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二 当惑

 河合茂は平日昼間勤めている会社で、今日も馬の合わない同期入社の三村英一にこき使われた一日が終わり、気を取り直して帰り支度をしていた。

 同じ係の斜め前に座っている英一が、自分を呼ぶのが聞こえる。

「おい河合」

 無視していると英一がもう一度声をかけてくるかと思ったが、二度目がない。

 茂が顔を上げると、英一が携帯電話をチェックしている。

「三村、用がないならもう行くよ。」

「ああ、特に緊急のことじゃないからな。高原さんからメールが来てて」

「ん?」

「今度大森パトロール社のみんなで飲みに行くから参加しませんかって。どうしようかな。」

「断れ。」

 英一は、その嫌になるほど整った顔の、端正な漆黒の両目を上げて、茂の透き通るような琥珀色の目を面白そうに見る。そして再び携帯電話のメール画面に目を落とす。

「えっと・・・河合警護員も参加する日を選んでお誘いしますので、よろしく、だってさ。お気遣いありがたいから、お断りはできないよな。」

「お前、夜は本業の舞の稽古があるんだろ。」

「まあそうだけど、代講にすればいいからね。お前、今日は大森パトロール社に顔出すのか?」

「出すけどそれが何か?」

「高原さんによろしく伝えてくれ。ぜひ参加します、と。」

「なにも聞こえない」


 茂が土日夜間限定で警護員として勤めている大森パトロール社の事務所に顔を出すと、珍しく事務室には誰もいない。

「・・・・?」

 明りがついているので、無人ではないはずだが、誰の姿も見えない。

 茂が尊敬する先輩警護員の高原晶生、葛城怜、そして山添崇、この三人はフルタイムの警護員なので、警護業務が入っていなければ三人のうち大抵ひとり以上は事務所にいる。壁の動静表を見ると、三人とも今日の夜は警護予定は白紙になっている。

 茂が室内に入ると、奥の宿直室のほうから音楽のようなものが聞こえてくるのに気づいた。

「失礼します。どなたかいらっしゃいます?」 

 宿直室の畳敷きの仮眠室内を覗いた茂は、そのまま固まった。

 中にはふたりの人間がいて、それは茂の尊敬する三人の先輩警護員のうち、山添崇と葛城怜のふたりだった。

 山添はいつも通りよく日焼けした愛らしい童顔に、茂より少し濃い色の茶髪を耳の下まで伸ばし、いつも通りカジュアルな服装をしている。ここまでは問題なかった。

 葛城は、女性と見紛うようなその恐るべき美貌も、その美貌をさらに引き立てる濃い栗色の長髪も普段通りだったが、普段と決定的に違っていたのは、女もののブラウスと女ものの長いフレアスカートという服装だったことと、そして、その姿で立ったまま山添と抱き合っていたことだった。

 茂が入ってきたことに気がつき、そのままの態勢で山添と葛城が茂のほうを振り向いた。

「・・・前からちょっとそんな予感はしていましたが、葛城さん、山添さん、やはりそういう方面のご趣味が・・・・」

 葛城が山添から体を離して茂のほうへ向きなおる。

「茂さん、違います!」

 山添も慌てて茂へ近づきかかる。

「そうですよ、河合さん。待ってください」

「言い訳なんかいりません。俺をひとりにしてください」

「河合さん!」

 十分後、事務所の応接室で三杯目の麦茶を飲み干しながら、茂は呼吸を整えていた。

 まだスカートを穿いたままの葛城と、山添が向かいのソファーに腰かけている。

「すみません、茂さん、驚かせてしまって」

 葛城は申し訳なさそうな顔をしているが、半分以上その表情は笑いが勝っていた。

「あ、いえその、俺のほうこそすみません、まさか、その・・・」

「もうあまり日数がないので、ちょっとした時間さえあれば練習してたんですが、確かにびっくりしますよね。」

「でも、前からそんな予感がしてたとか言いませんでした?茂さん」

「す、すみません!なんでもありません特に意味はありません」

「崇は、学生時代に社交ダンス部にいたんですが、私はまったくの素人なので、苦労してます。」

「一見簡単そうですが、けっこう難しいんですよ。そのうち河合さんにもお教えしましょうか。」

「は、はい、ありがとうございます・・・・・。」

 茂は特に社交ダンスに興味はなかったが、二人がそれを必要とするという、次の警護案件には非常に興味があった。

「あの・・・・」

 言い淀んだ茂に、優しい微笑みとともに葛城が答える。

「どんな警護案件か知りたいんですね?・・・今回は茂さんと私のペアじゃなくて残念なんですが、基本的には崇の単独案件なんです。ただ私がサポートに入ることになって。」

「そうなんですね。」

「話しても大丈夫だよね?崇」

「ああ。河合さん、俺から説明しますね。驚かせたお詫びです。」

 山添は愛らしい童顔で微笑んだ。クライアントのプライバシーに配慮し、他の警護員の担当する案件を安易に知ることはタブーとされているが、そのルールはかなり緩やかに運用されている。

「クライアントは若狭敏江さん、警護現場は彼女の婚約パーティー会場です。結婚式場の宴会場で、趣味の社交ダンスサークルの仲間との集まりになります。」

「なるほど、それでなんですね。」

「結婚式場ですし、レストランなどオープンスペースもありますから、不特定多数の人間が出入りします。」

「もしかして・・・」

「はい、脅迫状が届いています。若狭さんは知らない人なのだそうですが、どこかで彼女を見初めて、ずっとつきまとっている・・・いわゆるストーカーらしいです。警察に相談もしているそうですが、人物が特定できないそうです。」

