第2章 友情という名の支配
佐吉が秀吉の側近として取り立てられてから、まだ日も浅い。
だが、その働きぶりはすでに周囲の目を引いていた。
几帳面で、正確で、妥協を知らない。
佐吉の“正しさ”は、若さゆえの未熟さではなく、
むしろ鋭利な刃物のように研ぎ澄まされていた。
「佐吉、また書状の誤りを見つけたそうだな」
「はい。正しくあるべきものは、正しくなければなりません」
佐吉は淡々と答えた。
その声音には怒りも誇りもない。
ただ、正しさへの異様なまでの執着だけがあった。
その様子を、ひとりの青年が静かに見つめていた。
大谷紀之介。
端正な顔立ちに、涼しげな眼差し。
若き日の紀之介は、誰が見ても“理知的で温厚な青年”だった。
だが、その瞳の奥には、年齢に似つかわしくない“深い静けさ”があった。
まるで、心の底に波ひとつ立たぬ湖があるかのように。
(正しい者は、美しい。
だが、美しい者ほど、脆い)
紀之介は佐吉の背中を見つめながら、静かに思った。
その日の夕刻、紀之介は佐吉を呼び止めた。
「佐吉。少し、よろしいか」
佐吉は振り返り、丁寧に頭を下げた。
「紀之介殿。何か御用でしょうか」
「あなたの働きぶりを、秀吉様も高く評価しておられる。
だが……正しさを貫くのは、時に孤独だ」
佐吉の表情がわずかに揺れた。
その揺れを、紀之介は見逃さない。
「孤独、でしょうか」
「ええ。正しい者は、間違いを許せない。
だが世の中は、間違いで満ちている。
ゆえに、正しい者は必ず孤立する」
佐吉は息を呑んだ。
その言葉は、彼の胸の奥に深く刺さった。
(この人は……わかってくれる)
紀之介は微笑んだ。
柔らかく、優しく、温かく――
だがその微笑みの奥には、温度がなかった。
「佐吉。
あなたの正義は、美しい。
私は、それを支えたい」
その一言で、佐吉の心は決まった。
「紀之介殿……。
私も、あなたのような方と共に働けることを、誇りに思います」
紀之介は静かに頷いた。
だがその胸の奥では、別の言葉が響いていた。
(誇りなど、求めていない。
私はただ――
あなたの“正義”という刃が、どこまで研ぎ澄まされるかを見たいだけだ)
その夜、紀之介は灯火の下で筆を走らせていた。
書状の内容は、佐吉の知らぬところで進む政務の調整。
だが、その文面には巧妙な仕掛けがあった。
佐吉が“正しさ”を貫けば貫くほど、
周囲との摩擦が増えるように。
佐吉が“正義”を叫べば叫ぶほど、
孤立が深まるように。
紀之介は淡々と筆を進めながら、
心の奥で静かに呟いた。
(正義は、孤独を生む。
孤独は、狂気を育てる。
そして狂気は――
最も美しい)
翌朝、佐吉は紀之介の書状を見て、深く頷いた。
「紀之介殿は、やはり正しい……」
紀之介は微笑んだ。
その微笑みは、昨日と同じく柔らかかった。
だが読者だけが知っている。
その柔らかさの裏に潜む“異物の静けさ”を。
こうして二人の友情は、
佐吉が信じた“絆”として始まり、
紀之介が仕組んだ“支配”として動き出した。
そして、関ヶ原へ向かう歯車は、
昨日よりも確実に、深く噛み合っていくのだった。




