女王様と人魚姫 中編
これ、ハメられたよねぇ。
俺はわらわらと集まってきた人々の頭を見渡しながら、どうしたら氷雨をうまくかくまえるか考えていた。
「あんたら、サメに乗ってきたのか!?」
「ということは、あの人魚の手先か!?」
「人間か怪しいぞ、調べろ!!」
男も女もよく日焼けしたたくましい腕をふりあげ、口ぐちに叫んでいる。中には漁業用であろうモリを手にしている者もいた。
ものものしい雰囲気に、氷雨はぶぜんとした顔つきだ。さっきまでご機嫌だったのになぁ、もう。
サメの背中に乗り、岩壁に沿ってぐるりと周ると、いくらもしないうちに港が見えた。辛いだろうに、サメは浅瀬まで身を寄せ、長くつきでた桟橋に俺達を下ろしてくれる。そしてうっとりとした氷雨に最後まで愛想をふりまきながら帰っていった。
若干サメに嫉妬しつつも、そこまではよかった。
しかし黙っていなかったのは、サメに送られてきた俺達を見た町の人々だ。
船一隻どころか人影すらない閑散とした港だったというのに、サメが帰るや否やそのすぐそばの詰め所からわきでてきたのだ。
しかも、明らかに不審と恐れを抱いた危険な目付。
その敵意の方向がどこへ向かっているのかは丸わかりだ。まったく誤解もいいところ。
「あー、すいませんすいません。俺達はふつーの一般人です。人魚の仲間じゃありませーん」
濡れたままの帽子を顔の前に掲げながら黙り込む氷雨のかわりに、俺は声を張り上げた。
「黙れ! じゃあさっきのサメはなんだ!」
そう言われると痛い。
「いやー、俺達も被害者ですよ。人魚に襲われたんですが……」
「生きてるじゃないか! しかも、あんな恐ろしい生き物に乗っかって!」
「や、そうなんですけどォ」
うーん、と言葉に詰まる俺のかわりに、氷雨はふん、と鼻をならした。
「あの人魚のもくろみはこれか」
「え?」
「少し静かにしろ、愚か者ども」
声を張り上げた訳でもないのに、氷雨の声はぱんっと辺りに響いた。
氷雨は顔をさらすと、思わず黙り込んでしまった人々にたたみかけるように言った。
「私たちは人魚の手先ではない。だが、お前らの生活を脅かしている人魚になら会った」
「なにィ!?」
再び頭に血を上らせる男たちにひるむことなく、氷雨は続ける。
「あの人魚は私たちを通して要求を伝えようとしている。この漁港をまとめているのは誰だ、長をだせ。直接話がしたい」
氷雨の言葉に、困惑の波が広がった。
「信用していいのか」
「いや、あれは魔性の類ではないのか」
「ああ、あの女、なんだか……」
「キレイだ。きれいすぎる。人間じゃないみたいに」
「人魚が化けたんじゃないのかい、人魚ってのはああいうふうに美しいんだろ」
「それでヒトをだますんだ」
ぼそぼそ、とひそめきれない声が漏れ、氷雨にぶしつけな視線をあびせる。
それに氷雨は露骨に顔をしかめてみせ、語気を荒げた。
「お前たちがこの状況を打破しようとしないのならそれで構わない。私たちはここから去るのみだ。ここを押し通ることなど造作もないぞ」
その気迫に、人々はまたピタリと黙った。
俺は氷雨がどうするつもりか見ているだけだが、いつでも道を開く準備はできていた。サメもいない波もない、ちゃんと足がつく陸地では心配事はない。びしょびしょなのがちょっと気になるけど。
