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*第6話*

 両親を不慮の事故で亡くした当初、麻衣は経理として会社に残るつもりでいた。叔父の学に社長を任せ、叔母の裕子にも役員に就いてもらったものの、会社の株式などは父から引き継いでいた。父と母が築いてきた会社。将来的には自分も経営陣に加わる覚悟はできていた

 ただ、経営者のひとりになる時は、父の娘というより博の妻として支えたいと考えていた。母が父を支えたように、自分も博を支えたい。漠然と、そうなると思っていた。

 思い込んでいた。

 だから、博が結婚すると聞いた時には驚きなどという言葉では表せない状態になった。

 虚脱感、虚無感。とにかく何も考えられなくなった。ずっと一緒に走っていけると信じていた相手が、別の女性と恋愛しているなどと考えてもみなかった。もはや仕事にならなかった。

 麻衣の思いを知っていた叔父・叔母は少し休養を取るよう勧めてきた。麻衣も少し気持ちを落ち着かせようと、心を鼓舞し、やれるだけの仕事をしたうえで長期休暇を取得。じっくり考えた末、麻衣は職を辞することにした。

 博と一緒にいれば、自分が壊れてしまう。博が麻衣の気持ちにまったく気がついておらず、悪気なく今まで通り接してくるのも辛かった。

 両親から引き継いだ会社の権利をすべて叔父と叔母に託し、自宅も手放す方向で不動産会社に連絡。しばらくは何もせず生活できるくらいの資産は得られそうだし、どこかでのんびり暮らせればと考えていた。

 そこに、父が生前、奈良県大淀町に老後の住まいとして購入していた一軒家があると伯母の幸子から連絡があった。

 なんでも、自分たちが引退して住むまでは幸子名義にして管理を任せ、自分たちが先に死んだ場合は、そのまま幸子の財産にしてもらう約束だったらしい。公正証書も残されていた。

 ただ、幸子自身は夫から引き継いだ家があり、健太と親子ふたり暮らし。もう1軒、家を欲しいとはまったく思っておらず、かといって放置するわけにもいかない。売却する手もあったが、それよりも娘である麻衣に相続してもらい、暮らしてもらったほうがいいのではないか。そんな提案だった。

 言われてみれば、数年前。入院していた伯父のお見舞いで幸子や健太が住む家へ行ったとき、父が「ほどよく店があって、ほどよくのんびりできそうな場所だ。リタイヤしたら住みたい町だな」と言っていたが、本当に家まで買っていたとは聞いていなかった。

 いや、話すタイミングがないまま、亡くなったのかもしれない。

 いずれにしても、実際に行ってみると、やや古い家だったがリフォームすれば問題なさそうだった。過疎地とはいえ徒歩圏内や自転車で行ける範囲に各種のお店があり、生活にも困らない。大学時代の友人がたくさん住んでいる京都や大阪にも電車で行ける。ここでゆっくり暮らすもの良いのではないか、と感じた。

 また、叔父や叔母も麻衣のこれからを心配してか、資金援助を申し出てくれた。親族が亡くなった直後に結婚を発表するタイミングの悪さだけではなく、麻衣の気持ちを完全に無視した博の行動に、責任を感じていたのだろう。



 「ごめんなさいね。少しでも麻衣ちゃんが幸せになるお手伝いができればと思ったの。でも、そもそも結婚が人生のすべてではないものね」

 裕子が視線を落とす。

 「おばさん……」

 なんと声をかければよいのか、麻衣はわからなかった。

 「ただね、麻衣ちゃん。結婚が人生のすべてではないけど、選択肢のひとつだとは思うの。だから、お見合いじゃなくても、素敵なひとと出会えるきっかけ、一歩を踏み出したほうがいい」

