・・・」

「皮肉なものです。私と、一番遠いところにいるはずの人間たちが、私にまっすぐ警告してくれた・・・。あのプロ集団の殺し屋と、そして同僚の月ヶ瀬に、まったく同じことを言われました。そしてそれは、正しい指摘です。」

「そのようですね。」

「私は、自分のことだけを考えて行動して、ずっと、仲間たちに甘え続けてきたんだと思います。このままでは、いけないことは確かです。このまま、警護員を続けていくことは、できない。」

「高原さん」

「でも、どうしても、ではどうすればいいのか、分からないです。」

 高原は力なく笑った。

 英一は、その端正な両目を少し細めて、目の前の、刺すような知性を湛えた、超一流の、しかしやはり自分の前では情けない顔を見せることのほうが多いボディガードの両目を見据えた。

「それで・・・どうなさるんですか?ずっとそのまま、悩んでおられるつもりだとでも?」

 珍しく、英一の両目に激しい怒りが浮かび上がった。

 高原は両目を伏せた。

「そういうわけにも、いかないですね。」

「警護の仕事など、やめておしまいなさい。」

「三村さん・・・」

「あなたほどの人なら、どんな仕事だってできますから。今の仕事を続けられることなんか、ないですよ。」

「・・・・・」

「そして、百もご承知でしょうけれども、申し上げましょう。そうすることが、一番良い方法ですよ。葛城さんや山添さんやほかの仲間たちや・・・・河合もです、そういう人間たちを、これ以上あなたのことで苦しめないために。あなたが警護員をやめること、これ以上の良い方法はありません。二度と、あなたの安全を心配する必要がなくなるんですから。」

「・・・・はい。」

「あなたは、葛城さんと初めて私が出会った、あの警護案件で、私がなぜ大森パトロールさんを尊敬するようになったか、ご存じでしょうか」

「・・・・・」

「理由は、ふたつあります。ひとつは、警護員が、ご自分の安全よりも他人の安全を優先し・・・それはクライアントのみならず、敵である人間の安全すら守ろうとその生命をかけられたこと。」

「はい。」

「そしてもうひとつは、警護員たちが、私の安全より、私の気持ちを優先してくださったことなんですよ。」

「えっ・・・!」

 英一は表情を和らげ、しかし視線を相手から外さず言葉を続ける。

「河合が、せっかく私の親戚がつくってくれた完璧な保護の壁を、見事に壊した。俺が仕事をあきらめて身の安全を保障されるよりも、したいことをすることが、重要だと言ってくれた。そのために、どんなことをしても、守ると言った。」

「・・・・・・」

「最悪です。大森パトロール社さんがこれまで築き上げてきた大切な鉄則、価値観、ポリシーを、壊すとまではいわなくても、かなり揺るがすことだったはずです。」

「・・・そうですね。」

「ただし確かなことは、私が、その日から、ボディガードという仕事を多少は尊敬するようになったということです。」

「・・・・・」

「でもね、高原さん。」

 もう一歩足を踏み出し、英一は高原のごく近くまで来た。

 何も言えず英一を見返す高原に、英一は言葉を続ける。

「だからどうだというんでしょうか。彼らのその行動は正しかったのか。そうではなかったのか。誰が、決めることができると思いますか?」

 英一が、再びその顔から微笑を消していた。

「高原さん。しかし私は・・・これだけは自信をもって申し上げられます。あなたは、根本的に間違っている。葛城さんやあなたの会社の仲間たちが、どんな思いでいるか、結局のところ今も昔も、まったくわかってなどおられない。」

「・・・・・」

「今は、わかった、などという言い方をされましたが、とんでもないことです。いい加減にしてください。」

「・・・・・」

「あなたは、なにも、わかっていない。」

 高原は驚愕して英一を見た。その、高原に匹敵する長身の、黒髪の美青年の表情は、明らかに本人の理性の制御を超えた怒りに支配されていた。

「・・・三村さん・・・・」

「彼らが、・・・いえ、私も含まれるとするならば、我々と言うべきかもしれませんね・・・・・我々が、いつ、あなたになにかを求めましたか?そうです、あなたのおっしゃるとおりですよ。いつも死ぬほど心配ですよ。あなたはご自分を守ることなど小指の先ほども考えておられないだけじゃない、いつも、それどころか・・・・・・」