「さっさと決めろ! 私は気が長いほうでは―――――― えくちゅっ」
不意に氷雨は体を震わせ、帽子で顔をおさえた。
あ、これはまずい。かわいいけど、まずい。
そりゃそうだ、いくら太陽の下とはいえ、濡れた服をまとったままでタオルで、風邪でもひいたら大変だ。
「女性を濡れたまま取り囲むなど、失礼にもほどがある」
そうそう、その通り。
「ん?」
「あ、ルパート様!」
「おお、よかった! ルパート様、こいつら人魚の手先だと!」
違うって言ってんだろ、と思いつつも、俺は人垣をかきわけてきた男に視線をうつした。
背が高く、貧弱ではないが他の男たちのように荒々しい筋肉はついていない。肌もそう焼けておらず、服装も仕立ての良いシャツにパンツといった小ざっぱりした格好だ。
「落ち着け。人魚の手先が濡れてクシャミをするとは思えない。彼女の話を聞こう」
彫の深い顔立ちで、鋭い目は黒々としている。どこかサメを思わせる男だ。
「……お前がここの長か」
「ああ。この港の管理を任されている、ルパートという」
男、ルパートは肩にかけていた青い上着を氷雨にはおらせた。
「まずは着替えを。詳しい話は組合所で聞かせてもらう」
「あ、ああ」
氷雨は目を瞬かせながらもうなずいた。ルパートも応えるように軽くうなずき、そのまま肩を抱いて歩き始めた。
人々もこれで安心、とばかりに表情をゆるめている。
「は?」
なんだこれ。
なに、あの後ろ姿。
俺の頭は海の塩っ気ですこしおかしくなったのか、まるで『結ばれた二人とそれを祝福する人々』のワンシーンに見えた。
もしかして、俺の心配ってまだまだ尽きないんじゃないの?
組合所とは、漁師たちが体を休めたり食事をとったりする二階建ての建物だった。傍らには大きなテントが張られており、きっと朝には市となるのだろう。穴あきバケツにお湯を注いだだけの粗末なシャワーと着替えを借りた。
ここは馬車で10分ほど離れたところにある町の飛び地だという。ルパートは町役人で、祖父の代からこの港を管理しているのだそうだ。
ルパートの詰め所には、他の役人を迎えた時の為の応接室が供えられていた。質はよくないものの、椅子に座り温かい紅茶を前にすることができ、氷雨の頬はほんのりと赤くなっている。
これで風邪の心配はないだろう。
一つ目の心配ごとが片付いたところで、俺は改めてルパートに向き合っていた。
「落ち着いただろうか」
「ええ、ありがとう。着替えまで借りてしまって……」
「たまに遊びに来る妹のものだ。よく似合っている」
ふっと目元をやわらげると、無骨そうな顔に暖かみが出る。年の頃は二十半ばあたり、そのわりに落ち着いた物腰の青年だった。
確かに、薄いブルーのワンピースは氷雨によく似合っている。これで海岸を歩かせれば「人魚がいる!!」ってなるくらい様になる。本物を見たことがなければ、の話だけど。
だが、それをこの男に言われたくはない。
「ごっほん。で、ですねェ。ご厚意大変にありがたいのですが、当方としてはさっさと要件を済ましここを立ち去りたいのですよ」
俺は、ポケットの中のダイスが警報を鳴らしているのに気づいていた。
ああ、わかってるさ。よくない。
この男は、よくない!