 「一歩を、踏み出す?」

 先日、美咲にも言われたひと言。

「そう。今だったら“マッチングアプリ”で結婚する人も少なくないし、出会いを広げたほうが麻衣ちゃんのためにもなる」

 裕子が視線を上げ、力強く麻衣を見る。

 「私も学さんも、いつまでも元気なわけじゃない。会社だって、今のご時世、どうなるかわからない」

 「えっ!?」

 裕子の発言に麻衣が驚く。

 「あ、別に今すぐ大変ってわけじゃないのよ」

 裕子が慌てて否定する。

 「私たちは元気そのもの。会社も黒字決算を続けてる。誠さんと真由美さんの遺志を継いだんだから、石に噛り付いてでも会社は続ける。会社を続けているあいだは、麻衣ちゃんへの援助も続けさせてもらう。けど、私たち、自分の息子の気持ちすらわからなかったわけでしょ」

 裕子が寂し気な笑み。

 「あれからね、世の中、何があるかなんてわかったもんじゃないって思うようになったの。それにね」

 裕子がコーヒーを飲み、続ける。

 「順番でいったら私たちのほうが先に()く。幸子さんだってそうだけど、麻衣ちゃんを守ってくれる人たちがどんどん減っていく」

 「そんな……」

 麻衣は思わず口に両手を当てた。

 「まだまだ死ぬ気なんてないけど、こればっかりは仕方ないこと。だからね、やっぱり心配なのよ、麻衣ちゃんのことが。だから、また良い人がいたら、紹介だけはさせてほしいの」

 裕子がコーヒーカップを机に戻し、麻衣を見る。懇願するような目。自分のことを考えてくれている。申し訳なくなってしまう。

 「わかりました」

 正直、お見合いを受け入れられる自信はない。知らない男性と会おうとは思えない。ましてや、結婚を前提として会話ができるはずもない。

 ただ、叔母の気持ちは嬉しくないわけではない。もしかしたら、次は“会ってもいい”と思える人を紹介してくれるかもしれない。少なくとも、今、無碍に断れるほど、麻衣の心は強くない。

 「お受けできる自信はないですが、また、よいお話がありましたら」

 精一杯、自分の考えを伝えた。

 「うん」

 裕子が少し安心した顔つきで頷いた。

 「とはいってもねぇ」

 口調が普段の裕子に戻る。

 「麻衣ちゃんに紹介できるほどの良い男はそうそういないから、また1年後くらいかもね」

 小さなため息。

 「本当に最近の男子ときたら、ロクな奴がいない。だらしないというかなんというか、覇気がないのよ、まったく」

 裕子が吐き捨てる。いつもの調子。

 「まぁまぁ」

 麻衣が困った笑みを浮かべつつ(なだ)めた。一緒に仕事をしていた時も、よく(いさ)めていた。

 「なんて、麻衣ちゃんに言っても仕方ないか。ごめんなさいね……それにしても、このコーヒー、美味しいわね」

 裕子が話題を変えた。気まずい雰囲気を変えたいから、というだけではないらしい。

 「よく行くカフェがあるんだけど、そこのより美味しいわ。どこの豆?」

 「健太さんが挽いて下さったんです。コーヒーがお好きだそうで」

 麻衣にも笑顔が戻る。

 「健太くんが? 意外な趣味ねぇ……あ、健太くんと言えば、会社、辞めるんですって?」

 「えっ!! そうなんですか?」

 笑顔が一瞬にして驚愕に変わった。本人からはもちろん、幸子からも聞いていない。

 「何かやりたいことがあるって、幸子さんが言ってたわ」

 裕子が残ったコーヒーを飲み干す。

 「うん、冷めても美味しい」

 「な、なんでしょうか、健太さんのやりたいことって」

 麻衣は、コーヒーの感想を呟く裕子に尋ねた。

 「さぁ、地域に貢献したいとかなんとか。でも詳しいことは“ようわからん”って」

 「わからん、ですか?」

 「そう。健太くんから説明されても難しくて“ようわからん”ですって。幸子さんらしいわよね」

 裕子が笑って右手を口元に、左手を縦に振った。

 「そ、そうですね」

 麻衣もつられて笑った。しかし内心は。

 ――健太さん、それでワイシャツを……なにをされるつもりなんだろう……

 健太のことを強く心配していた。

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