女王様と茨姫 中編
「氷雨殿、とおっしゃるのですか。本当にお美しいですね」
「いえ、そんなことは……」
私は作り笑いで聞きなれた褒め言葉を軽く流した。
屋敷はなかなかに立派な造りで、応接室で出されたお茶も高級品だった。タリーアはいかつい鎧は脱いだもののドレスに着替えることなく、まるで男のような格好のまま私たちに対峙した。長身ですらりとした彼女には勇ましい姿も似合っていて、堂に入っているところを見ると普段からこの格好なのだろう。
「わたくしは貴女のように美しい女性は見たことがありません。やはり、女性というのは神が作りだした最高傑作だと思うのです」
「はぁ……」
うっとりとした様子でこちらを見つめる眼差しは熱い。なんだか危ない予感に私は少し笑顔がこわばった。
「その点、男ときたら……。醜く、あつかましく、愚鈍でまったくもってどうしようもない存在です。何のためにいるのか不思議でしかたありません! 駄作も駄作、大失敗ですね」
表情も一変、タリーアは眉にしわを寄せ、今度は男性批判を始めた。彼女は非常に素直な性格のようで、考えていることがすぐに顔に出るタイプらしい。
しかし、これで彼女のことはなんとなくわかった。とんでもない男嫌いの女性賛美者。カガミもそれを感じ取ったようで、私の隣で身を小さくさせている。
「あ、カガミさんはいいのですよ。氷雨様の従僕なのですから、きっと男でもましな部類なのでしょう」
「はは、光栄です」
悪びれずにさらっと言ってしまうところがやはり育ちの良いお嬢様なのか。カガミは怒る気もしないようでへらへらと笑った。
「なぜ氷雨殿は御一人で旅をなさっているのですか」
「ええ。女ながら、見聞を広めたいと思いまして」
まさか婿探しとはいえない。というか、この娘相手にそんなこと言ったら面倒くさそうだ。それにしても、カウントされなかったカガミの内心はどんなものか。
「素晴らしいです! そうですよね、女だからと屋敷に引きこもっていてはいけないのです。やはりわたくしの目に狂いはなかったようです、氷雨殿は普通の女性とは一味違う」
目を輝かせたタリーアは、身を乗り出した。どうやら何かの琴線に引っかかったらしい。
「貴女のような方がもっと増えればいいのに……。弱々しく守られるばかりが女ではありませんからね」
「タリーア様は勇ましいのですね。そういえば、この街の女性はみな活き活きとして力強いように思えましたわ。貴女のような方が身近にいるからでしょうね」
「まぁ、そんな! でも、そう言っていただけて嬉しいです。実はわたくしは、そういう統治をしたいと考えているのです」
「そういう?」
「はい。今の社会は何かと男性優位ですが、能力で言えば女性も決して負けていません。いえ、勝っているとさえ思います。だからこそ、女性が本来の能力を存分に生かせる場を作り上げる必要があるのです! わたくしは幸いにも領主の娘、この街でならそれも実現可能。美しく強くたくましい、気高い女性! 彼女たちこそ街を作る存在でなくてはならないのです!」
タリーアの熱い演説はそこで終わり、「失礼しました」と彼女は茶を口に含んだ。
「強いお心をお持ちなのですね、タリーア様は。人々に人気があるのもわかりますわ」
にっこりとほほ笑んで見せると、タリーアは純情な乙女のように照れ笑いを浮かべた。ようやく年相応の少女の顔になる。
変わった娘だとは思ったが、ここまでとは。内容はともかく、自分の意志を持った行動的な令嬢というのは珍しい。少しばかりこの娘とのお遊びにつきあってもいいかな。カガミのダイスが何をもってこの街を示したのかはわからないが、これも出会いの一つかもしれないし。
そんな私の気持ちを察したように、カガミは意味ありげな視線を私に向けた。当然無視する。
タリーアはふと窓の外を見た。ガタごと、と馬車の走る音が聞こえてきたからだ。
「あ、父が戻ったようですね。どうかお会いになってください」
タリーアの父ということは、この街の領主ということだ。