 さらに英一が一歩全身し、高原は一歩下がり墓地を囲む低木に背中が触れ立ち止まった。

 高原の襟首を、英一が掴んだ。

「・・・・・!」

「それどころか、ご自分のことそのものを、否定しておられる。そう、そのとおりですよ。」

 憤りで、英一の顔は紙のように白くなっている。

「しかし、だからどうだというんですか。皆、そんなことよくわかっています。それを、やめさせることができると、誰が思いますか?あなたが自分のしたい仕事をあきらめてまで?自分の生き方を変えてまで?自分の全部を狂わせてまで?」

「・・・・・それは・・・」

「どれだけ、バカなんですか?あなたは。どうして、わからないんですか?皆の、望みがなんであるか。あなたが、苦しむ、その苦しみが、千分の一でも軽くなってくれることですよ。それだけですよ。我々はね、我々が苦しまないためにあなたが苦しむことなど、この世で一番望まないことなんですよ。あなたが自分のしたいことをして死ぬなら、死ねばいい。納得できるやり方がほかに見つからないなら、見つけなくていい。わかりますか?」

 英一が息をきらせたのを見て、高原は唇をその色が変わるほど噛み、英一の両目を見た。さらに高原は驚愕した。

 英一が再び言葉をつないだ。

「そして・・・・最もなさけないのは・・・・・あなたが、わかっておられないことのなかでも一番なさけないのは・・・・あなたのことで、そもそもです、どうして皆がこれほど苦しむのか、です。わかりませんか?」

 ゆっくりと高原の襟元から手を離し、英一はうつむき、息を整えるようにしてその憔悴した両目を再び高原へ向けた。

 疲労の中に、微笑が戻っていた。

「続きは・・・・葛城さんに、話していただいたほうが、よさそうですね。」

 英一が振り向いた先に、葛城が、立っていた。


「怜・・・・」

 高原は安堵と罪悪感が綯交ぜになった表情で、葛城を見た。

 葛城は薄いTシャツと薄いスラックス姿だったが寒そうな様子もなく、むしろその額にはわずかに汗さえ滲んでいる。

 高原は、やがて静かに微笑んだ。

「よかった。怜。・・・無事で。怪我も大したことなさそうだな。」

「怒らないのか?晶生。それは・・・お前が、俺を、同じ目に遭わせたことがあるから?」

「・・・・・・」

「お前の、そういう、いつもいつも俺を甘やかすところが、本当にいやだ。」

「・・・・・・」

 両目を閉じ、葛城はしばらく黙った。

「・・・・やっぱり、怒らないんだね・・・・・晶生。」

「・・怜、お願いだ。」

「・・・・・」

「そんな顔を・・・しないでくれ。そして、頼む。警護員として、必要以上のことを、するな。」

「・・・・・」

「今回、お前がどういう行動をとって、どういうことになったか、だいたい想像はつく。」

「・・・そうだろうと思うけど。」

「そして、お前の厚意は、仇で返された。そうだな?」

「そうだよ。」

「業務の範囲を逸脱するな。そのことで、自分の身を危険に曝すことは、しないでほしい。」

「悪いけど、その要望は、きけないよ。」

「怜」

「俺は、また同じことをすると思う。懲りもせずに。わかっているよ、それがいかに、愚かなことか。そしていかに、身の程知らずなことか。」

 葛城は、手に持っていた小さな青い洋封筒から中身を取り出し、高原へと近づきそれを示した。

「これは、今日、犯人から俺を助けてくれた人物から、渡されたものだよ。」

「・・・・・」

 内容物は、写真が三枚と、メモが一枚だった。

 写真には、いつかの高原の警護で、駅のホームで刃物を持ってクライアントへ向かう瞬間の犯人がくっきりと写されていた。

 そしてメモにはこう記されていた。「貴方の親友へお渡しください。犯人逮捕に役立つはずです。感情が顔に出やすい葛城さんへ」

 葛城は伏し目になる。

「水木さんの警護のときにクライアントとお前を襲い、そしてこの前の木田さんの警護でもお前が対峙した、あの殺人専門エージェントだよ。」

「そうか・・・・・」

「これでふたつめの借りも返した、って言ってた。」

「・・・・・怜、お前本当に、どれだけ身の程知らずなことをしたか、わかっているか?」

「わかってるよ。犯人の動きには気づいたけど、もしも彼が犯人の手を押さえてくれなかったら、無事では済まなかったと思う。彼女の、犯行への決意は凄まじかった。絶対に、何度トライしようともクライアントを殺す決心だけで、行動していた。」

