内政へ回す余裕
原種管理地としての騒ぎが一段落し、領内の空気は久しぶりに落ち着いていた。
忙しさが完全に消えたわけではない。
だが、常に張り詰めていた緊張が、少しだけ緩んだ――そんな感覚だ。
フィリアは執務室の机に座り、帳簿をめくっていた。
「……あれ?」
小さな指が、数字の並びで止まる。
「……あれあれ?」
もう一度、最初から見直す。
銀光豆の出荷量。
青天麦の契約額。
砂糖の定期取引。
原種管理地としての補助金――王都からの、あくまで“管理協力費”という名目のもの。
「……お金、ある?」
ぽつり、と呟いた。
横に控えていたガルドが、苦笑する。
「あるな!しっかりと」
「……思ってたより?」
「かなり」
フィリアは帳簿を閉じ、椅子に深くもたれた。
「……ルール作りと防衛で、ずっと“減らさない”ことばっかり考えてた」
守るために使う。
漏れを防ぐために締める。
例外を作らないために備える。
そればかりだった。
「でも……」
フィリアは、机の端を指でとんとんと叩く。
「ちゃんと、増えてたんだね」
「ええ。領は、もう“回っている”状態だ!」
ガルドの声は、どこか誇らしげだった。
■使うという選択
「じゃあ……」
フィリアは顔を上げる。
「そろそろ、“内側”に使ってもいい?」
「ようやく、その言葉が出たか!」
「だって……」
フィリアは少し困ったように笑う。
「我慢ばっかりさせてた気がする」
住居。
水路。
道。
倉庫。
作業場。
最低限は整えてきたが、“暮らしが楽になる”ところまでは手が回っていなかった。
「優先順位、決めよう」
フィリアは指を折る。
「まず、水」
「生活用水と灌漑ですな」
「次に、道」
「物流が安定する」
「それから……」
少し考えてから、言った。
「冬に向けた住居の補修」
ガルドが、静かに頷いた。
「良い判断だ!領民にとって、いちばん実感できる」
■領内への通達
数日後。
領内に、新しい通達が出された。
・主要水路の拡張と補修
・村間を結ぶ道の整備
・老朽化した住居の修繕支援
・作業場の屋根・壁の補強
内容は派手ではない。
だが、生活に直結するものばかりだった。
「……やっと、ここまで来たな」
「水汲みが楽になるぞ」
「道が直れば、荷車が壊れにくくなる」
領内の反応は、静かだが確かな喜びに満ちていた。
■フィリアの実感
夕方、フィリアは村を歩いていた。
工事予定地の杭。
測量をする職人。
それを遠巻きに見る子どもたち。
「……」
フィリアは、その光景を見つめながら思う。
(守るだけじゃ、足りなかった)
(ちゃんと、“暮らす場所”にしなきゃ)
ガルドが、隣で言った。
「なに?」
「これが“内政”だ」
フィリアは、少しだけ驚いた顔をした。
「……ずっと前から、内政してたと思ってた」
「それは“耐える内政”だ」
「今は?」
「“育てる内政”だな」
フィリアは、ゆっくりと頷いた。
■小さな満足
その夜。
「今日は、いい日だった」
ベッドに潜りながら、フィリアはぽそっと言った。
「問題は……」
「起きておらぬ」
「お金も……」
「余裕がある」
「外からも……」
「今は静か」
フィリアは、ふうっと息を吐いた。
「じゃあ、いいよね」
「ああ」
「少しだけ……内側を良くする時間、あっても」
ガルドは、優しく答えた。
「それができるようになったのが、成長だな」
フィリアは、目を閉じる。
原種管理地。
ルール。
圧力。
交渉。
それらは、まだ終わっていない。
だが――
「……ちゃんと前に進んでる」
そう思える夜が、ようやく訪れていた。
歯車は、もう止まらない。
次は、“豊かさ”という方向へ向かって。
領内は、静かに内政の段階へと踏み出していた。