「ああ。ではさっそく詳しい話を聞かせてもらう。人魚と会った、と言っていたな?」
「はい、そうです」
氷雨が口を開こうとしたが、俺は先に答えてしまうことでそれを阻止した。
「俺は旅の者でカガミと申します。この港のそば、突き出た岩陰の裏側の砂浜で、急な津波に合いました。それが人魚の仕業だったのです」
俺はその人魚がメロウと名乗ったこと、運命の相手とやらを探していること、協力しないと殺すと脅されたが、気持ちを改めたメロウ自身によってここまで送られてきたことを包み隠さず話した。
ルパートは一言も口をはさまずに話を聞いていた。その表情は暗い。
「なるほど、といった顔だな」
あっと思う前に、氷雨はルパートに声をかけていた。
俺が非難がましく口を曲げるが、氷雨は見向きもせずに俺の足をつねった。お見通しだ、と言わんばかりだ。
「きっかけとなる事故に思い当たる節があるはずだ。それ以降ずっと海が荒れていたんじゃないか? それで港に船が一隻もなかったんだろう。商売あがったりな漁師たちは不満爆発、海が荒れる前に必ず聞こえる歌声に、恨みは人魚へと向かった」
「………その通りだ」
重たいため息をつくと、ルパートは言った。
「ひと月ほど前のことだ。わたしは視察を兼ね、漁船5隻で海に出た。非常に天候の良い日で波もおだやか、何も問題はなかったんだが―――――」
その日、いつも通り船にのりこんでいた一行は不思議な現象にあった。何気ないフレーズだというのに、その音だけで見事に『音楽』というものを作り出している。思わずはっと顔をあげてしまう、そんな不思議な歌声が響き渡ったのだ。
「これは一体?」
ルパートが音の出どころを探そうと辺りを見渡した。しかし、港と広がる大海原、いつも通りの景色しか見えない。が、それも一瞬。
唐突に襲いかかってきた大波に、船はまるごと飲みこまれた。
「わたしは海に投げ出され、そのまま意識を失った。だが、奇跡的に岸辺にたどり着いた。幸いにも誰も命を落とすことはなかったが、それ以来だ。漁にでようとするたびにあの歌声が聞こえてくるようになった」
海にくらす人間なら、人魚の伝承くらい聞いたことはある。
あの魔性の歌声は人魚のものに違いない。
「あれ、じゃあ話は早いじゃないですか」
俺はぽん、と膝をたたいた。
「メロウの狙いはあなたですよ。もしくは、その時一緒に漁に出た妙齢の男。そいつを差し出せ、でなければ歌を歌い続け海を荒すぞ。シンプルな要求だから、解決策もシンプルです。嫁にもらっちゃいかがです」
「な」
「おいカガミ……」
あまりにもなげやりな俺の言葉に、氷雨は呆れた視線を向けてくる。だが今ばかりは負けられない。
「だいじょぶですって。人魚とだって子どもはちゃんとできるみたいですよ、俺の知り合いにそんなのいたようないなかったような」
ルパートは目を白黒させて黙り込んだ。
「メロウは、とにかくその男を手に入れようと必死です。だから俺達をあっさり解放してこの港に来させたんですよ。ああいうふうに人魚の仲間だと思われるような演出をして」
「サメを悪くいうな」
「そこですか。ま、とにかく。こうして俺たちは疑われ、あなたにお会いしてメロウの要求を伝えることとなったワケです」
「……貴方がたは、本当に人魚ではないのか? ヒトだとしても、人魚となにか取引をしているとか」
ルパートは疑わしげに俺を睨んだ。それを俺はははっと笑い飛ばした。
「やだなー、違いますったら。信じがたいかもしれませんけど」
「お前が言うからよけいに嘘臭いんだ。ルパート、私たちは断じて人魚の仲間ではない」
「……失礼した」
あ、この野郎、氷雨の言葉は信じやがった。紅茶を口に含んだルパートは、ぎゅっと目をつむり一呼吸おく。
「まー、俺達が人魚の仲間であろうとなかろうと同じです。このままでは、メロウはずうっと歌い続けますよ」
俺は微笑んだまま相手の動向をうかがった。
自身を犠牲にして港を救うか。
