三 身代わり
山添が事前に話してくれた解説によれば、社交ダンスのサークルは年配者で構成されるものが多く、今回のクライアントの所属しているような若い人ばかりのものは割と珍しいとのことだった。
結婚式場の宴会場は手前の建物入口に近いあたりに立食の食事スペースが作られ、壁際にいくつか椅子が並んでいる。そして会場奥は広く空間が開けられ、流れる音楽に合わせ踊れるようになっていた。
出入り自由なざっくばらんなパーティーは夜空に月が高く上ったころ始まった。日付が変わるまで会場は開放されることになっている。
入場できるのは招待状を持った客だけであるが、会場スタッフのチェックはあまり厳しくない。
茂は思わず出入り口で招待客の関所をしていたが、クライアントの婚約者が茂のところへ来て、あまりゲストを煩わせないでくださいと言ったので仕方なくやめた。
地上階にある会場の大きな窓からは裏庭の木々が見え、月明かりとライトアップの光を透かして時折風に葉を揺らしている。
パーティーが始まってすぐに招待客の何人かのスピーチがあった後は、ダンスタイムが続く。数回、パートナーが変わっていく趣向のゲーム的なものが行われ、茂は距離を詰めて見守る。
再び自由なダンスタイムとなり、入れ替わりながら概ね二十~三十人いる客たちは思い思いに華やかにドレスアップした姿でフロアを舞い滑る。
今日はメイン警護員の山添も、そしてサポートの葛城も、非常用に携帯電話を服の中に装着しているが、インカムはつけておらず、茂も同様のため、ふたりの先輩警護員との常時通信はできない状態である。
クライアントは婚約者とはたまに踊るだけで、基本的には別の男性と踊っており、そして極力山添を選んでいるが周囲から不審がられないよう、その頻度は限界がある。
山添は他の女性と踊るときも、クライアントの襲撃圏内から外れない動きを徹底している。
何度目かに山添がクライアントと組んだとき、茂は、会場奥の、スタッフとクライアントだけが出られる扉が静かに開いたのを見て、その次に山添と組んだ人物を見て、感心した。
予定通りの段取りだったが、あまりにも葛城がクライアントとスムーズに入れ替わったためだった。
「すごい・・・。」
クライアントは奥のドアの陰から、あらかじめ頼んであった会場スタッフとともに姿を消していた。
山添と組んだ葛城は、クライアントとまったく同じ服装・髪型だったが、唯一、そのダンスシューズのヒールが低くつくられたものであることと、多少ダンスの動きがおとなしいことだけが、こちらから見て分かる違いだった。
山添は目の前の同僚を見下ろし、微笑む。
「怜、ほんとにお前が、女性だったらなあと思うよ。」
顔があまり見えないように頬に髪を垂らしていても、尋常ならぬ葛城の美貌は目を射るような攻撃力である。純白のドレスの光を反射する滑らかな肌、ぞっとするような美しい切れ長の両目、人形のような鼻から唇のライン、それらが化粧をされると、さらに、この世のどのような美女とも次元が違う世界にあった。
葛城は山添の目を悪戯っぽい表情で見返し、笑った。
「警護中に無駄口は厳禁だよ。それじゃ、そろそろ行く。」
「ああ。」
奥のドアの前で山添から離れ、葛城はゆっくりと、クライアントだけが使える控室に続く廊下へ出た。しばらく歩き、途中の角を曲がったところに女性用化粧室がある。
山添は数秒の時間差をおいて、会場を後にする。茂もすでに会場にはいなかった。研修扱いとはいえ、茂には、会場スタッフとともにスタッフ用スペースへ身をひそめたクライアントを保護するという役割があった。
廊下をゆっくり歩き、化粧室まで十メートルほどを残した地点で、葛城は逆側の曲がり角から近づく人物の気配を感じ取った。
自分の顔が嬉しそうにほころんでしまったことに当惑しながら、身構え、襲撃者を迎え撃つ態勢をとる。
