*第8話(1)*
6月。梅雨入り直前。
麻衣はワイシャツのリメイクを終え、健太の家へと向かっていた。
自宅から自転車で10分ほど。途中、吉野川沿いの国道169号線を走る。川からの風が気持ちいい。
だが、心は少し重い。
「一歩を踏み出す、かぁ」
信号待ち。美咲と裕子に言われた言葉を思い出す。確かに、両親が遺してくれた資産には限りがある。叔父・叔母からの援助も、いつまで続くかわからない。
「でもなぁ……」
裁縫で生きていけるとは思っていない。職歴は両親の会社で経理を5年、あとは学生時代にしていた喫茶店のアルバイトくらい。それぞれブランクもあり、雇ってもらえる自信はない。
お見合いも怖い。そもそも男性と接するのが苦手なうえ、どうしても博の件が尾を引いている。
「どうしようかなぁ……」
信号が変わった。ペダルを踏みこむ。
人見知りは自分なりに改善してきている。思ったことを伝える努力も少しずつできるようになってきた。とはいえ、あれもこれも一気に克服できるわけではない。
「なんでもかんでもは無理だよぉ……」
泣きたい気持ちをぐっとこらえて、ペダルを踏む。前かごには、きっちりと畳み、お手製の布鞄に入れた健太のワイシャツが2着。
1着はバンドカラーシャツ。1着はヘンリーネックのノーカラーシャツ。今日は実際に着用してもらい、首回りなどに不自然さがないか最終チェック。問題がなければ、すべてのシャツをお渡しできる。微調整が必要なら対応する。
「喜んでもらえるといいな」
麻衣は無理に気持ちを切り替え、自転車を漕いだ。
「わざわざ来てもらって、申し訳ない」
麻衣は和室に通された。
「ほんまに。こっちから出向かなあかんのに」
麻衣の前に並んで座る健太と幸子が交互に話す。
「いえ、お気になさらず」
麻衣は笑顔を作った。美咲や裕子に言われた言葉が心に残ってはいるが、健太も幸子も無関係。顔に出して心配させてはいけない。
「まずは、こちらのバンドカラーシャツから試着してみて下さい」
ホワイトの長袖ワイシャツ。うっすらとグレーのストライプ柄。
「わかりました。では、隣の部屋で着替えてきます」
健太が受け取り、立ち上がって部屋を出た。
「ほんまにありがとう。健太が“勝手なことすな”って、めっちゃ怒ってたんやけど、ちゃんと仕上げてくれて」
幸子が顔の前で手を合わせる。
「勝手なこと……あぁ、それでしたら、私はぜんぜん」
健太のシャツのリメイクを無断で勝手に幸子が依頼したことを言っているのだろう。
「楽しかったです。今回のリメイク」
やはり、裁縫をしているときは無心になれる。没頭できる。自分の人生を見つめなおす必要を感じてはいるが、考えすぎたらネガティブな思いに圧し潰される。現実逃避と言われればそれまでだが、今回のシャツのリメイクは精神的に助かった。
そういった意味では、健太に相談せず依頼してきた幸子に感謝したいくらい。
「そう言ってもらえるとありがたいけど」
「入ります」
幸子が言い終わると同時に、障子越しで健太の声。
「どうぞ」
「お願いします」
幸子と麻衣がそれぞれ返答。障子がスッと開いた。
「おぉ、これ、ちょっとえぇんちゃう!」
幸子が立ち上がり、健太の首回りを見上げながら横から後ろから襟を見る。
「落ち付きぃな」
健太が呆れ気味に言う。
「せやかて、これ、もともとこーゆー襟でした、みたいな感じやん! めっちゃえぇわ!」
「ありがとうございます」
健太より幸子のほうが喜んでいる様子。
「ところで、首のあたりとか着心地はどうですか? 違和感とかないですか?」
麻衣も立ち上がり、健太の首元を見る。見た目的には問題なさそうだが、こればかりは着ている人の感覚が一番大事。
「あぁ。母の言う通り、もともとバンドカラーシャツだったみたいに違和感はない」
健太が満足げな笑みを浮かべ、首を小さく左右に揺らしたり、回したりしてみせた。
「そうですか。よかった……」
麻衣は心から安堵した。少し落ち込んでいた気持ちが仕立てに影響していないか不安だったが、大丈夫なようだ。
「これで、次の仕事でも着られる。麻衣ちゃん、ありがとう」
健太が微笑んでいる。普段は少し厳つい顔が、とても優しくみえる。
「いえ、そんな……」
麻衣は思わず泣き出しそうになった。自分が役に立った。自身を失いかけた心に、健太の笑顔と言葉が沁み込む。
「せやな。カフェでも着られるな」
幸子も嬉しそうに微笑む。
「え? カフェ?」