 高原がなにか言おうとしたのを、葛城は遮り、言葉を続ける。

「でも、これからも俺は、きっと同じことをする。警護員として、それがいかに理屈に合わないことだとしても、自分の人間をそう簡単に変えることなんか、できないから。そもそも俺は、自分がどうして警護員をしているのか、続けているのか、そのことにさえ答えなんか持っていないし。」

「怜・・・・」

「誰かを、守る。攻撃がそこにあるというだけが理由で。それ以外、わからないから。」

「・・・・・・・」

「自分にできることを、やるしかないから。自分が、やるべきことを、やっているかどうかだって、わからないけど。・・・・晶生、お前は、思っているだろう?どうして、他人に迷惑をかけて、生きていていいのか。自分の願望、自己満足でしかないことを、なぜやるのか。そう思って、毎日毎日、仕事をしている。そうだよね。」

「・・・・そうだと、思う。」

「なぜ、こんなにも、自分は無能なのかって。大森パトロール社が誇る、超一流のボディガードの、お前が。」

「・・・・・怜・・・・」

「お前は、あのプロ集団と接するまでは、警護は無失点だった。でも、あの茶室での事件で初めて・・・・事態が、変わったんだね。」

「・・・・ああ、そうだ。」

「本当に、殉職が、自分にも現実として、ありえることだと思った。そうだね?それまでの案件では、晶生の能力が案件の難易度を凌駕しすぎていて、危険が顕在化することがなかったから。」

「・・・・・・」

「そして、あの殺人専門のエージェントに出会って、なおのこと。」

「そうだ。」

「ようやく、はっきりと自覚、した。」

「そうだ。」

 葛城は大きくため息をつき、そして数歩歩いて、高原に大きく近づいた。

「警護員のできることって、どのくらいあると思う?晶生」

「少ないね。」

「では、命を捧げることは、どの程度役に立つの?」

「わからない。」

「お前の中で、どれだけの矛盾した事柄が一緒に存在しているか、俺にはわからない。けれど、そんなことは、俺の知ったことじゃない。」

「・・・・・・」

「晶生。俺が行方不明だった間、・・・少しは、いつも俺とか波多野さんとか崇とか茂さんとかが・・・・どんな気持ちでいるか、想像してみた?」

「・・・してみた。」

「いや、前からわかっているよね。とっくに。そうだとは思うけど。」

「とっくに、わかってる。もちろん。」

「そうだよね。でも、これからもお前は、きっと、変わらない。これからも、矛盾だらけで、わけわからなくて、天才警護員で、なのに無謀で。」

「・・・・」

「そして俺は、これからも、死ぬほどお前のことをいつも心配しなきゃならないんだ。仕方がないよ、これからも、そうなんだもの。でも、お前に、変われなんて、言わない。これからも、好きにすればいい。」

「・・・・・」

「お前が変わらないように、俺も、変わらない。怒るし、止めるし、責めるよ。これからも。どんなに意味がなくてもね。それから、もうひとつ。」

「・・・・?」

「俺は俺で、好きなようにやらせてもらう。でも同時に・・・・お前に、悲しい思いはさせない。絶対に、お前より先には、死なないよ。」

「・・・・怜・・・・・。」

 高原は打ちのめされたような表情で、同僚の顔を見た。

「怜、ごめ・・・」

「謝るな」

「・・・・」

「謝るな、晶生。それは、ゆるさない。」

「・・・・わかった」

 葛城は、じっと同僚の顔を見上げ、硬い表情のまま、ただ高原の顔を、見ていた。

 月と太陽が入れ替わる時刻が近づいていた。


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