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四 自棄

 高原が大森パトロールの事務所へ戻ると、日付が変わったばかりの深夜にも関わらず明りがついていたが、事務室にいたのは波多野営業部長ではなく、艶やかな黒髪をした同僚だった。

「波多野さんはもうすぐこちらへ戻られると思うよ。外から携帯で君に電話はされたと思うけどね。」

「月ヶ瀬、・・・知ってるんだな。」

「現場が近いから波多野さんがそっちへ一度行くっておっしゃって。波多野さんが戻るか君が来るまで、留守番することになった。さて、じゃあ僕はもう帰るよ。」

 月ヶ瀬は自席から立ち上がり、事務室出口へ向かって歩き、途中で高原とすれ違う格好になる。

 高原の脇、ほぼ真横まで来た月ヶ瀬は、同僚の警護員の横顔を見て、そして言った。

「・・・山添と、葛城の、甘いところはね・・・・攻撃は最大の防御だってことを、少しも考えないところ。」

「・・・・・」

「攻撃は複数回数あることが多い。だから、一度目で、再起不能にしないといけないんだよ。これは、過剰防衛とはいわない。」

「・・・・・」

「そうしないと、二度目三度目が来るのは、当たり前でしょ。特に犯人が女性だったりすると、油断するんだろうね。」

「・・え・・・・・」

 月ヶ瀬は視線を高原から外し、事務所出口のほうへ向けた。

「二人とも、少し普通に考えていれば、大方予想はついたと思うけど。現実から目を逸らす。愚かだね。」

 高原は答えず、硬い表情で前方に視線を向けている。

 月ヶ瀬が、その凍るような美貌に、無慈悲な微笑を浮かべた。

「葛城が心配?高原。」

「・・・・・」

「身代わりが、ほんとの身代わりになってるかもね。」

「・・・黙れ。」

「怖い顔。そして君は、アンフェアだ。」

「・・・・」

「人の心配をすることがどんなに苦しいか分かっているくせに、自分は人に心配かけて平気。しかも、天然。つまり最悪のジコチュー。ばかじゃない?」

「・・・・・」

「・・・そして、葛城は、今たとえどうなっていたとしても、今の君よりはしあわせなはずだよ。誰の心配もしなくていい。だから、君は、よろこぶべきなんじゃないの?葛城の友達なら、さ。」

 月ヶ瀬はそれだけ言うと、事務室を出ていった。



 昼間とは打って変わって人気のないビル街の、人工の水面が煌めくコンクリートの広場の前に、葛城は事務所の車を停車した。

 となりに座っている女性はパーティー向けの髪型とメイクをして、黒のドレス姿のままうつむき、膝の上に置いた両手を震わせている。

 葛城は布の切れ端を巻き付けた自分の右手からにじむ血を気にする風もなく、むしろ女性のほうを気遣うようにその様子を見ている。

 しばらくしてようやく、女性が言葉を出した。

「すみません・・・・。ボディガードさん。敏江を、いえ、あなたを襲った私なんかの、望みをきいてくださって、こんなところまで・・・。怪我までさせてしまったのに・・・・。」

 葛城は優しく柔和な表情で、しかし両目には固い色を残したまま、女性の顔を見た。

「どうして、お友達を襲うようなことを・・・?」

 女性はさらにうつむいた。

「敏江は私を親友と思っているかもしれないけど、私、一度もそんなこと思ったことないんです。」

「・・・・・」

「同じサークルだし、一緒に行動しているけれど、敏江が誘うから応じているだけです。どこへ行くのも、何をするのも、今まで一度だって私から言い出したことなんかない。」

「・・・・」

「私の都合なんか、あの子は関係ない。そして少しでも冷たくすると、しつこく責める。でも・・・私が助けてほしいときは、助けてくれない。私が同じサークル出身の男性にしつこくつきまとわれて、命の危険を感じたとき、敏江は自分を巻きこまないでくれって、言ったんです。」

「・・そうですか」

「初めて、絶交する決意ができた。私いままで、自分から友達を切ったことなんかなかったから。でも、ほとぼりが冷めたら、自分の婚約について私に嬉しそうに話して。祝ってもらって当然という顔で。」

「・・・・・・」

「私が何に怒っているか、あの子には理解できないんです。ストーカーの怖さも、友達に裏切られるかなしさも。」

「それで・・・・存在しないストーカーからのメールを送ったり、今日の計画を・・・・?」

「本当に殺すつもりなんかありませんでした。怖い思いをしてみてほしかった。」

 葛城は固い目の光を崩さず、前を向いた。

「最初に私を襲った男は、あなたが用意した人間だと思いますが、あの男も本気ではなかったと?」

「ボディガードさんにあんなに簡単に倒されるとは思いませんでしたが、ちょっと怪我させるくらいってお願いしてました。」

 女性は葛城のほうを見た。

「ちょっと、外に出てもいいですか?」

「はい。」

 葛城は先に降り、助手席から降りてきた女性の傍についた。

 女性は空を見上げ、そして夜の空気を吸い込み、遠くを見た。

「ボディガードさんは、どうして私にこんなに優しくしてくださるんですか・・・・?私が心配しないように携帯電話まで捨ててくださった。」

「・・・・パーティーで、友人代表のひとりとしてスピーチまでしていた、親友のはずの貴女がどうしてこんなことをしたのか、知りたいと思ったからです。私の領分を越えたことですが。」

