それでも残る違和感
朝の執務室は、いつも通りだった。
報告書は揃っている。
数字は噛み合っている。
提出の時刻も、署名も、すべて正しい。
フィリアは、一枚ずつ、静かに目を通していった。
「……異常なし」
税収、保管量、医療所の稼働記録、教育区画の出席率。
どこを見ても、前回より少しずつ“良くなっている”。
(ちゃんと、回ってる)
それは、事実だった。
「フィリア様、こちらも問題ありません」
報告役の官吏の声も、落ち着いている。
視線はまっすぐで、言葉に濁りはない。
「ありがとう」
返事をして、次の書類へ。
――違和感は、どこにも書いていない。
■数字は嘘をつかない
昼前、じいじと並んで帳簿を確認した。
「この推移なら、今期は余剰が出るな」
「ええ。想定より、少しだけ」
「インフラ第二段の効果じゃろ」
教育で無駄が減り、
医療で欠損が防がれ、
保管で流出が止まった。
すべて、理屈通り。
「……完璧ですね」
「そう言う顔ではないぞ」
じいじが、ちらりとフィリアを見る。
「顔?」
「数字は満点じゃが、お前さんの眉が動いとらん」
フィリアは、無意識に眉間に触れた。
(……自覚、なかった)
■現場も問題ない
午後は、いくつかの現場を回った。
木工場は活気があり、
畑は手入れが行き届き、
医療所は静かに忙しい。
「最近、事故減りましたよ」
「勉強できる子、増えました」
「保存庫、余裕あります!」
誰もが、前向きだった。
嘘ではない。
演技でもない。
(……それなのに)
フィリアは、胸の奥に残る感覚を、言葉にできなかった。
■合っているのに、合わない
夕方、執務室に戻る。
机の上に並ぶのは、今日見たもの、聞いたもの。
すべてが一致している。
数字。
報告。
現場。
「……全部、合ってる」
ぽつりと呟いた声が、部屋に落ちた。
「合ってるのに……」
何が、と聞かれても答えられない。
どこが、と言われても指差せない。
ただ――
(“楽になりすぎている”)
以前は、もっと軋んでいた。
判断のたびに、重さがあった。
今は、滑らかすぎる。
「……慣れた、だけ?」
自分に問いかけてみる。
(違う)
慣れなら、安心が増えるはずだ。
でも、今感じているのは――薄さ。
■感覚だけが、残る
夜。
原種区画の方角を、窓越しに見る。
今日も静かだ。
警告はない。
報告もない。
守られている。
壊れていない。
ルールは、守られている。
(……それでも)
フィリアは、胸の奥の小さな引っかかりを、無理に消さなかった。
理由のない不安。
証明できない違和感。
「……いい」
今は、それでいい。
数字が語らないものがあるなら、
それを無視しないのが、管理者の仕事だ。
フィリアは、灯りを落とした。
すべてが整っている夜ほど、
人は「何かを見落としている」と気づきにくい。
だからこそ。
この違和感は、
まだ、消してはいけないものだった。
――それでも残る違和感は、
次の判断のために、静かにそこに在り続けていた。