しかし葛城にはサポート要員の役割を越えた仕事は必要とはされなかった。
刃物の一撃目を葛城が身をかわして避けた次の瞬間には、犯人の背後から気配もなく近づいた山添が右の足払いと左手の一撃、たったこれだけの攻撃で犯人を床へ沈むように蹲らせていた。
「・・・大丈夫かな、生きてる?犯人。」
「俺の腕を信用しないのか?怜。失礼だなあ。」
「ごめんごめん。」
山添はしかしすぐに笑顔を消し、白いドレス姿のまま犯人を見下ろしている同僚のほうを見た。葛城の顔からも、短い笑顔は既に憂いにとって代わられていた。
「やっぱり、二度目は、ありそうだね。」
「ああ。」
葛城はスタッフ用スペースへ向かい、山添も会場へ戻るためその場を立ち去った。間もなく施設の警備員たちが犯人を確保した。
大森パトロール社事務室の自席を立ち、事務所出口へ向かった月ヶ瀬透は、逆に事務室に入ってきた上司とぶつかりそうになり、しかしなぜか機嫌の良い様子で微笑した。
「今帰りか、透。」
「はい、波多野さん。今日はこちらにはおみえにならないかと思っていましたが、ちょうどよかったです。」
月ヶ瀬は、その美しいと形容するには冷たすぎる、蒼みがよぎるような切れ長の漆黒の両目で波多野部長を見た。
「河合さんが研修受けてる案件ですが、今夜なんですよね。もう遅いとは思いましたが、失礼して内容見させてもらいました。」
「気になることがあるのか?」
「山添と葛城は、何年警護員をやってても基本的に甘いですから。人間がいかに醜いものか、そういう面を直視しない。」
「そうかもしれないな。」
「犯人は、ストーカーなんかじゃないと思います。そして攻撃は、イヤな二重構造かもしれない。河合さんは葛城とは別行動ですか?」
「そのはずだ。」
「なら安全性は十分ですね。」
「崇や怜と同じだけのキャリアを持つお前だし、その予想はあいつらと同じかそれ以上に当たるからな。つまり・・・ストーカーは偽装で、攻撃も一回目は・・・。」
「はい。そして二度目が本番かつ真犯人でしょう。ありがちなお話です。下らない。」
月ヶ瀬は、葛城より更に長い、そして艶やかな黒髪を左手でうるさそうにかきあげた。
日付の変わる時刻になり、パーティーはお開きとなった。
茂は客たち全体の動きに油断なく目を配りながら、クライアントを密かに先に会場外へ出し、再びクライアントに偽装して奥の専用控室へと向かった葛城を見送る。そしてすぐに施設スタッフ用スペースへ向かい、化粧室のときと同様に地味なオーバーコートで包まれた若狭敏江の傍につき、クライアントの婚約者とともに迎えに現れた山添へと引き継いだ。
山添が駐車場でクライアントとその婚約者が車に乗り会場を後にするのを見守り、車が走り去ると、遠巻きにしていた茂のほうを見た。
そして山添はすぐに、葛城が向かった、新婦専用控室へと足を運んだ。
茂が廊下ですぐに追いついてくる。
「・・・葛城さん、まだこちらへ合流してこないですね。中で着替えていらっしゃるんですね。」
「いや、ドレスの下にTシャツとスラックスを着こんでいるはずだから、着替えなんか一瞬のはずです。・・・おかしいですね・・」
茂は、ようやく山添の表情が普通でないことに気がつき、背筋が冷たくなるのを感じた。
二人はほぼ走るようにして、控室まで到達し、扉を開けた。
鍵はかかっていなかった。
部屋の床には、葛城が着ていた白いドレスと、髪をまとめていた大きなヘアピン、そして身につけていた非常用の携帯電話が残っていた。
そして、点々と赤い血痕が、ドレスから床まではっきりとついていた。
「・・・・・!」
「か、葛城さん・・・・・」
山添は唇を噛み、茂のほうを一瞥して指示を出した。
「河合さん、会場スタッフに知らせてください。俺は従業員用駐車場を見てきます。」