タリーアが部屋を出ていき、私たちは立ち上がって扉を見つめた。いくらもしないうちに父を連れて彼女は戻ってくるだろう。
さて、あの娘の父親とはいったいどんな男か。結婚をしている男に興味はないが、私はちょっとワクワクしてしまう。
きい、と小さな音がして、扉が開く。
入ってきたのは、
「どうも、この屋敷の主です」
うすらさびしい雰囲気をまとった痩せた小男が一人。たっぷりした口髭だけが立派なのがかえって物悲しさをあおる。
「娘が強引にお連れしたとか……。すみませんね、でもゆっくりしていってください」
領主はそう言って弱々しい微笑みを向けた。
主の強い勧めもあって立派な夕食を御馳走になった私たちは、そのまま屋敷に滞在することを求められた。タリーアがやけに私を気に入ってしまったからだ。最初泊る予定だった宿屋よりはるかに豪華な一室を与えられた。今日は久々に安眠できそうだ。
「あの領主には驚きましたね。近所の老人が間違って入ってきたのかと思いましたよ」
食後でカガミも気が緩んだのか(いやこいつはいつも緩みっぱなしか)、軽口をたたく。
「ああ……。正直、ちょっと驚いたな」
あの娘を見てあの父親は想像しにくいだろう。よくもまあ見事に正反対に育ったものだ。
「しっかし、あの子はずいぶんな過激思想ですねー。俺も男なんだけど……」
「お前なんか眼中にないってことだろ。それより、カガミ。あの娘はそこそこやるのか?」
私が右手で剣を振る仕草を見せると、カガミは首をこてんとかしげた。
「そうですねぇ。俺よりは弱いかな」
「お前より強い人間がいてたまるか! 常識的な意味での話だ」
「俺が非常識みたいじゃないですか、ひどいなァ。ええと、都会の騎士団ならゴロゴロいる力量ですけど、こんな平和な田舎の地方だったら十分すぎる腕前かな。あの年の女の子としてならピカイチの逸材」
「ふーん。腕には自信ありってワケか」
馬術は見せてもらったが、腰にさした剣も飾りではない、ということらしい。頼りにならないことの方が多いカガミの目だが、こういった方面ならばまず間違いはない。
「おてんばというには度が過ぎているな」
「そうですね。なーんか、嫌な予感するなぁ……」
「占術士のお前が言うとしゃれにならないな、カガミ」
私が苦笑すると、まるでタイミングを見計らったかのようにコンコン、と控えめなノックの音がした。
「どうぞ」
「おくつろぎのところ失礼します、大変申し訳ありません」
やけに腰の低い使用人だな、と思って目を向けた先に立っていたのは、なんとこの屋敷の主人だった。
「領主様。どうなさったのですか」
意外な訪問者に、私はすぐさま立ちあがって彼を出迎えた。
「実は、折り入ってお話があるのです」
「話?」
カガミが私にむけて露骨に嫌そうな顔をした。なるほど、下心あっての歓迎だったということか。
そしてその話の内容はなんとなくわかる。
私はソファに改めて腰をおろし、しょんぼりとうつむく領主の話とやらを聞くことにした。
「氷雨殿、カガミ殿。どうか、娘をなんとかしていただけないでしょうか」
「どういう意味です」
彼は憂いに顔を染めると、うつむいたままぼそぼそと話し始めた。
「娘は……少々、度を過ぎたところがありまして」
「それは、彼女の非常に活発なところをおっしゃっているのですか?」
「ええ、ハイ、そうです」
こくこく、とうなずく。
彼の話では、こうだ。
タリーアは小さなころから活発で、おとなしい『お嬢様』なんて耐えられなかったという。馬に乗り、剣を握り、とにかくおてんばの限りを尽くしたのだ。それを見かね、苦肉の策として彼女に庶民の糸車を与えてみた。裁縫には興味を持たなかったタリーアだが、ちょっと変わった品であれば挑戦してみる気になるのではないか、と思ったのだ。だが、これが最悪の結果をもたらした。
読み通り「ちょっとやってみるか」という気になったのはいいが、タリーアはまさかの最初の一巻で指に針を突き刺してしまったのだ。
あまりの痛みに、タリーアは愛用の剣で糸車を一刀両断した。そして彼女は悟ってしまった。
やっぱりわたくしには剣しかない!!