麻衣は目じりをぬぐい、幸子の顔を見る。少し涙が溢れたことは気がつかれなかったらしい。
「あぁ。今度、下市口駅の近くでカフェをオープンさせるんだ」
幸子ではなく健太が答えた。
「私が若い頃は駅前の商店街に活気があった。店がもっとたくさんあった。国道沿いの店も繁盛していた。しかし今は、だいぶ廃れた。昭和から平成にかけて作られたニュータウンには今でも若い世代が少なくないし、新しい店もできているが、人口は減り続けているし、なくなっていく店のほうが多い。なかでも下市口の駅前商店街はシャッター通りになっている」
健太の顔が引き締まる。眉間にしわが寄る。
「美味しかったパン屋も、よく通っていた本屋もなくなった。残っているのは数店舗だけ。だが、今ならまだ、商店街として復活ができる」
「復活、ですか?」
「そう」
麻衣の言葉に健太が頷く。
「閉店した店の空き店舗がまだ残っている。あの建物が解体されて民家や集合住宅になったら、商店街として成り立たなくなる」
「つまりやな」
幸子が健太の説明を受け継ぐ。
「店ができる建物があるうちは元に戻せるけど、建物が壊されてフツーの家とかアパートになってしもたら、もう新しい店はできへん。単なる住宅街になってしまう。せやから、空き店舗のままになってる今のうちに手を打たなあかん。そーゆーことやったな」
「なんや。よぅわかっとるやん」
健太が心底驚いた様子。どうやら母の幸子に話すときは関西弁になるようだ。
「そりゃそやわ。あんた、私が麻衣ちゃんにシャツお願いしてから、毎日毎晩、食事んときに熱弁するんやもん。そりぉ覚えるわ。なぁ? ハッハッハ!」
幸子が麻衣へと顔を向け、大きく笑う。
「と、とにかく」
健太がバツの悪そうな表情で説明を継続する。
「大淀町の活気を取り戻すためにも商店街の復活が不可欠。空いている店舗に新しい店を誘致しなければならない。とはいえ、品ぞろえが良くて価格も良心的なスーパーが複数ある町で、駐車場が少ない商店街の個人店が生き残るのは難しい。希望者を募集したところで、そう簡単に集まらない。それならば、自分たちが出店しようと考えた」
「じぶんたち?」
麻衣は小首を傾げた。幸子が口を開く。
「健太のほかにも、町を盛り上げたい言う有志が何人かおってな。で、それぞれ店持ってやりたいことがあるし、駅前商店街の活性化にひと肌脱ごかってなったんやて」
「スーパーと同じ物を売っても価格や物量で太刀打ちできないし、そもそもスーパーと張り合おう、競合しようとも思っていない」。
幸子の説明を受けて健太が補足する。麻衣は健太へと視線を戻した。真面目な顔つきだが、眉間のシワはなくなっている。
「ただ、各々がやりたい、特色のある店をやろうと思ってね。奈良の地酒に特化して酒屋を始める奴は料理も得意だから立ち飲み屋を兼業するし、靴メーカーに勤めていた同級生は靴職人として店を構えることになっている」
「それで、健太さんはカフェを?」
麻衣の質問に健太が頷いた。
「いずれは自分がブレンドしたコーヒーを出す店をやりたかった。そのタイミングが、今なんだと思うんだ」
健太が真っすぐな視線で麻衣を見つめる。
「町の人たちがくつろげて、ゆくゆくは大淀町に移住してきた人たちにも利用してもらえる空間にしたい。それに、既存の店の人たちと新しく店を立ち上げる我々が情報を交換できる場をつくりたい。そう思ったんだ」
「今まで着てこられたワイシャツをリメイクされたのもカフェで着るため、ですか?」
なんとなく理解してきたが、念のため確認。
「そう。正直、予算は限られているし、何より今まで一緒に働いてきたシャツを活用したい。ただ、普通のワイシャツではかたっ苦しい。それでなくとも私の顔は厳つい」
「うん。厳つい」
幸子が大きく頷く。
「そ、そんなことは……」
麻衣も否定しずらい。
健太が一瞬だけ幸子を睨み、続ける。
「だから、ちょっと抜け感というか、柔らかい印象を抱いてもらえる服装にしようと考えた。調べてみたらリメイクをしている人が結構いた。これなら麻衣ちゃんにお願いできないかと思ったんだ」
健太が再び温和な笑み。
「ありがとう。あとでノーカラーシャツも着てみるけど、やっぱり麻衣ちゃんにお願いしてよかった」
「せやろ。私がお願いしに行ったから……」
「それはちゃうて。勝手なことすなって」
健太が幸子を嗜める。
「……それでネクタイはいらない、と?」
麻衣は呟くように聞いてみた。いくつかのアイデアが頭に浮かんでいた。




