女王様と赤頭巾 中編
牧草が青々としげっている。そこへ白い粒がばらばらとまかれたように見えるのは、のんびりと草を食む羊たちだ。
「へぇ、のどかでいいな。しかし、こんなところに一人で?」
簡素な造りではあるが、どこかほっこりと温かい空間。木造りの家は私の想像以上に居心地が良かった。年季の入った造りだが、それがまた味というもの。部屋の奥の炉では火がたかれ、赤頭巾が夕食を準備してくれている。一本の木を贅沢につかったテーブルにはハーブティーが用意されていた。
「一族の長男が頭巾を継ぐんだ。ここから家族を守ってる。あとの家族は里に残って家を守る」
「とはいえ君はまだ若いだろう」
「一族のためだ」
誇らしげに胸をはる赤頭巾は、私から見てもなかなか好ましい気概を持った少年だった。まだ若木のような身体ではあるが、それを活かして生きる術を知る強さがある。
さみしくはないのか、と尋ねたくなるが、彼に対しては失礼な問いだろう。白雪の意地っ張りと姿が重なる。
「しかし人狼、ねぇ。おもしろい」
人狼といえば凶暴かつ獰猛な、高い知性を誇る人獣だ。月の魔力に支配されるというが、その強さは騎士物語の良い敵役となるほど知れ渡っている。
「そんなこと言ってられないんだ。お姉さんみたいな……その、き、キレイな人は特に危ない」
うっすらと頬を染める赤頭巾。ちょっとこれには意外だったが、不思議と嫌悪はわかない。かわいいものだ。……隣でグズグズ言うバカにくらべれば。
「ったくさ~、何なの氷雨さんてばさ~。いきなりイキイキしちゃってさ~。色気づきはじめる前の青い実がお好みとか? 知らなかったなー」
「お前はまだ文句言っているのか」
私の冷たい視線などものともせず、カガミは小ぶりな椅子にふんぞり返っていた。珍しくイライラしていると思ったら、どうも赤頭巾が心の底から気に入らないらしい。まあ、初対面でライフルぶっ放されて機嫌がいいやつのほうが気味悪いか。
「なんでアンタまでウチでお茶飲んでるんだ。それはお姉さんに淹れたんだよ!」
赤頭巾は毛を逆立てた動物のように、カガミを威嚇する。
こういうペット、ちょっといいかもしれないな。変なモノ(カガミ含む)を撃退するのに丁度いい……。
ついじっと見つめていると、それに気づいたらしくまた赤頭巾は顔を赤くした。
「お姉さん、なんでこんなバカと一緒に旅してるんだ。疲れない?」
「わかってくれるか、この苦労」
「ちょっと、聞き捨てならないんですけどォ」
カガミはもう無視するしかない。
「ところで、人狼といえばそうとう珍しいと思うけど」
「ああ。詳しい居場所はわかっていないんだけど、時々姿を現すから気をつけているんだ。夜にまぎれてヤツらに村を襲われたら大変だ。その点ここに見張りがいればヤツらも警戒するし、万が一の時でもオレが危険を村に伝えることができる」
赤頭巾は懐から紙巻きの筒型の道具を取り出した。空に信号を放つ花火だ。
「人狼は貴重価値からいっても申し分ない相手よね。ハンターは?」
人狼を倒したという称号をほしがるような、騎士物語に憧れる若い冒険者は多い。それと同時に人狼の持つ魔力に価値を見出し牙や毛皮、目玉を狙うハンターも多い。平たくいえば、手に入りにくい分かなり高額に取引されるのだ。
「ここは辺鄙なところだから。でも時々来るよ。ウチに泊めてやったこともある。ほとんどが一晩か二晩で食われるか逃げ帰るけどな」
「へぇ……」
「でもオレは違う。こいつがいるから」
鍋が煮えるまで、と赤頭巾は愛用のライフルを磨き始めた。使いこまれているが、威力は変わっていないのだろう。黒光りする銃身は禍々しくも美しい。
「あ、そうだ。さっき無駄弾使っちゃったから補充しないと」
「そォだねー。あの距離で当てられないんじゃ弾丸もたくさん持っとかなくちゃねー」
カガミがへらへらと笑うと、赤頭巾のこめかみに青筋が刻まれる。
「お姉さん……。こいつ、外に出して人狼おびき出すエサにしてもいい?」
「そうね。カガミ、出ろ」
「だって二人で話しこんじゃっててさみしかったんですよー! さっきのはコミュニケーションだよ、ねぇクソガキ」
「お姉さんの許可はもらった!! 出てけクソオヤジ――――!!!」
カガミは本当に外に放りだされた。しかしエサにするわけではない。もともと一人用の小屋には私たち客人の寝るスペースがなかったのだ。主である小さな紳士は私にベッドを譲り、外でいつもの身回りを行うという。そしてカガミは裏手にある物置に突っ込まれたのだ。とはいえ、一応ここも寝泊まりができる支度は整っており、あれだけつまらない嫌がらせをした割にいい目を見ている、といえた。赤頭巾のほうがよっぽど大人だ。
「お姉さん、寒くはない?」
「ああ、快適だ。すまないな、ここまでしてもらって」
「いいんだ。女性には親切にしなくちゃ。それが男だって教わってる」
