8.沙紀、初めて戦場に立つ。(後)
アクィルケディア騎兵の動きは、見事にマルクスの読み通りだった。
正確には、マルクスたちがそのように仕向けた。
メディクス率いるミュシア騎兵団の別働隊は、医師出身の将に操られながら、アクィルケディアへ向かう国境の道を急いで移動する敵を追い込んでいた。敵はミュシア側の小集団からの襲撃を避けるために、カルマニア領内に入ったほぼすべての騎兵兵力がまとまっていたらしい。
その騎兵団を、マルクス率いる本隊が待ち伏せする。
移動は速かった。
私は、その速度についていく技術が見込めないからということで、カルスの馬に同乗することになった。
屈辱的だったけれど、仕方がない。
カルスはそれが当然と思っていたのか、別に恩着せがましくなることもなく、自分の後ろに私を乗せてくれた。
ちなみに、よくマンガなんかでも見る、騎手の前に乗れない人を乗せるのは、私の背が高いこともあるし、馬の疲労度のことも考えると却下。
カルスの後ろに私が乗って、座っている鞍の後ろについている握りを片手で、カルスの胸甲に結んだ紐をもう一方の手で持って乗る。カルスの背中に抱きついて乗るのかと思っていたけれど、それじゃかえって疲れる。自分なりに馬のペースに合わせて腰を浮かせられるようにしないといけない。
それでもカルスと同乗するということはかなり密着姿勢になるわけで、緊張したけれど、残念ながら場合が場合だったから、ラブコメ的展開やラブラブモノローグが入り込む隙間は無かった。相手がカルスじゃ願い下げだけれどね。
それより、次第に男たちにみなぎっていく緊張感や殺気が、私を怯えさせた。本気の男たちの集団がこんなに怖いなんて知らなかった。クラスの男子たちがどういきがってみた所で、殺し合いの現場を知っている男たちの殺気とじゃ比較にならない、という、私が元々持っていた想像は確かに当たっていた。
比較にならないほど怖い。
その恐怖にすくんでいる余裕もない。落馬しないよう、必死だった。
その内、マルクス率いるミュシア騎兵団は、指揮官グループが想定していたアクィルケディア騎兵集団の退路を断つ位置にまで達し、その場に布陣する。
敵にあまり早く見つかっても戦略が崩れてしまうから、騎兵たちは一斉に馬に板を噛ませていななきが上がらないようにしたり、林の影に身を隠したりした。私はカルスの後ろから、与えられたばかりの名も無い馬のそばに移って、肩の辺りの毛並みを撫でながらじっと時が来るのを待った。
やがて、敵集団が来る気配が伝わってくると、黒衣の若き指揮官は鋭く指示を発した。
「勝負は一瞬だ。一撃で粉砕するぞ」
一斉に騎兵たちが馬に噛ませていた板を取り、手綱を木々から外し、戦いに不要な非常食などを置き捨て、矢が入った筒のふたを取り払った。ものの数十秒で戦闘準備が整っていく。
「まずは矢戦で足を止める。メディクスが追い付いてきたら、その指示に従え。俺は総攻撃のきっかけを作ったら突撃する」
そしてマルクスは丘の上に向け馬首をめぐらし、兵士たちがそれに続き、私とカルスも兵士に守られながらそれに続き、やがて敵の気配が間近になるのを素人の私ですら感じ取り、メディクス率いる別動隊が放つ緘声を聞き……戦闘が始まった。
メディクス率いる別動隊に追われるように、アクィルケディア領内に向け疾駆していた敵騎兵部隊は、マルクスが仕掛けた待ち伏せを受けて、あっという間に数を減らしていった。
マルクスは、その動きに無駄が多く、少なくない数の敵を逃がしてしまっていると見ていたけれど、私にはよくわからなかった。
わかるのは、ばたばたと草原に倒れていく血を噴き出す男たちが、私には何もできないままに死んでいくんだということと、私がその仲間にいつ入っても不思議はないんだということだけ。
