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3.とりあえず着替えてみる。

 あなたはこの世界にとっては、いってみれば異物だ。

 カルスのセリフはまったくそのとおりなわけで、私の姿はどう見ても異世界人だった。

 まず、制服。

 異世界にどうやって来たのかは知らないけれど、私は学校で居眠りをするまでは間違いなく着ていたはずの、グレーのブレザーに黒っぽいスカートという何の個性も無い制服を着ていた。

 カルスがいうには、あまりこの姿で街には出ないほうがいいという。

「スカートといったか、その服装はあまりにも扇情的過ぎる。我々の文化に、まともな女性がひざ上まで素足をさらして歩くということはありえない」

 まあそうだろうな、と思う。

 私はスカート丈の短さに命を賭けられるほどいい脚の持ち主、なんて自信は無いので、それほど大きく上げているつもりはないけれど、それでもまあ、短くないとは言わない。

 季節は初夏だから、初夏だったから、冬場のようにタイツなんかはいてないし。普通に黒のハイソックスをはいている。当然、ひざ上の生脚は公開状態。

 まわりに女子高生なんかいなくても、女子高生なんてそんなもんだとみんなが思っている東京にいる限り、この姿がどう見えるかなんてさほど気にしたことはなかったけれど、女子高生自体が存在しない世界に来てみると、なるほど、ちょっとこの格好は異様かもしれない。

 それから髪や瞳の色も、肌の色も違う。

 ただ、これはさほど目立たない気がした。

この街、クレスには、色々な肌の色の人がいて、髪の色も様々だった。人種の混交が進んでいるのか、それとも色々な人たちが集まっては散っていく街なのか。

 とりあえずこの姿で街に繰り出す気には全然なれなかったし、街の様子や事情なんてそのうち嫌でもわかりそうな気がしたから、私は休憩することにした。

 カルスに案内された部屋は、ドムスの奥にある噴水を囲んだ中庭に面した一室で、残念ながらやっぱりドアはない。壁に窓らしきものがないから、確かに扉を閉めたら真っ暗だけれど、冬の間なんて人が住めないんじゃないだろうか。どうなんだろう。

 壁には絵が一面に描かれている。絵がかかっているんじゃなく、土壁に直接。この部屋に描かれているのは、田園風景らしき絵だった。木立の中に小麦畑らしき畑が広がっていて、その向こうに海が見える。歴史の教科書なんかに載っている壁画より、現代の風景画に近い気がする。

 やっぱり異世界だから、絵の文化なんかも元の世界とは違うんだろうか。そう考えてみれば、絵の遠近感が古代の絵とは思えない気もしたけれど、絵画史にそれほど詳しいわけじゃないから、あまり深く考えるのはやめることにした。

 調度はけっこうさびしい。というか、寝台一台に小さなテーブルが一つあるだけで、他に何一つ置かれていない。生活感が無いにも程がある、と思いつつ、日本の部屋は何もかも置き過ぎている、と外国人には見えるらしいという話を思い出して、こっちの感覚がおかしいのかな、と思い直したりする。

 寝台は、小学生の頃に「派手なだけで何が面白いんだろう」と思いつつ見た記憶がある、ハリウッド製古代ローマ世界スペクタクル映画の中で見た、まさにそのままというもの。眠るためのベッドというより、体を横たえるための台、という感じで、映画ではこれに横たわりながらローマ人たちが食事をしていた。布団がしいてあったりはせず、木製の寝台の上に麻布がかけられているだけ。

 腰掛けてみて、これで寝るのかな、とちょっと疑問に思った。結構このままだと硬いぞ。ふかふかベッドなんかいらんけど、これで寝るのは嫌だな。

 ほとんど無意識に腕時計を外して、テーブルの上に置き、あっと思った。

 私には元の文明の象徴がいくつもあるじゃないか。

 あわてて立ち上がって全身を探る。

 文明の象徴があった。

 携帯。

 携帯電話、というより、ほとんど携帯辞書か携帯百科事典と化しているスマートフォンを取り出し、画面を見てみると、当然ながら圏外のマーク。

 まあそれはいいとして。いやよくないけれど、どうなるものでもないから諦めるしかない。

 カルスが「博覧強記とは聞いていたが」とかいっていたけれど、私の知識はたいがいネットから引っ張るか、たまに本まであたって調べたりしたものなので、ネットにつながらない状況ってのは結構ずしんとくる。

 知識なんか無くても要領よくやっていける、頭の回転が速い女ならいいけれど、あいにく私は人よりちょっと多いらしい知識だけを頼りにこそこそ生きてきた女だから、これは困ったことになるかもしれない。

