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2.沙紀、説明される。

 カルスに案内されたのは、元老院議事堂の裏手にある建物。

 回廊でつながっているその建物に行くまでの間に、やっぱり中庭があった。緑にあふれた空間の真ん中にはお約束の噴水。確かローマ型の都市では、上水道を引き込んだ先に噴水を作るのが、当たり前に見られる光景だったはず。

 ここはローマじゃないらしいけれど、少なくとも、それに極めて似ているのは確かだし、何とか自分がいる所を理解しようと思ったら、乏しい知識を総動員してどうにか考えていくしかない。

「しばらくはここを宿泊所に当てたいと考えている。色々と話もせねばならぬし、聞きたいこともおありだろう」

 カルスは身長も高い。ほっそりとした体つきに見えるけれど、意外に広い肩幅から考えて、体型が出にくいトーガの下の体は、結構がっちりしているはずだ。

 その後についてゆっくり歩き、宿泊所に当てられるらしい建物に入る。

 その建物は、議事堂ほど大げさではないものの、立派な邸宅だった。復元模型で見た、古代ローマの有力者が住んでいた住宅に似ている。

 なんていったかな。

「このドムスはしばらくあなたに貸与する。好きに使われよ」

 そうそう、ドムスだ。都市の一戸建て。集合住宅は確かインスラ。

 このドムスはもともと元老院議事堂が建てられる前からあったもので、ある有力者の建物を取り壊して議事堂が建て替えられた際、街に一緒に買収されて、他都市の有力者や外国からの使節の宿泊施設として整えられたらしい。

 回廊から続くドムスの玄関は、もともと貴族の邸宅だっただけあって、柱も壁も綺麗に飾られている。手入れが良く行き届いているところから見て、住人はいなくても、ちゃんと管理人はいるらしい。

 というところまで考えて、私は気付いた。

 そうか、古代ローマに似ているってことは、奴隷制もあって当然ってことか。

 私も現代日本で育っている以上、奴隷が身近にいた経験も無ければ、それで維持されていた家系に育ったわけでもない。黒人奴隷が酷使されていたアメリカの歴史も、土地付きの農奴で社会が成り立っていた近世ロシアも身に染みては知らないし、まして古代社会の奴隷制なんて、実感としてわかるはずがない。

 ドムスの扉が開いて、中にいた人々の姿を見て、私はこの人たちがこの家を管理しているんだろうな、というのがすぐにわかった。

 管理人さん、という感じじゃない。それは、家付きの奴隷、という表現が、本当にしっくり来る感じだった。ひざまずいて私たちを迎えたその姿は、卑屈とはいわないまでも、けっして私たちを仰ぎ見ずにじっと床を見ているその姿勢といい、身に着けている粗末な短衣といい、決して自由市民が自分の職業として選んでここにいるというようには見えない。

「彼らがこのドムス付きだ。好きに追い使ってくれてかまわない」

 カルスは私の複雑な気分に気付いたのかどうか、さらりとそういうと、その人たちの前を通り過ぎ、奥に向かった。

 ドムスの玄関から入った奥には、薄布を張った部屋があって、そこがこの邸宅の応接室になっているらしい。

 後で知ったことだけれど、この部屋はタブリヌムといい、書斎や応接室に使う、邸宅の主人用の部屋なのだそうだ。

 邸宅は、石造りであまり内装に温かみはなかった元老院議場とは違い、木材がふんだんに使われ、壁には壁画もあり、様々な場所にカーテンがかけられてやわらかい雰囲気を作り出している。人が快く住めるように、居心地よく感じられるように出来ている。

 タブリヌムに入ると、窓がないけれど、薄いカーテンは天井までかかっているわけじゃなく、その上から光は充分に入ってくる。カーテン自体薄かったし。

 その意外に明るい空間の中で、カルスと私は二人で椅子に座った。ちょうど、テレビで各国首脳が会談を行うときのような位置関係で、奥の壁に背を向けて、小さなテーブルを間においている。

 そこには、すぐに薄い陶製のカップが運ばれてきた。

 運んできたのは身奇麗な女性で、この人は奴隷ではないらしい。それがわかるのは、金の装飾品をつけていたから。ネックレスや髪飾りに金を使う奴隷はいないだろう。

 カーテンの外にはカルスの侍従か秘書かという30代前半くらいの男性と、フル装備ではないものの物々しい雰囲気は相変わらず身にまとい続けている衛兵数名が控えていて、とても二人きりで話をするという雰囲気ではないけれど、まあ、いくら綺麗なお顔の人とはいえ、この完全アウェーの状況の中で、得体が知れない相手と二人きりになるなんてのはどう考えても嫌なこと。

「一息入れよう。どうぞ」

 そういってカルスがカップを手にした。

 いわれてみれば、私はついつい昼寝を始めてしまった授業の前に、一口紅茶のペットボトルを含んで以来、一滴も水分を取っていない。

 もっとも、その私と同じ体でここに存在できていたら、の話ではある。もしかたらSFで昔読んだ話のように、たまたま多重世界の重ねあわせで最も条件に適合していた他人の体に、うまく入り込んでしまっているのかもしれないし、そもそも全部夢の可能性だってある。

 そんなことを考えながら一口飲んでみて、私は、その味が意外に馴染み深いものであることに安心し、その渋みと甘みを堪能し、そして時間差を置いて驚いた。

 その驚きが、カルスにも見えたらしい。

「お気付きかな」

「き……気付くでしょう、これ、お茶じゃないの」

「そう、紅茶だ」

 しかも、アイスティー。

 中国原産のお茶がヨーロッパ世界に伝わったのは、一応諸説はあるらしいけれど、どう考えたって古代のはずがない。中世の王様たちがティーブレイクなんて話、聞いたことがないでしょ。大航海時代が始まった、その後のはず。