もともとの参加戦力は敵アクィルケディア軍騎兵の方が多かったせいで、時間が経つと、ミュシア軍側が圧され始めた。それを敏感に感じ取った司令官マルクスは、自分が激闘の只中に突入することにした。
それで戦況が変わると自負するほど、黒衣の指揮官には自分の戦闘力に対する自信があったんだろうけれど、その場でそれに気付く余裕は私には無かった。あとで思えば、というはなし。
一風変わった、薙刀のような槍を左腕に抱え、右腕には手綱を握り、フォカやごく少数の兵たちを従え、マルクスは一気に乱戦と化している戦場のど真ん中に突撃した。
わざわざ刀槍きらめき矢が飛び交う乱戦の中に突撃する神経は理解しがたいけれど、ミュシア騎兵団首脳たちの強さは、すぐに理解できた。
遠目にも、それは際立っていた。
巨大な棍棒を振り回しているのは巨漢フォカ。彼を中心にした半径二メートルは、まるでボーリングのピンでも倒されていくかのように、馬上、徒歩を問わず、ばたばたと敵兵がなぎ倒されていく。ただでさえ大きなフォカの体が、さらに異常なまでに大きく見えるのは、多分彼の手足の長さのせいだ。棍棒を振り回す彼の腕の長さは、きっと敵にとっては絶望的だ。頑丈な筋肉の鎧のおかげで目立たないけれど、彼の腕は相当長く出来ている。
兵を指揮しながら戦うメディクスは、あちこちで戦っている部下を救うために奮闘しているらしかった。黒い肌の上に乗る銀色の装甲とのコントラストも美しいメディクスの体が、馬上で踊るように動き、素早い動きで敵兵を斬り倒していく。部下が囲まれていると見ればそれを破ろうと果敢に突入し、背後を狙われる味方がいれば瞬く間にその敵に矢を放つ。一つ一つの動きが異様に鋭く洗練されて無駄がないことは、素人の私の目にもわかった。
フォカの動きが荒れ狂う雷嵐なら、メディクスの動きは爪を研ぎ澄ませた猛禽だった。
圧巻は黒衣に緋の裏地をはためかせた若き指揮官マルクスだった。
強い。
その動きは、優雅なほどに目に鮮やかだった。手綱も手放して両手で操る槍は、一閃する度に敵の身体を切り裂き血飛沫の線を宙に描き出す。馬腹を両足で挟み込んで器用に乗りこなす技術は、両軍の中でも飛び抜けていた。
鋭い掛け声と共に繰り出す槍は、敵騎兵の剣を弾き飛ばし、槍を叩き伏せ、盾をかいくぐり、血煙と悲鳴とを産み出しながら休むことがない。
長身に鋼のような筋肉をまとった立ち姿は優美で、精悍さだけじゃなく、育ちの良さや知性の深さを感じさせるものだったけれど、この王子さまはただのボンボンじゃなかった。残酷な殺人が華麗に見えてしまうほどに、戦場の花という言葉がぴったりな戦士だった。
苦し紛れにアクィルケディア軍兵士が射つ矢も、まるでマルクスを避けているように見える。兵士がつがえた矢が弦から離れる頃には、黒衣の王子さまはその軌道から離れたところで槍をふるっていた。すべての速度が、アクィルケディア軍兵士たちの能力を越えていた。
たちまち、形勢は逆転した。
投入された戦力はたったの七騎、互いに百を越える騎兵を投入する戦場では微々たる数でも、実力が違いすぎた。
追加されたミュシア側の戦力に蹴散らされ、というよりマルクスとフォカに蹴散らされ、アクィルケディア軍はガタガタになった。あっという間に組織的な戦いを維持できなくなり、それまで劣勢に陥りつつあったミュシア軍に追い回され始めた。
「決まったな」
私の護衛役としてひとり残ったカルスがつぶやいた。私の目でも、それはわかった。
わざとアクィルケディア方面に開けたミュシア騎兵団の陣形の穴から、戦場に命をさらし続けることに耐えきれずに逃げ出したアクィルケディア軍兵士が、次々に母国に向け敗走を始めていた。