「ごめんなさい。私が控室へ入ってきた瞬間、私が誰だかわかって、私に怪我させないことを一番に考えて攻撃を止めてくれたんですよね・・・・。だから、ご自分が手に怪我までされた・・・・。」

「襲撃者を排除するとき、襲撃者の負傷を回避する、というスキルは、我々ボディガードは通常必要とされないので、少し手元が狂いました。お恥ずかしいことです。」

 葛城は初めて、少しだけ笑顔になった。

 女性も、葛城を見て笑った。そしてその顔はすぐに曇った。

「わたし、自首します。敏江に、全部話します。ボディガードさんに出会って、自分のみにくさが、わかりました。」

 うつむいた女性の両目から、やがて涙がこぼれ落ちた。

 涙は止まらず、そのまま女性は両手で顔を覆い、体を震わせ泣き続けた。

 葛城は、優しい表情で、両手をそっと女性の両肩へ置いた。

「泣かないで。貴女のお考えに任せます。我々はクライアントの安全確保が仕事です。私からは、誰にも、何も言いません。」

 涙で濡れた顔をあげて、女性は葛城をしみじみと見た。

「ありがとう・・・ボディガードさん・・・」

 女性は、葛城の胸に顔を埋めた。葛城は両手をその背中に優しく回してやった。

 そのとき、葛城の背中に回った女性の右手に、光るものが構えられ、その刃が閃いた。



 月ケ瀬が帰り、波多野営業部長が戻るまでの間、高原は事務所の自席で両肘をつき端末画面に意味なく目を向けていた。

 脳裏に、数日前にあの殺人専門エージェントから向けられた言葉が蘇っていた。・・・・「もしかして、あなたは、自覚していないの・・?」・・・・

 自分が、これまで、他人にかけてきた様々な心配や負担について、それがよもや、自分の自由意思に起因するものだということを、考えたことがなかった。

 ・・・・「警護のために死ぬというより、死にたくて警護をしているように、見えるよ」

 葛城が行方不明になっていること・・・・・それは高原にとって、自分自身が負傷したり死んだりするよりも、苦痛は何倍も大きい。

 そして以前、葛城が警護で重傷を負ったとき、さらには山添や月ケ瀬、茂が命の危機に瀕したとき・・・・自分がどういう気持ちになったか、鮮やかにその記憶はいつまでも残っている。

 その思いを、自分自身が、不必要な場合に不必要な人間にまで、課していたとしたならば、それはいったいどういうことなのか。

 葛城を心配する強い思いと、これまでの自分を責める重圧という、ふたつのまったく異なる、しかしいずれも強烈な負の感情が、心臓を締め付けるように高原を責め立てていた。

 頭の中が、これまでに経験したことのない、混乱をきたしていた。

 ふいに、高原の携帯電話が鳴った。しばらく反応しなかった高原は、十回以上コール音が響いた後、ようやく応答した。

「はい、高原・・・。・・・・三村さん?」

「すみません、お仕事中に。」

「あ、いえ・・・・」

「・・・・大丈夫ですか?」

 高原は呼吸を整え、答える。

「ありがとうございます。ご心配してくださったんですね・・・。まだ、怜は、見つかっていませんが、あいつはあれでも手練れのガーディアンです。」

「そうですね。」

「・・・・・」

「高原さん、不安な点は、多分、葛城さんの性格なんでしょうね。」

「・・・・はい。」

「初めて葛城さんと出会ったとき、・・・それは私の警護をしてくださったときでしたが・・・・・普通なら葛城さんはなんの怪我もする必要のない場面でした。しかしあの人は、自殺しようとした犯人を、身を挺して助け、重傷を負った。」

「・・・・・・」

「今回も、あの人がその性格ゆえに、警護員としての範囲を逸脱してしまったために、身の危険を招いたような・・・・そうしたことでなければ、よいと思いますが・・・・」

「・・・・・・」

「高原さん・・・・?」

「あいつは・・・・他人のために、いつも自分の全部を捧げます。それが、あいつの全てと言ってもいいと思います。あいつには、生きていてほしい・・・・」

「・・・・・・」

「そしてあいつに詫びたいです、私は」

「・・・・・・」

「私は、いつも、自分のことしか考えていなかった気がします。自分のしたいことを、していただけだったような気がします。あいつの気持ちも、他の仲間たちの気持ちも、わかっているつもりだっただけで、実際には本当の意味で、考えたことはなかった。」