「はい!」
式場のスタッフとガードマンたちに現場を見せ状況を説明した茂が、山添を追いかけて従業員用駐車場まで来ると、山添は車が停まっていない駐車スペースに立ったまま携帯電話をかけていた。
「はい、車もありません。助手席側の乗り口と思われる場所に、微かですがやはり血痕があります。はい。警察に届けます。」
「山添さん・・・・」
電話を終え、山添は茂のほうを振り向いた。
「波多野部長へ報告しました。」
「いったい・・・葛城さんは・・・・」
山添は自らを嘲るような笑みを、短い間浮かべ、そして目を伏せた。
「真犯人が我々の予想通りだとしても、そうでないとしても、・・・・・かなり、よくない状況です・・・。」
「・・・・・・」
「すみません。俺の予想が、甘かったと、思います。」
地面の上にはまだ新しい血痕が、月に照らされ浮かび上がっていた。
日付が変わるころ、高原は内ポケットの携帯電話のコール音に会話を中断され、相手に詫びて携帯電話に応答した。
「はい、高原・・・・はい、大丈夫ですが。・・・・・」
向かいの席でコーヒーカップを口に運びかけた英一は、目の前のメガネが似合う知的なボディガードが、たちまち表情を変えたのを見て驚いた。
「・・・はい。・・・誰も、目撃者はいないんですか?・・・そうですか、わかりました・・・」
電話を終え、携帯電話を手に持ったまま、高原がしばらくそのままでいるのを見ていた英一は、自分から声をかけた。
「高原さん。警護員のどなたかに、何かありましたか・・・?」
高原が我に返ったように英一を見た。
「・・・怜が・・・・葛城警護員が、警護中に行方不明になりました。」
「なっ・・・!」
「彼が扮装に使っていた衣服と、携帯電話だけが残されていたそうです・・・血のあとと一緒に。」
「それは・・・・・」
高原は視線を下げ、テーブルを見つめた。
「連れ去られたとしたら、あいつは生きて、なおかつ自分で歩ける状態で連れ去られたとは思います。そうでない人間を誰にも見られずに、いかに真夜中とはいえ施設から運び出すことは難しいはずです。」
「はい。」
「駐車場の、事務所の車もなくなっていた。怜が自分で運転したと考えるのが自然です。」
「はい。」
「・・・しかしいずれにせよ・・・・警護員として、絶対にありえない状況です。彼にもしも、行動の自由があったとしたなら。」
「そうですね・・・。」
英一は、蒼白になっている高原の顔をじっと見ながら、高原が言いそうで言わないことを、彼の代わりに言葉にした。
「高原さん、いずれにしても事務所へ戻られたほうがよいですね。」
「・・・・・」
「知らせも、入りやすいでしょう。」
「・・・はい。」
高原はむしろためらうように答え、そしてようやく立ち上がった。
英一はその端正な両目で目の前のプロのボディガードを・・・・・やはり自分が最もよく目にする、まったく職業的でない状態の彼を、見上げた。
「お気をつけて。高原さんがそうだったように、きっと、葛城さんも無事でいらっしゃると信じています。」
「・・・ありがとうございます、三村さん。」
最近英一とよく雑談するようになったコーヒー店を後にし、高原は歩いて目と鼻の先である大森パトロール社までの道のりが、まるで永遠のものであるように感じながら、重い足を引きずるように進めた。
前回の警護で、高原が一晩連絡がつかない状態になった上にその社員証を所持した死体が発見され、その後高原が無事戻ったとき狂乱寸前まで激怒していた葛城の姿が目の前に蘇る。
「あの時は、本当にすまなかった。怜・・・・。」
自分が同じ目に遭うことは、天罰なのだと思いながらも、高原はそれが免じられることを懇願していた。
「・・・お願いだ、怜、無事でいてくれ。頼む・・・・・・」