マルクスはそれを深追いする愚を犯さず、十数人目の敵を槍で叩き伏せると、鮮やかな馬術で戦場を駆け抜けながら、騎兵たちをいとも簡単そうにまとめあげた。
丘の上から様子を伺うと、その様子でさえ美しい。天性の騎兵なんだろうな、と思える。馬と彼の意思は完全にひとつに見えて、少しも淀みやすれ違いが無いように思えた。一陣の風となって疾駆する人馬は一体となり、遮る何者もない。
やがて戦闘は終結した。
ミュシア騎兵団をまとめて、追撃を一切禁じたマルクスは、その場で被害を確認した。
戦死一名、重傷五名。
対するアクィルケディア軍は、味方に見捨てられて遺棄された死体だけで十八体、馬に乗るのもやっとの重傷者は十名を軽く越えると見られ、まずはミュシア軍の快勝といってよかった。
「もう鎖帷子は脱がれてもよろしかろう」
ヘロヘロの私に声がかかったのは、長かった日が陰り始めた頃。
ミュシア軍の騎兵部隊は、間近に迫ったと見られるアクィルケディア軍主力の侵攻に備えるため、国境地帯に張り付くことになった。その陣営地をいくつか、丘の上や谷の隘路を見下ろす場所などに作る工事が急ピッチで進められていて、仮の本営になった昔の小さな砦に入ったマルクスが、難儀そうにしてぜーぜーいってる私に哀れみの声をかけてくれたわけ。
「万が一敵が大挙現れても、戦う気はない。捕まる前に逃げ出す。その折には、むしろ鎖帷子などは身に付けず、身軽にしていた方がいい」
「……脱ぐ元気すらないんだけどね」
何度でもいう。
重いんだよ、鎖帷子は。
着るのも結構苦労したけれど、疲れきった身には脱ぐ方がきつい。腕すら上がらないんだもん。座ったら立ち上がれないから、壁に寄りかかって意識もうろうとしていた。
「手伝わせよう」
王子さまはすぐに兵士を呼んだ。王子さまの馬の世話をしたり、戦闘が始まるまで轡を取ったりしていた若い小柄な兵士で、なるほど、王子さまがわざわざ呼んだだけあって、脱がせる介添えも、脱いだ鎖帷子の処理も、手際がよくて気持ちがいい。
もっとも、視線を動かすのも面倒なくらい疲れていたから、ありがとう、の一言くらいしか出なかった。それでも顔を真っ赤にして一生懸命に世話を焼いてくれる彼がありがたい。
知の支配者カルスはしばらく本営から姿を消していた。
あとで聞くと、遺棄されたアクィルケディア騎兵の遺体を埋葬していたのだという。
「しきたりとしては鳥葬でも構わんのだがな」
カルスと兵士数人が戦場に残り、遺体を一ヶ所に集めて遺品を集め、遺体は埋めて葬り、遺品は兵士のひとりが使者に立ってアクィルケディアに送ったという。
鳥葬というのは、ごく簡単にいえば、野ざらし。鳥が遺体をついばみ、骨だけになったら埋葬する。現代日本ではあまり見ないけれど、歴史的にはすごくポピュラーな方法。
それをしなかったのは、街道沿いだからだという。
「商売にさわるだろう。死体を放置しているのは、その余裕がミュシアにないからだと思われても困る」
もっといえば、季節。
「この辺りは乾燥気味だからまだいいが、湿った中では、この暑さだ、すぐに腐敗して伝染病の元になりかねない」
死体を放置しておいて、良いことは何もないという。
「少なくとも今の段階ではな」
と怖いことをカルスは付け加えていたけれど、聞かなかったことにして鮮やかにスルー。
そして翌朝、いてもなんの役にも立たないこと確実な私は、カルスと何人かの兵に守られて、ミュシア中心の都市であり私がはじめて見た街、クレスに向かって出発した。
私のはじめての戦場は、パニックと疲労に彩られ、それしか感じないままに終わりを告げた。