それまでは渋々やっていた令嬢としての教育を全て放棄し、タリーアはより一層剣の稽古に熱意をそそぐようになった。もともと才能があったのか、剣の腕前はぐんぐんと上がっていき、今では領内お抱えの騎士団の中でも随一の使い手になってしまった。
そんな勇ましい彼女は、幸か不幸か凛々しい美しさも持ち合わせていた。それに魅かれて寄ってくる男もそれなりにいたという。
それに、タリーアは強烈な嫌悪感を覚えた。
「女のわたくしより弱く無能なくせに求婚を試みるとは、なんたるおこがましさ! ついでに言うとどうも男と言うのは汗臭いしヒゲは汚いし、身体は無骨だし、いいことなんて一つもないではないか!!」と。
そしてまた、こう考えてしまった。
「それにひきかえ女性は美しいし、それにやろうと思えば己のように戦うこともできるのだ。商売だって統治だって同じこと。ならば、なぜ男を引きたてる必要がある? いや、ない!!」
と。
「以来、娘は外に出るときは鎧をまとい、徹底した男嫌いになってしまったのです」
「はぁ、なるほど」
「街ではタリーアが出て行くだけで荒くれどもが黙ると噂されています。幸いにも縁談の話がいくつか来ているというのに、これではとても……。これも何かの縁、どうにか娘を更生していただきたのです」
真剣そのもの、といった面立ちで領主は言った。
「お話はわかりましたが、なぜ私に? お嬢様とは今日知り合ったばかり、あまりお力になれるとは思いませんが」
言外に「なんで私に面倒を押しつけるのだ」、と聞いてみると、意外な言葉が返ってきた。
「……わしはこれでも貴族のはしくれ、多くの人間を見てきました」
「え?」
「中には、多少なりとも変わった人物もいました。魔法使いや錬金術師や神官……。貴女方は、常人とは思えないのですよ。雰囲気でわかります」
「……」
カガミは顔を伏せている領主を冷めた目で見降ろす。あまり良い兆候ではない。それを制するためぽん、と膝をたたいてやると、カガミは落ち着きを取り戻したようにこちらを見て、軽く肩をすくめた。
「御高察のとおり、私は魔女のはしくれです」
ごまかしても仕方ない、と判断した私は自ら正体を明かした。だからといってどうなることでもない。
「ですが、お嬢様の意志をどうこうするような魔術を心得ているわけではございません」
「そうですよ、この人はなんにもできない魔女ですから」
カガミがまぜっかえすが、ここはおとなしくしていよう。本当のことなのだから。一発殴るのは領主が帰ってからだ。
「いえ、そうは思えません。貴女にお願いする理由はきちんとあるのです。タリーアが生まれるにあたり、わしは占い師に頼んで安産の祈願をしたのです。運気の良い方角に別荘を作り身重の妻をそこへ移したり、清めの舞を踊らせたり……。そして生まれた後は、魔法使いたちを呼んで娘の健やかな成長を祝ってもらいました。しかし、占い師いわく12人集めなければいけないはずが、11人しか集めることができなかった。それがずっとひっかかっておったのです」
「……つまり、私にその12人目になれ、と?」
「その通りです。この窮地に娘自らが招いた魔女、これが天啓でないはずありません。どうかお願いします」
深く頭を下げられてもできないものはできない。11人の魔法使いたちが何をしたかは知らないが、私にとって祝いのまじないなんて所詮気休めでしかない。願うのが「健やかな成長」であれば、幼子の体に良い薬草やら何やらを調合して与えることもできようが。
「ずうずうしいとは分かっているのです。だが、こうするしかもう他に手はない。娘はわしの言うことなど聞かないし……。ああ、やはり12人目を呼べなかったのが原因か……」
領主は小さな体をより小さくした。そうとう困ってしまっているらしく、お願いなのか愚痴なのかわからない独り言をぼそぼそと言い始める。
これでは娘が「男は情けない!」というのも仕方ない気がする。一番身近な男がこれなのだから。
私とカガミは目を合わせてため息をつこうとしたが、次の瞬間私たちは目を丸くして固まった。
「どうして来てくれなかったのか……。はるか東の森の城にすむ魔女は」
次回の茨姫編最終回では、じゃじゃ馬令嬢大暴れです。
どうぞお付き合いください。
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