 なってるか、充分。知識なんかあろうが無かろうが。

 ちょっと迷ってから、私はスマートフォンの電源を切った。

 どうせ使えないし、何かあったときに充電が切れて後悔はしたくない。まあ、電源を切っていても、長い間放っておけば、自然放電してしまうんだろうけれど。

 そんなことを考えているうちに、ついに、私は不安に襲われてしまった。

 ここまでは、緊張感やありえないほど現実離れした出来事に振り回されて、感じることも無かったことに、うっかり気が付いてしまった。

 私は、とんでもない事態に巻き込まれている。たった一人で、何も知らない場所で。

 どうなるんだろう。

 どうしたらいいんだろう。

 何が出来るんだろう。何をするべきなんだろう。何をしちゃいけないんだろう。

 いきなり襲ってきた不安の嵐、恐怖が私をわしづかみにした。

 気温はそんなに低くないけど、暑くもない。過ごしやすくて、空気も乾燥している。

 なのに、全身が熱くなって、手の平には冷たい汗が出てきて、急に視野が揺らいで、私は立っていられなくなった。

 寝台に座り込んだ私は、鳥肌が立って、本格的に震えが来て、目に汗が入った拍子に涙もこぼれて、嗚咽が始まり、うずくまった。

 なんなのよ。

 なんでなのよ。

 こんなこと、私は一度も望んでない。

 他の奴にしてよ。

現実から逃げたがって異世界を夢見てる奴なんか、掃いて捨てるほどいるじゃない。

何でそういう奴じゃなくて、私なわけ。

帰してよ。戻してよ。

なんなんだよ。



 薄暗くなった頃、私はむっくりと起き上がった。

 目ははれぼったかったけれど、涙はとっくに乾いている。

 泣いたところで状況が変わるわけでもないし、絶望しようが呪おうが、時間は勝手に過ぎていく。

 私は弱々な人間だから、泣きもすれば震えもするけれど、それをずっと貫き通すほど執念深くも恨み深くも出来てない。

 仕方ないか。

 そう思えるところまで行ってしまえば、そういうスイッチが入ってしまえば、涙も止まるし震えも収まる。多少時間はかかるけれど。

 私は寝台から身を起こして伸びをした。

 考えてみれば、それほどひどい状況というわけでもない。

 一人で荒野に放り出されたというならともかく、「知の支配者」カルスという保護者がいて、理由はわからないけれど言葉がきちんと通じて、雨露しのげる家屋が与えられて、これは結構な待遇だ。

自分が置かれている状況が全然想像も付かないというのが気になるけれど、まあ、その内わかるだろう。

 私が何をすればいいのか。私は何が出来るのか。その辺りだけでもわかると、だいぶ気が楽なんだけれどな。

 泣くだけ泣いたら、気分は切り替わっていた。

 自分が強い人間だと思ったことはないし、たぶん大人になって世間に出たら、おろおろするばかりでろくな事は出来ないんじゃないかって思っていたけれど、意外に図太く出来ているのかもしれない。

 まずは着替えたいな、と思った。

 いつまでも制服じゃいられないし、外に出られないんじゃ困る。

 私は完全なインドア派だから、どちらかというと出不精な方だけれど、これからずっとここにいられるわけでもないでしょう。着るものくらい自分で着られるようになってないとね。

 部屋の出入り口にかけられているカーテンを開けて、人を探そうとすると、正面に見える噴水を囲む中庭に数人の女性がいて、私の姿を見るとすぐに立ち上がって一礼した。

 思わずこっちもお辞儀を返すと、女性たちはあわてたようにひざまずいた。

 いやいや。そうじゃなくてね。

「あの、私にも、ちゃんとした服ってもらえるものですか」

 恐る恐る聞いてみると、よく見ると実はかなりビビッていたらしい女性たちのうち最年長と思われる一人が、勇気を奮い起こすようにして立ち上がり、

「直ちにご準備申し上げます」

 と高らかに宣言してから、ばっと別の部屋に駆け込んだ。

 そんなにご大層なことなんですね、私の世話ってのは。

 ちょっと大げさすぎやしないかい、と私がかすかにうんざりしていると、その女性が衣類らしきものをひとそろえ抱えてきた。

 着方を教わるつもりで部屋の中に入れると、自分が着せる気だったらしく、すぐに私の服に手をかけようとした。

「ちょっと待って、自分でやりますから、色々教えて下さいませんか」

 私がいうと、それも驚きだったらしい。

 ジャケットからどんどん脱いで行きつつ話を聞き出すと、貴族などの高位の女性は、自分で衣装をつけることはあまりしないらしい。なにしろ、美容関係の奴隷だけで数十人抱えている大貴族もいるという。

「なにそれ、まさか雇用対策なわけ?」

 と私がいってもぴんと来ないらしく、いつの間にか人数が増えて4人も部屋に入ってきていた女性たちは、首をかしげている。数十人は行き過ぎでも、数人の奴隷にかしずかれて着替えをさせる光景って、かなり当たり前らしい。