絞られたランプの明かりの下、赤頭巾は言った。
がちゃがちゃと音を立てながら身支度を整えている赤頭巾。その後ろ姿を、私はベッドにもぐりこみながら見つめていた。
「じゃあ、行ってくる。大きな音とかが聞こえても安心して、ここは絶対に安全だから。でも、外へ出ちゃダメだ」
「わかった。気をつけて」
私がそう返すと、赤頭巾は驚いたようにくるりとふり返って私を見た。
丸みの残る頬がランプに照らされ、オレンジ色に光る。瞳はゆらめく炎のようだった。
「なんだか久しぶりだな。そう言ってもらえるの」
赤頭巾はぽつりとこぼす。
私は、また彼のどこかに白雪を見たような気がした。
体を起して赤頭巾に歩み寄る。警戒を解いた動物のように、赤頭巾は静かに私の動きを見ていた。ゆっくりとあげた両腕を、私は赤頭巾の小さな背にまわした。
「気をつけて。……いってらっしゃい」
「……うん」
その時、私は自分の推測が正しかったことを確信した。そしてこの後に起こることをすべて知っている。だから、素直に身を任せてくるこの少年に対し、珍しく胸が痛む思いがした。
しんと静まり返った草原は、昼間の呑気な雰囲気を一気に取り去っていた。どこか残忍で、無情な夜。
何もさえぎるものがない闇夜の下、獣の咆哮が響き渡った。それは自らを奮い立たせ、周りを一瞬にしておびえさせる力をもった一種の魔術だ。
闇は味方なのだろう、迷いのない足取りで裏の小屋に向かっていく様は風のようだった。
そして戸に鋭い爪を持つ手をかけようとした、その瞬間。
「それ以上動かない方がいいぞ、赤頭巾」
私の声に、獣そのものの敏捷さで赤頭巾は振りむいた。いや、その頭には頭巾はもうない。今はなかなかかわいらしい狼の耳が、少しかたそうな髪の中から生えている。
「どうして」
赤頭巾は途方にくれたような声で唸った。咆哮の魔力が一気に萎え、困惑だけが今の彼を支配している。
「ま、ぜんぶお見通しだったってことだよ、リトルレッド。しっかし本気で殺そうとしてくるとは……」
戸を開けて出てきたカガミは、ひょいっと赤頭巾からライフルを取り上げた。
「な、なんで眠ってないんだ!? お姉さんの分のお茶まで飲んどいて!!」
「あー、やっぱりこの野郎なんか仕込んでたな」
カガミが何かを察して私の分のハーブティーまで飲んだことには気づいていた。そしてそういった類の薬が効かない奇天烈な体質であることも重々承知だ。
「私とて魔女のはしくれだ、すぐわかったよ。お前こそが人狼だってな」
なんて、確信したのは彼に触れたつい先ほどのことだが、最初から違和感はあった。あのライフルは少し魔力を帯びているくせに、弾丸は通常の鉛玉。人狼を倒す騎士物語に欠かせないのは、なんといっても銀の存在だ。魔を払い、不死者の息の根を止める唯一の武具。
「銀なんて怖くて触れないのだろう。当然だな」
私は胸元から銀のドッグタグを取り出した。それを見て、赤頭巾…もとい狼少年はおびえを瞳に宿した。
「安心していい。私たちはハンターじゃない。その点、正直者ね」
くすくすと笑うと、カガミは不満そうな顔をした。
「別によくないですか? こんな嘘つき狼。高く売れるんでしょ、人狼って」
カガミの非情な言葉に赤頭巾は激昂した。月の光を受けて黄金色に輝く瞳がカガミを睨みつける。
「……お前みたいなヤツがいるから……ッ! だからオレはここで嘘をつき続けてるんだ! 誰が好き好んで愚かな人間だなんて嘘つくもんか!!」
その瞳に少し思うところがあって、私は『力でゴリ押し! 嘘つき狼少年お仕置き大作戦』を変更することにした。
「落ち着け、赤頭巾。私は絶対にお前に危害は加えないわ」
「えぇ―――?」
「少し黙ってなさい、カガミ」
ドッグタグをポイっと投げ捨て、私は赤頭巾に歩み寄った。ビクリと肩を震わせた赤頭巾に対し、あと一歩のところで立ち止まる。先ほどとは違う、警戒しきったその姿にまた胸が痛んだ。だが、その姿をここでさらすわけにはいかない。ここにはアイツがいるからだ。私は心の動揺をおさえ、右手だけを静かに差しのべた。
「赤頭巾。理由はなんにせよ、私たちを騙してカガミを殺そうとしたことは間違いないわね」
「あ……」
「怒ってないわ。ただ話を聞かせてほしいだけ」
「いや、俺としては不満爆発なんですけど。聞いてませんね、氷雨さん?」
ためらう赤頭巾に、私はダメ押しの一言を加えた。
「いいから、さっさと私の手をとりなさい」
おそるおそる手を握り返してきた赤頭巾を尻目に、「ったく、女王様はこれだから」とかなんとか文句を言っているカガミは全面的に無視することにした。
赤頭巾の中編でした。 今回はもう一つのお話が混ざっているのですが、おわかりいただけたでしょうか?
次回が赤頭巾編の最後です、どうぞお付き合いください!
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