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5.アヴェ・ドゥラコ!

 陣営に到着した頃には辺りは真っ暗。

 そして私の顔は真っ青だった。

 冗談抜きで、完全に乗り物酔い。

 吐くようなものが一切胃に残っていないから、吐いたのは胃酸だけだったけれど、陣営に着いて最初にしたことがゲロってのも情けない。

 まあ、カルスが気を利かせて、私を下ろすのにわざわざ陣営の外、人目を避けられる物陰にしてくれたのはありがたかったけれど、それにお礼をいう程度の余力も無い。

「しばらく休まれるがよろしかろう」

 ということで、たぶんメディクスが私を寝かせる場所を準備してくれたらしい。

 そこは本職お医者さんだけあって手回しが良くて、木の柵でぐるりと囲まれた陣営地の中に幔幕まんまくをめぐらせた一画を作り、寝台を運び込んで私を寝かせた。そのまま、ここが私の今日の宿泊地に指定されている。

 しばらく横になっていれば、所詮乗り物酔いだから調子は戻ってくる。

「どうせあなたを歓迎する準備の時間も欲しがるだろうから、ゆっくり寝ていたほうがいい」

 カルスは陣営地側の都合からも、しばらく寝ているよう私に伝えると、自分は「その準備の手伝いくらいはしてやらんとな」と言い残して出て行った。

 横であーだこーだと語られてもつらいだけなので、むしろありがたかった。

 幔幕の外にはメディクスとその部下がいるらしく、気配は感じるけれど、決して中に入ってこようとしたり、うるさく騒いだりはしなかった。

 三〇分ほどもするとさすがに気持ち悪さも収まった。ちょっとうたた寝もしたから、だいぶ楽になっている。

 身を起こすと、明らかに寝癖が付いている髪に気付き、ちょっとあわてた。閣下とか呼ばれておいて、寝癖ぴんこ立ちで登場ってのもきついでしょ。すでに乗り物酔いでげーげーやりながら登場という大失態をやらかしてるってのに。

 幸い、口をゆすいだり顔を洗ったりしやすいようにというメディクスの気配りか、水桶とたらいが幔幕の中に置いてある。これで鏡まであれば女心を知り尽くしているというところだけれど、さすがにそこまでは気が回らなかったらしい。

 もっとも、鏡くらいは自分で持っている。

 制服のポケットに入っていた手鏡。

 携帯と一緒に、元の世界の記憶を引きずらないように置いてこようとも思っていたんだけれど、これでも一応女。その心得として、せめて代わりの鏡が手に入るまでは持っておこうと思い、巾着袋を用意してもらってその中に入れて持ってきていた。

 それでいてブラシやくしまでは持ってない辺りが、私らしいといえば私らしい。

 あまりぱちゃぱちゃ音がしない程度に水で髪を濡らし、桶の横に置かれていた洗いざらしの布で水気を取り、鏡でチェック。

 ブラシも持ち歩いていないくせに私は髪が長い。

 いやいや。

 かばんには入ってたのよ。

 メイクもしなければコンタクトが必要なわけでもなく、私の必需品なんて大して存在しないんだけれど、くしくらいはもらっておいてもいいかな、と思ったりする。 

 すっかり暗くなっている陣営には、各所にかがり火か何かが焚かれているらしい。幔幕の中には無いけれど、そのすぐ近くには明々と燃えるたいまつがあるようで、その火の光が届いてくる。眼が暗さに慣れているから、それでもどうにか寝癖チェックくらいは出来た。

 後頭部にもっさりしていた寝癖までは見えないけれど、手触りでどうにかする。

 寝癖が引っ込んだところで、私は匂いに気付いた。

 あからさまに漂ってくるのは食事の匂い。

 木があちこちで焚かれている匂いにまぎれて、はっきりと、食べ物の匂いがする。肉が焼ける匂いや、香草に火が通る香り。

 ついさっきまではこんな香り、嫌がらせかと思ったのだろうけれど、胃がひっくり返るような気持ち悪さが収まってしまえば、こっちに来てからまともな食事なんかしてないんだから、当然お腹は減ってる。食欲だって出てくるというもの。

