何も起きていないのに、辻褄が合わなくなる
朝。
報告板は、今日も静かだった。
「……昨日と同じ」
フィリアは板を見つめる。
・事故なし
・病人増減なし
・備蓄量、想定通り
・学舎、欠席者なし
・巡回、異常報告なし
完璧だ。
(……完璧すぎる)
違和感は、そこからだった。
■数字は、嘘をつかないはず
執務室。
フィリアは帳簿を一枚ずつ確認していく。
「食糧消費……合ってる」
「医療品使用量……想定内」
「燃料……減ってない?」
指が止まった。
「……あれ?」
もう一度、前月分と見比べる。
「使ってない、わけじゃない」
「でも、減りが少ない」
誤差。
そう言ってしまえば、それまでの数字。
でも――
(“誰かが節約した”量じゃない)
全体で、ほんの少し。
けれど、確実に。
「……妙」
■報告は正しい。でも、揃いすぎている
「じいじ」
「なんじゃ」
「最近、現場から“余談”が減ってない?」
じいじは一瞬考え、眉をひそめた。
「……確かに」
「困った話も、愚痴も、事故未満の話も」
「全部、減っとる」
「報告は?」
「正確じゃ」
そこが、問題だった。
(人がいるなら、“余計な話”は出る)
完璧な報告。
無駄のない言葉。
感情の抜けた文章。
(……誰か、整えすぎてる?)
■医療所でも、学校でも
医療所。
「最近、来る人減りました?」
「ええ! みなさん健康で!」
「……本当に?」
「はい!」
答えは即答。
学校。
「欠席、ゼロ?」
「はい!」
「理由の相談も?」
「特にありません!」
子どもたちは元気だ。
教師も、落ち着いている。
(……悪いことは、何もない)
それなのに。
(“揺らぎ”が、ない)
■何も起きていない。それが、おかしい
夕方。
フィリアは原種区画の外縁を歩いていた。
柵は無事。
結界も安定。
監視記録、異常なし。
「……誰も、越えてない」
声に出して、確認する。
越えていない。
壊れていない。
盗まれていない。
全部、正しい。
(じゃあ、なんで)
胸の奥に、小さな引っかかり。
(“誰かが何かをした形跡”だけが、残ってる)
結果だけが、整えられている。
過程が、見えない。
まるで――
(最初から“起きなかったこと”にされたみたい)
■フィリアの判断
執務室に戻り、フィリアは板に新しい札を掛けた。
【追加巡回:現状維持確認】
内容は、あえて曖昧。
「締め付けない」
「追及しない」
「でも、見る」
じいじが頷く。
「……泳がす、か」
「うん」
フィリアは小さく息を吐いた。
「まだ、“越えた”とは言えない」
「でも、“近づいた”気配はある」
怖いのは、事件じゃない。
(“事件にならないように処理されること”)
それを、フィリアは一番警戒していた。
■夜
部屋の灯りを落としながら、フィリアは呟いた。
「……何も起きてない」
事実だ。
でも。
「だからこそ」
「辻褄が、合わなくなり始めてる」
歯車は、音を立てていない。
それでも、確実に回り始めている。
静かすぎる夜の中で。
フィリアは、初めて
“まだ見えない相手”を、はっきりと意識した。
――何も起きていない。
それが、もう
「普通ではない」ということだけが、確かだった。




