七日目
たん。たん。たん。たん。っと。
研究所で調達してきた木材を運び終え、腰を下ろす。
「これで全部かしら?」
僕と違って、ミネサキはまだ余裕がありそうだ。僕も運動神経が悪いわけではないけれど、山道を木材抱えて何往復もしていれば、流石にへとへとだ。
「……はぁ。そうだね、ミネサキは疲れてないの?」
「ぜんぜんっ。そう言うきみは……もう駄目そうだね」
野生動物の彼女と比べれても困る。
「じゃあ、今日は少しお休みにして……」
ああ、それはいい。このところ連日慣れない力仕事が続いていたから、たまには家でのんびりするのも……
「川にでも行こっか!」
「いいんじゃないかな……ん? 川?」
「そっ。冷たくてきもちいよっ」
夏の日差しを照り返した様な笑顔で、土色の手を僕に差し伸べる。
そんないい顔されたら、断れないじゃないか。
「そうか」
手を掴むと、引っ張り上げられ、そのまま走りだす。
「ほらいくよっ。いいとこあるんだぁ」
社のあった場所を越え、石段もない土の坂を下っていく。空気がなんとなく湿っていて、背景に白い靄が掛かっている様な錯覚を起こす。風が吹いているわけでもないのに、涼しさを浴びている様な気がした。
こんな真夏なら、心地がいい。
東京の家では、部屋に蚊が一匹入り込んだだけでも鬱陶しく感じるのに。割り箸みたいなサイズのトンボが近くを飛び交っていても、あまり気にならない。
夏のイメージが覆った気分だ。
山の中は、灼熱の赤じゃなくて、こんなにも青白い流れに満ちていた。
「空気がおいしいって、こういうことなんだ……」
坂を下るのに手こずって、足を止めて深呼吸をしていると、ミネサキはもう遥か先まで走って行ってしまった。
さっきまで繋がっていた手が、この空間で一番赤い。
拙い動作でなんとか坂を下ると、露の乗った草葉の先に彼女の姿が見えた。
特に理由はないけれど、木の葉に乗った露を落とさない様にゆっくりとかいくぐって進んでゆく。段々とさえずる鳥たちの声のほかに、安らぐような音が耳まで届く。雪が降った翌日の音。生まれたての水が行き場を求めて旅立つ時の、にぎやかな談笑。
川が見えてきた。
「遅かったね」
靴と靴下を脱ぎ、ズボンのすそとシャツの袖を巻くって準備万端のミネサキが振り向いた。今まで、特に気にしていなかったけれど、山の中だからなのか、彼女は真夏だというのにずっと長袖長ズボンでいた。だからか、初めてあらわれた素肌達が、妙に僕の心臓をくすぐる。
気恥ずかしくて、慌てて話題を探した。
「ああ。ここか。涼むのにちょうどよさそうな場所だね」
僕のイメージでは、川というより谷川と言った方がしっくりくる。下流の方はもっと広いのかもしれないけれど、ここは渡しも三メートルくらいだし、深さもせいぜいひざ丈ぐらいに見える。
「ほれっ」
「あひゃぅ!」
「っ、あははは! 何その声!」
狙ったように(狙ったのか?)心臓の辺りに、手ですくった水をかけられた。不意を突かれたとはいえ、今の奇声は、かなり恥ずかしい。熱い。顔にかけてくれたらよかったのに。
「いきなりこんな冷たい水かけられたら、誰だって変な声くらいでるだ、ろっ!」
「っひゃぁん!」
「変な声出すなよ!!」
まずい、恥ずかしさのあまり、頭が真っ白で、同じことをやり返してしまった。まずい、まずい、「あれ? こいつもしかして下着とか付けてないの?」なんて思ってない。別に薄手のロンティーが透けているなんてことはない。
「あははっ。自分でやったんじゃん! とりゃっ!」
特に、自分の状態を気にした様子もなく。今度は足で川をこちらへ蹴りあげる。斬撃でも飛ばした様な、バナナ型のしぶきが僕を襲う。
「ぅばしゃ!」
相乗以上に大量の水が飛ばされていたらしい。すでに全身びしょ濡れだ。
「こんの……そろそろ覚悟しろよ。もう手加減はなしだっ!!」
「お! ほんき!? じゃあ、先に川に沈められた方が負けね!!」
「え、なにそれアクティブすぎ……」
「手加減なしだっ!」
さっきとは別の意味で手を引かれ、川へ放り出される。
「うおっ、あぶね。こんにゃろ」
今ので悟った。こいつはもはや人間の女と言う常識で考えていては勝てない。下らない遊びでこそ、勝利への執着を忘れてはいけない。と言うか、ぶっちゃけ、
「これ以上負けられっか!」
この一週間ほど、彼女には何かと言うと敗北感を味わわされてきた……それが、少年心に悔しかった。
ミネサキを真似て足蹴りで、顔を狙って飛沫を飛ばす。
「うはっ」
だがそこで終わっては、この野生少女には勝てない。そうだ、仮にも研究者を目指している以上、足りない能力は頭で補わなければ。
顔を拭いている隙に、ミネサキの肩と腕を掴み、自分と場所を入れ替える要領でそのまま川へ放り出す。
そこは女の子、ということか。妙に軽かったが……。
勝った。
確信が持てた。
視界を奪われた状態で大きく振り回されれば、まともに立っていられるはずがない。それに加えて足場の安定しない川だ、流石の彼女も、成す術もなく川底に沈むだろう。
そうほくそ笑んでいると、トントンッ、と誰かに肩を叩かれた。
「ざーんねんっ」
ドガッ、と表記したくなる程の威力で、両手から掌底が放たれる。
「ぐはっ……お、おまえ……」
「変わり身の術。なんてね」
「下着くらい着けとけぇええええ!! ゴボボボ……」
ミネサキのシャツと共に川底へ。
変わり身って……狐につままれた様な気分だ。
というか、脱いじゃうんだ……それ、キミ的にはアリなんだ……ちょうどいい、少しここで頭でも冷やそう、冷静になれ、落ち着け。僕は何も悪いことはしていないはずだ。そうだ、いろいろ夢中で意識の外に置いていたが、よくよく考えれば、最初に水を浴びせた時点で既にもう生地の薄いシャツが透けて丸見えみたいなモノだったのだから今更なんの問題も……いや待てよ、つまりそれって僕が悪いって事か? だけどあれは正当防衛みたいなもので、だからそんな言い訳が通用するのかするだろしないと困るというか本人が脱いじゃってるし気にしてないなら別にいいんじゃないだろうかだがそれはヒトとして男としてまあ男としてのプライドなんてもう粉粉済みなんだけどそれでもほら…………………………………………。
後日の僕はこう言ったそうだ。
「落ち着けよ僕」
なんとなく打ち解け合えた、僕と痴女の七日目。