「誰か、います?」

 幔幕のそばまで寄って声を出すと、すぐに反応があった。

「メディクスが控えております」

「ごめんなさい、もう大丈夫です」

 すぐに、張り巡らされた幔幕が上がった。かがり火に照らされて輝く黒い肌、理系青年メディクスがいた。

「お疲れだったのでしょう。道も良くはありませんでしたから」

「乗馬を覚えます。絶対に」

 私が決然というと、メディクスは若々しい顔に微笑を浮かべた。

「竜人閣下ならば容易なことでございましょう」

「やめて下さいよ、竜人だかなんだか知らないけれど、私は一介のジョシコーセーなんだから」

 ジョシ……? と怪訝そうな顔をしているメディクスには気の毒だけれど、解説する気はない。

「運動が得意ってわけでも、武術に優れているのでもないって事です。ドンくさい女なんです。過大に評価しないで下さいね」

 いうだけいうと、私は彼の横を素通りして外に出た。

 幔幕の外は板が張り巡らされた塀に囲まれていて、ちょうど陣営の中に部屋が作られたような形になっていた。板も柱も新しいから、私が来るというので大急ぎで作ったのかもしれない。

 たかだかこんな女子高生一人のためにとも思うけれど、それだけ、彼らにとって、この世界の人たちにとって、竜人というのは大きな存在なんだろう。

 その一画の端に空いている隙間から抜け出ると、そこには、木塀で囲まれた大きな空間が広がっていて、いかにも陣営地、という感じになっている。

 カストゥルム、という。

 ローマの陣営地といえばその作り方の徹底振りで有名。そのまま、街に発展することも少なくなかったくらいで、たとえばドイツのフランクフルトやボン、オーストリアのウィーンなんて、ローマ軍の宿営地を基礎に出来て発展した街。

 この陣営地は、そこまで巨大なものじゃない。

 というのも、人数が少ないからだ。

 カルスが出発直後に解説していて、馬車酔いがピークを迎える前の、かろうじて意識を保っていた私の記憶にも残っていた話では、ミュシア騎兵団とやらいうこの兵団、数でいえば千を少し超える程度らしい。

 古代ローマの軍団レジオは、一個軍団で一般に五千から六千ほどの兵を抱えていた。一個軍団単位で陣営地を建設するのが常だったらしく、その規模は確かに街に匹敵する大きさになっただろう。

 でもこの兵団は、実際には馬に乗らず、騎兵のサポートを任務とする軽装歩兵なども全部含めた上での千人規模だから、そこまで大きな陣地を築く必要が無い。

 というわけで、だいぶこぢんまりとした陣営地らしいんだけれど、私は陣営地自体初めて見るから、いちいち感心できる。

 建築なんてずぶの素人だからよくわからないけれど、陣営地の建物や塀は、かなり本格的に見える。建物の基礎なんて、ちゃんと石が組み上げてあったりするらしい。

 兵士たちがたくさん外に出て、それぞれに食事を作っている光景が眼下に広がっているけれど、そのかまども、その辺りの石を組み上げただけのものじゃない。ちゃんと兵営らしき建物と道路の位置に合わせて、がっちりとした物が作り上げられていた。