「そのパーティーで、襲撃すると?」

「はい。ピンポイントでの、予告です。」

「じゃあ、葛城さんは、ひょっとしてクライアントになりすますんですか?」

 葛城が頷いて、微笑んだ。

「私のほうがクライアントより少し身長が高いんですが、靴のヒールの高さを調節します。」

「容姿が絶望的に違うんじゃないですか?」

「あははは。会場は暗いですし、化粧室へ行くタイミングと、最後の更衣のタイミングでいずれも会場を出る直前に入れ替わります。大丈夫ですよ。」

「・・・それって、ちょっとその・・・・」

 山添が笑った。

「はい、多少、囮捜査っぽいかも知れません」

「・・・・・」

 茂は、阪元探偵社の悪い影響を少しだけ感じたが、そのことは言葉には出さずにおいた。

 改めて、目の前の葛城を見る。彼が女性の姿をして警護をするのは、茂が初めてペアを組み三村英一の警護をしたとき以来だ。

 そして気持ちが落ち着いてくればくるほど、その尋常ならぬ美しさが心臓に響いてくる。どうして彼が男性なのか、天を少し恨みたくなる。

「あの、俺・・・」

「茂さん?」

「俺、周回警護に入っても、いいでしょうか?」

「えっ?」

 葛城と山添が目をまるくした。波多野営業部長の指示なしに、警護員が他の警護案件に参加するということは、ありえない。

「波多野部長にお願いしてみます。」

「うーん、許可はちょっともらえそうにないと思いますが・・・・」

「研修扱いにしてもらいます。」

「・・・それだと、歩合は出なくなってしまいますよ。」

「かまいません。最近案件の間が空いてますし、ひとつでも多く、先輩たちの警護現場を見たいです。」



 次の土曜日の夜、茂は無事に先輩たちの警護現場にいた。

 天候に恵まれた週末の夜は、月の光が、それだけで外を歩けると思えるほどに明るい。

 葛城は事務所の車で、そして山添は自分の二輪車で、それぞれ別に現場入りしている。茂が山添たちの指示通り会場スタッフの制服姿で宴会場に入ると、まだ客の誰もいない室内で、山添がクライアントの若狭敏江をパートナーにしてワルツを踊っていた。パーティーの間、極力山添と踊ることになっているが、パートナーが変わった場合も一定の距離を保つことになっており、二人はその動線を最終確認しているのだった。既に二人とも礼装姿で、そして山添のリードは確かにうまい。

 若狭は白いドレスだが、そのデザインは胸元が隠れ体型もわかりづらいものだ。髪型も、アップスタイルだが少し髪を頬を包むように下ろしてあり、顔が全開にならないようにされている。葛城が二度クライアントと入れ替わることに配慮したものだった。若狭は体型も細身の青年である葛城とあまりかけ離れてはおらず、たしかに夜目遠目であれば葛城がなりすますこともできそうだった。

 山添のリードで踊りながら、若狭が目の前のよく日焼けした童顔のボディガードへ話しかける。

「山添さん、今日、私すごく幸福だろうって、皆思ってるでしょうね。」

「そうではないんですか?」

「もちろん、幸せです。友達の中でも、一番早く婚約したし。洋子なんかさびしがってた。ずっとお互い独身だったら一緒に老人ホームへ入ろうねって言ってたから。」

「あははは。」

「でも、大親友の洋子にも言ったことないんですけど、彼について、なにもかも満足してるわけじゃない。むしろ、かなり不安。」

「そうなんですか」

「だって・・・・」

 音楽がワルツからスローに変わる。

「?」

 山添はゆっくりとした音楽に合わせてクライアントをリードしながら、微かに首をかしげる。

「だって、貴方たちボディガードさんの千分の一だって、彼は私を守ってなんかくれない。」

「そんなことはないでしょう。」

「彼がうちに婚約の挨拶に来た帰り、私、彼を駅まで送っていったんです。そのとき、横断歩道で信号待ちをしていたとき、赤信号なのに横断歩道をこちらへ向かって渡ってきた、ホームレスみたいな人がいたの。」

「はい。」

「ゆっくり歩いてた。そしたら向こうから、猛スピードで車が走ってきて。・・・その、信号無視して道路を横断してるホームレスさんが、まさに激突されそうになったの。」

「はい。」

「彼、どうしたと思う?」

「・・・・・」

「私を置いて、自分だけ、何歩も後ろへ下がったのよ。」

「・・・・・」

「結局そのホームレスさんはぎりぎり撥ねられずに済んだ。信号が青になって、渡りながら、彼は言ってた。『危ないよなあ。車からあの人は見えてなかったんだよ。撥ねられてたら、こっちへ飛んでくるとこだったよ。』って。どう思う?普通、男なら、私をかばうべきじゃない?」

「まあ、そうとも言えるかも、しれませんが」

「私そのとき、ああ、この人は私を守ってくれる人じゃないんだ、って思ったの。」

「・・・・・・」

「貴方たちボディガードさんは、すばらしい人たちだと思う。恋人でも家族でもない人を、命がけで守るんだもの。彼に爪の垢でも飲ませたい。」

「そんなことはありませんよ。」

「?」

 山添は部屋のコーナーでターンしながら、行く手にちらりと目をやり、そして再びクライアントの顔を見て、苦みを含んだ微笑みをみせた。

「警護員の仕事は、対価を頂いて、その場限りで行うものです。守るといっても、それは、入場料を払った遊園地と変わりません。終われば、それっきりです。」

「・・・・・」

「人が、人を一生守る、ということは、ほぼ無理なことでしょう。」

「・・・・・」

「家族や肉親は、一生のつながりです。きれいごとばかりという訳にもいきません。不満な部分も、欠点も、全部含めての、一生の関係です。我々が比較の対象になることさえおこがましいことですよ。」

 曲はタンゴに変わっていた。


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