 ついでに、砂糖だって、そんなに古い時代からあったわけじゃないはず。私がすぐにこの甘さは砂糖だとわかったくらいだから、雑味が少ない、精製された白砂糖のはず。そんなもの、古代にあったとは思えない。

「舌に合うかと思ったのだが」

「そりゃ合うけどさ。なんでこんなものがここにあるのよ」

 竜人閣下、などと呼ばれて持ち上げられたからか、思いっきりタメぐちになってしまった。

 もっとも、カルスは気にしているようにも見えない。

「紅茶は多少希少性が高い商品だが、別に無いわけではないし、珍しいわけでもない。あなたが存在していた世界ほど普及はしていないがね」

「輸入しているの? シルクロードか船で?」

 どうしてもお茶は東方のものというイメージがあるからそう尋ねたけれど、カルスはごく軽く肩をすくめて否定した。

「一応、わが国で生産されているものだよ」

「砂糖も?」

「砂糖も、だ」

「サトウキビがあるわけ?」

「いや、ビートだな」

「ちょっと待ってよ、ビートの生産って確かナポレオンが大々的に始めたんじゃなかった?」

 思わずそういうと、カルスははっきりと笑った。

「そこまで知識があるとは驚きだ。年齢に似合わぬ博覧強記とは聞いていたが」

「いやいやいや、その反応ってさ、ナポレオンを知ってなきゃ出来ない反応だよね? ありえなくない?」

 古代ローマの世界とはちょっと違うらしいけれど、それにしても、時代もはるか後代の英雄のことを、なぜこの男は知っているのか。わたしのことを良く知っていることより、なぜかそっちが気になった。

「まず誤解を解いておこうか。ここはローマではないし、その時代ではない。というより、その世界ではない」

 衝撃的なことを、笑顔のまま軽く言い放った。

 こいつ。

「詳しいところはおいおい説明していくとして、とりあえず今の質問に答えてみようか。わが国では昔からビートの生産を行っているが、もともとは葉を食べるためだった。そこから糖をとる方法が見つかったのはここ2・30年ほどの事だが、人間の欲というのは、商品の普及にとって最高の材料だな。あっという間に普及した」

「でも、サトウキビを使うよりずっと難しいんでしょ?」

「そうでもない。遠心分離機を使うのは一緒だし、それはたいしたテクノロジーがなくても作れる。要は結晶化が出来ればいいのだからな」

 大した博覧強記でいらっしゃる。私のことをいっておいて、カルスの方がよほど物をよく知っている。

「もっとも、まだまだ効率は良くない。精製の方法が未熟なのと、化学的な合成法の知識が不足していることの双方が問題だ」

「さすがは『知の支配者』でいらっしゃるわね、良くご存知で」

 思わずきつい言い方になったのは、知らず知らず、この男の知識が得体の知れない領域にあることに警戒し始めていたのだろう。

 カルスはそんな私の言い方も気にならないらしい。

「『知の支配者』は、すべてを知っているわけではない。だが、少なくとも竜人の質問にならたいてい答えられる程度の教養は求められる」

「その竜人っていうのは何なの」

 私はカルスの悠々とした態度が気に食わず、大上段から切り込んだ。

 カルスはもったいぶらなかった。

「竜の眷属、という言い方をされることが多いが、要するに竜にうっかり選ばれてしまった人々のことだ」

「選ばれた? 竜?」

「竜というのは、この世界では実在の存在だ。滅多に見られはしないがね。様々な異能を持っているこの存在に選ばれたごくごく少数の人間のことを、一般に竜人と呼ぶ」

「私は選ばれたわけ」

「選ばれたのだ。あなたにその自覚はないだろうが」

「求めた覚えも無いしね」

 私の声は相当不機嫌に聞こえているはずなんだけれど、カルスは全然動じない。

「その点についてはご同情申し上げる、としか言いようが無い。実のところ、私が『知の支配者』などという役回りを演じているのも、同様の理由からだ。私自身はそのような役割を求めたことは無いのだが、ある日突然、その立場になってしまった」

「私も同情してさしあげた方がよろしくて?」

 皮肉バリバリの口調でいうと、カルスは片方の唇だけゆがめて笑ってみせた。

「いらんよ。おかげでなかなか得難い経験を積んでいる。満足とは言わぬが、これで結構面白く生きている」

「ああ、そう」

 反論する気も失せて、私は脚を組み替えて、ひざの上にひじを乗せ、立てた手の平にあごを乗せた。お行儀なんか知ったことか。

「さっきもいった通りだが、詳しい事情はおいおい説明していくことになる。今の時点で把握しておいてほしいのは」

 いいながら、カルスも脚を組み替えた。

「まず、あなたがこの世界の人間ではないということ。何も物理法則が違ったりする訳ではないが、かなり面食らう場面もあるだろう。それはそれで受け入れてほしいというのが一つ」

 私は黙ってうなずいた。カルスは続ける。

「それから、あなたはこの世界にとっては、いってみれば異物だ。その存在そのものから様々な衝撃や軋轢も生じてくるだろう。それについて、常に意識はしてもらいたい」

「まあ、当然ね」

 私はうなずいた。

「何もかも受け入れられる保証も自信も無いけどね」

「神じゃあるまいし、そこまでは期待していない。あなたが理性的な人間だということは知っているし、ここまでのやり取りでそれは充分証明できている」

 カルスが軽く手を広げた。

「慌てない、ということが、物事を悪化させない一番の方法だということを把握してもらえればいい」


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