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6.竜人のすごさを語られる。

 麦のおかゆとピクルス、チーズ、豆のスープにイチジクが並んだ席には、私とカルス、騎兵隊長マルクス、その部下メディクス、フォカの五人が着いている。

 古代ローマの食卓は、寝台の上に寝転んで、というイメージがあったけれど、さすがに陣営でそんな食事はしないらしい。ごく当たり前に、兵士たちが作ったらしい無骨だけれど丈夫なのは間違いないテーブルと、持ち運びがかろうじて可能というくらいのずいぶん大きくて頑丈な折りたたみ椅子とが並んでいた。

 まずは食べてしまってから話をしよう、というカルスの提案があって、私は実はよほどお腹がすいていたようで、無心に食べてしまっていた。

 飲み物は葡萄酒。

 未成年だからお酒なんか飲んだことないもん、とは言わないけれど、いくらなんでも葡萄酒をがぶ飲みしたことなんかない。

 絶対酔う、と思っていけれど、日本で流通しているワインとは違って、アルコールの度数がさほど高くはないらしい。ぶどうジュースほども濃くはなく、飲めば飲むほどのどが渇くということもない。古代は葡萄酒に水を入れて飲む、という話は聞いていたけれど、ただ単に葡萄酒に水を入れて割ったというわけでもないらしい。

 ちょっと渋みが多い気はしたけれど、酸味が効き過ぎない程度に効いている味といい、結構濃厚な甘みといい、かすかに香る香辛料の味といい、決してまずいものではない。これで炭酸でも入ってればなあ、というのはちょっと望みすぎかな。

 頬が火照る程度の酔いは感じたけれど、酔っ払う、というほどのことにはならなかった。

 私があらかた食事を片付け、それを興味津々の目で見ていたメディクスやフォカと目が合い、恥ずかしくて赤面するより先に「何見てんだよ」とガンを飛ばすという失態を犯し、しまったと思った時にはフォローが利かないほど二人に恐縮されてしまうという状態になり、やがて食卓には会話が生まれていた。

「素焼きのつぼに葡萄酒をためておくと、次第に濃縮されてくる。あなたが暮らしていた当時の葡萄酒と比べると、アルコール度数は低いが、糖度はずっと高い。これは生で飲むものじゃなく、むしろ飲みにくい水を飲みやすくするために入れるものだと考えたほうが正しいだろうな」

 カルスの解説。

 他の男たちは、私が竜人であるという以前に、別の時代、別の時空から来た存在だという話が、あらかじめカルスからなされている。

「カルピスみたいなもの?」

 とはいっても、この言葉がわかるはずもなく。

「まあ、そんな感じで捉えてもあながち間違いではあるまい」

 カルスと私の会話は、完全に理解不能。まあ、そうでしょうね。

「竜人については」

 とカルスが何気なく話題を変える。私以外のみんなは酔いなんかまるっきりないので、微妙に上機嫌になっている私のように身を乗り出すこともなく、平静に聞いていた。私だけがその言葉に身を乗り出している。

「竜も含めてほとんど伝説上の存在に近い。特に竜については、いるのは確かだが、あまり実際に見たという話や、会ったという話を聞いたことがない。マルクス、他の地域ではどうだ」

 知の支配者が、騎兵隊長に話を振る。

 マルクスは若いながらも相当経験豊富らしい。この地域、ミュシアの近辺だけではなく、かなり遠方の事情にも通じているらしかった。

「そうだな。俺も直接竜と接触した人間にはお目にかかったことがない。詐称するばか者になら幾度か会ったが」

 マルクスがいうと、巨漢フォカが重々しくうなずき、医師メディクスがふふっと笑った。共通の思い出があるらしい。

「流れ者の占い師や哲学者と称する連中には、そういう手合いが多いな」

 とカルスがうなずいていた。

 神や天使、精霊に接触した、お告げを受けた、と真顔でテレビバラエティに出てくる人間がいくらでもいる時代と、人間のやることはそれほど変わらないらしい。

「ただ、見るのは見るんだ。たとえば、竜は空を飛ぶ」

 カルスが天を指す。

 ここは兵営の一角、簡素だけれどしっかりした作りの司令部の建物の中で、松材の床が敷かれた中庭になっている。明り取りのための油が燃える煙も、中庭だとさして気にならない。これが閉め切った部屋の中だと結構きつい。