 女性たちに囲まれて素っ裸になるのってめちゃくちゃ抵抗があるけれど、出て行ってもらっても、私は下着の着け方すらわからないわけで、一時の恥はかき捨てだ、と開き直ってみるしかない。私はブラからショーツまで一気に脱ぎ捨て、完全な裸になった。

 女性たちは私が身に着けていたものをものめずらしげに見ていたけれど、私がこの世界の衣装なんか全然知らないってことは、カルス辺りから聞いていたのかどうか、理解していたらしい。着るべきものを順番に出してくれた。

 まず、下着。

 どんな下着をつけるのか、ふんどしでもつけるのか、それとも帯状のものを巻きつけるのか、ど漠然と思っていたけれど、違った。

 それは、さすがに現代式のショーツとは違ったけれど、ちょうどトランクスのような感じの下着だった。男性用のトランクスより小さいけれど、綿で出来ているらしい下着は、腰で紐をまわしてしばること以外、現代の下着と大した違いはない。

 これって生理のときはどうするんだろう、と思っていたら、これとは別に、ふんどし型の下着があって、それに当て布を入れたり、海綿を入れたりして巻きつけるらしい。海綿ってスポンジだよね。スポンジか。うーん。

 胸に着ける下着も、発想は現代と変わらなかった。

 タエニア、というらしいけけれど、要は、胸を寄せて上げるという発想の元、胸に当たる部分に当て布を入れた胸帯を巻く。胸がゆさゆさ揺れるのを防ぐと同時に、谷間を演出するわけだ。

 昔も今も、女の考えることは一緒だ。

 まあ、ゆさゆさ揺れるような胸も、素敵な谷間も、私にゃ無いわけだけれどね。

 それらのほか、胸元から下腹部にかけて汗取りの生地を巻いていく。

 それが終わると、短衣チュニカを着る。現代でいうチュニックと大して変わらない。薄手の生地でできた短いワンピース型の服で、腰に紐を回している。袖は無い。素材はたぶん木綿だと思うけれど、冬になると羊毛に変わるみたいだった。

 色が意外だった。教科書的なイメージでは生成り色でそれほどカラフルなイメージはなかったけれど、ちゃんと色もあるし、ぼかしたり刺繍で模様を出したり、しっかりおしゃれしている。

 私が着せられたものは青かった。藍か何かで染めたんだろうと思うけれど、詳しくはわからない。

 地域的にここはそこまで寒くはならないようで、たとえば毛皮を着たりすることはあまりないらしい。

 それを着ると、カスチュラというペチコートのようなものを着た上から、かかと丈くらいの長いものを着る。ストラ、というらしい。胸の下とウェストのところにそれぞれ細い紐や鎖を回して絞るようになっていて、私が着せてもらったのは、華奢なデザインの銀の鎖。高いんじゃないのか、これ。大丈夫か?

 寒い時期にはもっと着るらしいけれど、今日はここまで。正式な礼装をするわけじゃないから、というのもあるらしいけれど。

 着てみると、現代の洋服と違って巻きつけるものが多いからあまり楽な感じはしない。これも慣れなんだろうか。

 これでもまあ、女の端くれではあるので、初めて着る服はなんとなくうきうきするし、さっきまでパニックで泣いていたくせに、今はすっかり楽しくなっていた。

 女性たちも、私がのんきに楽しんでいるのを見て安心したのか、雰囲気がほぐれてきた。「竜人」とやらになってしまった私の機嫌が、この人たちにとっては一大事らしい。

 私も出世したもんだ。

 日が落ちてきていたから、途中から灯火が入っている。油が入った皿に芯を入れる形式のもので、よく時代劇なんかで見る日本のものとあまり変わらない。蝋燭じゃなかった。

 油の焦げる匂いなんか台所で少々かぐぐらいのものなので、匂いでどんな油が使われているかはわからない。でも、石油っぽい感じだけはしなかった。動物性の脂が焦げる匂いとも違う感じだから、たぶん植物の油だと思うけれど。

 そろそろお腹もすいてるんだけど、それをいうとまたこの人たちがばたばた走り回って準備を始めちゃうのかなあ、おにぎりで充分なんだけどなあ、でも米って栽培されてる雰囲気じゃないよなあ、などと私がぼんやり考えつつ、着替え終わってすっかり片付けられた部屋の中で寝台に腰を下ろしたとき、遠くドムスの入り口を越えた先、元老院議事堂からつながる回廊の方から、ざわつくような声が近付いてくるのがわかった。

 またカルスが来たのか。別の客人か。吉報か、凶報か。

 身構えて事態の推移を待つ私の身に、次なる出会いが訪れたのは、十秒後のことだ。



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