 道路だってすごい。全部じゃなく、四角い陣営の中心に縦横一本ずつ、十字を描くように作られた道路だけだけど、ちゃんと石畳で綺麗に舗装されていた。

 こういう光景を見ると、この世界、やっぱり古代ローマそのものって感じだよね、という気がする。なんというか、やることが徹底している。

 私が姿を現すと、そのしっかりた陣営地の中に一気に緊張感が広がっていくのがわかった。

 なぜわかったか。

 作っていた食事が、一斉に片付けられていくのが見えたからだ。かまどにかけられていた鍋が下ろされ、たちまちのうちに兵営の中に運び込まれていく。

 そしてその辺りにいた兵士たちがわたわたと後片付けをし、私に向かって正面を向いて直立不動になる。

 私は呆れると同時にあわてた。ちょっと待った、私が来たくらいで食事の準備中断とかやめてよ。食べ物の恨みを買う気なんか無いって。

 メディクスがその様子を察したようで、後ろから声を張り上げた。

「食事の準備はそのまま続けよ、平常の通りにせよ」

 その声は、今まで私を相手にしていたときとは桁が違う声量だった。本気で驚くくらい。

 ああ、この人、本当に指揮官だったんだ。そう思えたのは、彼のよく通る声が響き渡った後、ちょっと躊躇は見えても、兵士たちがいそいそと食事の準備に戻っていったからだ。

「失礼しました」

 そういって再び私の後ろに控えたメディクスは、士官、というよりは、名前の通り医師として活躍しているほうが似合っているような、理知的でおとなしそうな青年だ。

 私が起き出したことを知ってか、すぐにカルスが現れた。

「ご気分はいかがか」

「ご迷惑かけました。もう大丈夫、お腹もすいてきたくらいだから」

「それは重畳。こちらも準備が整ったところだ」

 カルスは相変わらず涼しい顔をしている。

「準備って?」

「食事だよ、われわれの」

 他に何がある、とでもいいたげにカルスは告げると、肩からかけている長衣トーガのすそを直すようにパッと手を払い、姿勢を正した。

 そして左足を引いて半身になる。

 何をする気だ?

 私が反射的に警戒すると、カルスはやや声を張った。

「ミュシア王国騎兵隊長マルクス・コルネリウス・ルクスよ、光栄ある竜人閣下御自らのお越しである。ご挨拶申し上げるがよい」

 あ、こいつ、いきなり連れてきやがった。

 確かに彼に会いに来たわけだけれど、いきなり連れて来るのはなしでしょ。こっちにだって色々心の準備というものがだね。

 なんていう私の思いなんか関係なく事態は進む。

 カルスが半身になった先に、これまた長身の青年がいた。両側から火明かりに照らされ、揺らめくような影の中に、精悍な黒服の青年が立っている。

 軍衣なんだろう。短衣の上から羽織っているのは、カルスのようなトーガではなく、ケープ状の黒い布。

 その裏地が、真紅だった。燃えるような紅。

 精悍で少しの無駄もない体つき、優美なほどに整っているのに少しの甘さも無い眉目、精細な造作の口元にも厳しさが漂っていて、マルクス・コルネリウス・ルクスという男、二十代前半の若さなのに、外見から既に他を圧する雰囲気がある。

 私は軍の司令官なんて人種と会った事なんかないわけで、比べる材料なんか持ってないけれど、少なくとも時代劇や大河ドラマで見る若手俳優じゃ絶対に出せないオーラのようなものを放っている。

 やくざの若手幹部、の方が近いかもしれない。

「ご挨拶が遅れ申し訳ございませんでした」

 私の手前、ちょっと離れたところにひざまずいた騎兵隊長は、ゆったりとした口調でそういった。声の調子も落ち着いていて、現代ならまだ新卒社員の年代なのに、ずいぶん老成したような印象がある。

「この国の騎兵を取りまとめております、マルクス・コルネリウス・ルクスと申します。竜人閣下に置かれましては、以後お見知りおき下さいます様」

 丁寧なご挨拶ですこと。

「こちらこそ。自分の立場もよくわかっていない小娘ですので、よろしくお導き下さい」

 私が言うと、騎兵隊長はわずかに表情に意外そうな色を浮かべた。ような、気がする。

「彼は」

 とカルスがいう。

「この国の王の次男であり、多忙極める王に代わり、あなたの案内を務めることになっている」

 カルスの言葉に、わずかに上半身を沈めることで、騎兵隊長は同意を示した。

「竜人は一つの陣営に肩入れし、その発展に寄与するがごとき小さな存在ではない。偶然にもその光臨がクレスではあったが、ここで現在の世界の状況を確認された後、よりよい道に世界を導くため、竜の代理人として働くべき御身だ」