「竜は空を飛ぶときに白い雲を残すといわれる。鳥などとは比べ物にならないほど高い空を、その巨体を泳がせるようにして飛んでいくそうだ」

「雲、ねえ」

「鳥は決して残さない、飛んだ後の雲が何よりの証拠というわけだ」

「飛行機雲みたいなもの?」

「似てはいるが、原理がまるで違う」

「飛行機雲ってたしか、エンジンから出てるんだよね」

「正確には燃焼排気内の水分が飽和し水滴化して雲になるのが、エンジン排気による飛行機雲だが、それだけが原因じゃない」

 カルスはドライソーセージのような物を手に取った。ちょっと匂いがきつくて私は敬遠していた。

「気圧が一気に低くなると、同様に雲が生じる。飛行機の翼の先をよく見ていると、小さく雲が発生しているのがわかることがある」

「ああ、なんか見たことある」

「気圧が下がると、そこに含まれていた蒸気が水滴になる。飛行機が飛ぶ原理はわかるか」

「揚力でしょ」

 文系でもそれくらいはわかる。

 翼の上面に気圧が低い領域を作ると、そこに引っ張りの力が生まれて、翼が引き上げられる。鳥が飛ぶのも、飛行機が飛ぶのも、原理は一緒のはず。

 違うのは動力源。鳥は自分の筋力で翼を動かすことで飛ぶけれど、飛行機はエンジンの力を借りて回転翼を回したり、圧倒的な排気圧を作ることで、前進する力を得ている。推進力の桁が違うから、生まれる揚力の量も桁が違う。

「揚力が発生しているということは、翼の上面の気圧が低くなっているということだ。竜が飛んだ後に轟音が響くことは無いらしいから、どのような推進機構を持っているかはわからないが、雲が発生するくらい強力な揚力を発生していることは確かだ」

 カルスはドライソーセージを小刀でちぎり、口に運んだ。それを入れたまま説明を続ける。お行儀悪い。

「普通の航空機で、その雲がきれいに残るほど強力な揚力を発生させながら飛ぶということはあまり無い。戦闘時ならともかくな」

 水の葡萄酒割り、という風情の私の飲み物とは違い、明らかに葡萄酒の量が多い酒盃を傾け、カルスはソーセージごと飲み込んだ。

「……それが必要なくらいの大揚力が必要な巨大質量の持ち主なのか、あるいは雲が生じるほどの水分を生じる推進機構を持っているのか、いずれも推測の域を出ない」

 話している内容が完全に理解の限界を超えているみたいで、マルクスたちは黙々とチーズをかじったり葡萄酒を継ぎ足したりしている。

「とまあ、話を聞いていればわかるだろうが、竜というのは、正体がほとんどわかっていない。そういう存在だけに、信仰の対象になったりしやすい」

「神様ってこと?」

「あるいは、神の使いとして」

 それはわかる気がする。はっきり正体がわかっているものより、得体が知れないものの方が、神を感じやすそうな気はする。

「一方で、竜人というのは、それほど珍しい存在ではない。あくまで竜と比べれば、という話だが。マルクスも竜人になら会ったことがあるという」

 揺れる灯りに照らされたカルスの白い肌は、対面側にいる騎兵隊長マルクスと比べると、透き通るように見える。逆に、マルクスは精悍そのものという感じで、常に太陽に灼かれる環境に身を置く男の浅黒い肌は、あまり力強くない灯りに照らされていても、充分にたくましさを感じさせる。