それともジリ貧覚悟の根競べをするか。
どんな結果に落ち着こうと俺と氷雨には関係ない。
だが、ルパートは別の答えを導いた。
「カガミ君、といったな」
「何か」
「その人魚について、もっと詳しく教えてくれないだろうか」
「はい?」
「容姿、特徴、声、彼女の起こす波の大きさ、力、なんでもいい。どうか教えてくれ」
ルパートは少々青ざめてはいるものの、力強く言った。
「そりゃお教えするくらいはいいですけど。何をなさるおつもりですか」
「戦おう」
おもむろにルパートは立ちあがり、飾り棚に置かれた小ぶりな短剣を手に取った。年代物のようでとても実用的とは思えないが、美しいモザイクの柄は今も輝いている。
「少なくとも今の話ではこちらに非はない。咎なくして人身御供のようなマネはできない、しかしこのままでは皆の暮らしが成り立たなくなる。わたしはここを預かる者として、責をはたしたい」
「それで皆が死ぬかもしれないのに?」
ぽつ、と氷雨が言った。海辺にすむ人間なら、海の、波の恐ろしさをよく知っているはずだ。その力を操る人魚と争うなど、愚かにもほどがある。
言外にそう伝える氷雨に、ルパートははっきりと言った。
「わたしは前例をつくりたくないのだ。ここでわたしが行けば今は助かるかもしれない。だがもし、人魚がまた同じ要求をしたらどうする。ここで屈するわけにはいかない。―――――――それに、カガミ君の話を聞いたうえでは、そのメロウという人魚は殺生を好まないようじゃないか。こちらが見せたいのは敵意ではない。そうやすやすとは従わない、という意志だ」
甘い考えだろうか、とルパートは笑った。
うわー、やだなァ。
こういうタイプ、やだなァ。なんでって、そりゃ。
俺はちら、と氷雨を見る。
ほら――――! も―――――!!
氷雨は一見冷めているようで、その実とってもとってもおもしろがっている目でルパートを見つめている。
無駄なことであるのは承知で、俺は氷雨の肩をゆすった。
「じゃ、氷雨さん。俺らは用も済んだし出発しません? 俺がメロウの特徴についてしっかりお伝えしますから」
すっと氷雨は俺の腕を離すと、ふらふらとルパートに近寄った。
「氷雨、さん?」
「ちょっと! 何してんですか!!」
信じられない、信じたくない光景。
氷雨は真っ白な腕をのばし、ルパートの手を包み込むように自らの手を重ねたのだ。これには堅物そうなルパートも慌てて頬を赤らめている。
ふざけるなよ、と俺は飛び出して氷雨の両手をつかむと、そのままルパートから引き離した。
「氷雨さん!? 俺そういうのはどうかと思うなァ、まだ会って数時間とたっていない男女がいきなり手をつなぐとかさァ!!」
「一足飛びでヒトの縁談まとめようとしてたヤツが言うな。それより、あれ見ろ」
「なんです!?」
俺は喧嘩腰のまま、氷雨の指がさすものを見た。
それはルパートの手にしていた短剣。鞘に細かなモザイクで描かれていたのは、緑色の肌をした魚の化け物のような奇妙な生き物だった。
「え、あれって……」
「ルパート、それ、ちょっと貸してくれ」
「えっ!? あ、これか?」
わたわたと差し出してきた短剣を受け取ると、氷雨は鞘を、次に刃をじっくりと眺めまわした。
「カガミ、この刃、柄の部分が取れるんじゃないか?」
こういうのはお前のほうが詳しいだろう、と氷雨は俺に短剣を渡した。俺はじっと剣の持ち手と刃を検分し、わずかな溝があることに気づく。
「細工がありますね。どれ」
力を加減しつつ刃をゆらすと、かこ、と小さな音とともに簡単に刃だけが持ち柄から外れた。その刃には、柄で隠れて見えない部分に流麗な文字が刻まれている。
――――――――――――わたしの愛するあなたに、わたしの愛するこの海を捧ぐ。
俺が文字を読み上げると、氷雨はにんまりと猫のような笑みをつくった。
「なぁ、カガミ。困っている人を放っておくわけにはいかないよなァ」
「………そォですねェ……」
ご意見、感想をお待ちしております。