守ったからこそ、見えなくなったもの
朝。
フィリアは、いつも通り報告板の前に立っていた。
数字は揃っている。
物資は足りている。
事故は減少。
医療、教育、保管――すべてが予定通り、想定通り。
「……問題なし」
口に出してみても、胸の奥が少しだけ重い。
「フィリア様、今日の定例は以上です」
「ありがとう。……下がっていいよ」
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
■守る仕組み
この領地には、ルールがある。
登録制。
報告経路。
責任の所在。
例外を作らない仕組み。
それは、外から見れば理想的だった。
誰かが勝手に踏み込めない。
誰かが独断で壊せない。
誰か一人の善意で、全体が歪まない。
(……だから、守れている)
原種区画も、技術も、人材も。
全部、確かに。
■でも
フィリアは、机に置かれた一枚の紙を見つめた。
医療所の月次報告。
治療件数、完治率、軽症率。
数字は、過去最高。
「……なのに」
声に出さずに、続きを思う。
「“助けられなかった”という報告が、一件もない」
それは、本来喜ぶべきことだ。
でも。
(……本当に?)
■制度の外
医療所は、登録制だ。
治療を受けるには、名を告げる。
最低限の身元を示す。
それは、責任のため。
悪用を防ぐため。
物資管理のため。
(……正しい)
教育も同じ。
保管も同じ。
すべては「中にいる者」を守る仕組み。
「……じゃあ」
フィリアは、ゆっくり息を吐いた。
「“外に落ちた声”は?」
■気づかなかった理由
誰も規則を破っていない。
誰も悪意を持っていない。
誰も数字を誤魔化していない。
ただ――
制度に乗らなかったものは、
制度の中では「存在しない」。
(……守った、はずなのに)
守る力が強すぎて、
こぼれ落ちる音が、聞こえなくなった。
■じいじの一言
夕方。
フィリアは、ぽつりと聞いた。
「じいじ」
「なんじゃ」
「守るって、難しいね」
少し間を置いて、じいじは答えた。
「強い囲いは、外を見えなくする」
「……」
「だから、たまに外から叩かれんと、気づかん」
フィリアは、黙って頷いた。
■見えないまま
その夜。
原種区画は、いつも通り静かだった。
侵入もない。
異常もない。
警告も出ていない。
「……守れている」
そう言い聞かせながら。
フィリアは、初めて思った。
(守ったからこそ、
見えなくなったものが、あるかもしれない)
それはまだ、形にならない違和感。
声にならない声。
制度の外に落ちた、何か。
そしてそれは――
壊れた音ではなく、
最初から、記録されなかった音だった。
――静かな領地は、今日も平和だった。
だからこそ、
この違和感は、誰にも共有されないまま、
フィリアの内側にだけ、残り続けていた。