「キシュでな」

 マルクスはカルスの言葉に短くうなずいた。

 カルスとマルクスの解説によると、キシュというのは、ずっと東の方にある国らしい。

「我らが国ミュシアは山国といっていい。海岸線の近くから山が始まり、そのうねりの中にちょっとした盆地や平野部があり、そこに人々が集って暮らしている土地だ。一方でキシュというのは平原の国だ。ひたすらに広い草原の中に、馬とともに暮らす人々が、方々移動しながら暮らしている」

 遊牧民の国らしい。

 マルクスはまだ若いのに、この国の騎兵を率いる以前、旅をしていた経験があるという。その旅の中でキシュに立ち寄り、そこで竜人と出会った。

「キシュはもともと統一された国ではなかった。いくつもの部族が互いに争い、常に血が流されていた地域だが、竜人が登場し、強力な指導者を育て、その指導者が民族を束ねて平和を作り出した」

 カルスほど口がうまくないマルクスは、そういう内容を、無愛想にならないぎりぎりの声で説明した。カルスがそれに補足していく。

「キシュは平原の遊牧国家だ。歴史ヲタクの沙紀どのならご承知と思うが、遊牧国家というのは組織戦に強い」

「知ってるけどさ、あんたはなんでヲタクなんて言葉知ってるのよ」

「細かく突っ込むな、話が進まん。で、キシュの遊牧民が一人の英雄の下に統一され、周辺諸国を飲み込む大帝国を築き上げた。というより、築き上げている途上、だな」

「チンギス・ハンみたいなもの?」

「あそこまで徹底的な破壊的侵略ではないな。どちらかというとティムールに近い」

 チンギス・ハン率いる大モンゴル帝国が、時代を経て次第に分裂し消滅していく中で、その復興を目指して一代で中央アジアを制覇する帝国を築き上げたのがティムール。

 といっても、私はその辺の歴史にはあまり興味が無かったので、よく知らない。カルスの言葉にもあいまいにうなずいておく。

 もっとも、「チンギス・ハンは破壊し、ティムールは建設した」という言葉くらいは知っていたから、まあ、そういうことなんだろうな、という見当はついた。

「その英雄を育てたのが竜人だ。英雄は両親を幼くして失っているのだが、それを引き取って育て、今でも助言者として活躍している」

 カルスの言葉に、マルクスが続ける。

「会ったのは二年も前だが、小柄で温厚な好々爺、というところだったな。迫力や威厳を感じさせるような方ではなかったが、ただ、恐ろしく鋭い方だった。この世のすべてを知り、何もかも見抜き、見通すような目だった」

 マルクスがどんな人かはまだ知らないけれど、少なくともその竜人のことを語る顔つきは、真摯だと思った。

「竜人と話す機会に恵まれたのは幸運だったが、まず驚いたのは、彼がまるで言葉に不自由しなかったことだ。つまり、我々の言葉であれ、彼らの部族の言葉であれ、いくつかある帝国内の共通語であれ、どんな言葉でも自由に操った。ちょっと信じられないくらいに自然に」

 マルクスはいいながら左右に目を走らせた。目が合った黒い肌のメディクスも、筋肉の塊フォカも、うなずいている。

「ミュシアの言葉はアルバ語の変形ですから、それほど珍しい言葉ではありませんが」

 とメディクスがいう。

「大帝国アルバが実質的に崩壊して以来、各地で話されるアルバ語は少しずつ変化しています。その細かい違いまで正確に再現していたのです」

「へえ」

 私は間抜けな声を出した。だって仕方ないじゃないの、いってる意味がわからないんだからさ。

 見兼ねたのか、カルスが苦笑気味に口を挟む。

「アルバというのは、数百年前に成立した大帝国だ。沙紀どのがご存知のローマ帝国と似ているな。いろいろあって百年ほど前に帝国自体は崩壊している。首都のアルバとその周辺部はかろうじて生き残っているが、ほかの旧領域は民族や部族ごとにばらばらになってしまっている」

