①
狭苦しいバンの中は居心地が悪かった。
季節感の無い車内は春の暖かさや心地よさといったものとは無縁で、数台のノートパソコンとモニターがウンウンと音をたてる。ここは機械特有の焦げ臭い空気でいっぱいだ。
こういう所に閉じこもっていると、昼時の暖かで心地のよかった外の空気が恋しくなる。外に飛び出して思い切り走りたい気分だ。
はぁ……。憂鬱だ。なんとなく体調が悪いとも思う。正直まいってしまう。
「さぎり、さぎりってば! ちゃんと聴いてるの?」
それに、私を叱るこの声が、さらに私をいたたまなくさせるんだ。
「近くにいるんだから聞こえてるよ」
「聞こえてるのと聴いてるのは違うでしょ?」
「……今、すごく気持ち悪い気がするからそっとして――」
「仕事中でしょ? そんな気がするだけでダウンしないでちょうだい」
「こんなのバイトみたいなもんだろう?」
「扱いとしては社員扱いなんだけど?」
「私、まだ高校生なんだけど?」
「義務教育は終わってるんでしょ? 根性見せなさい」
「……知紀って、前からこんなにスポコンだった?」
「ふふん。先輩がその根性、しごき直してあげましょうか?」
「勘弁してくれ……そういう先輩後輩は部活だけでたくさんだ」
「ふふ。じゃあ、お仕事の話に戻りましょうか?」
状況悪化。部活の方がまだ楽だ。
「これ、四月の新商品カタログ。もう目を通したの? 気持ち悪くてもそれくらいならできたでしょ?」
「……知紀に言われてから軽くは読んだけど――」
「ちゃんと、読んだの?」
「読んだ。知紀だって見てたじゃないか」
「ええ、ええ。それは私だって見てたわ。あなたがめんどくさそおぅに机に片肘ついて眺めてたのをねっ!」
そう言って、知紀はその時の私を再現してみせた。気だるそうに片肘をついて、片手で持った薄い玩具のカタログがふにゃりと折れ曲がっている。さすがに、あんな風にカタログが曲がるほど雑な読み方はしてない。
「…………そこまで雑じゃなかった」
「はい、だめぇ! 雑に読んでちゃ一緒よ。これはあなたの仕事に大事な資料でしょ? もうちょっと関心を向けて読むべきなの。いい?」
そう言って、私に向けてカタログを放る。パシッと胸に当たったそれを受けとめて、もう一度、今度はゆっくりと目を通す事になるのだろう。
「いい? ちゃんと、読むのよ?」
「…………」
目線をカタログの写真や文字にそっと添わせる、ゆっくり……上から下へ。
知紀の手前、相手から見て丁寧に読んでいるように見えなきゃいけないんだ。
そうして、初めに読んだ時間の三倍ほどの時間をかけて読み、そっと机に置いた。
「終わった」
ん。私なりにじっくり読んだ。文句なしだ。
「はぁ……。よくできました」
しかし、知紀は呆れたといった表情だ。その反応、少しムッとくるな。
「知紀、読んでみたけどどれも発売日が二週間近く先の物ばっかじゃないか? これなら発売日の後から読んでも問題ない資料だった」
私はカタログを手の甲でパシパシと打つ。知紀の呆れ顔はまだ元に戻らない。
「そうは言うけど、それに載ってるのは、一ヶ月前から放送が始まってる物ばかりだし、玩具の宣伝もね。もうどれも一週間前から流れてるわ。あたし達のお仕事なら、なにかの拍子に出て来てもおかしくはない物ばかりよ」
「今までそんな事なかった」
「だからって、これからないとも言えないでしょ?」
それは……正論だ。
「なんか、ずるい」
「っぷ。さぎり、ずるいって何よ、あははっ――」
「笑うなよ、ちょっと納得いかなかっただけ」
「それであんた……ふふ。ずるいって発想、かわいいわぁ」
「なっ?」
かわっ――というか、そんな笑う事か?
「ふふ。ほらほら、さぎり。お仕事頑張って! 終わったらトランプでもする?」
知紀は、ひきつった、何かをこらえてるみたいな笑みになって、引き出しからトランプを取り出そうとしている。
はぁ、私の安直な考えで始まった反撃は失敗に終わったようだ。
別に本気で反抗したかった訳じゃないし、どちらかと言えば私のわがままだったけど、やっぱりなんかずるい気がする。納得ができないんだ。それに笑われたのがやんなったし…………
少し風に当たりたいな、ここは息がつまってしまう。
「……ちょっと出てくる」
「えっ? 今から?」
「今日はいつもより早く着いてただけで、まだ私は勤務時間じゃない……」
そう言って、バンのドアを開けた。