「高原さん」

「自分が満足できる警護をしたくてただやってきたつもりでした。でも、それは間違ったことだった」

「・・・・・・」

「怜もほかの仲間たちも、他人のために常に命をかけている。しかし私は、自分の勝手な欲望を満たすことしか、考えていませんでした。」

「・・・・それは、少し・・・・」

「死ぬべきは怜じゃない、私です」

「・・・・高原さん、どうされました?」

「これは、絶対に・・・・おかしいです・・・・」

「高原さん!」

 電話が切れ、三村英一はそのまま上着を取りに立ちあがった。



 波多野営業部長、山添、そして茂の三人が大森パトロール社の事務室へ入るのとほぼ同時に、山添の携帯電話が鳴った。

 電話に出た山添が、その場に崩れるように膝をつき、茂が驚いて駆け寄った。

 山添は前方の波多野と、自分の脇で自分の腕を支えた茂とを順に見て、言った。

「・・・怜からです。無事だそうです。」

 波多野は大きく息を吐き出し、手近な事務机の椅子に座って両手両足を投げ出した。

 茂は、山添の腕から手を離し、そのまま自分が床へ座り込んだ。

「もしもし、今どこだ?怜・・・・どれだけ心配したと・・・・・」

 そこまでしゃべった山添が、言葉を止めた。

「怜・・・・?どうした?大丈夫か?」

 茂が床に座ったまま、山添の顔を見た。

「もしもし?」

 しばらく沈黙していた葛城が、再び話し始めたようだった。

「・・・・そうか、じゃあすぐにこっちに着くな?手の怪我は大丈夫か?わかった。詳しくはこっちで説明してくれ。波多野さんもいらっしゃるから。ああ、晶生は・・・・」

 山添はそのとき初めて、事務室内に高原がいないことに気がついた。

「ちょっと今はここにはいないな。それじゃあ。気をつけて帰ってこいよ。」

 波多野が椅子にふんぞり返り脱力したまま、力なく山添のほうを見て尋ねる。

「で、怜はいったい何だって今まで行方をくらましていたんだって?」

「それが・・・・犯人と一緒だったそうです。自首を説得したそうです。携帯電話は、勝手に通報しない証拠に捨てたんだそうです。」

「なんてこった。」

「しかし、犯人に改心の見込みがないことがわかり、警察に身柄を確保してもらったそうです。」

「そうか。」

「電話は警察署の中からかけてきたとのことでした。怜は一旦解放されましたが明日以降また事情聴取があるらしいです。」

「そうだろうな。・・・・・で、犯人は、やはりお友達か。」

「・・・・はい。」

 波多野と山添は同時にため息をついた。

 茂がしばらくして言った。

「高原さん、事務所にいらっしゃるはずだったのに、おられないですね。・・・・きっと葛城さんのこと心配しておられるでしょうから、知らせてあげたほうがいいですよね。」

「あ、そうですね。」

「まったくあいつ、どこへ行ったんだか」

「たしかに・・・・・」

 山添が携帯電話の高原の登録番号を呼び出し、発信する。

 ところが、山添がかけた先の携帯電話が、ほぼ数メートル先にあることがその呼び出し音から判明した。

「えっ!」

 高原の事務机の上に置き去りにされた業務用の携帯電話が、むなしく呼び出し音を鳴り響かせていた。

 三人は同時に立ち上がった。

「た、高原さん・・・・・」

「どういうことだ?」

 波多野は、再び椅子にどかっと座り、天を仰いだ。

「怜といい、晶生といい、一体どうなってるんだ・・・・。警護員が、非常事態でやむを得ない場合を除き、業務用の携帯電話を手元から離すということは、絶対にやってはいけないことだ。警護員の勤務上の規定であると同時に、本人の安全のために必要な習慣でもある。」

「はい・・・・・」

「しかも、怜の場合はまだしも・・・・いや、もちろん、帰ってきたら死ぬほど説教せねばならんが・・・・しかし晶生は、いったいなにがなんだか、訳がわからん。こんなことは、初めてだ。」

「単なるミス・・・でしょうか・・・・」

 山添は、高原の携帯を手に取りながら、首をふった。

「・・・ありえません。」

「・・・・・・」

 今度は茂の携帯電話が鳴った。

 発信者名を見て、意外そうな顔をして茂が応答す。

「河合です。・・・三村、こんな時間に俺に何の・・・・・・え?・・・ああ、そうだよ、どうしてわかった?」

 茂が話しながら山添の持っている高原の携帯に目をやる。

「・・・・だめなんだ、携帯電話を事務室に置いていってしまわれた。」

 電話を終え、茂が波多野と山添に向けた顔は、不安の色を増していた。

「河合さん・・・?」

「三村が、少し前に高原さんと電話で話したとき、明らかにその様子がおかしくて・・・というより半分錯乱に近かったって言ってました・・・葛城さんを心配して、というのはもちろんだし、それだけじゃない、異様な感じだったって。」

「え・・・・・」

「その後何度電話してもつながらないんで、俺のところに電話してきたそうです。今、出先だって言ってました。高原さんが行きそうな場所、いくつか当たるそうです。我々のほうにも心当たりはないかって。」

 山添はうつむいて一瞬考えこみ、そして、床へ視線を落としたまま、言った。

「俺は、一か所、あります。それから・・・怜にも、聞いてみましょう。」

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