 アルバ語は帝国内の共通語として定着したものの、帝国が崩壊して以降は、それ以前からあった言葉の影響や時間経過による変化などで、地域によってはだいぶ違ってきているらしい。

「古代ローマの共通語であるラテン語が、流入してきた北方諸民族の言葉と混じったり、時代を経た変異を経て大きく変わったのと同じだ。イタリア語とスペイン語、フランス語の違いを考えればわかるだろう」

「うーん、まあ、なんとく」

「頼りないな」

「だってどの言葉も知らないもん」

「すねることはないだろう」

 イタリア語とスペイン語は姉妹語で、似ていないことはないらしい。

「日本と比較すれば分かりがいいか。たとえばサツマ方言とツガル方言との違いから考えれば、まだしもイタリア語とスペイン語の違いは大した差ではない」

「何でそんなことまで知ってるのよ」

 ちょっと本気で驚いた。カルスは面倒くさそうに手を振る。

「それはおいおい説明するさ」

 たとえば、とカルスが続ける。

「幕末維新期の話でいえば、チョウシュウ藩と対立していた当時のサツマ藩士とアイヅ藩士が会話をするとき、お互いの訛りがあまりにもきつくてまるで聞き取れなかったそうだ」

「それは聞いたことある。だから浄瑠璃の言葉なんかを参考に無理やり話してたって」

「そうだ。アイヅ藩はエド生まれで訛りが少ない藩士をわざわざ選んで交渉役にしていたほどだ。それと比べれば、イタリア語とスペイン語は、ちょっとコツさえつかめば、ヒアリングである程度意味は通じるという」

 こいつ、本当によく知ってる。「知の支配者」ってのは、薄気味悪いほど物事に通じているらしい。

「言葉というのはなかなか厄介で、いくら旧帝国全土で通じていた言葉だからといって、一地方のミュシアで話されている訛りのアルバ語が、他の土地の人間に完璧に話されるというのは奇跡に近い」

 まあ、そうでしょうね。

「まして、キシュはそもそもアルバ帝国の旧領域ではない。帝国最盛期の国境線からずっと東にある地域で、アルバ語が話されていた歴史はほとんど無いはずの土地だ」

 カルスの切れ長の瞳が私を見る。余裕たっぷりの視線に走った一瞬の鋭さに、私は少しドキッとした。

「竜人というのは、そういうことを平然とやってのける存在なのだよ」

「……ちょっと待ってよ、私がそれだってこと? それやれって?」

 冗談でしょ。

「悪いけど、ちょっと歴史には詳しいかもしんないけどさ、私はただの女子高生だよ? 何か特殊能力があるわけでもないし、言葉だってさ、日本語だって怪しいのに」

「今のあなたにそこまで要求はしない。そうじゃない」

 カルスは机に両肘を突き、手を組んだ。

「竜人という存在は、はっきりいって、人知を超えた存在だ。そうなるべき宿命をあなたは背負っているが、そうなるためには様々な段階を踏む必要がある。いきなりそうなるわけじゃない」

「いつかはなるってことなわけ」

「なる」

 カルスはやわらかく断言した。

「竜は時空を超えてあなたをこの世に顕現させた。それに一体どれだけのコストがかかると思う? 金、という意味じゃない。時空に対する干渉には、情報量を含めた莫大なエネルギーを必要とする。それをわざわざ竜が行う、その必然性をあなたは持っているのだ、沙紀どの」

 余裕綽々のいつもの表情じゃない、珍しいくらい真摯な顔をしたカルスがそこにいた。

「これからあなたは様々なことを経験し、学んでいかなければならない。それは、あなたが本当の竜人になっていくために必要なことだが、それが目的ではない。あなたは必ず竜人にならなければならないが、なることが目的ではない」

「……なってからの目的が大事ってことね」

「目的自体は私にもわからない。それは竜と竜人のみが知るべきことだからだ。だが、その目的のために私は最大限の協力をしていくし、全力で支えていく。あなたはとにかく、この世の中を知ること、この時代に少しでも早くなじんでいくことに集中することだ」

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