 カルスは涼しげな表情のまま淡々と話す。

「マルクス・コルネリウス・ルクスよ、事情が許す限り、竜と竜人閣下のために砕身せよ。それがこの世界の平穏と発展のために、卿の成すべき神聖なる義務である」

 なんかよくわかんないけれど大げさなこといってるなあ、とぼんやり聞いていると、ひざまずいたまま騎兵隊長氏が深々と礼をした。

「沙紀どの、まずはこの者とその配下の者どもが御身の守りを務める。私が最大限、知の補佐を行おう。まずは竜人たる御身が何をなせるのか、何をなすべきなのか、それを知るために、我らに御身をお預けいただきたい」

 目の前にはカルスと騎兵隊長氏、メディクス、その部下らしき何人かの兵士たちがいて、カルス以外はみんなひざまずくか平伏していた。それを見ている、ちょっと離れたところにいた兵士たちも、大抵がひざまずいて私を仰いでいる。

 異様な光景で、かなりびびる。なんだ、これは。

 竜人って、いったいなんなんだ。

 私が無言でいるのが、たぶん周囲の緊張感を高めているんだろう。空気が異様に硬いのがわかる。みんな、緊張している。たぶん、私がどうこうじゃない。竜人って、それだけみんなにとって特別な存在なんだ。

 どうしてそんなものになっているのか、本当に自分が竜人とやらなのか、何もわからないけれど、今の段階でわかるのは、私がそれなりなことをいわないと、この異様な場が終わらないということ。

 みんなが食事タイムに移れないということ。

「……まずはお任せします。私が何をなせるのか、それを知るまでは、不肖の身をお預けします。よろしくお願いします」

 良きに計らえ、とふんぞり返っていおうとも思ったけれど、空気を読んでやめる。代わりに、当たり障りのなさそうなことをいってみた。

 そのセリフはこの場では正解だったみたいで、騎兵隊長氏を筆頭に居並ぶ男たちが一斉に頭を下げた。

「かしこまりました、閣下。ミュシア騎兵団一同、必ずや身命をとして御身をお守り申し上げます」

 黒衣の隊長が陣営を圧するような大音声で口上を述べると、兵士たちが一斉に「アヴェ・ドゥラコ! アヴェ・ドゥラコ・ホミニス!」と叫び声を上げた。

 けっこうびびる。

 意味は簡単。「竜万歳、竜人万歳」。

 陣営中の兵士がいつの間にかこの近辺に集合していたらしく、その叫び声は夜の空気を割って轟き渡った。

 しばらくそのシュプレヒコールが続き、そのうち、騎兵隊長マルクスが立ち上がった。同時に兵士たちの声が止まる。

 マルクスは一度頭を下げるようにしてから上半身を起こし、後ろにいるメディクスに声をかけた。

「兵を戻せ。竜人閣下には改めて我らが陣営をご案内申し上げる」

「了解」

 メディクスはうなずくと、身を翻して兵士たちの中に入っていった。

「さて」

 カルスが、今までの荘重な雰囲気を脱ぎ捨て、ごく日常的な声になった。

「食事にしよう、マルクス。竜人閣下も、じつはこの世界にお越しになって以来、まだ何も食しておられない」

 口調が砕けていた。

 マルクス、と名前で呼ばれたコルネリウス・ルクスの方も、雰囲気が柔らかくなっていた。

「それはお気の毒な。失礼にも程があるだろう、知の支配者ともあろう者が」

「色々あってな。早速ですまんが、晩餐の席に着こう」

「それは構わんが……閣下、なにぶんこの通りの場ゆえ、大したおもてなしも出来かねます。よろしければ、クレスなり他の都市なりでおもてなしをさせていただければ」

 騎兵隊長マルクスは、顔立ちがカルスとは別系統だけれど異常に美しい。それだけに冷たそうにも見える。口調も決して暖かかったり親しみやすい感じじゃない。でも、なぜか度量の大きさを感じさせる雰囲気があって、不思議と他人行儀な感じがしない。

「いやあ……移動はちょっと」

 正直にいうと、カルスが笑った。笑いやがった。

「移動は勘弁してくれ、たった今まで地獄の苦しみを味わっておいでだったのぞ」

「誰のせいだよ、いいだしっぺのくせに」

 ちょっと本気で腹が立つ、この男。

 マルクスはうなずくと、「ではこちらへ」と案内してくれた。


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